罪なるかな、咎なるかな、悪なるかな
罪とは願い、咎とは祈り、悪とは夢
――お前は、お前たちは、願(のろ)いすぎた
◇
時はほんの少し遡る。
「……大まかなcircumstancesは把握したわ」
戦場に遠く限りなく近い場所。
結論付かぬ四人の前に現れた名探偵・天宝寺アニカ。
事情を聞き、切羽詰まった状況であることを理解する。
烏宿ひなたの死。そしてそれを引き金とした戦場に向かう意見とここから逃げる意見のぶつかり合い。
ひなたの死の要因は特殊部隊員による狙撃によるものであり、撃たれた直後の事は犬山うさぎが生き証人だ。死体の確認は月影から止められたのもあるが、狙撃の可能性も踏まえれば妥当な判断であろう。
「……Ms.セツナとウサギはすぐにでもMr.アマハラをrescueへ行きたい。対してMr.ツキカゲとハスミは一刻も早くこの場からEscapeしたい、ってことね」
「ええ、まあ。ですが今はこの状態でして、特にあの二人が」
月影の補足通り、うさぎとはすみの間で明らかに穏やかではない空気が漂っている。
件の特殊部隊員が狙撃手である事を考えれば、外へ出ること自体がリスクそのものだ。だが、そもそもそのリスクを鑑みても助けに行きたい気持ちは分からなくもない。
実際の所、一人で炎の戦場に向かったカナタの事が心配かどうかと言われれば、アニカもまたそうであるのだから。
「……お姉ちゃん」
「……」
何か、おかしい。アニカの思考に過ぎるのは、はすみの事だ。
気喪杉の一件で出会って以降、彼女の人となりは大体把握しているし、哉太(パートナー)からの印象も良い人であることは確かだ。だが、何かが違う。まるで漂わせる雰囲気は別人のように思えた。
袴田邸における置き手紙の事もある、字蔵恵子殺害を隠蔽するかのような行為。
だが、こうして直接目にして理解したことは一つ。
(今のハスミは、Insane状態ってこと?)
正気じゃない、もしくは何らかの精神的な干渉を受けている?
異能という横紙破り、他者の精神や認識に影響を及ぼす異能はリンやカウンター気味だが茶子という前例がある。
もし仮に字蔵恵子を殺害した人物が、犬山はすみであるとするならば。
仮に彼女が何者かに仕込まれていた上で、その行動をさせられたというのなら。
けれど、それがわかった所で、まだ何かが足りない。
「どうして犬山はすみが変わってしまったのか?」という、その理由を。犯人を追い詰めるための何かが足りない。
そう、"アニカ一人では、突き止められない"。
(………)
一方。哀野雪菜もまた、別の違和感を感じていた。
どうやら犬山はすみ及び月影夜帳を疑っているのは自分だけではない。アニカという少女もまた、あの二人を疑っているらしい。
実際、自分も天原創も二人のことは疑っている。ある意味ありがたかったが、姉妹決裂の危機に際し、容易に言い出せないのは言わずもがなだ。下手な発言をすればそれだけで空気が悪くなってしまう。
犬山はすみ、なぜか月影夜帳の言葉一つで意見を翻す。その理由の欠片でも知ることが出来れば。
そう彼女を誰にも気づかれないように注視してみる。
(……あれって)
犬山はすみの首筋、まるで髪の毛で隠れるように。その隙間から垣間見えた傷があった。
それは、噛み跡だ。誰かに噛まれたようなものだ。それが、一瞬、一瞬だけ。
(――まるで)
まるで、吸血鬼に噛まれたような―――
――『次のニュースです。岐阜県山折村にて――』
(………まさ、か)
山折村に向かう途中、バス停に置かれていたテレビで放送されていたあるニュース、その内容。
確信は無い。確証もない。けれど、何かの役に立てるのなら。
現状、自分以外で二人を疑っているのが天宝寺アニカだけだというのなら。
一か八か、舞台の練習に付き合った時に数回ほどしかやっていない事を試すしかない。
(……Ms.セツナ、その指の動き……?)
哀野雪菜の行動を、天宝寺アニカは見逃さなかった。
中指を細かく動かして、小さく文字を書くように。
俗に言う指文字というやつであるが、犬山姉妹は膠着状態、月影は姉妹と自分の様子を見守っている。
気づけているのは自分だけ。そして、その指文字の内容は。
『はすみ くび かみ』『あと ふたつ』
(……!)
その時、アニカの中でピースが嵌る感覚。
恵子とゾンビの噛み跡。置き手紙。
茶子から提供されたある事件の内容とその犯行。
名探偵の灰色の脳細胞にシナプスが迸る。
何より、その情報より地下室の血痕の本当の意味を理解した時。名探偵の瞳が強く輝いた。
「――Mr.ツキカゲ。The fault is not clearなこの状況、私から一つsuggestionがあるわ」
「ほう」
月影に改めて語り掛ける。月影としても名探偵の頭脳に期待はしていた。
少なくとも、アニカに対する自分への印象は悪いものではない。医者という職業が一定の隠れ蓑になっていた。話を聞くに八柳哉太があの戦場に向かっていったらしいし、彼女の言動次第でどうにか丸め込める可能性も期待する。
最悪はすみに援護射撃してもらえれば、と。
「ただしその前にconfirmationしたいことがあるの。できる限り手短に済ませたいなら、手伝ってくれると助かるわね」
ただし、待ったを掛けたのもアニカ。
犬山姉妹の方針の相違やら、自分たちの意見は伝えたにしてもだ。
八柳哉太が救援に行ったから大丈夫だとは思わない。さらなる救援か、それとも彼らを見捨てての速急な避難か。月影夜帳の望みはあくまで後者、この状況下で哉太まで合流されては面倒である。
特殊部隊の撃破は重要であるものの、それが今である必要は全くない。
最悪の場合異能の使用を検討しながら、月影夜帳はアニカの次の言葉を待つ。
「……アニカちゃん、どういうこと~?」
はすみも、その瞳をアニカに向ける。
その瞳はゾッとするかのように冷たく感じられるものだ。
まるで、この先次第で事を起こしかねないような。
優しい声色のまま、その視線は優しさから遠くかけ離れたもの。
それを間近で見たうさぎは、思わず姉から視線をそらし、雪菜は月影の方を見つめる。
「――ケイコが殺された事、そしてそのculpritの正体ついて」
美少女名探偵のその言葉が、始まり。
袴田邸にて何者かによって殺された字蔵恵子、死因は首筋の二つの穴。
まるで、何者かによって噛まれたかのように。
うさぎとひなたが書いた置き手紙曰く地下室で殺された、だがそうは思えない。
月影夜帳と犬山はすみは一瞬呆気にとられ、哀野雪菜は納得がいったように無表情。うさぎはというと「えっ……えっ……」と困惑する。
名探偵アニカの事件簿、袴田邸殺人事件解決編。ここに幕開く。
☆
「私とカナタが袴田houseにreturnした時、見つけたのは二つのleft letter。一つはハスミが書いた『ウノからのHelp Callを受けてMr.ツキカゲと彼のHouse向かった』という内容」
まず、アニカと哉太が袴田邸に戻ってきて最初に見つけた二つの置き手紙の内のその一つ。
農家の宇野に助けを呼ばれてはすみと月影がそこへ向かったという事。
この場合の宇野という名字の人物とは、この中の共通認識では宇野和義となる。
だが、アニカの視点では宇野和義が死んだことを知っている。自分が異能の使い方をリンに教えてしまったことで、リンが宇野和義を殺してしまったという事実を。
最も、その事実を月影夜帳も犬山はすみも知らないことだ。そこは一旦置いておくとするが
「もう一つは、Ms.ひなたとうさぎが書いた、『地下室でケイコがkilledされて、そのculpritがMr.ツキカゲとMs.ハスミをkidnappedしたかもしれないから助けに行った』という内容。あとはヒグマの事だけど今回の件には関係ないから今はputting on holdね」
そして、もう片方はひなたとうさぎが書いた内容。
地下室で恵子が殺されたという事実だが、はすみの置き手紙と矛盾している。
「Mr.ツキカゲは地下室でケイコが殺されたことを知らなかった?」
「……ええ。私とはすみさんは、その事実をひなたさんとうさぎさんの二人に聞かされて初めて知りましたので」
その質問に、多少視線がぐらぐらしながらも月影が答える。
この後、はすみがひなた達に対して話した内容を反復するかのように事情を説明。
宇野がやってきて、彼と恵子を含めた四人で袴田邸を出て暫くして後。
目を話した隙間に恵子と宇野が消えた、ということ。
「じゃあこのLetterはいつ書いたの?」
「それは確か宇野さんと一緒に袴田邸に出る前ですから、多分昼ぐらいですね~」
「……そう」
今度ははすみが軽く答える。実際に手紙を書いたタイミングがから、はすみは事実を言ったまでの話だが。
アニカにとっては事情が違う。というよりも、自らアリバイの破綻を証明してしまったようなものだ。
何せ、アニカがリンと一緒に行動していた頃に、宇野と出会って彼に襲われ、結果リンが宇野を殺したタイミングは大体8時前の事。
なので、昼に「宇野さんと一緒に出る前に袴田邸に出た」という内容自体が嘘偽りとなるのだ。
尤も、アニカの知っている宇野と彼らの認識ている宇野が違う可能性もある、だから今はそれを口にすることはなかった。
まずは、と核心に一歩進んだことを理解しながら。アニカは次の問いを始める。
「うさぎ、ケイコは地下室で殺された、というのがうさぎのrecognition?」
次に、字蔵恵子が『地下室で殺された』という事。アニカの言葉にうさぎは小さく頷く。
既に確認したことであるが、致命傷は首筋にある傷。
地下室にはゾンビ化した家主の袴田伴次が拘束された状態で発見された、というのはアニカと哉太が来た時点での話。
「あの袴田Zombieを縛ったのってうさぎとひなたで合ってる?」
「はい、クローゼットの扉から突然襲いかかってきたんです。声を上げようとしても声が出せなくて……ひなたさんのお陰で助かりました。そもそもあのゾンビ、ひなたさんが拘束していたはずなのになぜかそれが解かれていたのも疑問なんですけれど……」
「けれど?」
「……異能を使っていたんです。月影さんの異能を」
思わず、アニカが口を抑える。ゾンビが異能を使う、というのは流石に初めて聞く話だ。その傍らで月影が静かに冷や汗をかいていたし、はすみは静かにアニカに対して気づかれないように目を細めている。
今まで様々なゾンビに出会ってきたが、流石に異能を使うゾンビというのはアニカは見たことがない。
その上で、やはりあの証拠が一番なのだろうか。
「……異能を使うZombie、ね。私たちもそれを調べたのだけれどケイコと同じような噛み跡があったの」
「えっ!?」
袴田ゾンビにあった噛み跡。噛み跡の大きさは恵子についていたものと比べて一回り大きなものである。
なにかの目的が犯人が付けたであろうというのは明白。それも恵子の死体が隠されていた地下室に。
「ゾンビのUse of supernatural power。恐らくケイコを殺したculpritがMr.袴田のZombieに何か仕込んでた。ケイコの死を隠すため」
「……もしかして、宇野さんが……?」
アニカの言葉に割り込むように、はすみが口を開いた。
月影とはすみの視点説明では、宇野と恵子がいつの間にか消えていたということである。
更に話を聞くに、かつて月影がリンと一緒に行動していたときも同じような現象が起こっていた。理論としては一応には妥当ではある。
「potencyとしてはありえない話ではないわね。けれど、それは半分合ってて半分違ってるわ」
「どういうことですか?」
「袴田Zombieの噛み傷と、ケイコの噛み傷は大きさが違ったの」
「えっ!?」
ただし、これはアニカと哉太が訪れた時に知った真実の一つ。
ケイコの噛み跡と、袴田Zombieの噛み跡は違っていた。それぞれ別々の人間が噛んだようにだ。
「……あの事件、最低でも二人の犯人のaccompliceでよって引き起こされたものよ」
字蔵恵子を殺した人物と、袴田ゾンビに噛み付いた人物は別々で、かつその両者とも共犯関係。
そして、その内の片方は、何らかの手段(いのう)で袴田ゾンビを手駒にして、恵子殺害を隠そうとした。
袴田ゾンビの噛み跡から、その手段は察せられるが。
一応、これで共犯二人の内の一人は見当がついてしまった。だが、もう片方を捉えるにはまだ足りない。
それに、それを話すことは、犬山うさぎに対して残酷な真実を告げることになってしまう。
つくづく、「宇野の家に行く」という内容の置き手紙は狡いトリックだ。「宇野」という名字だけならこの村にどれだけいるのか検討などつかない。恐らく該当は一人だろうし、だから役場まで来たのだろうけれど。
「そんな、まさか……!」
「じゃあ、あの時恵子ちゃんと宇野さんが消えたのは、そのもう一人の共犯者のせい?」
声を上げたのは月影とはすみだ。もう一人共犯という事実も驚きに至っているが、二人にとっては痛い所を突かれたようなものだ。
内心焦りながらも、まだ宇野という存在がノイズになってくれている事を信じて言葉を発した。
「あなた達二人のPerspectiveからしたら、そうでしょうね。うさぎとMs.セツナはどう思う?」
「私も二人から聞いた話ですから、どうにも」
「お姉ちゃんが嘘を言ってるとは思いたくないけれど……」
二人の意見は、姉に対して違和感はあれど信じたいといううさぎ。伝聞での第三者視点での判断は難しいという雪菜。
「なるほど、ね。……Mr.ツキカゲ。貴方が探している「宇野」というPersonの事なんだけれど」
「……宇野さんがどうしたんですか?」
「私、その宇野に会ってるの、勿論リンにも」
「……なんですって! 何処に……いえ、その様子だと貴女も宇野さんやリンさんと逸れたみたいですし、何か知っているんですか? ……リンさんは無事なんですか!?」
アニカの告げた真実に、月影が食いつく。
流石に居場所まで知っているかどうかは分からないが、彼の居場所の手がかりが掴めれば自ずとリンの手がかりも得られるから。
だが、それが月影夜帳の『嘘』の一端が引きずり降ろされた瞬間だ。
「リンはMs.チャコという人物と一緒にいるわ、rest assured.」
「ほっ……」
「………Mr.ウノは、もう死んでるわ」
「……へ?」
月影夜帳の、間抜けな声がロビーに漏れた。
宇野和義が死んだ、それは逆に好都合だ。リンがチャコという人物と一緒にいることも、チャコという人物が新たな獲物であるなら結果的に棚からぼた餅もといニ階からぼた餅になる。
だがこの状況では、宇野和義が既に死んでいるという事実は、余りにも致命的だった。
「ねぇ、はすみ。貴女の書いた置き書きは、昼にwrittingしたって言ったのよね」
アニカが言葉を紡ぐが、その声色は暗い。
「その前に既に、Mr.ウノは死んでるはずなの。私たちは有磯houseで襲いかかってきたMr.ウノと戦って、それで、私がblew itしたせいで、リンがMr.ウノを殺してしまったの。……その時の時間は、大体朝ね」
それは後悔の声だったのだろうと、雪菜はそれを知っているからこそ察してしまった。
自分が不甲斐ないばかりに、誰かに人殺しをさせてしまったという後悔。彼女は名探偵だ、恐らく殺人なんて手段を取りたくない人物であろう。だが、何かしらのピンチに陥って、結果リンが人殺しをしてしまったのだろう。
それよりも、これが意味することは。先程はすみが発言した「昼に書き置きを書いて宇野たちと一緒に出た」という事実(アリバイ)は、破綻する。
暗い表情を、顔を振って立て直し、アニカは月影とはすみの方を向いた。
雪菜も、うさぎも、二人の方へ顔を向ける。
「――だから、ウノと一緒にという行動自体がImpossibleなのよ。だって彼はもう死んでいるんだもの」
だから、月影夜張と犬山はすみの証言は、成立しない。
夜張の流れる冷や汗の量が格段と上がっている。このまま行けばずるずる隠していることを引きずりあげられるだろう。だが、そうは問屋が卸さないとばかりに次に言葉を発したのは犬山はすみだ。
「―――アニカちゃんの出会った宇野さんは、本当に宇野さんだったんですか~?」
「どういうことかしら?」
「変身能力だとか持ってる異能……は無理かもしれないですけれど、私たちを勘違いさせるような異能持ちの人がいるかもしれないじゃないですか~」
「………」
「私たちが出会った宇野さんの方も、もしかしたら偽物かもしれないわ」
犬山はすみの発言を、ただの苦し紛れだと割り切れればよかったが、そうはいかない。
精神干渉型の異能はリンの存在が立証している。ミスディレクションのように、相手の脳を錯覚させる類の異能者持ちがいる可能性もなくはない。
異能という横紙破りは、それこそ証拠を元に推理する探偵の天敵の一つだ。人の心を判別出来る碓氷の異能もそうであったが、この舞台は何かと探偵に対して試練を与えてくる場所らしい。
こればっかりは、理詰めで考えるアニカだからこそ嵌ってしまう一言だ。
ただし、完全な部外者である哀野雪菜にとっては、はすみの発言は苦し紛れに過ぎないと認識はしていた。が、それはそれとして今の発言は一理あるとして厄介なブレイクスルーの一言。
しかし、それを打ち破る証拠は既にアニカに託している。
「アニカさん。アニカさんが地下室で見つけたものって他にありますか?」
「ええ。地下室の床にblood trailがあったわ。あと、ケイコの死体を寝かせた布団にはそれが殆どなかった」
「……血痕って、もしかして袴田さんの……?」
地下室の血痕。普通ならば噛まれた袴田か、ケイコが流した血か、その二択。
ただ後者は既に地下室で殺されてはいないという推理がある。
残る候補はうさぎが言う様に袴田になるが、真実の一端を知っているアニカの見識は違う。
「……あの地下室の血痕は、事件の主犯に襲われた共犯者によるものよ」
そう、あの血痕の正体は真犯人によって襲われた人物が零した血。
真犯人に急に襲われ、一度は振りほどけたが抵抗虚しく襲われた結果によるもの。
アニカの目視ではあるが袴田ゾンビの首元と、はすみの首元の噛み跡の形状はほぼ一致している。
「それって……!」
「ええ、犯人はその人物を利用して、ケイコが寝ていた所をKillingした、自分の手を汚さずに」
いくら眠っていたとは言え。いや、近くにいても眠るという選択を取れるぐらいに、信頼も安心もできる人物。あの時、うさぎがひなたと一緒に外へ出た際に袴田邸に残っていたのはゾンビを除けば恵子、はすみ、月影の三人となる。
そして恵子の隣にいたのが、犬山はすみと月影夜張だ。
「はすみ。あなたは私の推理をいい感じにmisleadしようとしていたけれど」
アニカの視線がはすみに向く。その視線が首筋へと向き。
視線に気づいたはすみが静かに動こうとして、アニカが重要な一言を。
「……その首筋の噛み跡はどうexplanationするの?」
「……えっ!?」
バレずに居た瑕疵が気づかれて、犬山はすみは目に見える動揺を初めて見せた。
うさぎが思わず姉の首筋を確認すれば、そこには二つの噛み跡がくっきりと。
月影夜張も、冷静を保っているように見えたその視線がぐるぐる動いている。
いつバレた、何故バレた? 一体どうやって? 月影が考えた所で雪菜の指文字でアニカがそれを受け取ったという事実は知りようがない。
一応月影の指示ではすみはバレないようにはある程度していたが、前提としてはすみという人間の善良さからごまかせていただけに過ぎない。一度交友というノイズが剥がれればこの通り。
バレたからには遅い。噛み跡は、真犯人にやられなければ付きようがない。
宇野(を騙った人物)と一緒に行動したというアリバイが仮に真実だとしても、噛み跡が付けられたタイミングを犬山はすみが知らないとは言わせない。
「うさぎ。貴女のperspectiveからはすみのおかしい所、他に知らない?」
「……ひなたちゃんと一緒に役場に向かって、そこでお姉ちゃんと再会して抱きついた時に、……私を突き飛ばしたんです。まるで全身が突然痛くなったみたいに……あ」
この時、犬山うさぎは何かに気づいた。噛み跡があるということははすみが被害を受けたのは明白。どのような被害、さらに恵子や袴田ゾンビのように吸血されたような噛み跡からして。
「……まさかお姉ちゃんは、私の血を拒絶して……」
巫女の血への、聖なる力への拒絶反応。つまり、犬山はすみは真犯人の異能で、その身を魔物やらそういう類の存在に変質させられたのだ。そうなれば、姉のあの時の異常な行動が理解できる。聖と魔は相反し拒絶する。だから抱きしめられた時に突き飛ばした、これ以上聖の気を受けないように。
確かなことは、間違いなく犬山はすみは真犯人によってによって何かをされたということ。そして真犯人の指示の元、安心しきって眠った字蔵恵子を殺害した。
「はすみの血をsuckした、そんなVampireみたいな真犯人。……今のはすみは、宛らVampireのRetainerってとこかしらね………」
アニカの真剣な眼差しが、犬山はすみを射抜く。
もはや、犬山はすみに限っては言い逃れはできない。
真犯人によって噛まれ、その心を捻じ曲げられ、字蔵恵子を殺した実行犯。
「…………ケイコを殺した実行犯は、犬山はすみよ」
「そん、な……!」
姉の沈黙に、妹はショックを隠しきれない。
アニカがその真実を告げるにほんの少し間があったのは、斯くもうさぎへ残酷な真実を告げてしまったことへの罪悪感。それでも名探偵はどんな残酷な真実であろうと、解き明かさねばならない時がある。
「まさかそんな! はすみさんが、犯人だなんて……!」
「落ち着きなさいMr.月影。はすみはPerpetratorである同時にvictimよ。意志を捻じ曲げられて、望まぬ犯行をさせられた以上、彼女を攻めるのはお門違いだと私は思ってる」
「それはそうですけれど……。まさか、宇野さんを名乗った誰かが、私たちに会った時点で……」
月影は慌てながらも言葉を出す。まだ、「字蔵恵子殺害の犯人は犬山はすみである」というのがバレただけだ。はすみによる宇野絡みのフォローのお陰でまだ自分が真犯人であると気づかれていない。
しかも目の前の探偵もはすみに対して同情的であり、それでなんとか乗り切れるかどうかと足りない頭を月影はフル回転させる。
「吸血鬼みたいなやり口は、心当たりはあります。この村に来る前にニュースで見たんです。村内に潜む連続殺人犯」
割り込むように口を挟んだのは哀野雪菜。山折村への道中、バス停に置かれていたテレビの放送で、彼女は村内の若い女子だけを狙う連続殺人事件の存在を知った。
「仮にその犯人が吸血鬼みたいな異能を持っているにしても持っていないにしても、こんな回りくどい殺害方法をする人間は、その人ぐらいだと思っています」
「仮にMr.ウノがそのincidentのculpritかどうかは、彼のhouseに行けば自ずと分かることね。恐らく外れだろうけれど」
ただし、宇野がその事件の犯人ではないことは何となく分かる。
"宇野和義"は、そんな風なことをやるような雰囲気は感じられなかったし、事件の犯人はうら若き女子なら誰でも良かったらしいが、宇野和義が狙っていたのはあくまでリン一人だけ。
「――そうよね、Mr.ツキカゲ?」
「……まさかとは思いますが、私がその犯人だと、疑っているんですか?」
なので、容疑者候補として残るのは最終的に袴田邸に残っていた二人。
その上で、はすみは先程の推理で真犯人に利用されていたという結論が出てる。
つまり、残る候補は消去法で月影夜張になるのだ。
「何が一体どうして私が犯人だと? うさぎさんは知っていますよね、私の異能が威圧だってこと!」
「そ、それは……」
月影夜張の異能が『威圧』。ただしこれは月影の自己申告であり実際は違うのだが。
ひなたから聞いた話から、犬山うさぎは月影の異能を『威圧』だと認識している。
「じゃあどうして、袴田さんのゾンビが月影さんの異能を使っていたんですか?」
しかし、袴田ゾンビが『威圧』を使ったという事実が汎ゆる意味でノイズになっていた。
宿る異能は原則一人につき一つ、それは恐らくどの感染者でも共通だろう。
それこそ例外が起きなければ絶対に有り得ない。
「月影さんは、本当に何も知らないんですよね?」
「だからこればっかりは私は何もわからないですよ、誰がそんな吸血鬼みたいな事を! みんなは分かっていますけれどここがいつまでも安全ってわけじゃない、いくら哉太くんが救援に行ったからって特殊部隊の隊員が倒されているかわからない! 大体、血を与えたからってその異能を使えるだなんてそう簡単に―――」
ただでさえ、ひなたが殺されたことでここが安全地帯で無くなってしまった。
哉太が救援に向かったとしても相手はプロ。やられる可能性も無きにしもあらず。
だから月影はもう早く逃げたかった、なるべく獲物たる女子たちと一緒に。
それに、『血を与えたからと言ってその異能が使える』という事実がまず困難だと言おうとして。
「それだったら、私はそう」
雪菜が、その事実を肯定するように告げる。
「私は地震に巻き込まれた当初、ゾンビになった友達に腕を噛まれたの。その時私は自分の異能で……殺してしまったの」
ここに例外は存在する。正しい意味での例外が。
「その時にだと、思う。友達の、叶和の血が。私の中に入って。――目覚めるのは遅かったけれど」
哀野雪菜、友との和解という奇跡を以って、天然の多重能力者(クロスブリード)となり得た例外中の例外。『■■■■■』すら目を見開いた人間のさらなる可能性の開花
「だから、血を与えられて、その異能に目覚めたっていうのは、あり得ると思う。私の場合は、だいぶ特殊だったんだと思うけれど」
「……そん、な」
雪菜の告白は、正しく月影だけでなく、ここにいる全員に衝撃を与えるものだ。
それは、基本的にゾンビは異能は使えない、もしくは宿らないという固定概念に囚われた皆にとって。
なぜなら、ゾンビになった者の血を得て、そのゾンビに宿っていたはずの異能を手に入れたという、事になる。
だが、そんな衝撃の事実以上に、アニカにとって最高の証言が。
「――ねぇ、Mr.ツキカゲ。『血を与えたら』ってそれ、どういうgrounds?」
「――あ」
「まるで、自分が試したことあるような言動ね」
「そ、それ、は……!」
月影夜帳は言った。「血を与えたからってその異能を使えるだなんてそう簡単に」と。
それはつまり、彼は「対象に血を与えることでその対象に異能を授ける方法を知っている」と間接的に説明してしまったことで。
しかも、その発言はまるで自分が試して実際に成功したような言い口で。
それは逆説的に、「対象の血を吸えば異能を使えるかも知れない」という証明であり。
先程の雪菜の言葉で、血を得たが故にその血の持ち主の異能を使えるという実例が提示され。
そもそも、雪菜の場合は事故同然で叶和の血が混じった結果によるものだ。決して、自発的に雪菜に『血を与えた』訳では無い。
――つまり。
「――さて、推理を元に事件をreviewしましょう」
お決まりの口上句を挟み、事件を振り返る。
犯人はまず、犬山はすみと共に地下室へと向かい、そこで一度犬山はすみの血を吸おうとした。
手段は吸血鬼の如き噛み付きによるもの。恐らく犯人の異能は吸血鬼のようなものだったのだろう。
だが、そこで一つアクシデントが起きた。犬山はすみは巫女の血を引く家系。
吸血鬼という魔に対し、退魔の力が反応してしまった。例えれば特定の食べ物に対するアレルギーである。
その時に一度犯人ははすみに逃げられそうになったが、ある手段を用いて動きを止めて、二度目の噛み付きを行った。今度は自分の手駒にするために。
ある手段というのは、万が一地下室に入られた為の保険として潜ませた袴田ゾンビの噛み跡でわかる。犯人はゾンビに噛み付いて己の手駒とした。その時、犯人の異能の一つである『威圧』を血を一定与えられたことで使えるようになった上で。
地下室の血痕は犯人によって零された犬山はすみの血によるものだ。そして吸血鬼の眷属の如く、犬山はすみは犯人の言いなりになってしまったのだろう。はすみの噛み跡は、だからこそ二つ。
その後、うさぎとひなたが袴田邸から出ていったタイミングではすみを動かして眠りに落ちていた恵子を殺害。はすみに殺害させたのははすみのような出来事が起きるか起きないかの判別だろう。
その後、リンを探すために宇野と言う人物の住所を求めて役場へと向かった。その前に犯行がバレないようにと偽装工作を施して。
殺した恵子を地下室へ運んで布団の中に隠し、さらに家具を移動させ地下室の存在も隠し、「宇野さんから助けを求められたから三人で一緒にここを出た」という書き置きを残し。
宇野という名字だけなら何人もこの村に入るだろう、それに宇野さんの所へ行くこと自体は事実であり、偽装工作は本来なら安々とバレるはずがない、そのはずだった。
しかし、うさぎとひなたが地下室の恵子の死体に気づいてしまったのが犯人にとっての想定外。はすみの置き手紙は恵子を含めた三人との記載、つまり恵子が殺害された事実がバレない前提での置き手紙。
素人目でも偽装工作だとバレてしまったのだ。事実はすみと合流したひなたはその一件を問い詰めていた。はすみの人柄を使ったゴリ押しと、月影自身が経験した『宇野とリンが突然いなくなった』一件を元に押し切られたらしいが。
そしてもう一つの想定外は、姉妹の再会とばかりにうさぎがはすみに抱きついた時、はすみがうさぎの血に拒絶反応を起こしてしまった事。吸血鬼の眷属という形で変質させられてしまったはすみが聖の力、退魔の血を引くうさぎに対して拒絶反応を起こすのは明白。
その後も恐らくは姉の言動に違和感を妹は感じたのだろう。まるで真犯人へ付和雷同するかのようなその言動を。
この村においてパンデミック前から発生していた吸血鬼のような殺害事件、殺害された女子たちには皆一同に噛まれたような傷があった。
この異常事態において、そんな殺し方をするのは異能有りきとはいえ早々拘る人間はいないだろう。それこそ、吸血鬼のような、噛み跡を残して血を味わうような狂人でなければ。
そして、その吸血鬼は、犬山はすみを使って字蔵恵子を殺した犯人は、アニカたちの眼の前にいる!
「袴田houseでケイコが殺害されたこの事件の元凶。――you are the culprit!! Mr.ツキカゲ!」
アニカのその叫びに、追求に。月影夜帳は何も反論しなかった。
いや、反論する意味など無いに等しかったのだ。
☆
沈黙があった。僅かながらの沈黙が過ぎて、うさぎがゆっくりと口を開く。
「――月影、さん。本当、なんですか?」
月影夜帳と言う医者は、信用できる大人の一人としてうさぎの心に刻まれていたから。
さらにはすみと一緒に行動しているし、姉が信用するなら信用できるという一種の思考放棄にも近い部分があった。
ただ、はすみは再会時の抱きしめた時をきっかけに違和感を感じてしまった。それにまるで月影の言葉に付き従うような行為。
これが異常ではないと、言い切れなかった。
「本当に、お姉ちゃんを……」
「――」
うさぎの問いかけに対しても、月影は俯いたまま黙り込んでいる。
はすみは、まるで凍結したかのように真顔のまま月影を見つめている。
それは突然シャットダウンを起こしたコンピューターにも似た沈黙の具合。
「何かrebuttalはあるかしら? Mr.ツキカゲ。」
アニカもまた、月影に問いかける。自分の推理はここまでだ。
勿論、アニカとしても色々と親身になってくれた月影の事を信用したいという気持ちがあったのかもしれない。だが、先程の墓穴を掘ったような言動はどうしようもない。
そもそも、アニカの総論に反論を示さなかった時点で、既に。
そして、観念したようにゆっくりと前を向き直した月影が。
「―――だって、仕方がないじゃないですか」
恐ろしく薄ら寒い声が、役場内に響き渡った。
最終更新:2023年12月23日 22:02