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大谷翔平(おおたにしょうへい)とは、日本のプロ野球選手。投げて打てる二刀流を武器にMLBで活躍し、世界中で人気がある。時速160キロを超える剛速球を投げ込んで、相手バッターを三振にしたかと思えば、次の瞬間、特大のホームラン。

二刀流

プロ野球やMLBではピッチャーとバッターは完全に分けられている。投げる練習と打つ練習はまったく使う筋肉も技術も違う為、プロの世界ではどちらか一方を極めるだけでも努力が必要。剛速球を投げるピッチャーは肩や肘にものすごい負担がかかるため、試合に出たら何日も肩を休ませなければならない。一方、バッターは毎日何百回もバットを振って動体視力とスイングのスピードを鍛え続ける必要がある。

大谷翔平がプロ入りしたとき、沢山の野球の専門家が二刀流について大反対した。しかし大谷翔平は強い決意で挑戦を続け、伝説の選手ベーブ・ルース以来の奇跡を起こした。

大谷翔平は二刀流を極めるために、毎日10時間以上も睡眠をとって、栄養満点の食事を摂るなどした。

目標達成シート

岩手県の花巻東高等学校に入学した1年生の時に目標達成シートを作った。これは正方形のマス目を9×9の計81マスに区切ったノートである。大谷翔平は一番真ん中のマスに「ドラフト1位指名でプロ8球団から選ばれる」という大きな夢を書いた。そして、その周りには夢を叶えるために必要な要素(「体づくり」、「スピード160キロ」、「コントロール」、「変化球」、「メンタル」など)を書いていった。残りの項目には「運」と「人間性(礼儀や感謝)」を入れた。大谷翔平は高校の監督から教わった言葉を胸に、「運は、偶然待っているものじゃない。日頃の正しい行いで引き寄せるものだ」と考えた。そして運を引き寄せるための具体的な行動として、ゴミ拾いをする、部屋の掃除をする、道具を大切に扱う、挨拶をする、審判の人への態度を良くする、プラス思考でいると書き、大谷翔平は「グラウンドに落ちているゴミを拾うことは、誰かが落とした幸運を拾っていることと同じなんだ」と語っている。メジャーリーグのグラウンドでも、大谷翔平が試合中にさりげなく足元のゴミを拾ってポケットに入れる姿がカメラに映り、世界から大絶賛された。

50-50

2024年、大谷翔平は更なる高みを目指してロサンゼルス・ドジャースへと移籍した。この時の契約内容は10年間で約1000億円というスポーツの歴史で世界最高額の契約を結んだのだが、大谷翔平は「年俸の殆どは、10年後の後払いでいいです」とチームに提案したこと。チームがお金に困らず、他の強い選手をたくさん集めて、みんなで一緒に世界一になりたいという思いが、そこにはあった。そして2024年のシーズン、前の年に受けた右肘の手術のリハビリのためバッターに専念していたところ、140年以上の長い歴史の中で誰も達成したことがなかった50本塁打、50盗塁(50-50)という前代未聞の記録を打ち立てた。野球ではホームランを沢山打てる力持ちのバッターは体が大きくて足が遅く、足が速くて沢山盗塁ができるバッターはスリムで長打力がないのが普通である。最終的には54本塁打、59盗塁まで伸ばした。

ポストシーズンでもチームを引っ張り、ずっと夢見ていたワールドシリーズ制覇を達成した。仲間たちとシャンパンを掛け合い、チャンピオンのトロフィーを掲げて満面の笑顔を見せる姿は、世界中に大きな感動を与えた。

グローブ寄贈

日本全国の全ての小学校へグローブを寄贈した出来事は、日本中を驚かせ子供たちを大喜びさせた。2023年の冬、大谷翔平が配ったグローブの数は全部で約6万個にもなる。

各学校に届いたグローブの数は、1校あたり3個だった。届いたグローブの内訳は、右投げ用が2個、左投げ用が1個であった。もし右投げ用が2個だけだったら左利きの子供はキャッチボールをすることができない。グローブと一緒に届いた手紙にはシンプルで心に突き刺さる熱いメッセージが書かれていた。学校ではグローブを手にはめて宝物のように眺める子、初めてキャッチボールをしてボールを投げる楽しさを知った子、休み時間にグラウンドへ駆け出す子などが現れた。大谷翔平は「このグローブが、次の世代に夢を与え、勇気づけるためのシンボルになってほしい」と語っている。自分が子供の頃に野球から貰った大きな夢を、日本中の子供たちに届けたいという温かい恩返しだったのである。

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最終更新:2026年10月19日 19:06