――よくぞここまでやってこれたものだ、勇者ケージとやら
――魔王■■■■■! ついに貴様を追い詰めたぞ!
その瞳は見ていた。
――勇者さま、必ず勝ってください
――あいつの、あいつの思いを俺は無駄にはしない!!
その瞳は視ていた。
――目を覚ましてくれ! お前はそんなやつじゃなかったはずだ!
――私はもう後戻りできない、お姉様を助けるためにはこれしか――!
――■■様!!!!
その瞳は知っていた。
――これで終わりだあぁぁっ!!!!
――バカな、魔法陣が作動して……!
――まさか、聖剣と魔王の力が
――逃げるなぁぁぁ! 卑怯者ぉぉぉぉっ!
――ケージ。これは誰にも伝えるな。ただ、お前は王に『魔王は倒した』と伝えるだけでいい
――そんな事で、納得出来るわけ無いだろぉ!!!
その瞳は識っていた。
「デウス・エクス・マキナ、と言う言葉を知ってるか。オレがある南米の神格の名前を名乗る前に覚えた言葉の一つだ」
「この世界で、オレが一番好きな言葉でな。原訳はアポ・メーカネース・テオスだったか。もしくは時の氏神とも言うべきか」
「神の見えざる手による卓袱台返し、あらゆる盤面をひっくり返すご都合主義」
「オレはな、それがとても大好きだ。希望も絶望も、ヒトも神も魔も。その意志をまるで流離う風の如く吹き飛ばし、そいつらの都合すら否定して勝手に結末を決めちまう」
「全部、台無しにしちまう、そんな未知がオレは気に入ったんだ」
◇
■■■■■は識っている。■■■■■は知っている。■■■■■は全てを識っている。
かつて彼の者は異界の侵略者であった。彼は異界の魔王であった。
かつて黒き太陽の名を持っていたその魔王は、剣と魔法(ソード・アンド・ソーサリー)の異世界にて、魔族を率いて人々を恐怖に陥れた。
では、その黒き太陽(■■■■■)に目的があったのかと言えば、そうではない。
魔王として掲げた魔族が人類を支配する世界は魔族を従える為のお題目に過ぎなかったし、魔王はそんな事には興味はなかった。
ただ魂として彷徨い、揺蕩い。誰かに取り憑いては生きていく精神体(アストラル)。
故に魔王に決まった名は無く、その昏き混沌に名前をつけるものは彼自身を除いて誰も居なかった。
そんな魔王にも、転機が訪れた。
ケージ。"ニホン"なる国からやってきたという、強い勇者だ。
最初はそれを何たる雑多としか認識しなかった魔王もまた、勇者の威光と活躍に興味を惹かれていった。
勇者の仲間も愉快な一行だった。盾使い、老僧侶、魔法使い、獣人。あとはケージと同じ世界からやって来たらしい"イヌヤマ"なる召喚術師もいた。
最も、イヌヤマは何故か気が狂ったのか魔王に服従したらしい。イヌヤマが魔王を介して見た"何か"が何だったのか、それはこの時の魔王が知ることは出来なかったが。
何れにしろ、勇者一行が魔王城に辿り着き、魔王と対峙し世界の命運を賭けた戦いが始まった。
勇者に恋い焦がれた盾の少女がその身を犠牲に勇者を守りきったのを転機に、勇者の聖剣が魔王の心の臓を貫き、魔王は打倒された――はずだった。
「勇者の聖剣がオレを貫いたその時にな、不思議なことが起こった」
「世界を変える始まりの黎明。その術式を発動させるために作っておいた魔法陣が突然、起動した」
「オレは何もしていないし、しかも勇者どもも何も知らないと来た。勇者を裏切ったイヌヤマのやつは魔法陣の起動と共に消えやがった。運が良ければ元の時代にでも戻れてたんだろうが、そんな事はどうでもいいことだ」
「その時オレはな、脳が揺さぶられたんだ」
「誰もが予想だにしなかった展開だ、誰も予想できなかった結末だ。オレはそれに救われたと同時に、オレはその輝きを理解した! あらゆる退屈を打破して、色褪せた俺の人生に色彩を与えてくれた!」
1945年、8月6日。
米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」が、広島に原爆を落とした大日本帝国にとって忌まわしき日。
山折村の地下深く、第ニ実験棟にて。人類の禁忌とも言うべき実験が行われていた。
死者蘇生、劣勢に立たされた日本軍が起死回生の手段として考案した不老不死と対をなす計画。
古来より死の超越は神の摂理に反する忌むべき行為だ。
例えば、ジャック・オ・ランタン。舌先三寸で神を騙し現世に蘇生した彼は、嘘がバレた事で天国にも地獄にも逝けぬ永遠に彷徨える魂となった。
例えば、アスクレピオス。死者を現世に戻す不老不死の霊薬を作り上げたが故に、絶対神の雷霆に撃たれ命を落とした。
不死とは一種の呪いである。尸解仙、賢者の石、水銀、神の奇跡。
その甘美な永遠は人々を魅了し、焚き付ける。それが軍事への転用が可能となれば、権力者にとっては尚の事。
いや、そんな高尚なものではなく、狂気だった。敗北が決定した中でその現実を受け入れまいと、旧日本軍が血みどろの凶行に至ってでも死物狂いで手にしなければならなかった。
一億総玉砕、大日本帝国万歳。鬼畜米英滅ぶべし。たった一つ、敵を滅ぼし日本に勝利を齎すために。
名誉たる死者蘇生の実験、その最初の被検体として使われた死体の名は烏宿(からとまり)亜紀彦(あきひこ)。東京での駐屯時に大空襲に遭い死亡、爆撃によって右足を喪っていた。
研究棟の科学者にとっては、藁にもすがる思いだったであろう。本国への被害、挙げ句沖縄を米軍に占拠れ、研究チームは陸軍から最後通牒を受けていた。
だからこそ、成功してほしかった。奇跡でもなんでも良い、大勢の軍の高官が見守る中、その実験は行われ。
残った検体全部を捧げて、第一実験棟をフル稼働させた。神すらをも求め、それに縋った。
――奇跡は相成った。神は降り立ち、死者は蘇った。
見よこの大偉業を。終ぞ人は神の領域に触れ、世界の真理の果てを手にした。
実験は成功した。肌に温度は宿り、失せた瞳に再び光が宿った。
前代未聞、空前絶後。死を覆した第一例が、帝國最期の希望がここに灯る。
そんなわけがなかった。
■
■
「オレが誰かって? ……オマエたちはもう検討はついてるだろう?」
「と言ってもだ、流石にこの身体も目をつけられた。故に"次"に移る機会を待っていたんだが――」
「――予想外だが、皮肉にも条件は満たされた。あの時オレが呼び寄せられた時と同じ」
「あとは、アイツ次第か。―――お前の本当の願いはなんだ、■■■■」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ハンプティ・ダンプティが塀に座った
ハンプティ・ダンプティが落っこちた
王様の馬と家来の全部がかかっても
ハンプティを元に戻せなかった
――イギリスの伝承童謡(マザーグース)、ハンプティ・ダンプティの詩。もともとはなぞなぞ歌であったと考えられる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
地獄が在った。
人々の営みの全ては遍く炎の内に呑まれ、灰燼へと帰ろうとしていた。
これは、憎悪である。果てしなき恩讐の心象風景である。
全てを喪った者によって、断絶と決断を為した、たった一人の哀れな少年の覚悟のカタチである。
その焦熱地獄の中心に、役者は二人いた。正確には三人だが、その内一人は既に気を失っているため、除外となるが。
一人は八柳哉太、埃まとう正義(ヒーロー)。苦難と真実の道筋の果て、それでも尚と意志を貫き続ける只人。
もう一人は山折圭介、復讐鬼(ネメシス)。戦車の逆位置。明けない夜の伽藍堂(ガランドー)。
過去の捻じれより決別した二人は、時に共闘を果たしながらも別々の道を歩み、悲劇を経験し、再びここに立っている。
「………………よぅ。哉太」
「圭…………ちゃん」
八柳哉太は曖昧な意識の中、その残骸を目の当たりにしていた。伽藍堂の中にたった一つ残った黒い輝きだけを見つめていた。
それは、真の絶望を知るものにしか出来ない眼の輝き。炎炎の大地に立つ虚無そのもの。
山折圭介は、そうなった。"そう"なってしまった。
山折村という牢獄の錠は既に破綻した。唯一不変にして普遍と想っていた幸せは、大切な恋人は大人たちの身勝手な争いにて消え失せた。
憎かった、憎かった。憎かった。
憎しみだけが、山折圭介という人格を支配していた。
「俺は、もう決めたよ」
淡々と、山折圭介(ネメシス)が告げた。
恋人の復讐は果たした。だがそれこそが最後の鍵の解放を示すさきがけ。
こじ開けられた恩讐の焔は止められない。
再生しつつ有る身体と意識の中、八柳哉太はその言葉を聞いた。
「全員、殺す。」
「………!」
殺す、ただ全員殺す。
たった一つあれば良いと願った幸せを奪い去った奴らを全員殺す。
特殊部隊は勿論、この村が滅茶苦茶になるきっかけになった奴ら全員を、殺す。
大言壮語、等ではない、無理だとか以前の思考の飛躍。
いや、彼のゾンビを操る力を考えれば可能か不可能かのラインで言えば、絶妙なところだ。
だが、そんな事を今の圭介に言った所で無駄であることを、哉太は知っている。
いや、それよりも。
「……関係ない………奴らもか………圭ちゃん」
「…………………………」
その沈黙が、答えだ。
抑圧から解放され、行き場の無くした憎悪が留まる場所は存在しない。
元凶を、特殊部隊を鏖た所で、収まることはない。
永遠を穢せしもの共に鉄槌を。不変を壊せしものに報いを。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。
殺して殺して殺し尽くせ。
『だが、その手は未だ■■の■には届かない』
『その願いではなく――』
「だと、したら………!」
お前は、全てを敵に回すつもりか。とも言おうとした。
無駄だとしても、その答えを問いたかった。
なぜならそれは、友達すらも殺すという遠回しの宣言であることを。
「―――――――――――――――――」
永遠とも錯覚するほどの沈黙が、間にあった。
まるで、八柳哉太がマシになるまで待っていたかのように、タイミングを見計らったかの用に、残酷な答えを告げる。
「知るか。ただ、納得できないだけだ」
その一言が、恐らく全てだったのだろう。
憎悪こそが、この身を焦がす恩讐こそが、山折圭介を構成する全て。
嫌いだった村が、古臭い村が変わって行ってしまった事への、行き場のない感情の終着点。
友達がゾンビになり、死んで、壊れていく日常を。
そして、最愛の恋人が、ゾンビだからという理由で身勝手に殺された事実を。
納得できなかった。どうして自分が、自分たちだけが。
遍く理不尽を許容しろと迫る運命が、憎かった。
「どうして俺なんだ、どうしてこんな事に、心の何処かで思っていた」
その結果が、全てを失った。この村はもう終わりだ。
親も、友達も、恋人も、思い出も。全て、全て全て全て。
だったら、俺もだ。
俺も、壊し尽くす。殺し尽くす。
復讐。ああそうだ、だがそれは少し語弊がある。
これは、お前たちに送る俺の逆襲だ!
「やられたら、やり返すしかないだけだろ」
「それが、お前の……」
理解してしまった。山折圭介は憎悪の塊と化した。
己の弱さを呪い、厄災をもたらした余所者を呪い、挙げ句かけがえのないものすら生贄に捧げ、逆襲しなければ晴れないネメシスへと変貌してしまったのだ。
今の八柳哉太に、復讐鬼を止める術はない。いくら多少マシになったとは言え。頭の傷は未だ再生し続け、まともに立ち上がれる程の気力はなく、ただ意識を保ち圭介と会話するだけで精一杯。
「―――友達だった誼だ、楽にしてやる」
ナイフを振り上げ、今にも脳髄を穿とうと振り下ろされる。
まるでスローモーションのように映るそれに対し、哉太は何も出来ない。
体の傷は兎も角、頭の傷がどうにもならない。
再生の痛み、朦朧とする意識、ああ、どうしようもなく詰みだった。
☆
―――■■■!
泣いてる少女がいた。
自分だった残骸の前で泣いている女の子がいた。
どうして彼女は泣いているのだろう。
そういえば、この娘を、知ってる。
孤独だった俺を、マシにしてくれた。
俺を、助けてくれた。
再びこの娘と出会った時は、なんだかパートナーみたいな扱いになっていた。
でも、悪くはなかった。
強がりで、偉そうで、それでいて意外と寂しがり屋で。
それでも心の奥底にちゃんとした芯があった。理不尽に負けたくないという思いがあった。
思っていたのは違うかも知れないけれど、あの娘も、ヒーローだったのかもしれない。
『哉太くん、君がいなくなった時のこと考えてる?』
その才能のせいで、持て囃されても孤独だったあの娘を一人にするのか、俺は。
かつての友達が、あんな事になってるのを見て、素直に終わりを受け入れるのか?
―――天宝寺アニカを、大切な彼女(■■■■)を、また一人にするのか?
「そんなの、受け入れられるわけ無いだろ!!!」
――顔を上げろ。そして自分が何をするべきか言いな
「誰でも良い、力を貸しやがれ。ウイルスでもなんでも良い、俺に――」
「あいつを一人にさせないための力を、俺にあいつを止める、力を―――!!!!」
☆
「――!」
既の所で、ナイフが避けられたという事実に、山折圭介は驚愕した。
そして、ほんの少しだけ笑っていた。まるで友の復活を祝福するかのように。
亀の歩みの如き速度だった頭の再生が、目に見えて早くなっている。
この感覚を、圭介は知っている。
ゴリラ女に光が殺されそうになった時の殺意と同じ。
ゴリラ女の仲間らしき男に殺されそうにり、死にたくないと心の内で叫んだ時と同じ。
死の危険、強い感情、著しい興奮、事態の理解。
それは、山折圭介も経験した、異能の進化。
八柳哉太の異能は肉体の再生。心臓か脳が破壊されない限りは再生する不死者の能力。
死の淵で浮かび上がった意志が、かつての山折圭介と同じく、異能の進化という形で彼を再び戦う力を与えてくれた。
目に見えてわかる再生速度の加速及び時短。再び立ち上がらんとする彼の意志に応え、八柳哉太はここに蘇る。
「……なぁ、圭ちゃん」
ふらりと、八柳哉太が立ち上がった。
既に頭の傷は治っていたが。残り血がまだ付着していたが、関係あるものか。
傷は治っても体力が治ったわけではない、足取りは覚束ず、瀕死だったと言う事実はそう簡単に拭えない。
「圭ちゃんが戦う理由、光ちゃんの為だったよな」
「今更、何を」
始まりこそは、歪んでいようともそれは間違っていなかった。
罪だったのだろう、咎だったのだろう、だが悪だけだったとは言わせてなるものか。
その手を血で汚してでも、日野光を。あの太陽を取り戻したかった。
こうして、歪んでしまったが。それは間違いなく、愛だったのだろう。
「もっと、早く、俺は気づくべきだったんだろな」
自嘲気味に、八柳の継承者の一人が独りごちった。
この期に及んで気づくのは遅すぎるだろ。いいや、あの時救われたあの日に、自分は。
「簡単な話だ。俺は、かつてのお前と同じ理由で、圭ちゃんを止めるだけだ」
単純至極、愚かと笑うなら笑えば良い。
『大切な(あいする)彼女の為に戦う』。
その恋心(おもい)に気づくには、余りにも遅すぎるとしても。
それだけで、戦う理由なんて十分だろ。
かつての、山折圭介のように。
「俺は、お前を止める。お前のやり方以外で、この悲劇を、終わらせてやる。友達を、止める」
「――!」
罪だった。咎だった。――罰だった。
あの過去は拭いようのないものだろう。
だとしても、だとしてもだ。例えクソ下らないと吐き捨てた故郷であろうと。
積み上げた善いものまで無かったことに、などはしたくない。
その言葉と同時に、手に持っていた打刀を、遠くへ投げ捨てる。
「……何のつもりだ」
「……喧嘩の続きだよ、圭ちゃん」
ファイティングポーズを取った哉太が告げるのは、喧嘩の続きだと。
何を馬鹿なことを、自ら武器を、優位を捨てるつもりかと、そう圭介は言おうとした。
けれど、言う気には全くなれなかった。むしろ嬉しいという感情があった。
この期に及んで、友達がそんな態度であることが、無性に喜ばしかった。
だったら、応えないと行けない。喧嘩の続きだと言ったか八柳哉太。だったら自分もそうじゃないと対等じゃない。
同じく、柳刃包丁とサバイバルナイフを投げ捨てる。拳を構える、哉太と同じく。
挑発に乗って刃物という優位を捨ててしまうなんてどうかしている。
そもそも過去を断ち切るつもりで殺そうとしたというのに、どうしてなのか。
だが、それでよかった。ここで武器を捨てなければ、何か本当に大切なものを失ってしまうと思ったから。
結局、自分はこいつとは切っても切れない縁なのかと、山折圭介は自嘲するのだ。
いや、あの時。悠長に傷が治るのを待っていたのは、再び立ち上がってくれることを、心の何処かで望んでいたのかもしれない。
「――ガキの頃、ヒーローごっこしたよな、俺たち」
「……ああ」
「ずっと、俺はヴィラン役でお前にやられっぱなしだったな」
「……そうだな」
最後の会話。これからどうなるか分かり切っているとしても、余りにも穏やかなもの。
決別のため、覚悟のため。これが最後の、思い出話。
「――止めてやるよ、山折圭介(ヴィラン)!」
「やってみろよ、八柳哉太(ヒーロー)!」
勝つのはヒーローか、ヴィランか。
分かたれた友情はこの地にて収束する。
未来を手にするのは、ただ一人。
そして、二人ぼっちのラグナロクが幕を上げる。
◆
『新人くん、神様を呼び寄せる最も可能性の高い手段はなんだと思うかね?』
『いや所長、突然そんな事言われても。大体、明日に軍のお偉いさんが実験の結果を見に来るって言ってますのに、なんて悠長な。』
『そんな事いいではないか。まあ、さっきの問いの答えを私なりに出すとしたら』
『――人の願い、だよ。それも、とびっきりの憎しみか、それをも凌駕する願望が』
最終更新:2023年12月23日 21:59