同日、23時17分。
都内某所。大学病院にて。

塩化ビニルの白い廊下に重々しい足音が響いていた。
足音の主はおよそ病気などとは縁遠そうな、病院という場所に似つかわしくない屈強な男だった。
男が身に纏う制服は自衛官のそれであり、眉間に刻まれた深い皺と刃のような鋭い眼光が男の超えてきた修羅場の数を知らせていた。

日本国内で地震などの大規模な災害が発生した場合、自衛隊による災害派遣が行われ迅速な救助活動が開始されるのが常だ。
だが、彼――奥津3等陸尉の所属する部隊に下った命令は救助活動ではなく別の任務だった。
その任に従い訪れたのが現地ではなくこの病院である。

「真田。今回の件、聞いているか?」

視線を前にやったまま、興津が背後へと問いかける。
四角に区切られたような廊下に木魂する足音は奥津の物だけではなかった。
彼の斜め後ろに追従するのは彼の補佐官である真田准陸尉である。
軍人然とした奥津と違い真田は線の細い優男で、知的さを漂わせる外見は武官というより文官と言った風である。
真田は上官からの問いに人気のない夜の病院を早歩きで進みながら応じる。

「いえ、バイオハザード発生による被害の拡大防止と機密情報漏洩の防止とは伺っていますが詳しくは。
 現地の被害状況やウイルスの具体的な情報までは降りてきていません」
「そうか」

任務の詳細すら聞かされていないが、穏当な事態ではない事だけは互いに理解していた。
何故なら、彼らの所属する部隊は陸自の誇る特殊作戦部隊(JGSDF SOG)から更に別れた、表立っては存在しない秘密特殊作戦部隊(SSOG)なのだから。表に出せないような多くの汚れ仕事をこなしてきた精鋭中の精鋭である。

彼らにお鉢が回ってくる時点で特級の厄物。
今回の件もそういった類の物なのは間違いないだろう。

「これから研究者と話ができるとの事ですが」
「そうだ。責任者が都内にいるらしいので幕僚長に取り次いで頂いた。いつ降りてくるとも分からん資料より直接聞いた方が早い」

機密情報に塗れた黒塗りの資料よりも、直接話を聞いた方が理解も深まる。
直接対話によって分かる情報もある、というのが奥津の判断だ。

そうしているうちに二人は応接室の前まで辿り着く。
奥津が分厚い木の扉を2回ノックすると程なくして「どうぞ」という若い女性の声が返ってきた。
重々しい扉を僅かに開いて「失礼します」とハッキリとした声で言いながら入室すると、室内には既に二人の人物が待っていた。

室内には二人掛けソファーが向かい合うように二つ置かれており、上座に当たるソファーには白衣を着た老人が腰かけている。
その背後に控えるように声の主と思われる女性が立っていた。

「今回の対応指揮に当たる奥津3等陸尉であります」
「同じく、真田准陸尉であります」

規律よい動きで敬礼する二人の自衛官に女は無言のまま頭を下げる。
老人は座ったままで、まあまあと軽い調子で手を振った。

「ヤァヤァ。座ったままで失礼。なにぶん年なものでネ。ワタシは『未来人類発展研究所』で副所長をやってる梁木だヨ。ご足労して頂いてすまないネ。
 普段はワタシも山折村に駐在しているンだけどネ。所用でコチラに来ていて村を離れていたのが幸いしたヨ。オット、こういう言い方は良くなかったカナ?」

梁木と名乗った老人は、皺枯れた声で捲し立てると悪びれる風でもなくカカカと笑う。
梁木はいかにも研究者然とした風貌で、枯れた枝木のような細い手足は屈強な自衛隊員とは比べるべくもない。
その額には何かの実験で刻まれたのか火傷のような大きな染みが広がっており、斜視なのか片方の瞳は明後日の方向を向いていた。

「研究員の長谷川です」

染木の背後に控えていた女性が静かな声でそう名乗り、下げた頭に合わせて栗色のミディアムショートが揺れた。
長谷川と名乗った女はこの場に似つかわしくない色香を漂わせた女だった。
白衣ではなく豊満な体のラインを強調するような小さめのスーツに身を包んでおり、研究員と言うより秘書や愛人と言った風である。
女はどこか陽気な老人とは対称的に氷のように眉一つ動かさず、その眼鏡の奥の瞳の色はどこか冷めている様にも見えた。

どちらも一癖も二癖もある相手のようだ。
そう感じながらも、奥津は挨拶もそこそこにして話を切り出す。

「非常事態故失礼ながら早々に本題に入らせていただきたい。
 我々も現場で事後処理に当たる以上、機密事項もあるでしょうが隊員の安全確保のため話せる範囲でどうかご協力頂きたい」
「イャイャ。コチラの不手際の尻拭いをさせるだから、最大限ご協力させて頂きますトモ。ドウゾ。お座りになってくださいナ」

そう言ってニタニタとした笑顔を張り付けた染木に促され奥津が対面のソファーに腰掛ける。
補佐官である真田はその後ろに控え、電子手帳を開くと質問を始めた。

「では、発生した生物災害(バイオハザード)についてですが。漏れ出したウイルスの詳細について伺ってもよろしいでしょうか?」

彼らはまだ任務の大枠とバイオハザードの発生としか聞かされていない。
ウイルスがどれほどの危険度の物なのか、どういった影響を与える物なのか。それすらも把握していない。

「最初に断っておくト、我々が行っていたのは細菌兵器の研究なんかじゃないヨ。
 むしろその逆、人類の発展に寄与する医療目的の研究でネ」

説明を始めた老人は、そこに在る中身を示す様に自らのこめかみをトントンと叩く。

「ズバリ、我々の研究は『ウイルスによる脳の発展と開発』だヨ」

その説明を受けて自衛官二人は怪訝そうに眉根を寄せた。
脳の潜在能力の解放、なんて話は昔からよく聞く話だが、都市伝説の域を出ない眉唾な話だ。

「それは、脳の使っていない潜在能力を解放させる、と言う奴でしょうか?」
「脳は本来の機能の10%しか使っていないってヤツ?
 チガウチガウ。最近ではその辺の説も否定されつつあるしネ。ソレとは少し違うヨ」

素人質問が楽しいのか、どこか陽気な語り口で研究者は続ける。

「我々の研究は脳の既存の領域を解放するのではなく新たな領域の獲得。謂わば脳機能の拡張だネ」
「脳の、拡張……?」
「ソウ。物理的に脳を大きくする訳じゃあないヨ? 存在しない機能を獲得する。つまりは――――」
「――――博士」

これまで表情一つ変えず沈黙していた長谷川が染木の言葉を遮るように割り込んできた。
それだけを言うと、女は指先で眼鏡を上げて再び押し黙る。
言葉を制された老人はやれやれと言った風に肩をすくめると、前のめりになっていた体制を収めソファーに深く座り直した。
仕切りなおすように真田が問い直す。

「ともかく、そのウイルスが漏れ出したという事ですね」
「その通りだヨ。我々が研究していたのは[HE-028]と言うウイルスでネ。
 人間を発展させることを目的としたモノなのだけどモ、何分研究中の未完成品なものでネ。悪影響を排除しきれていないのサ」
「悪影響と言うのはどのような? 具体的に感染した場合の症状を伺ってもよろしいでしょうか?」

山折村で何が起きているのか。
まだ報告でしか知らない実状を知る助けになるだろう。
博士は横の女に確認するように視線をやると女は頷きを返した。

「対象に感染した[HE-028]はまず脳に作用して新たな領域を拡大する訳なのだけど、この生成に失敗すると脳にウイルスが生み出した使えないゴミが溜まり脳の拡張どころか萎縮が引き起こされてしまう訳だネ。つまりはアルツハイマーに近い症状になる。アルツハイマーが引き起こされる原理は知ってる? 知らない? ソウ。マァ簡単に説明すると言うと結合した異常なアミロイドβが蓄積することによって脳機能が低下する訳なのだけど、前頭葉の萎縮によって思考力の低下や判断力の欠如、記憶障害や人格の変化などを引き起こされ攻撃性が増す訳だネ。つまりは理性が効かなくなるのサ。未完成の[HE-028]に感染するとこれと似たような症状が引き起こされるのだヨ」

一気に捲し立てられた説明を真田が整理する。

「……原理はともかくとして、その[HE-028]に感染すると重度の認知症のような症状が引き起こされると?」
「ソウだネ。ただし数か月、あるいは数年をかけてアミロイドβを蓄積させるアルツハイマーと違って、脳内でのウイルスの増殖は精々3~4時間、早ければ1時間以内で引きこされる。それだけ急速な脳萎縮が行われると、人体がどうなるかわかるカイ?」
「……………………」

言葉を飲んだ反応を気にせず、どこか楽し気な様子で自らの引き起こした成果を研究者は語る。

「答えは簡単。人間性の欠如だヨ。完全に人間としての機能は失われる。少なくとも思考や記憶と言ったプロセスは行えないだろうネ」
「ならば、村中に正気を失った村民が昏倒していると言う事でしょうか?」

老人の目の前に座っていた奥津が問いかける。
幸いと言っては何だが、全員が意識を失っているのなら事後処理はいくらか行いやすい。
だが、研究者はこれを否定するように口端を釣り上げ、本題はここからだと言わんばかりの不気味な笑みを見せた。

「ところが、そうじゃないンだナァ。
 ウイルスの役割は脳の拡張だけではなくてネ。脳の拡張が終了すると次のフェイズとして拡張した脳を扱えるよう神経との補完を始める。
 ウイルスが脳と神経を繋げる役割を果たす訳だネ。さて、問題は人間として機能が失われた脳と神経をウイルスが繋げるとどうなるかという事だガ。
 面白いことに意識も理性もないのに体は動き出すのサ。ソレこそ本能のままにネ」

正気もないまま動き回る。
それはまるで。

「……まるでゾンビだな」
「イイ表現だネ、3尉殿」

奥津の呟きを気に入ったのか博士は手を叩いて笑った。

「だけど全ての感染者がゾンビになると言う訳ではないヨ、正常にウイルスが機能する検体もいるだろうネ」
「生存者……と言う言い方は適切ではないかもしれませんが、つまりは正気を保っている住民もいると言う事ですか?」
「ソウだネ。取り敢えずゾンビ状態の感染者を異常感染者、正気を保った感染者を正常感染者と呼称するとしようカ。
 1~5%程度の検体は正気を失うことなく正常を維持できるはずだヨ。マウス実験の結果なので人間にどの程度適応されるかは未知数だが、正常感染者が0%と言う事もないだろうサ」

正常な感染者。
だが、それがどういうものなのか分からなければ、朗報なのか悲報なのかすらわからない。

「正常感染者にはどのような症状が現れるのですか?」
「少なくとも悪影響はないヨ。正常に『本来の目的』通りの機能を得ている可能性が高いだろう」

『本来の目的』。
その部分にはあえて触れず、ひとまず真田は話を先に進める。

「ウイルスの感染経路はどうなっていますか?」
「空気感染だネ。感染率もほぼ100%だけど、全身に防護服を着ていれば防げるから安心していいヨ」

完全とまでは言いきれないだろうが、防護服で防げるというのは現場対応する身からすればありがたい情報である。

「空気感染となると村外への感染拡大(パンデミック)が懸念されますね。
 山折村が山々に取り囲まれた地形なのは幸運だったのかもしれませんが」

山折村は周囲を高い山々に囲まれた陸の孤島だ。
放っておいても[HE-028]が外部に漏れる可能性は低いだろう。

「マァ、それがあの村が研究場所として選ばれた理由の一つではあるのだから当然と言え当然なのだがネ。
 だが電話や携帯なんかで現状を外部に伝えられるとちとマズいネ、ホラいろいろ機密もあるしゾンビだらけなんて伝えられちゃあネェ?」

染木の懸念を受け、奥津は真田に視線をやる。

「通信妨害電波を発生させることは可能です。しかし村中に設置作業を行い以上、周囲の地区にも影響がでてしまいますが」
「構わん。地震の影響と言う事にすれば誤魔化せる」

電話回線やインターネット回線も問題なく遮断できるだろう。
山折村を完全に世界から孤立させられる。

「となると、我々が主に対処すべきは村外に出ようとする感染者という事ですね」
「異常感染者は山越えができる程の知能がナイとして、正常感染者が山を越えて村外に逃げ出そうとする可能性は高いだろうネ」

病原菌の塊である感染者を絶対に外に出す訳にはいかない。
被害を最小に食い止めるため、逃げ出そうとした住民は始末する必要がある。
それが秘密部隊たる彼らの仕事である。

だが、秘密特殊部隊は60名からなる小隊だ。
任務の特性上、外部から駆り出せる人員も多くはない。
なにより、多くのまともな自衛隊員は地震の対応に駆り出されているはずである。
山中に監視カメラを配置し人の通りうるポイントを抑えるにしても広大な山々を完全にカバーしきるのは難しい。
要監視対象の動向をある程度でも把握する方法があれば助けになるのだが。

「正常感染者と異常感染者を判別する方法はないのですか?」
「行動パターンが違うので観察すれば分かるだろうけど、マァ確実なのは体温だネ。
 異常感染者は代謝が著しく下がるので体温で判別できるヨ」
「なるほど。真田、サーモグラフィを付けたドローンを飛ばせるか?」

体温で判断できるのならばサーモグラフィと連携して自動追尾するプログラムを組めば正常感染者の数や動向はある程度は監視できるだろう。

「何台かドローンの用意はありますが村全体を隈なく監視できるほどの数ではありませんね。
 それにドローン用のサーモグラフィまで用意するとなると、少し手配に時間がかかるかと」

深夜の、何より震災直後という事もあって物流も混乱しているだろう。
十分な数が揃うまでどれだけかかるのかわからない。

「あぁ、ソレなら。ドローン用のサーモグラフィならこちらに用意がある。なんだったらドローンもいくつか貸与しようカ?」

頭を悩ませていると研究者がそんな提案を持ち掛けてきた。

「……よろしいのですか?」
「無論だとも。是非とも協力させておくれヨ。
 その代わりと言っては何だケド、記録した村内の映像をこちらにも回してくれるカナ?」
「何故です…………?」
「経過を観察したいからサ。
 まだ臨床実験には至っていなかったのでネ。人体に感染した場合どうなるかは我々も想像の域を出ないのだヨ。予想外の事態が起きるかもしれない。
 ソレに、周囲の感染者の反応を見て女王感染者が死亡したかも映像を回してもらえれば診断できるからネ。キミらとしても都合がいいだろウ?」

メリットだけ見れば蹴る理由がない提案である。
専門家が自ら手を貸してくれるというのならこれ以上ない話だろう。

だと言うのに、彼の経験が警告する何かがあったのだろうか、奥津は即答できずにいた。
回答を躊躇う興津に、染木が更に持ち掛ける。

「ソウだ。一時滞在者を含め一通りの住民データは揃っているので、こちらも提供しよう。
 ドローンの映像と照らし合わせれば正常感染者の特定もできるはずダ」
「そのようなデータをどこから?」
「研究施設は表向き診療所しても運営してるからネ。住民の情報は管理しているンだヨ。
 外部からの一時入村者にも感染病予防と称して最初に診察を受けるよう告知しているからネ。その辺もバッチリさ」

住民の情報は別口からでも手に入るだろうが、ここで断る明確な理由を見つけられない。
奥津は不安を呑み込み、染木の提案を受け入れ支援を受ける決断を下した。

「では頂戴できますでしょうか?」
「モチロンだとも」

何が嬉しいのか染木は満面の笑みで応じる。
もっともこの老人の感情を推し量ったところで意味などないのだろうが。

「真田」
「了解しました。長谷川女史よろしいでしょうか?」

指示を受けた真田准陸尉が長谷川女史へと呼びかける。
長谷川は無言のまま頷くと、タブレットを取り出し送信先の交換を行った。

「ソレじゃ、長谷川くん、手配ヨロシク」
「了解しました博士」

無表情のままそう返事をした長谷川が手早い動きでタブレットを操作する。
すると真田の手元のタブレットに一つのデータが送られてきた。

「データ送信しました」
「確認しました」

送られて来たデータを真田は確認する。
流石にこの場で全て精査はできないが、住民と外部滞在者のデータが顔写真付きで並んでいた。
これで感染者の把握と動向の監視は出来るだろう。

「それじゃあ、ドローンの動画データは今交換した長谷川くんの所に送ってもらえるかナ。
 診断結果は6時間ごとに報告することにしようカ。常にワタシが対応できるとも限らないのだが、ヨロシクたのむヨ」

染木の提案により、6時間ごとの定例報告が行われる運びとなった。
老人のペースだが決まってしまった以上、話を進めるしかない。

「治療法や特効薬はないのですか?」
「残念ながらそう言ったモノないヨ。将来的には出来るだろうガ、まだ研究はその段階にはなくてネ。
 タダ、[HE-028]の活動が沈静化してしまえば脳洗浄によって洗い流され脳機能は元に戻るはずだヨ。時間はかかるダロウがネ。
 まぁこの辺はまだ検証中と言った所なので断言はできないがネ」
「では、ウイルスが沈静化する条件は?」
「細菌と違ってウイルスは基本的には自己繁殖能力を持たナイため自己複製を行うには生物に寄生する必要がある。ソレは[HE-028]も例外ではないヨ。ツマリは宿主が死亡すれば活動を停止する訳だネ」

死ねば助かるというのは本末転倒である。
それではまったく意味がない。

「一度ウイルスに感染した人間を治療する方法はないという事ですか?」
「いいや、あるよ。一つだけネ」

年老いた研究者はこれまで以上に楽しそうな様子で、邪悪を煮詰めた笑みを浮かべた。

「[HE-028]は厳密には[HE-028-A]と[HE-028-C]と言う二つの種類が存在してネ。
 人体に引き起こす症状は同じだけれド、感染条件と繁殖条件に違いがあるのサ」
「どのような違いが?」
「[HE-028-A]は宿主がいれば単体で繁殖が可能となる、まぁ一般的なウイルスの繁殖条件なのダガ。
 一つのコミュニティで感染するのは一人だけという特別な特性を持っていてネ、いわば女王蟻のようなモノだ。
 対して[HE-028-C]の感染条件は一般的なウイルスと変わらないが、安定期に入るまで周囲に[HE-028-A]感染者が存在しないと繁殖できないという特性を持っているのだヨ」
「安定期とは?」
「[HE-028]が人体に定着するまでの時間サ。48時間前後だと予測されているネ。
 完全に定着してしまえば[HE-028-C]の繁殖に[HE-028-A]が必要なくなってしまうのサ。
 そうなってしまった場合の取り決めは聞いているかネ?」
「そう言った取り決めがあるという事だけは」

彼らの与り知らない上役たちと研究所の間で取り交わされた取り決め。
VH発生後48時間以内に事態の解決が見られなかった場合、強硬策により事態終息を図る。
収束ではなく終息。つまりは皆殺しである。

「やるのなら空爆をお勧めするヨ、炎で焼いてしまえウイルスも確実に焼却できる」
「ご助言感謝します。参考にさせていただきます」

奥津はそんな感情の籠らぬ返答をしながら頭を下げた。

「しかし何故、定着を待つ必要があるのですか?」

48時間などと言う悠長なことを言う必要はない。
本気で全てを隠滅する強攻策をとるというのなら、すぐにでも実行すればいい。

「マ。自主的解決の猶予というやつだヨ」
「自主的解決とは? 何かバイオハザードの収束の手立てがあると?」

問われ、研究者はにぃと笑みを浮かべる。

「ソウだネェ。先ほども少し触れたとおりC感染者は安定期に入るまでA感染者――分かりやすく女王感染者とでも呼称しようか――が必要となる訳だヨ」
「つまり、Aウイルスに感染した人間がいなければCウイルス感染者は発症しないという事でしょうか?」
「ソウだネ。逆説的に感染が拡大しているという事は正常に働いた女王感染者がいるという事になるネ」

周囲に感染が拡大している現状こそが、Aウイルスは正常に機能しているという他ならぬ証明である。
つまり女王感染者は正常感染者の中にいるという事になる。

「正常感染者と女王感染者を見分ける方法はないのですか?」
「外部から見分ける方法はないネ。検体を解剖して電子顕微鏡で脳内を調べればわかるだろうけどネ」

女王がいなくなれば他の感染者は沈静化する。
そして、宿主の死によって止まるという前の話と併せて考えると、結論は一つだ。

「つまり、女王を見つけ出し暗殺せよと?」

奥津のその言葉に、応接室は沈黙に包まれた。
だが、その空気に堪えきれなかったのか染木が吹き出す。
それに続くように後ろの長谷川もHAHAHAと笑った。

「イャイャ。軍人は物騒でイケないネ。オット自衛官を軍人って言っちゃいけないンだっけ? ともかく、そんな物騒なコトは必要ないヨ」
「ですが、それでは事態は収束しないでしょう」
「事態の収束はキミらの任務ではないだろう?
 キミたちは感染拡大と情報漏洩さえ防いで 48時間後に処理をしてくればそれでいいヨ」
「ならばどうすると?」
「どうもしないヨ? 猶予の間に住民たちの自主的解決に期待するだけだネ」

住民同士の自主的解決。
それの意味するところはつまり。

「住民同士で魔女狩りでもさせるおつもりか?」

ただ一人を見つけ出す魔女狩り。
糾弾する奥津の声は荒げられることはなかったが、その奥底には隠しきれぬ怒りが籠っていた。
彼とて任務のために時に手を汚してきたが、それは非人道的な行いを肯定するモノではない。
研究者と自衛官の視線がテーブル越しにぶつかり合う。

「そうは言ってないサ。ただ震災直後なのだから不幸な事故に遭うこともあるだろうし、それこそゾンビたちに食い殺される事もあるかもしれないという話だヨ」

その激情に取り合わず、ヘラヘラとした軽い調子で染木は答える。
この老人の調子はいつまでも変わらない。

48時間のタイムリミット。
つまるところそれは解決を見越した猶予というより、手遅れになったから強硬策に出たのだという政治的な言い訳のための時間のようだ。

「だいたい、住民がこのルールを知らない限り殺し合いなど起こりようがないダロウ?」

理屈で言えばそれは確かなのだろう。
魔女がいることを知らねば魔女狩りなど起こり得ない。

住民たちが機密を知りうる『事故』が起こらない限りは。


会見を終えた自衛官の二人は、現地に駆けつけるべく病院屋上にあるドクターヘリ用のヘリポートに向かっていた。
非常階段を上り先導する奥津が背後の真田へと問いかける。

「どう思った?」

端的な問いに真田は戸惑うでもなく返答する。

「説明に嘘はなかったと思いますが説明していない点も山のようにあるでしょうね。
 まあ研究内容は機密事項でしょうし当然ですが、それ以外の部分でもきな臭いですね」
「同感だな。事故にしてはいろいろと準備がよすぎるのも気にかかる」

秘密部隊に回ってくる任務など全てがきな臭いモノだが、それでも呑み込んで良いものと悪いものがある
いくつもの秘密任務をこなしてきた二人だからこそ、その違いはかぎ分けられる。

「探りを入れてみましょうか……?」

指揮官の意をくみ取り有能な補佐官は提言する。
指揮官はすぐに返答せず僅かに考えこむ。

「…………そうだな。頼めるか?」

奥津が返答を出したのはヘリポートにたどり着いたタイミングだった。
離陸を待つヘリコプターからは声を掻き消すような轟音が発せられていた。
プロペラの轟音に負けぬよう互いの耳元で声を張り上げながら二人が輸送用のヘリに乗り込む。

「了解しました。何人か官僚に知り合いがいます、彼らに少し動いてもらいましょう」
「大丈夫なのか? 霞が関も地震の対応でてんてこ舞いだろう」
「ええ。いくつか貸しがあるので無理を聞いてもらう事にします」

情報をどう使うかはまだ分からない。
使わないなら使わないに越したことはないのだろう。
だが、いざと言う時を考えれば、備えておくのは悪い判断ではないはずだ。
二人を乗せた鉄の機体が夜の空へ浮き上がってゆく。

「既に隊員は防護服を装備して所定のポイントに配置済みです。山中への監視カメラの設置作業も進んでいます。先行してドローンによる偵察も開始しています」

ヘリの座席に付きながら副官は現地より届いた情報を精査し報告を行う。
一通り報告が完了した所で、真田は僅かに押し黙った。
そして気負いを感じさせぬ様子で口を開く。

「突入作戦も問題ないかと愚申しますが」

それは女王暗殺の実行も可能であると言っていた。
奥津もこの提案に驚きはしなかった。
むしろ、そう進言して来るだろうと予測すらしていた。

彼らの任務は研究所の言いなりになる事ではない。
彼らに下された命令はパンデミックの拡大防止と機密情報の漏洩防止である。

先ほどの会見は任務に必要なウイルスの情報を確認しに行ったに過ぎない。
研究所が不要と言おうが、正式に命令が下されたのでなければ無視することも厭わない。
研究所に何か裏があるのだとしても明かさなかった方が悪い。

だが、これは危険な任務である。
未知のウイルスが蔓延り、ゾンビが徘徊すると言う死地に部下を送り込むのだ。
何より標的が不明な以上、罪のない民間人を無差別に殺すことになる。

だからこそ、汚れ仕事を担う秘密特殊部隊の役割なのだろう。
周囲の封鎖に人員を割く必要があるため、送り込めても数名程度だろうが。

奥津は深く皺の刻まれた眉間をほぐすように指でつまむ。
深く、重く沈殿する疲れを吐き出すように息を吐いた。

「少し考える。現着するまでに方針を決める」
「了解しました」

東京の美しい夜景を臨む夜の空。
ヘリは一路地獄へと向かってゆく。


二人の特殊部隊員が慌ただしく退室して行った後。
応接室には二人の研究者が慌てるでもなく残っていた。
老人の背後に立つ女が変わらぬ鉄仮面のまま声を上げた。

「喋りすぎです博士」
「マァマァ。イイじゃないか長谷川くん。彼らが対応に当たる以上どうせバレる事だ」

全く悪びれる様子もなく冷めた緑茶を入れ直す。

「だからと言って、住民情報まで与えるのはやりすぎでは?」
「餅は餅屋サ。監視映像と住民情報の照らし合わせなんてコチラでやるには手間がかかりすぎる。アッチに任せた方が早いサ。
 ワタシからすれば細菌の種類を見分ける方がまだわかりやすいネ」

老人にとっては人の顔なんかよりも細菌の形状の方がまだ慣れ親しんだものである。

「ソレに与えた情報はキミが上手い事やってくれてるんだろウ? 下手な方向から探られるよりこちらから提供した方がいい」

長谷川は表情を変えず肯定も否定もしなかった。
情報を直接受け渡したのは彼女である。
この才女であれば、その際に改竄する程度の事は容易いだろう。

「心配せずとも彼らに分かるのは副産物の『力』の存在だけだヨ。その先にはたどり着けないサ」

飄々とした老人の様子に氷の女が飽きれたように溜息をつく。

「向こうの様子はどうかナァ……? イイ感じの地獄になっているといいがネェ」

老人は縁側で果報を待つように舌の痺れるような熱いお茶を啜った。

000.OP1.はじまり 投下順で読む 002.輝かしき夢の結末
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BIOHAZARD START 奥津 一真 第一回定例会議
BIOHAZARD START 真田・H・宗太郎
BIOHAZARD START 梁木 百乃介
BIOHAZARD START 長谷川 真琴

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最終更新:2024年03月29日 22:25