第11回トーナメント:準決勝②
No.6670
【スタンド名】
アトール
【本体】
スパイダー
【能力】
本体が生成した糸を弾丸代わりに発射する
No.5297
【スタンド名】
ギア・エクスペリエンス
【本体】
時任 八千代(トキトウ ヤチヨ)
【能力】
殴ったものに歯車を発生させる
アトール vs ギア・エクスペリエンス
【STAGE:廃病院】◆aqlrDxpX0s
空港を飛び立ったヘリコプターは山の方面へと向かっていた。
ビル群が小さくなっていき霞みがかる街並みを見下ろすともう後戻りできないのだなと今更ながらに思った。
山々に横たわる高速道路は、昼間だというのに通る車はまばらだった。
高速道路を通り過ぎてしばらくすると、青々と茂っていた木々がしだいに茶色や灰色にくすんでいき、ついには枯れ木の森が広がっていた。
枯れた森の中に寂しくぽつんと集落がある。
十数軒ならぶ家屋はすべて屋根が赤い錆にまみれており、窓ガラスは割れている。
集落を縦断する道路はアスファルトが砕け、ところどころのすき間から木か雑草かもわからぬ植物が生えている。
上から見える木のないを見渡しても、人の姿はだれひとり見られない。
集落の奥に2階建ての白い建物があるのを見つけた。
看板も錆だらけでよく読めないが、病院であることだけはわかった。
パイロットの話ではそこが戦いの舞台らしい。
駐車場のひびだらけのアスファルトが目下に近づいてくる。
病院の駐車場に立っていた男の誘導でヘリコプターはゆっくりと着陸した。
普段はめったに乗ることの出来ないヘリコプターに乗り空の旅を楽しんだが、耳をつんざく騒音だけは気に入らなかった。
僕は後部座席からアスファルトの上に降り立ち、身なりを今一度整えた。
駐車場で待っていた男がこちらへ近づくと深々とお辞儀をして、ご休憩なさいますかと僕に尋ねた。
いい、構わないと僕が言うと男はもう一度お辞儀をして、僕を病院の出入り口へと促した。
僕は一度その廃病院を見上げると、前を見直して歩き出した。
勝負の詳細についてはヘリコプターの中でパイロットから聴かされていた。
勝負内容はデスマッチである。内容そのものについて僕は何も感慨を抱くことはなかった。
命のやり取りをする覚悟はすでにできていたからだ。
その気持ちはトーナメントへの参加を決めたときも、1回戦を勝ち上がったときにも変わっていない。
しかし少し気になったのは、その勝負内容に決まった理由だった。
パイロット曰く、それ以外に方法がないのだという。
僕の対戦相手はどうやら運営にも手の打ちようがない問題を抱えているらしかった。
もちろん僕はそれについて追究したが、詳しくは教えてはもらえなかった。
ただ、対戦相手はどうやら今回の戦いの舞台となる場所から離れることができないのだとだけは話してもらえた。
いや、離れさせるわけにはいかないということだったか。
とにかく、はっきりとしない事情を抱えていながらも僕の対戦相手はトーナメントの出場者として参加し、
その離れることのできないこの場所で一回戦を勝利したという。
疑問に思ったのは、この場所から離れられないという対戦相手の事情だった。
それがトーナメントとは関係のない、それ以前からの事情だったのだとしたら、やはりそれはおかしいのである。
この集落は、とうてい人の住める環境ではないからだ。
僕にとってここは初めて訪れた国、初めて訪れた場所だ。
このあたりで何が起こったかはわからないが、少なくともつい最近のことではない。何年か、あるいは十何年前からここは廃墟のままだったに違いない。
僕は命のやり取りをすることでなく、得体の知れない対戦相手に対し恐怖を覚えた。
しかし、もう後戻りすることはできない。
ここで立ち止まり、前へ進まないことのほうがずっと恐ろしいことになるのだ。
僕はゆっくりと歩を進め、扉が開いたままの病院へ入っていった。
入り口からロビーへ入ると、すぐに受付のカウンターとソファの並ぶ待合スペースが見えた。
カウンターの上の掛け時計は針が止まったままになっており、カウンターの奥には診察室らしき部屋が見える。
気になったのは、ロビーの床にあった足跡だった。
長年使われていない病院はそこらじゅうが土ぼこりにまみれていた。
しかし、床の足跡はつい数日の間についたようなものだった。
だがその理由はすぐにわかった。
僕の対戦相手は一回戦もここで戦ったということをパイロットが話していたのを思い出したのだ。
足跡があって当然なのである。
しかし、ここで新たな疑問が浮かぶ。
床に残る足跡は、ここで戦いが繰り広げられたという割には少ないのだ。
しかも足跡はすべて同じもの、たった一人の人間のものだった。
もうひとりのものは見つからなかった。
ロビーに残っている足跡は病院の外から入ってきて、そのあと再び中から外へと向かっている。
どういった試合の経緯だったかはわからないが、この足跡の持ち主は外から来て外へ出て行った者なのだ。
つまりは足跡の人物は、ここを離れることができない何者かではないということ、敗北した者のほうだ。
勝利したほう、今回の僕の対戦相手であるその者の足跡はロビーにはなかった。
深く考え込もうとしたが、そこでやめることにした。
足跡の残っていない理由などいくらでもあるだろうし、今はそれを考えるときでもない。
僕が考えるべきはこの試合に勝つことだけなのだ。
そのとき、なにやら虫の羽音のようなものが聞こえた。
その音は次第に大きくなり病院内に響いていく。
僕がまず見たのは駐車場のヘリコプターであった。
思い当たったものがそれだったからだ。
しかし外に停めてあるヘリコプターのプロペラは動いてはいなかった。
だがバラバラバラバラという音は次第に大きく近くなっている。
振り返ると、それは頭上にあった。
はっと見たとき、それは虫の姿に間違いはなかった。
しかし、その背中にはまぎれもなくヘリコプターのプロペラがついており、激しく回転している。
――敵スタンドが現れた。胸に張りつめていた緊張は一気に解けた。
僕は自らのスタンド『ギア・エクスペリエンス』を発現させ、拳を突き出した。
しかし、それよりも速く敵スタンドは腹の機関砲から白い弾丸を発射させた。
弾丸を受けて拳が砕ける、そう思ったが破裂したのは弾丸の方だった。
弾けた弾はアメーバのように広がり、ギア・エクスペリエンスの拳を覆った。
僕はそれに構わず拳を止めなかった。
だが、ラジコンヘリのようなその敵スタンドは軽やかに上昇し、拳は空を切った。
射程外に敵スタンドが離れていくが、敵の攻撃は止まなかった。
敵スタンドは次々と機関砲から白い弾丸を撃ってくる。
弾丸を撃つ間隔はあまり短くなく、着弾地点を予測してひとつひとつをかわすことはそれほど難しくはなかった。
20発ほど撃った頃だろうか、僕は敵が志向性を持って攻撃をしていることに気がついた。
僕がかわした弾丸は床に着弾して広がり、蜘蛛の巣のトラップと化していた。
かわせばかわすほど必然的に逃げる場所は少なくなり、さらに僕はいつのまにか病院の出入り口から離れ、奥のほうへと追いやられていたのだ。
反撃を考えなかったわけではない。だが、僕は敵スタンドの弾丸の特長に気がついていたのだ。
白い弾丸を受けた拳が開かないのである。
広がった白く細い糸が拳にまとわりつき、ガッチリと固めていたのだ。
今僕が立っているのはロビーの奥から廊下に入ったところだ。
奥には2階へと上がる階段があり、ロビーの方面には敵スタンドが滞空している。
奇妙だったのは、敵のスタンド使いがいまだに姿を見せないことだった。
敵スタンドが遠隔操作タイプであることはもはや明らかであるが、それだけにこのスタンドだけで敵を倒すのは心許ないだろう。
スタンドはひとり一能力。このスタンドの能力は粘つく白い弾丸に他ならない。
それならば多少このスタンドの攻撃を受けても、接近し攻撃することに価値はある。
僕はギア・エクスペリエンスとともに敵スタンドへ向かい駆け出した。
それとほぼ同時に機関砲から弾丸が放たれる。
僕はそれをすでに糸のからみついた拳で受け止めようとした。
そして同時に振りかぶったほうの拳で敵スタンドを叩き落す――
そう、思ったのだが。
白い弾丸は目前で広がり網と化した。
廊下いっぱいに広がる網に対し、僕の逃げ場はなかった。
網は体を覆い、僕は廊下に倒れこんだ。
今までの敵の攻撃のすべてはこのための布石だったのだ。
網と化す能力を隠し、弾丸だけで僕を狭い廊下に追い詰めて網で捕らえる。
網を構成する蜘蛛の糸は軽い力で引き剥がすことはできなかった。
もがき続ける僕に対し敵スタンドは滞空したままだった。
このスタンドに僕に対するとどめを刺すことはできないという予想はどうやら当たっていたらしかった。
それならば、本体が現れて直接息を止めにくるに違いない。
敵スタンドが滞空しているのは蜘蛛の巣のトラップが敷かれたロビーの方面だ。
ならば、本体は階段を下りて僕に近づいてくるのだろうと僕は思った。
僕が階段のほうを注視していると、突然それは起こった。
廊下の天井を何かが強く叩きつけられる音。それが数回響くと天井にヒビが入り、もう一回音が鳴ったところで天井が崩壊し始めた。
ガレキと共に落ちてきたのは、獣のような大きな影。
だが、獣ではなかった。熊や獅子のような獣と見紛うほど巨大な蜘蛛だった。
ガレキの細かい破片が僕の体に当たる。
あっという間に、僕が身動きをとれない間に、ガレキと大蜘蛛が廊下を塞いだ。
それを見た瞬間、すっと僕の体から血の気がひいた。
命を賭ける覚悟はしてきたつもりだった。
だが、それをこのような化け物に対して賭けることなど僕がトーナメントに参加する前には想像もしていなかった。
ただし、この病院に入ってからは少なからず予想はしていた。
とうてい人の住める環境ではない集落、この場所から離れることのできない者、ひとり分の足跡しかないロビー。
人ではない、という予想はしていたのだ。
だが、まさかここまでとは思いもしなかった。
冗談のような、想像上の生き物のような相手だとは。
細く強靭な脚にびっしりと薄い毛が生えそろい、8つある目はすべてこちらを見ているようで気味が悪い。
口にはキバのような鋏が生え、粘液が滴り床に落ちている。
状況を鑑みればこの大蜘蛛がスタンドの本体であることは間違いないだろう。
とすれば今この大蜘蛛が姿を現したのは他でもない、敵であるこの僕の動きを封じ、仕留めるためだ。
大蜘蛛はじりじりと8本の脚を動かし僕に近づいてくる。
カリカリと脚の関節が擦れる音が静かな廊下に響く。
目の前に迫った大蜘蛛は口と鋏を大きく開き、こちらへ近づけていく。
だが、そのまま喰われるのを僕は許さなかった。
ギア・エクスペリエンス――脱出の仕掛けは整えていた。
床に大きさの違う3つの歯車を生み出し噛み合わせた。
一番小さな歯車を回し、その力を受けて少し大きな歯車を回す。
すると一番大きな歯車は高速で回りだす。
その歯に僕の体にまとわりつく糸を近づけ、巻き取らせた。
糸が1本ずつぱりぱりと剥がれていき体の自由を取り戻していく。
それに気づいてか大蜘蛛は鋏で僕の喉元をかき切ろうと素早く迫ってきた。
だが、それよりも速くギア・エクスペリエンスの拳は大蜘蛛の顎を叩き上げた。
大蜘蛛の頭はわずかに仰け反っただけだが、僕がこの状況から脱するだけの時間はできた。
僕は大蜘蛛の背中に飛び乗り、ガレキを越えてそのまま階段へ向かっていった。
2階へ上がった僕は階段の防火シャッターを下ろして階段を塞いだ。
天井を壊した大蜘蛛のパワーならばこの防火シャッターを壊すことなど造作もないことだろうが、少々でも時間稼ぎはできると思った。
近くの病室へ入り扉を閉めると僕は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
僕はいつの間にか体中びっしょりと汗をかいていたことに気がついた。
予想だにしなかった化け物を前にして人生最大の恐怖を感じていたのだ。
必死に逃れることだけを考えて大蜘蛛から離れることに成功はしたが、ギア・エクスペリエンスの攻撃は大蜘蛛にほとんど効いていなかった。
それでも、僕は諦めることだけは考えたくなかった。
どうにかして、あの大蜘蛛に勝つ方法を考えなくてはならなかった。
息を整えている間に、病室の壁に新聞の記事が貼られているのを見つけた。
ゆっくりと身を起こしその記事を読んでみる。
英字で書かれているので詳しくは読めなかったが、これは第1面の記事で、この集落の航空写真が載っていた。
多く目についた単語は「Emergency」、「Radioactive contamination」、「Isolation」……。
それを見てはっと気がついた僕は病院の窓の外を見た。
病院からは集落と、病院よりずっと大きな建物が建っていたのだ。
僕の予想が正しければ、その建物は放射性廃棄物の処理場だった。
その瞬間、ガシャンガシャンと大きな音が背後にある廊下のほうから聞こえてきた。
大蜘蛛が防火シャッターを叩き割ろうとしているのだろう。
音から察するに大蜘蛛が防火シャッターを壊すのに時間はそれほどかからないだろう。
僕は廊下へと飛び出した。
そのときちょうど大蜘蛛はシャッターを破壊し、2階の廊下に姿を現していた。
もはや恐れてなどいられない。行動を起こさなければ何も変わらないのだから。
僕は大蜘蛛に向かって駆け出し、ギア・エクスペリエンスで攻撃を仕掛けた。
大蜘蛛のスタンドはそれ自体に戦闘能力はほとんどないと言っていいだろう。
その証拠に大蜘蛛は自らの脚で僕の攻撃に対抗した。
スピードはギア・エクスペリエンスがはるかに上回っていた。
だが、かわりにダメージはほとんど与えられなかった。
大蜘蛛が前脚を叩きつけようと振り上げたところで僕は大蜘蛛から距離をおいた。
僕はそのまま大蜘蛛に背を向けて走り出した。
1階の天井まで開いた穴を避けて奥へと向かっていった。
大蜘蛛も僕を追って廊下を進んでいる。
廊下の奥は行き止まりだった。
僕が再び振り返って大蜘蛛のほうを見ると、大蜘蛛も僕の逃げ道が無いのをわかってか動きを止めた。
大蜘蛛はじっと待ちこちらの出方をうかがっているようだった。
この大蜘蛛は、きっと落ちた歯車なのだ。
僕が思うに、この世のすべての生き物は森羅万象を象る歯車だ。
いかに小さい歯車であれ、ハコの中にある限りすべてのモノに関わっており、欠ければハコの中の時は止まってしまう。
この大蜘蛛もこの集落というハコの中のたった一つの歯車だったのだ。
しかし、なにかがきっかけとなってこの蜘蛛はハコから落ちてしまった。
蜘蛛は本来の役割を超越し、ハコに合わない歯車と化してしまった。
時の止まったハコ、歯車の欠けたハコは時と共に次第に他の歯車もはずれ落ちていき、もう元に戻ることはできなくなった。
このハコにある歯車はもはやこの大蜘蛛だけになってしまった。
しかし、歯車はひとつだけでは回らない。
このハコは誰にも直すことができない。
誰にも。
僕のギア・エクスペリエンスにも、直せない。
大蜘蛛はじっくりと距離を詰めてくる。
この大蜘蛛を戦いへと駆り立てるものは何なのだろうか。
生物としての本能なのか。
いや、ただ生存するために戦っているとは思えなかった。
僕は廊下の一番奥の壁を背にして立っていた。
大蜘蛛はもう目前に迫っている。
大蜘蛛のスタンドが頭上からこちらを機関砲で狙っており、大蜘蛛は前脚の2本を振り上げた。
――ギア・エクスペリエンス。
大蜘蛛は気づかなかっただろう。僕は追い込まれていたのではなく、誘い込んでいたのだ。
あらかじめ仕込んでいたギア・エクスペリエンスの2つの歯車、その1つを今発動させた。
足元の床に潜ませ、急速に老朽化をすすめるための歯車を。
突如床にヒビがいくつも分かれて走っていく。
床の中の鉄骨やパイプもろとも粉々になり、僕は大蜘蛛もろとも下の階へと落下した。
あたりに砂埃が舞う。
きっと大蜘蛛は驚いたことだろう。
床に落ちた衝撃など屁でもないのだろうが、なぜか身動きがとれないということに。
――身動きが取れないのは僕も同じなのだが。
落ちた場所は1階のロビー、大蜘蛛のスタンドがあたりに白い弾丸で作った蜘蛛の巣のトラップを敷いた場所だった。
大蜘蛛は運よくトラップの多い場所に落ちて、腹が床にくっついていた。
脚をばたばた動かしたり、踏ん張ったりしてみても自身のスタンド能力で作ったトラップの粘着力には勝てなかった。
一方の僕はしりもちをついた場所にトラップがあり、くっついて離れることはできなかったが、背中を打った場所にトラップは無かったので身を起こすことはできた。
ただし、尻が広い範囲で床とくっついてしまっているので、先ほどのように歯車に噛ませてすぐに剥がすということは不可能だった。
だが、それは僕の想定の範囲内だった。
互いに身動きの取れない状況で効力を発揮するのが、もう一つ仕掛けたギア・エクスペリエンスの歯車なのだから。
僕の予想が正しければ、歯車はまわるはずだ。
大蜘蛛はガシガシと脚を床に打ち鳴らしていた。
時折ふんばっても腹と胸で3ヶ所以上くっついてしまっているトラップは引き剥がせなかった。
僕はそれをじっと見つめていた。
この蜘蛛は、一体どれくらいの間時の止まったハコの中でもがき続けていたんだろう。
何を目的として。
何の未来を見て。
それは興味や疑問でなく同情だった。
ハコからはずれた歯車といえば、僕も同じだったからだ。
しだいに大蜘蛛の暴れる音は小さくなっていった。
それは大蜘蛛が脱出を諦めたからではない。
大蜘蛛の体は徐々に縮んでいたのだ。
ギア・エクスペリエンスは2階での攻防のとき、大蜘蛛の体内に歯車を仕込ませていた。
大蜘蛛が元から化け物でなかったのなら、僕の能力で戻すことができるからだ。
体が縮んでいくにつれて大蜘蛛にはりついた蜘蛛の巣もはがれていく。
ついには蜘蛛は手のひらに乗るほどの大きさになっていた。
こうして見ると本当にただの蜘蛛だった。
はじめ見たときはあれほど恐ろしかった化け物だったのに、今の姿との違いは体の大きさだけだったのだ。
ただし、発現したままの蜘蛛のスタンドの大きさはそのままだった。
だが何故か、こちらを撃ってくる気配はなかった。
蜘蛛はそこらをカサカサと歩き回っている。
さっきまで見ていた景色とは違うことに驚いているのか……僕にはわからなかった。
それからほどなく、小さな音がした。
上を見上げるとパラパラとコンクリートの破片が落ちてきていた。
僕が開けた穴の上には2階の天井が見えている。
しかし、その天井には深いヒビが走っていた。
そこで僕は気がついた。この病院の天井が崩落しようとしているのを。
2階の床に開いた2つの穴は床の中の鉄骨も破壊していた。
それはすなわち建物を支える骨を一部壊していたことに他ならない。
ただでさえ古い建物の中で大蜘蛛が暴れまわっていたのだ。
いつ倒壊してもおかしくはなかったのだ。
2階の天井のヒビはいくつにも分かれて音は大きくなっていく。
ついには大量の砂と共に2階の天井だけでなく壁も剥がれ落ちて来た。
僕は離れようにも、蜘蛛の巣のトラップで離れることができなくなっていた。
僕は身を屈めて天運を祈った……。
騒音が鳴り止んでも、僕は傷一つ負っていなかった。
目を開けてみると、僕の背の上には蜘蛛のスタンドがいた。
だがプロペラは折れ、深い傷がいくつも刻まれ、体液が滴っている。
どうやら僕のことを守ってくれていたようだった。
それがなぜかはわからないが、偶然そうなったわけでないことは明らかだった。
蜘蛛は自らのスタンドを、自分ではなく僕の頭上へと向かわせたのだ。
蜘蛛のスタンドは背中から落ちて床の上でゆっくりと煙のように消えていった。
いつのまにか僕に張り付いていた蜘蛛の巣も剥がれていたようだった。
僕ははっとして蜘蛛のいたところを見た。
そこにはガレキが積もっていた。
しばらく待ってみても、蜘蛛は姿を現さなかった。
その途端、僕はものすごく悲しい気持ちになったのだ。
いつのまにか僕は蜘蛛に自分の姿を重ねていた。
歯車の抜けたハコは時と共に他の歯車も抜け落ちてしまう。
そうなってしまったら、元に戻りたいと思ってももう元には戻れないのだ。
この蜘蛛も、きっと元には戻れなかったのだ。
戻りたいと思ったときには遅すぎたのだ。
僕はまだ、戻ることができるのだろうか。
涙が頬をつたったとき、もう蜘蛛はそこにはいなかった。
★★★ 勝者 ★★★
No.5297
【スタンド名】
ギア・エクスペリエンス
【本体】
時任 八千代(トキトウ ヤチヨ)
【能力】
殴ったものに歯車を発生させる
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最終更新:2022年04月17日 12:53