6月中旬、21時48分。
中部地方を震源とする震度7の大地震が日本列島を襲った。
日本中が混乱に包まれ、多くの都市が甚大な被害に見舞われた。
岐阜県の北部に位置する山折村も、その被害に見舞われた村落の一つであった。
山折村は山々に四方を囲まれた盆地に出来た小さな山村だ。
1000人に届かない程度の人口で、林業と農業で生計を立てている典型的な田舎町である。
そんなどこにでもあるような田舎町は今、外の世界から分断され陸の孤島と化していた。
四方を高い山々に囲まれる山折村にとって、外界への唯一の出入り口となるのは南の山に掘り進められたトンネルである。
そのトンネルが地震によって崩れたのだ。
取り残された村民たちはいつ崩れるとも分からない我が家で不安を抱えながらも、翌朝の救援を期待して眠れぬ夜を過ごしていた。
だが、日付も変わろうという深夜の事だった。
『…………聞こえ……るだろ……か…………』
そのノイズ交じりの声が村中に響いたのは。
その声は村の中央にある古めかしい屋外拡声器から響いているものだった。
屋外拡声器は地震によって支柱が撓んでいるが、辛うじて機能を保っているようである。
『……被災した最中で未だ混乱した状況であろうが…………どうか聞いてほしい……私は起こしてしまった事態に対して…………一人の人間として……せめてもの責任を果たしたい』
それは何処か切羽詰まった、何かに追い詰められているような男の声だった。
拡声器の不調か、はたまた別の理由も含まれているのか。
声には多くのノイズが入り混じり、その声の主が誰であるかは知り合いであろうとも特定は困難だろう。
『我々は……秘密裏にこの村の地下で……とある研究を行っていた。この村は……いや、今となっては経緯などどうでもいいか……。私も……何時どうなるかわからない。私が私であるうちに……起きてしまった事態だけを手短に伝えよう。
『……先ほどの地震により……研究施設の一部が破損しているのが確認された。そこから……我々が研究していたウイルスが外に漏れ出してしまった……。
ウイルスは空気感染によって伝播する…………既に村中に広がっているだろう。致死性のものではないが……研究途中の未完成品であるため人体にとって有害な副作用があり…………脳と神経に作用して人間を変質させる性質を持っている。
殆どの住民は正気を失った怪物となる…………それこそホラー映画のゾンビのように。恐らく0時を待たずして……この村は地獄となるだろう…………。
『だが、ウイルスに適応し正気を保っていられる人間も必ずいるはずだ……その生き残りのために……僅かでも希望を残すべく解決策を提示する。
『……ウイルスには全ての大本となる女王ウイルスが存在する。女王は1人にしか感染せず、周囲のウイルスを活性化させ増殖を促す役割を持っている……。
これを消滅させれば……自然と全てのウイルスは沈静化して死滅する。正気を失い怪物となった住民も……多少の後遺症は残るだろうが…………適切な処置を受ければいずれ元に戻るはずだ……。
『…………肝心の女王感染者の所在だが…………女王はその維持に宿主を必要とする……そして……宿主は適合者である必要がある…………つまり、正気を保った者の中に女王感染者がいるはずだ……。
宿主が死亡すれば……女王ウイルスも共に死滅して周囲への影響は停止されるだろう……女王感染者を見つけ出し殺害する…………それでこのバイオハザードは解決されるはずだ…………残酷なようだが……それが全てを救う唯一の解決策だ。
躊躇いはあるだろうが…………それを成す力が君たちにはある。
『だが…………残念ながら誰が女王感染者であるかを……事前に調べる方法はない。
健康保菌者の誰かが死亡した結果……事態が解決するかどうかの結果論でしか成果を知る術はないだろう…………。
研究施設で精密検査を行えば判明するのだろうが……そんな設備も時間的余裕もないのが現状だ。
『そう、時間がない。何故なら……バイオハザード発生から48時間以内に事態の解決が見られない場合…………証拠隠滅を兼ねて住民を含めたこの村の全てが焼き払われる……とういう取り決めになっている。
恐らく……既に隠滅用の特殊部隊により周囲は封鎖されているだろう。…………山越えをしたところで逃げられまい……処分されるのがオチだ。
だからこそ……そうなる前に生き残った住民たちによる自主的な解決を期待したい。
『…………ああ、意識が薄れてきた……どうやら私は適応できなかったようだ。
これを聞いている誰か……勝手な願いであることはわかっているが…………最悪な結末を迎える前に……どうか事態を解決してほしい……。
それだけが……私の望み……だ――――ガガガッ――ジジッ―――ガッ』
不愉快なノイズと共に放送は途切れた。
果たしてその声を聴きとどけた者がどれほどいたのだろうか。
その声が託したのは希望か、あるいは絶望か。
天からの声が途切れる頃には長閑だったはずの山折村の夜はすっかり様変わりしていた。
地震によって崩壊した村中を徘徊するのはゾンビのように正気を失った村人である。
正気を失ったようなうめき声が響き渡り、平和だった田舎町は阿鼻叫喚の巷と化す。
そこには顕現したこの世の地獄があった。
最終更新:2022年12月06日 23:41