その部屋にいる男たちは、全部で10人ほどだ。
彼らは皆行儀良く椅子に座りながら、厨房を見つめている。
そのぎらぎらとした視線の先では、一人の少女が食材と格闘していた。
簡素な台所しかないそこは、しかしその少女からすれば立派なキッチンだ。
お客様は自分を見つめる男たち。満足させるかさせないかは彼女の腕次第。
内心では自身と不安が渦巻く。
自分は芸術家だが、料理人ではない。
ピーターから様々な技術は学んだが、果たしてそれをどこまで活用できるのか。
今のところ大きなミスはしていないが、まだまだ油断はできない。
アザレアは今一度気合を入れ直し、食材を凝視する。
それは、つい数時間前に殺した幼児のもも肉だった。
◆
アザレアは芸術家だ。材料は人間。
殺して死体を使った作品が得意だが、生きたままの状態でもそれなりの作品が作れる。
彼女と仲の良い
ヴァイザーは、彼女を将来有望の天才だと常日頃から言っている。
物心ついた時から組織にいたからか、はたまた生来のものか。
彼女の美的感覚と独特の感性は齢12歳にして、一流の鑑賞者(サイコパス)を唸らせる出来栄えだった。
しかし、彼女は殺し屋で狂人といえど女の子。
実は、少し前から練習したい技能があった。
「ケビンお兄様、私に料理を教えてくれませんか?」
ケビン・マッカトニーはその言葉に非常に面食らったが、快く引き受けた。
この組織において人肉と聞いて皆が連想する者はピーターだ。
悪趣味にカニバリズムを楽しむ者はケビンを合わせ、数多くいるが、ピーターほど本気で人肉に向き合っている者はいない。
一週間に一度は女の肉を食べないと気が済まないと述べる彼の異常性は、実は組織で最凶なのではないかとまことしやかに囁かれている。
しかし、アザレアはケビンではなく、ピーターを選んだ。
それは正しい選択だと誰もが頷くだろう。
「料理を教えにもらいにいったら、自分が料理されていた」を本気で警戒しなければいけないのがピーター・セヴァールだ。
そういう意味では危険度はピーターと遜色ないが、身内に手を出す危険性はまだ低いケビンに教えを請うほうが良いだろう。
こうしてケビンとアザレアの特訓の日々が始まった。
ケビンの予想通り、アザレアは物覚えが早く、着実に技術を吸収していった。
時には大失敗をしてアザレアが拗ねたり、ケビンよりアザレアの考えが正しかったりしてケビンが拗ねたりと、試行錯誤はあったが。
特訓開始から2週間後。
アザレアお料理教室の発表会が開かれたのだった。
◆
今回アザレアが作るのはカレーライス。
ピーターやヴァイザー、他にも数多くの殺し屋達の意見を参考にした結果、使う肉は子供のもも肉に決定した。
しかし、数は少ないので食材調達に3人ほど犠牲にしなければならなかった。南無。
なにしろ作る分量は10人前以上だ。
それほど彼女の手料理を食べてみたいと言う人間が多かった。
その中には料理を教えたケビンや、ヴァイザーも含まれている。
ピーターは誘ったのだが、「女以外を食べる気はしない」と断られた。
話を戻そう。
現在部屋の中には椅子に座って行儀よく料理ができるのを待つ男たちと一人懸命に腕を振るうアザレアがいる。
ケビンはアザレアの横に立ち、万が一の事態に備えている。
部屋の中にいる男たちは楽しげに談笑しているが、ただ一人寡黙に本を読む男がいる。
全身黒ずくめの怪しい男だ。顔立ちはそこまで悪くない、が濁った泥のような眼光が、彼を見た者に潜在的な恐怖の感情を与える。
読んでいる本は、何かの小説のようだった。
周りが騒ぐ中、静かに活字を追う姿は、彼が理性的で大人しい男だと錯覚させる。
「どうしたヴァイザー。いやに静かじゃねえか」
そう言いながら、彼の横にどかりと腰を下ろしたのはケビンだった。
ヴァイザーより一回り大きい体躯のケビンが座ったことで、ソファーが沈み込む。
「何読んでんだよ、見せてみろ」
「ああ、これか。なに、たいして面白いもんじゃないさ」
ヴァイザーの声は、騒がしい部屋の中でも独特の存在感を持って響いている。
決して大きな声を出しているわけではないのだが、この部屋にいる全ての者に彼の声は届いていた。
「俺がこの前始末した家族の長男が書いた本さ。今日本屋に行ったらたまたま目に入ってな。これも縁かと思って買ってみたのさ」
「お前らしくもねえな、おい。疲れてんじゃねえの?」
「おいおい、俺は明日から日本で仕事だぜ?疲れねえわけねえだろ」
まあ、辞職する気はねえけどな。と、ヴァイザーは嗤いながら付け足した。
それを見て、窓際で喋っていた男が、隣にいた男に小声で。
「ヴァイザーさんって、オフの時はわりと良いあんちゃんだよな」
「それがそうでもないんだぜ。この前一緒に仕事した時、あの人あの雰囲気のまま殺ってたからな。こう、警官の首掴んでコキッってさ。その間もずっと俺のほう見ながら昨日見た映画の話してるんだぜ。今まで俺は自分のこと異常者だと思ってたけど、上には上がいるもんだ」
「でもよお、俺が一緒に仕事させてもらった時は一言を喋らずにさ、まるで機械みたいに淡々と投げナイフ当ててくんだよ。一流の殺し屋は静かって、俺はその時確信したんだけどな」
「まあ、つまり気分ってことか」
「そうだな。そん時のテンションで決めてんだろ」
しかし、彼らはヴァイザーを話題に出しても決してヴァイザーに近づこうとはしない。
事実、ヴァイザーとケビンの周りには奇妙な空間があった。
同じ部屋にいながら、彼の手が届く範囲にいたくないと思う。それは、この部屋にいるほぼ全ての男も同様なのだ。
そんな彼らを背中で感じつつ、アザレアは食材に立ち向かう。
(いいペースだわ、私)
そう自分に言い聞かせ、ふと師匠の言葉を思い出した。
(料理のコツは、感謝と愛情と楽しさ。今の私には楽しさが欠けている)
そう考えた瞬間、肩の力が抜け、彼女はほどよくリラックスした状態となった。
(これなら、練習より美味しいのが作れそう)
そう考えながら、彼女は天使のような微笑みを浮かべ、肉に包丁を通した。
◆
また別の部屋では、二人の屈強な男が酒を飲んでいる。
どちらも若くはない。が、けして弱々しさは感じさせず、くぐり抜けてきたいくつもの修羅場を連想させるような雰囲気は発している。
一人は比較的温暖な気温のなか、黒コートで身を包んでいる。おそらく普通の男ならば暑苦しい印象を与えるだろうその格好は男が纏うことでなぜか冷たい印象を撒き散らしている。
もう一人の男は、髪は白髪。しかし、服の上からでも分かる筋肉の隆起は、寄せる年の波を感じさせない。
「サイパス、貴様のせいで組織は変わった。いまや我らはただの殺人鬼集団だ」
白髪の男、サミュエルは憂鬱な声でそう言った。
「あのような変人共は組織にはいらん。組織に必要なのは忠誠心の高い兵士だ。殺人鬼になど価値はないわ」
「その部分で、お前と俺は相容れないな」
サイパスは静かな声でサミュエルの持論を否定する。
「俺が目指すのは一分野のスペシャリストで構成された精鋭部隊だ。一人一人は足りなくとも、力を組み合わせることで誰でも殺せる力になる。事実、組織の知名度は確実に昔より上がっている」
「嘘を吐くな、戦友よ」
サミュエルの声に嘲りが交じる。
「貴様は単に異常者を集めることをコレクター気取りで楽しんでいるだけだ。違うか?」
「否定はしない。だが、その結果ヴァイザーが生まれた。それは功績として評価してほしいものだな」
「果たしてあの男が組織に有益なのかな?いつかヴァイザーは組織を裏切る」
「その時はその時だ。裏切り者には死を。それがこの組織の
ルール」
ルカを思い出すな、とサミュエルは懐かしむ。あの男こそ自分の理想だった。もしあの男がもう三人ほど組織にいれば自分は喜んで引退したものだ。
「悪くない男だった。儂の作ったシャロン達はルカを参考にして作った。奴の完成度には到底届かんがな」
「だが、ルカは裏切った。もっとも裏切りという言葉から遠いあいつがだ。結局、今の組織で確実に裏切らないのは俺とお前しかいないのさ」
その部分は、年齢も価値観も違うサイパスとサミュエルを繋ぐ唯一の信頼にして、二人の絆の現れだった。
「なあサイパス。組織はこれからどうなると思う?」
「このまま行けば、いつは分解するだろうさ。俺とお前に敵対はありえない。が、組織内に俺とお前の派閥が出来ているのも事実」
「ふん。儂は貴様が入れた組織の人間はひとり残らず気に食わんからな。貴様もそうだろう?」
「俺は別に貴様の育てたシャロン達に悪感情はない。組織にはああいう人間も必要だろうさ」
奇人変人狂人のサイパス派。自らを歯車と捉え、無私の思想で組織に忠誠を誓うサミュエル派。現在はサイパス派が主流だが、しかしそれはサミュエル派が弱いという事実とは結びつかない。
サイパス派の中心人物はサイパスとヴァイザー。
サミュエル派の中心人物はサミュエルとシャロン。
(もちろん両方の派閥に属さない者も何人かはいる。
バラッドはどちらにも興味を示さず、マイクは自ら中立を謳い、アリーはどちらからも相手にされず、イヴァンは自分の派閥を作ろうと躍起になっている。)
今のところ、戦力はサイパス派に傾いているが、大きな差はなかった。
体調で、状況で、作戦で。いくらでも覆せる。
「もちろん戦いなど起きさせはしない」
「無論だ。そんなことをしても、組織の力を弱めるだけ」
二人はこう思っている。
おそらく戦いが起きるのは自分たちが死んだ後。歯止めを無くした彼らは、暴走し、喰い合うのだろう。
しかし、それを止めるつもりは二人にはなかった。
死後のことを考えるほど二人はまだ老いていない。孫に囲まれて大往生できるとは思っていないが、誰かに殺されるつもりも毛頭ない。
「さて、雑談はここまでだ。儂は自分の仕事に戻る」
「俺はもうしばらく酒を飲んでいるさ。なにしろ仕事が入っていないのは1ヶ月ぶりだ」
「飲みすぎには気をつけ……貴様には言うまでもないか」
最後にそう言って老兵は、部屋を後にした。
残った黒コートは、静かに酒を飲んでいる。
◆
「バラッドさん、ちょっとお願いがあるんですけど」
長く上品だが、どこか無機質な廊下を歩く途中で、その声に呼び止められ、銀髪の女は後ろを振り向いた。
ロリっ子がいた。……失礼、アザレアではない。
彼女の名前はソフィー・レイジ。
サイパス派に属する18歳の殺し屋だ。
外見はアザレアより僅かに年上に見えるくらいだが、しかし彼女とは違いすでに一人前との評価を受けていた。
「私はこの後、キーファと銃と剣、どっちが強いか討論会するんだ。悪いけど後にしてくれないか」
バラッドは少し申し訳なさそうな顔をして、再び歩き出そうとした。
「いえいえ、別に急を要することではないんです」
そう言って、彼女は持っていた原稿用紙を恥ずかしそうに銀髪の女に渡
「バラッドさん、私の書いた推理小説、読んでくれませんか?」
「……へえ。お前、読むだけじゃなくて書く事もするんだ。すこし意外だ」
「け、けっこう自信作なんです!ぜひ、屈託のない意見をお願いします」
「OK。寝る前に読んで、明日の朝、感想言うよ」
「あ、ありがとうございます!あの、自信作ですけど、けっして面白くはありませんからね?私まだ18歳ですから、まだ未成年ですからね、そこも考慮に入れて、ほら、学校も途中でやめてるから文法が未熟で」
「わかったわかった。ちゃんと読むって。にしてもさ、どうして私なんだ?お前もっと仲良い奴いるだろ。悪いけど、私推理小説はお前から借りたホームズしか読んでないんだが」
「だって、狂人に見せてもろくな感想貰えないだろうし、かといって堅物に見せても仕事しろって怒られるだけだし……」
確かに、とバラッドは思う。ヴァイザーやピーターに見せたところで、マトモな感想を言うところが想像もできない。ケビンなら拷問の時に原稿を読ませるといった悪趣味なことしか使わず、読みもしない気がする。
かといってサミュエルやサイパスに見せても突っ返される、叱責されるの二択しかない。
アザレアにはまだちょっと難しいかな、と思うが、12歳だしこういう本を読ませてもいいのかもしれない。
「私以外に見せる奴いるのか?」
軽い口調でバラッドはそう言った。
「女の人視点でバラッドさん、男の人視点でマイクさん。後は近くのバーのマスターさんはミステリーファン視点で。サイコパスには見せても無駄ですから。私、出版狙ってるんで」
「じゃあまあ寝る前に読んどくわ。上手く感想は言えねえと思うから、そこはまあそんなに期待してくれるなよ」
そう言って、バラッドは再び歩き出し、ソフィーもありがとうございます、と元気に返事をして彼女に背中を向ける。
「そういやさ」
しかし、今度はバラッドがソフィーを呼び止めた。
「なんでしょうバラッドさん」
「お前は銃と剣どっちが強いと思うよ」
「銃でしょ」
「……失望したよ、お前何も分かってねえのな」
「なんで虫を見る目つきで私を見るんですか!?」
いいか、とバラッドは前置きする。
「銃と剣は銃が強い。これはあくまで素人が持った場合だ。使い手が両方達人だった場合、この法則は大きく変わる」
「それでも銃が強いと思いますよ」
「だが私は銃を持ったプロのプレイヤーを何人も殺してきた。これは剣のほうが強い証明になるだろ」
「でもバラッドさん機関銃には勝てないでしょ。やっぱり剣より銃ですよ」
「使ってるのが名剣なら勝てる。一二三のじいさんが作った剣なら余裕だろうよ」
もしその話が本当なら組織最強あんたじゃん、とソフィーは思ったが、そもそもヴァイザーなら機関銃を取り出す前に相手が絶命すると考え直し、何も言わなかった。
「分かるか?私が剣を使う理由は、銃よりよっぽど便利だからさ。なのに、キーファの野郎は、私のことをあえて使いにくい刀で戦うマゾ女って抜かしやがった。こうなりゃ、銃と剣どっちが上か徹底的に語り合うしかないのさ」
殺しあわないところが、彼女の良識的な部分だなとソフィーは
「はあ。頑張ってください」
そんな気の抜けた声で、二人の会話は幕を下ろした。
タバコを灰皿に押し当てながら、
マイク・ルーサーはため息をついた。
彼は、殺し屋ではない。
やってきた悪事はもう自分でも数えていなし、人を殺したことだって何度かある。
ただ、殺しを生業としていない。
彼の組織での役割は殺し屋と顧客の仲介、証拠の処理、逃走経路の確保などなど。
彼の他にもこれを行う者は数人いるが、その中で最も優秀なのがマイク・ルーサーなのだ。
彼の座る椅子の後ろには三人の男が立っている。
それほど屈強というわけでもなく、カタギにも見えなくはない雰囲気。
彼らもまた殺し屋ではなく、マイク直属の部下にして彼の手足だ。
もちろん手足といってもサミェルの『歯車』のように感情をほとんど無くした機械ではない。
オフの時にはマイクと家族ぐるみでバーベキューをしたり、暇な時にソフィーから推理小説を借りて読んだり、アザレアを可愛がったりと、割と人間的に振舞っている。
「って言ってもけっこう疲れるんだぜ。この組織で働くの」
マイクはそう言って、横に座っている女に視線を送る。
癖のある赤毛の赤黒のストライプ模様のタートルネップを着けた彼女は、その視線に弱々しい会釈をもって返した。
彼女の名前は、
アリー・ウィケッド。マイクを有能な事務員と捉えるならば、彼女は無能な殺し屋だ。
戦闘能力、暗殺能力共に組織内で上位の実力を誇りながら、殺人がトラウマになっているどうしようもない矛盾者だ。
事実、マイクとアリーの組織内での重要性は、マイクのほうが遥かに上。
「いや、殺し屋の方々も必要最低限の常識は備えてるから問答無用で殺されることはありえないんだけどよ。万が一襲われたら俺の力でも部下の力でもろくな抵抗できずに殺されるからなあ。そういう意味じゃ、たぶん俺若くしてハゲるわ」
はははは、と後ろの三人がマイクの言葉に笑う。が、彼らはその言葉に大いに同感していた。
「だったら用心棒でも雇えばいいじゃないですか……」
「うん、まあ一応この三人のうち一人はそういう役割なんだ。誰かはお前にも秘密だけどよ」
「へえ、その三人それぞれ役割あったんですね。劣化版マイクさんが三人いるだけかと思ってました」
え、俺らそんな風に思われてたのと三人は顔を見合わせた。ちなみにこの認識は、アリーだけでなく、アザレアやケビン、ソフィーも同じだった。
「仕事に必要な人材を俺の豊富な部下から三人だけ連れてるのさ。それぞれ総合力なら俺に劣るが、一分野ならプロだ。護衛担当もこの組織のアベレージを僅かに超えるくらいの力は持ってるぜ」
「ふーん、そうなんですか……。で、それを私に話した理由はなんですか?」
「お前、俺の部下にならないか」
アリーは目を大きく見開いた。
その動作を確認して、マイクは次の言葉を紡ぐ。
「護衛担当を一人増やそうと思ってたんだ。後ろのこいつらは週3は休めるように仕事を組むんだが、どうしてもそいつだけは毎回欲しくてな。その結果、そいつは休みが週1なのさ。だが、これだとちょいと不公平だ」
「そこで私というわけですか……。あなたたち、週休三日とは随分とホワイトな環境で働いていますね」
アリーに軽く睨まれ、後ろの三人は苦笑いを浮かべる。
「だからさ、お前が護衛担当になってくれれば、そいつも週3で休めるんだ。どうだ、組織とは別に給料は出すぜ」
えっと、アリーは虚空を少し見つめた後、
「ボスから許可はとってるんですか?」
「当たり前だろ。相性良ければ、今日からでも雇うつもりだ。どうだアリー、俺の部下にならないか」
アリーは不思議そうに首を傾けた。
「なんで私なんですか?面倒見のいいバラッドさんとか義理堅いサミュエルさんとかいるじゃないですか」
「お前は強い」
マイクはゆっくりと、染み込ませるような声で言う。
そして、アリーの目をまっすぐに見つめた。
「が、人を殺せない。それが俺が欲しい人材なのさ。お前は、俺の眼鏡に適ったんだぜ、アリー」
なるほど、とアリーは思った。
マイクの目の中に映るのは狂気ではなくもっと偉大な何か。
これが、サイパスやサミュエルにも一目置かれるマイク・ルーサーの本質。
(次のボスはこの人が相応しいのかも……。だってこの人の目、ボスにそっくり)
でも。
「嫌です」
「何でだ?」
この時、マイクの第六感が僅かに反応した。今、何か押しちゃいけないスイッチ押した気がする。
「私がどうしていつも一人でいるか知ってますか……?」
「……どうしてなんだい?」
背中に僅かに冷や汗を流しながら、マイクは続きを促す。
「私、殺せないけど、殺せないけど、――殺したいんですよ」
ガタン、とアリーは椅子から立ち上がると天を見上げ、手を大きく広げる。
「殺したい、殺したい、殺したい!老人を、若者を、男を、女を、小学生を、中学生を、高校生を、大学生を、新聞記者を、探偵を、武道家を、ヒーローを、悪党商会を、ブレイカーズを、革命家を、勇者を、魔王を、神を、妖怪を、仲間を、貴方を!殺したくてしょうがないんですよおおおおお!」
ガン、と机に大きな鋏が突き立てられる。
それは新鮮な血でじっとりと濡れていた。
「お、お前人を……!」
「殺せるわけないでしょ!これは動物の、可愛い猫ちゃんをついさっき切り刻んだ時の血です。私は人を殺せない!トムを、恋人を殺したその時から、私はもう誰も殺せなくなった!ああ、あああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、トム、トムごめんなさい、ごめんなさい!」
そう言いながら、アリーはザクザクと机に鋏を突き刺しては抜き、また突き刺す。まるでそれを人体に見立てているようで、マイクは非常に気味が悪かった。
「お、おいずらかるぞお前ら!」
そう言って後ろを振り返った彼が目にした者は、自分を置いてすたこらさっさと逃げる部下だった。
「バカ野郎、てめえらそれでも俺の部下か!?」
怒声を上げながら、マイクも立ち上がり、部下の後を追う。
そして酒場には一人の狂った女が残された。
◆
キーファとの銃と剣、どちらが強いかの大論争は、結局持ち主に左右するという結論で決着した。仲介役にシャロンは挟んだことは大きかった。彼女は常に合理的な思考をするので、こういう討論のジャッジにはもってこいなのだ。
(私もちょいと熱くなりすぎたな。餓鬼じゃねえんだ、自分の武器にこだわる必要なんかねえよな)
自分は殺し屋。戦士ではない。殺せればナマクラでもいいはずなのだから。
些か熱くなった自分に恥ずかしさを覚えながら、バラッドはさっきソフィーと出会った長い廊下を進んでいた。
そして、前方から歩いてくる男を見て、顔を顰めた。
嫌な奴に、会った。
「イヴァン」
「なんだバラッド、俺に何か用か?」
目の前の男、
イヴァン・デ・ベルナルディと彼女には浅からぬ因縁がある。
バラッドは彼の父親の直属の部下だった。
しかし、イヴァンは彼を殺し、幹部にのし上がったのだ。
(私は、こいつが嫌いだ)
それが、バラッドの偽り無い本心だ。
彼女に殺し屋としてのあり方を教えたのは、彼の父親だ。
現在組織内でも彼女は良識的な人物だと言われるが、それはイヴァンの父親のおかげだと彼女は思っていた。
父親を虐殺し荒れていた自分に厳しくも優しく接してくれた彼に対するバラッドの忠誠はサミュエルに対するシャロンの忠誠と比べても遜色ないほどだ。
そして、それは今も変わらない。
(だから、私はこいつが許せない)
証拠はない。もしかしたら違うのかもしれない。
しかし、バラッドはイヴァンが父親を殺したことを確信していた。
事実、その判断は間違ってはいない。
(今ここで殺すか?嫌、ダメだな)
イヴァンと一対一になればいつでも殺せる。奴が助けを呼ぶ隙を与えず、12分割できる自身がある。
だが、現在イヴァンの後ろに控えているのは。
「どうしたバラッド。イヴァンは急いでいる。何か用があるなら早く言ってやれ」
(サイパス……!)
そう、彼の後ろには組織ナンバー2のサイパスが控えていた。
「いや、すまない。特に用事はないんだ。行ってくれ」
「ふん、うっとうしい女だな。第一、幹部である俺に敬語を使え、敗残兵」
最後の言葉を嫌味ったらしく言う。バラッドの腕が自然と刀へと伸びた。
それに気づいたのか気づいていないのか、イヴァンは鼻を鳴らすと、肩をいからせながらバラッドの横を通り、彼女から離れていった。
そして、それに音もなく付いていくサイパス。
二人を見送りながら、バラッドは強く舌打ちをした。
いつもこうだ、と彼女は思う。
あの男は絶対に一人で自分に会おうとしない。どうやら小物なりに自分を警戒しているのか。しかし、彼女が仇討ちをできていないのも事実。
(殺すなら策を巡らせる必要があるか……。あんまり頭脳労働は好きじゃないんだが)
ソフィー辺りに完全犯罪を考えてもらうのも悪くないかもしれない、とバラッドは先ほどもらった原稿用紙を意識しながら思う。
「あ、バラッドさん。こんなところにいたんですか?」
彼女に話しかけたのは若い男。どうにも今日は廊下で人に会う。
男に特筆すべき特徴は無い。強いて言うなら、カタギの人間より瞳が濁っているぐらいだ。
そして、そんなことはこの組織では何も珍しいことではない。
バラッドの記憶の中でも、そこまで印象深い男ではなかった。
「えっとですね、アザレアがスープ作ったんですけど、バラッドさん入ります?」
その言葉にバラッドは不快感を覚えた。今現在アザレアが何を作っているのかは彼女も知っていたし、あんなものを食べる人間の気がしれないと常々思っていた。
「おい、お前は私に人肉を食わせる気か?私をケビンやピーターみたいな変態と一緒のカテゴリーに入れてんじゃねえぞ」
うげ、と男はバラッドが不機嫌になったことを感じ、さらに腕が刀へと伸びていることを察し、顔を僅かに恐怖で歪める。
「違いますよ、違いますって!カレーはともかく、同時に作ったスープには何も入ってないすっから!いや、マジで!」
「それでも食わねえよ。同じ部屋で作ったなんて気持ち悪くてしょうがない」
「そ、それはひどいぜバラッドさん。アザレアが『これはバラッドお姉さまの分です』って言ってわざわざ作ったんだぜ!?」
む、とバラッドは呻いた。バラッドはアザレアの感性を理解していない。しようとも思わない。
確かに少女らしく可愛いところもあるが、「作品」と称して死体を弄りまわす姿には恐ろしさを感じるし、殺意なく人を殺すところも一端の殺し屋として許せないとは思う。
が、彼女はアザレアからはなぜか異常に懐かれている。
確かに絵本(ヴァイザーが買い与えるような悪趣味なものではなく健全なもの)を買ってやったこともあるし、一緒に仕事をしたこともある。
しかし、だからといって『お姉さま』と慕われることには奇妙な違和感を感じる。
そこまでの仲じゃないし、そこまで仲良くなろうとは思えない。それがバラッドなりのアザレアとの距離感だ。
しかし、自分のためだけにもう一品用意したアザレアの努力を無下にするのもいささか申し訳ない。
「……分かった、食ってやるよ」
「さっすがバラッドさん、話が分かるぜ。よっ、上司にしたい殺し屋第四位!ちなみに俺の脳内ランキング!」
「分かった、お前今ここで死ね」
「だから刀に手を伸ばすの止めてくださいよ!心臓に悪いですって!」
殺し屋、バラッド。彼女は、自分の元上司と同じく義理堅い女なのだ。
◆
ソフィー・レイジが馴染みの酒場に行くと、見知った顔が土下座していた。
え、なんだこの状況、帰ろうか、と一瞬思ったがせっかく来たんだし、と近づいてみる。
「アリーさん、何してるんですか?」
「ソフィーさん、どうもこんばんは」
日本人顔負けの綺麗な土下座をしているアリーに会釈をされ、ソフィーはどういう顔をしていいのか分からなくなった。笑えばいいのかな。いや、それするとこれからの人間関係tり返しつかなくなりそう。
「マスター。アリーさん、何したの?」
ソフィーは、アリーの前で仁王立ちをしているマッチョな黒人男性に事情を聞く。
「ああ、ソフィーちゃんか。この前貸してくれた江戸川乱歩の本、面白かったぜ」
「はは、気に入ってくれて嬉しいよ。で、アリーさん何したの?」
「あれを見てくれ」
と、マスターに首で促され、ソフィーはその方向を見る。
「うっわ、何あれ……」
そこには鋭利な刃物で刺されたのだろう、ズタボロになった机が転がっていた。
「そこの馬鹿女がわけのわかんねえこと叫びながら、俺の店の備品に傷つけたのさ。こいつはちと許せねえぜ」
「ほ、本当にすいませんでした。つい出来心で!若気の至りというかその!」
「それで許せるほど俺も善人じゃねえぜ。今から警察呼ぶからもう2時間くらい土下座してろ」
「お願いします、許してください!何でも、何でもしますから!」
まあまあ、とソフィーは仲介に入ることにした。
「マスター、そんなに怒らないでよ。アリーさん、精神病なんだよ。それにほら、ここは私とマスターの友情に免じて、ね?ね?」
ソフィーとこの酒場のマスターは同じ「シャーロキアン」として特別仲が良かった。
そこに年の差やカタギか殺し屋かなどの壁はなく、気の合う友人同士として共にタメ口で喋り合う仲だった。
もっとも、この酒場の利用客にはアジトが近いためか、組織の殺し屋が利用することも多く、マスターも彼らが殺し屋だということは薄々だが気がついている。
しかし、組織の上層部から気に入られているこの酒場で事を起こす者や従業員に危害を加える者はいないため、彼は安心して営業を続けている。
(三年ほど前、ここで働いていた女を快楽のためだけに殺した殺し屋がいたが、彼は今海の底で骨になっている)
「こいつはソフィーのダチか?」
「うん、まあそんな感じ。海外旅行行ったこともあるし」
まだアリーが現役の頃に仕事で行っただけだが。その時は怖くてろくに話せなかったし。
「……っち。わかったよ、出禁だけで勘弁してやらあ」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「ありがとマスター。チューしてあげる」
「おいおい、よしてくれや。俺の奥さんが嫉妬深いの知ってんだろ?チューどころか他の女と手握っただけで離婚騒動になるくらいなんだぜ?」
「それは大変だねー」
そう言いながらソフィーはアリーを立たせると、もう一度深く頭を下げた。
◆
「災難でしたね、アリーさん」
夜道を歩きながら、ソフィーとアリーは仲良く歩いている。
「ソフィーさん、本当にありがとうございます。あなたが来なかったら、私、消されるところでした」
「うん、まあそうなるだろうねー」
殺し屋組織の人間が警察の厄介になる。それは即ち、秘密保守のため他の殺し屋に狙われることを意味する。
もし、マスターがあのまま警察を呼んでいれば。
(まあマスターはなんやかんやでお咎めなしとは思いますけど、アリーさんは確実にサミュエルとかそのへんの奴に殺されてたよね。もしかしたら私が殺ってたかも)
実際、そういう指示を出されれば自分はなんの迷いもなく殺せるのだろうな、とソフィーは理解していた。
「にしてもさ、アリーさん。私も詳しい事情は知らないんですけど、アリーさんって恋人を殺したショックで殺せなくなっちゃったんですよね?」
それはアリーの精神状態によっては鬼門となる言葉だし、ソフィー自身も僅かに危惧を滲ませながらの言葉だったのだが、アリーは特に怒りも悲しみを見せず、そうよ、と言った。
「私は、自分の殺人衝動を我慢できなかった。あの人を殺して以来、誰かを殺そうするたびに頭の中にあの時の記憶が蘇ってね……」
「……前々から思ってたんですけど、それってロマンチックですよね」
アリーの顔が驚きに染まった。今まで自分のこの話を聞き、適当に流す者、同情する者、嘲笑う者。様々な反応を見てきたが、「ロマンチック」と捉えた人間は今まで誰もいなかった。
「恋人さん、カタギだったんでしょ。きっと彼はあなたに惨たらしく殺されながら、こう思ったんですよ」
一瞬、間を置く。
「『こんなことはもうやめてくれ』って。わかりますか?あなたが人を殺せなくなったのは、きっとアリーさんがこれ以上罪を犯さないようにするために、恋人さんが最後に残した魔法なんですよ」
ソフィーはにっこりと、天使のように微笑んだ。
「私はそう解釈しますけどね」
アリーは何も言えなかった。感動で口が聞けなくなったわけではないし、亡き恋人を思い出したわけでもない。
彼女の心を満たす感情は。
(貴方がそれを言うの、ソフィー?)
理解できないものに対する恐怖と苛立ちだった。
もしこの言葉を教師や聖職者、カウンセラーが吐いたのなら、なるほど、筋は通っていた。
だが、この女は何者だ?
殺し屋だ。
老若男女を問わず、時には自分の愛好するミステリーに準えて殺してきたどうしようもないゲス野郎だろう。
自分と同じく殺すことに遊びを見出している真性の異常者だ。
いや、彼女は組織に入る際に自分の両親を惨殺している。話を聞けば、一般的な普通の夫婦で、虐待なんかは一切しない優しい人たちだったという。
それを自分の一身上の都合だけで惨殺し、さらにそのことを話のタネにする最悪の悪党だ。
彼女だけじゃない、とアリーは思う。
組織の殺し屋は全員こんな奴ばっかりだ。
悪党のくせに、罪のない人々を何人も殺してきたくせに、なぜ彼らはあそこまで堂々と振る舞えるのか。
幼い子供を笑顔で殺しながらアザレアを可愛い可愛いと持て囃し、家族や友人でも容赦なく殺すくせに友情ごっこをし、そんなことは欠片も思っていないくせに仲間として振舞おうとする。
ルカやシャロンのほうがよっぽど人間だ。普通、殺し屋はああいう奴じゃないと務まらないし、努めちゃいけないんだ。
なのに、両手の指じゃ数え切れないほど殺してきたのに、人間らしく振舞う彼らは。
ヴァイザーは、サイパスは、バラッドは、アザレアは、ピーターは、ケビンは、ソフィーは、キーファは、サミュエルは、そして自分は。
「私たちって最高に気持ち悪いよね?」
彼女の言葉は風の音に紛れ、誰にも届かなかった。
最終更新:2014年08月17日 02:14