森膿伸太郎

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生涯

ホロゾンタ技術開発局第2科・科長(戦備担当)であり、ホロゾンタ最高位の導師でもある。教団一の武闘派でありつつ、温厚で朴訥で善良そのもの、いわば宮沢賢治的とでも言いうるような顔も併せ持つ。幼少期から、『近江の鉈』として地元では恐れられ、巧みな柔道技で邪魔者を屈服させていった。裕福な豪農の長男として育ち、地域に社会教育の概念を定着させた。

兵器開発の特異な才能を開花させたのは、消防団所有の消防車を修理した時であったという。修理前は12メートルの射出しかできないホースが、彼の修理後、339メートルという驚異的な数字を叩き出す。その場にいた全ての人が、その水圧で跳ねとばされ尻餅を突いたという。その後、「水圧を自由に操る魔術師」とホロゾンタ内では呼ばれ、その能力は当然、海中兵器にも応用されるのは必然である。

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放水実験を行う森膿博士 水圧協会所蔵

科長になってからも、時折部下の労を労うため、自らギターを爪弾いたという。

人間魚雷回天の技術を盗み出すために、志願して予科練に入り、第一回出陣において、ウルシー環礁でアメリカ重巡洋艦および駆逐艦三隻を、一人で撃沈させ殉職。技術的に不可能とされた巡航艦に対する回天による攻撃を唯一成功させるにとどまらず、駆逐艦同士の衝突までをも計算し、それによって生じる爆雷の飛散によって重巡洋艦を轟沈した。猛将ミニッツ中将が、「この男が日本海軍上層部にいなくて良かった。アドミラル・ヤマモト以上に手強い相手になり、われわれは再度オーストラリアに押し出されるところだった」と娘にひそかに語ったと言う。
ただ、本来の目的であった技術漏洩をせず死地に臨んだ理由は、今も不明である。


墓所

彼が出陣前に残した爪と髪は、靖国神社遊就館に展示されている。

逸話


伸太郎は、近江大学人類学部で学ぶ傍ら、そこで知り合った女性に恋をしていた。女性の名は、櫻井遊亀。男の亀を持て遊び、人生を狂わせる魔性の女だった。清楚な外見からはおおよそ想像出来ない奔放な性情は、近江大学の男子学生を虜にして話さなかった。遊亀と伸太郎との間に、皇尊皇の存在があったことは確かであるが、どういう役割を果たしたかは不明である。ちなみに、皇尊皇の著した『青春オーロラスピン』は、攘夷派の間で必読書と言われ、100年後に宮沢りえ主演でドラマ化がなされた。 
遊亀の存在が、ホロゾンタの秘密兵器 ヴォイテム・レリクの開発を一年以上遅らせたと言うのが歴史家の間での定説となっており、この女さえいなければ間に合った、と教団内で地団駄を踏む者が当時後を絶たなかったと言う。


当時、船舶製造のほとんどがリベット溶接であった。太平洋戦争半ばからは、米軍が大型艦の電気溶接に成功するが、日本での製造は不可能とされていた。新造空母の大鵬でさえ、リベット溶接であり、一日数百リットルの海水が船内に侵入し、手作業で汲み出されたという。それは長門は無論、大和も同様である。しかし、森膿伸太郎発案の、溶接をしない『圧力糊付け』を海軍が取り入れていれば、アメリカの造船力を凌ぐ艦艇製造が可能であったと、当時の技術者は唇を噛む。「水圧の魔術師」の面目躍如と言える逸話である。ちなみに、人間魚雷回天は、電気溶接である。

柔道の達人であった伸太郎は、彼の命を狙って研究室に侵入した五人の賊を、全て背負い投げで投げ即死させたという。

幼少期のあだ名である「近江の鉈」は、自ら命名したものである。

近江大学の一回生の時、仕込み杖を常に携帯していたと、友人の日記にある。

彼の性衝動については不明である。友人間でも余りその手の話をしなかった様である。櫻井遊亀についても、性衝動よりも純粋な愛と理解するのが妥当であろう。そういう一途な態度が、回天出撃を彼に決意させたと言えるのかも知れない。

皇尊皇とは昵懇の仲であったのは周知の事実である。温厚な彼の性情が、とにかく過激な皇尊皇と衝突しなかったせいであろう。また、きのやまさをとも親交が深く、三人で連れ立って風呂屋に出かけたという。そして、時折、隙を見てはきのやの住処からエロ写真をこっそり持ち帰ったという。それは皇尊皇も同様である。

伸太郎の父は、まさをが下京する際、明治新政府のお尋ね者であると知りながら、湖東から彦根まで馬で送った。近江人の実直さを物語るエピソードである。
最終更新:2012年08月27日 22:21