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西園寺公望(さいおんじきんもち)とは、明治から昭和初期の政治家。

概要

公卿の出で京都生まれ。

フランスに留学後、中江兆民らと東洋自由新聞を発刊して社長兼主筆となったが、明治天皇の勅令により廃刊した。

以後、各国公使、第2次伊藤内閣、第3次伊藤内閣の文部大臣などを経て立憲政友会総裁となり、1906年(明治39年)と1911年の2度内閣を組織。

パリ講和会議(1919年)では首席全権を務めた。

その後、元老として重きをなし、14代にわたる首相を決めたと言われる。

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人物
最終更新:2026年09月07日 07:56