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※もしもの世界の短編です。


◆


 からん、からん――――。
 木製の扉をゆっくりと開けて。
 来店を伝える鈴の音が鳴り響く。
 閑散とした店内が、客の来訪を歓迎する。

 モダンで落ち着いた色彩の内装。
 西欧風の洒落た意匠で統一された店内。
 幾つかのテーブル席がこじんまりと並び。
 店の奥側には、カウンター席が存在する。

 そこは、場末のカフェだった。
 客は一人もいない。静寂が場を包む。
 文字通りに、閑古鳥が鳴いていた。

 開いた扉から、少女が顔を覗かせる。
 静まり返る店内を、きょろきょろと見渡していた。
 ショートカットの黒髪と、あどけなさを残した顔立ち。
 ボーイッシュでありつつ、何処か幼さを感じさせる風貌だった。

 入っていいのだろうか、と。
 扉を開けた矢先に、少女は微かな不安を抱く。
 それでも彼女は何かに導かれるように、おずおずと店内へと踏み込んでいく。

 羽間 美火。
 地元の商店街を守るヒーロー。
 快活な笑顔の裏側に、傷を抱く少女。
 美火はいつの間にか、ここに迷い込んでいた。

 静まり返った店内。
 店員の案内も、呼び声も無く。
 少しばかり、そわそわしながら。
 恐る恐ると、美火は歩を進めていく。

 そうして彼女は、カウンター席の前に立つ。
 テーブルの向こう側。厨房への入口が見える。
 店の奥に店員がいるのかもしれないと、美火は思う。
 ――誰かいませんか、と呼びかけようとした矢先。


「よっ」


 厨房の入口から、ぬるっと顔を覗かせた男。
 飄々とした風貌の、ダンディな中年だった。

「お嬢ちゃん、一人でご来店かい?」
「あ……はいっ!」

 沈黙に割り込むように現れた声に、美火はほんの少しばかり驚いてしまったものの。
 それが店主であることにすぐ気付いて、すぐにぺこりと挨拶をする。
 それから店主に「まあ座んな」と促されて、美火はそそくさとカウンター席に座った。

「その、アタシにもよく分からないんですけど。
 気が付いたら、ここに辿り着いちゃってて……」

 美火はおずおずとそう答える。
 彼女自身、どうして此処に来たのかを分かっていなかった。
 ふっと気が付けば、この店に辿り着いていた――まるで“何か”に引きつけられるように。

 そうとしか言いようが無かったから、美火は歯切れの悪い態度で居座ることしか出来なかった。
 申し訳なさと、ほんのりと居心地の悪さを感じて、やや俯きがちに視線を落としていたものの。

「……あれ」

 ほんの少し、カウンターの向こう側を見て。
 その時、美火はふいに気付いた。
 カウンターの壁に据えられた棚、その傍ら。
 ぽつんとささやかに置かれた、小さな写真立て。

 若者達が笑顔で並ぶ“記念写真”のようだった。
 10代、20代くらいの男女が和気藹々とした様子で写真に映っていて。
 その中には、美火が以前“テレビで見たことのある顔”もあって――――。

 そして、その若者達と一緒に写る“店主”の姿もあった。
 何処がばつが悪そうだけれど、満更でもない苦笑を浮かべて、写真に撮られていた。

「その写真って……」
「ああ、これか?」

 目を丸くする美火に対し、店主は写真立てへと視線を向けた。
 若者達に囲まれて一緒に写真を撮られる自分の姿を、店主は静かに見つめて。
 それから店主は微かな寂寞を抱くように、美火へと答えた。

「昔の知り合いってヤツさ」

 ――――恵波 流都。
 この喫茶店のマスターであり。
 数多の事件で暗躍した悪党であり。
 かつて夢破れた、一人の男である。


◆


「流都さんって“ヒーローチーム”と知り合いだったんですか!?」
「ああ。色々と縁があってな」

 カウンターテーブルを挟んで、二人が向き合う。
 美火は目を輝かせながら、流都の話に耳を傾けていた。
 ミルクをたっぷり入れたコーヒーを手元に置きながら、食い入るように流都を見つめている。

 曰く、かつては地域で“自警集団”の後見人をやっていたらしく。
 曰く、著名なヒーロー達が彼の周囲に集まっていたらしく。
 曰く、美火と同じように様々な犯罪者達から街を守っていたらしく――。

 ふつふつと懐かしむように昔話を語る流都。
 彼が傍で見守ってきた自警集団(ヒーロー)の日々、そして活躍。
 彼が紡ぐ“在りし日の思い出”を、美火は聞き続けていた。

 美火は、ずっと街を守り続けていた。
 “開闢の日”以来、世界の人類が超人になった。
 あらゆる人々が異能力を使い、かつての警察力が機能不全に陥った。
 そんな中で犯罪者が反社会勢力が台頭していくのは当然の帰結だった。

 美火は、ずっと故郷を守り続けていた。
 ヤクザや半グレの魔の手を追い払い、地元の商店街を護ってきた。
 大好きな町を支えたかったから。
 大好きな皆に笑顔でいてほしかったから。
 ――両親の期待を、裏切ってはいけなかったから――。

 美火は、ずっと特撮ヒーローが大好きだった。
 子供の頃から、色んな映像や漫画を見続けてきた。
 そういう作品を、両親が“いつだって”与えてくれた。
 だから今の彼女の根底には、正義を貫くヒーローの姿が宿っている。

 そんな美火にとって、犯罪者達と戦う自警団もまた憧れの存在だった。
 欧州で活躍する“アヴェンジャーズ”のように、彼らは人々を守るために奔走している。
 辛いことや哀しいことも沢山ある世界だけれど、それでも正義のために頑張っている。
 同じような境遇に立っているからこそ、美火は彼らのことを尊敬していた。

 だから美火は、流都の話を真剣な眼差しで聞いていた。
 彼の語る“ヒーロー達の軌跡”を、高揚と共に受け止めていた。

 思えばヒーローの話で通じ合える友達も、あまり居なくて――幼い頃に会った“りんかちゃん”くらいしか居なくて。
 ほんのりと寂しさを抱いていた美火だったから、ヒーローとの繋がりを持つ流都の話を聞けることが何より嬉しかった。

 そんな美火を、ふっと笑みを浮かべながら見つめる流都。
 ――かつて自分を“おやっさん”と呼んでくれた若者達との思い出を、彼は振り返っていた。

 その輝かしい活躍も、暖かな日々も。
 そして、その果てに訪れた行く末も。
 彼は全てを振り返って、胸中で咀嚼する。

 色々なことがあった、と。
 流都は、静かに追憶する。
 感情が、波のように押し寄せてくる。
 抗いようのない虚しさが、音を立てる。

 ――流都は、美火を見据えた。
 無垢な瞳。真っ直ぐな眼差し。
 けれど、その奥底に宿る“仄かな影”。
 きっと悪党としての自分なら、それさえも弄んだのだろうと。
 流都は内心自嘲しながら、その上で少女へと問いかける。 

「なあ、お嬢ちゃん」

 流都の眼差しが、美火を射抜いた。
 美火は、ただ彼の視線と向き合った。

「ヒーロー、好きかい?」

 そんな問いを投げかけられて。
 勿論です、と美火は口を開こうとしたけれど。

 ふっと訪れた胸のざわめきに、堰き止められた。
 喉の手前で、言葉がつかえていた。
 そしてその表情に、仄かな影が射す。

「……その」

 過去の記憶。過去の思い出。過去の痛み。
 走馬灯のように、脳裏で反響する。
 目を逸らし続けていた情景が、感情が、首をもたげる。

「アタシは」

 胸の奥底で痛み続ける、恐怖と焦燥。
 焼印のように刻み込まれた苦痛が、少女を静かに苛み続けている。
 悲嘆に満ちた記憶と感情は、既に枷から解き放たれていた。

「アタシは……」

 両親の顔や言葉が、脳裏で幾度も反響する。
 教育。圧力。怒声。体罰――――。
 思い出には、いつだって痛みが伴っていた。

 叱られるのが怖くて。叩かれるのが怖くて。
 罰を受けるのが怖くて。期待に応えられないのが怖くて。
 二人の顔色を伺いながら、必死に自分を誤魔化し続けて――。

 そんな日々を追憶して。
 答えに行き詰まって、けれど静かに顔を上げて。
 やがて美火は、微かにはにかんだ。

「……好きです、ヒーロー」

 ヒーローというものは、いつだって。
 誰かに勇気を与えてくれる存在で。
 特に今は、こんな世界だからこそ。
 誰かを支える光には、意味があるのだと。
 そう信じているけれど。

「けど」

 それでも、哀しみというものは。
 容易く拭い去ることは出来なくて。

「ちょっと、嫌い」

 だから美火は、ただ遣る瀬無く微笑む。
 彼女の希望は、カサブタに包まれている。

 流都はただ静かに、それを聞き届ける。
 何も言わず、されど目を伏せて。
 自分の過去に想いを馳せながら、微かに笑む。

 眼の前の少女と同じように。
 どこか力無く、切なげな微笑みを見せていた。

「そうだな」

 そして、流都は口を開いた。
 疲弊したような、力の無い一言。

「俺も、おんなじ気持ちだよ」

 そう呟く流都の横顔。
 どこか寂しげに微笑む姿。
 そこに宿るのは、少女への哀しみ。
 そして、言い知れぬような共感。

 美火は、そんな彼の様子を見つめていた。
 彼が抱える悲壮を、無言のままに捉えていた。

 躊躇いと、戸惑い。
 不安の中に見出した共鳴。
 心の何処かで、足踏みするような思いを抱いた。

 ――――流都さんの力になりたいです。
 ――――アタシ、ヒーローですから。
 励ましの言葉は、喉から出かかったけれど。
 美火は目を伏せて、静かに踏み止まる。
 胸を張って手を伸ばすことが、出来なかった。

 哀しみというものは。
 簡単には癒せないものだから。
 辛い思い出というものは。
 傷として遺り続けるものだから。

 それを何より知っている美火だからこそ。
 自分を見下ろす両親の顔が、今も記憶に焼き付いてる彼女だからこそ。
 流都が覗かせた哀しみへと、踏み込むことを留まった。

 ああ、だけど。
 それでも、せめて。
 小さな寄り添いだけでも。
 美火は、諦めたくなかった。

 だから少女は、再び微笑んだ。
 ほんのりと寂しげに。
 そして、慈しみを込めるように。


「おかわり、お願いします」


 美火は、流都を見つめて言った。
 流都もまた、彼女の眼を見ていた。
 幼さを宿した瞳と、歳を経て摩耗した瞳。
 ふたつの視線が、静かに交錯した。
 その奥底に悲嘆が宿っていることは、どちらも同じで。

 そうして流都は、ふっと笑った。
 奇妙な安堵と、安らぎを抱いたように。
 ほんの少しだけでも、良いコーヒーが淹れられるような気がした。


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最終更新:2025年12月10日 11:17