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高杉晋作(たかすぎしんさく)とは、日本武士

概要

1839年、長州藩萩城下の藩士に生まれた。

藩校明倫館吉田松陰松下村塾などで学び、1862年に命令で、幕府貿易視察団に加わり、上海に行った。

上海でヨーロッパ支配されている中国人のありさまを見て、外国の言いなりになっている幕府を倒し、外国人を追い払う決意を固めた。

帰国後、伊藤博文井上薫らとともに品川御殿山建設中のイギリス公使館を焼き討ちした。

1863年に藩主から下関を守る役目を任されると、農民町人入隊できる奇兵隊を作った。

その後、の内部で幕府に従おうと主張する俗論派勢力を持ち、幕府を倒そうと主張する正義派への弾圧を始めると、九州に隠れた。

翌年、80人で兵を挙げ、下関を占領すると、奇兵隊など多くの隊も加わり、俗論派藩政府の軍を破って、藩の政権を手に入れた。

こうして長州藩の内部は幕府を倒そうという倒幕路線にまとまったのである。

その後、幕府を倒すには薩摩藩と手を結ぶことが必要だと考え、木戸孝允京都に送って薩摩藩の指導者西郷隆盛薩長同盟を結ぶことに成功した。

1866年に幕府の第二次長州征伐が始まると、イギリスから買った蒸気艦で幕府の軍艦夜襲したり、関門海峡を渡って門司の幕府軍を破ったりした。

しかし結核悪化し、翌年4月に下関で大政奉還を見ないまま、29歳で亡くなった。

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人物
最終更新:2026年09月07日 18:04
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