第12回トーナメント:予選④
No.6497
【スタンド名】
マイ・インセイシャブル・ワン
【本体】
マルヴィナ・シャノン
【能力】
『針と糸』を使って物体を縫い合わせる
No.4140
【スタンド名】
ボンドガール
【本体】
ロザリンド・ルーシー・ステイル
【能力】
指先から何でも瞬間的に接着する接着剤を発射する
マイ・インセイシャブル・ワン vs ボンドガール
【STAGE:洋館】◆uFmPPBA1qU
ロンドン市内、サヴィルロー通り。
100店舗近いテイラーメゾンが軒を連ねるこの通りでは、イギリス政財界の大物や一流スポーツ選手が颯爽と着こなす高品質のテーラードスーツの仕立てを一手に引き受けていることで有名である。
この日---昼下がりのロンドンの空模様は嫌味なほどに晴れ渡り、休日ということもあって通りには仲睦まじいカップルや楽しげに喋り歩く家族連れが多く見受けられた。
数年前から台頭してきた庶民向けのアパレルショップが人気を博し、買い物客の絶対数こそ増えたは良いが、逆に高級指向のテイラーメゾンは顧客を奪われ撤退を余儀無くされるという時代の儚い移ろいをも赤裸々に映し出している。
そんな通りの中心部にて。
約200年以上の歴史を持ちチャールズ皇太子が成人祝いに初めてスーツを仕立てたことで知られる王室御用達の老舗テイラー『Eddowes & Sharon』(エドウズ・アンド・シャロン)の看板の下に、端正な顔立ちの少女が立っていた。
彼女の姿と雰囲気はこの垢抜けた通りのそれに重ねてみると酷く可笑しく滑稽に見え、それで道行く人々は通りすがりに少女の方へ好奇の視線を滑らせていく。
あえて言い表すのなら、一度王子に見初められたが直ぐに外へと追いやられてしまったシンデレラのような少女だった。
庇護欲を掻き立てられる悲哀に満ちた眼差しに、人には言えない大きな野心を抱えた光を瞳の奥に隠したような……そんな風に印象付ける。
びゅうっと、少女の後ろで音がした。
とうの昔に買い換え時を迎えたままの淡く色褪せたドレスの裾が、抜き去るようにやってきた空っ風に吹かれて露となる。
……この時見えた裏地を走る不器用な継ぎ接ぎ跡が一層外野の目を引いて、周囲の好奇は次第に無意味で薄っぺらな憐れみへと変わっていく。
「……あの子、なんだろね」 「なんか可哀想」 「孤児院から抜け出してきたんじゃ?」
そんな端々からの囁きに、しかし構わず関わらず少女の作る表情は依然険しいままだった。よく整った眉を八の字にして、右手で左の腕をぎゅっと絞って。
それはまるで何かとても重大な二択の問いを前にして今更に答えを決めあぐねているようだった。
「……」
彼女が無言で店の前に立ち尽くし、かれこれ10分は経つだろうか。
それまで俯いていた面を上げて、ようやく意を決したように一歩前へと踏み出した。
ぶら下げられた『closed』には目もくれず、少女は銀色のドアノブへと手を掛けてゆっくりと回していく。
「……」
幸いにも鍵は開いていた。
過ぎた年月を静かに語るようにぎいぎいと鳴る扉を開けると、少女は落ち着いた店内の心地好い空気をその全身に受け止めた。
同時に、その素敵な空気が一転して自身の来店により一息に崩れ去ったことにも。
招かれざる来訪者に対して、すかさず一番手前に居合わせた定規を右手に携える軟派な容姿の青年テイラーが口を開く。
「お客様? 失礼ですが、本日は当店での御注文は承っておりませんので---」
「ドレスよ」
少女がすかさずテイラーの言葉を遮った。
「……はい? 」
「私のドレスを仕立てて欲しいの」
「ドレス……貴女のですか? 」
ドレス。
この少女の一言に、店内にいた青年テイラーを初めとして多くの従業員は笑いを堪えきれなかった。連鎖する失笑が一旦は冷えきった店内を賑やかす。
『Eddowes & Sharon』は1812年の創業以来、純粋に紳士服のみを取り扱う。それ以上でもそれ以下でもなく、古き良き英国紳士の正なる身嗜みとしてその一角を担ってきた。
故に彼等はその一点に於いての誇りと実績は誰にも負けないと自負していた。
そこにいきなりドレスの仕立てを依頼されれば、しかも相手が粗末な風体の少女となれば呆れを通り越しての嘲笑も出てしまうものである。
少女が入ってきたことにすら気付かずに独り黙々と布地の裁断をしていた、ただの一人を除いては。
「勘違いしているようだけど、貴方達みたいな有象無象に頼んでる訳じゃないわ。 私が用のあるのは彼女だけ。 マルヴィナ・シャノンを呼びなさい」
凛として、少女は自分に向けられた嘲りの群れを切り伏せる。
これには流石に面を食らった青年テイラーはそれまでの人を小馬鹿にしたような笑みを一瞬で消し去り、露骨に苛立ちを滲ませた顔になった。
「お客様……」
「呼びなさい」
「……失礼を承知ではっきり言わせてもらいますよ、強情なお嬢さん。 場違いだよ、ドレスにしても君自身にしてもね。
どうみたって纏まった金も持ってなさそうだし、そもそも紳士服の店で頼むことじゃあないだろう?
さあさあ、オーダーが立て込んでて忙しいんです。早く帰ってくれ……お帰りになってください 」
「私は、良い? 店長のマルヴィナ・シャノンをここに呼びなさいとだけ言っているの。
貴方とはできるなら話したくもないし、話す理由も意味も見付からないから早く呼んで頂戴」
「あぁ……俺に何度も言わせないでくださいよ! 」
「それは私の台詞よ」
厄介なことに、この少女は人一倍意固地になりやすい性格であった。
どんなに謗りを浴びせられ、幾度となく件の女性に会うことを拒否されようとも決して退かず、切るような目を逸らさない。
青年テイラーとの不毛な押し問答はもはや会話としての体を成さず、二人の意地とプライドだけが鍔迫り合い延々と睨み合いが続いていた。
「んン~~~っ? もしかして、私待ちだったのかしら? 」
それから特に進展も無く5分程が経った。
痺れを切らした従業員の若い女の子がこの状況を打開するため、事務所にいるマネージャーを呼びにいこうとした時だった。
当事者二人には遥か永遠にも思えた時間の凍結も、瞬く間に溶かしてしまうぐらいに暢気な女性の声がした。
間もなく柱の陰から現れたのは布地の準備が粗方終わり、一息入れようと作業室からフロアに出てきたマルヴィナ・シャノンその人だった。
「ようやっと本命のお出ましね。
ねぇ、死ぬほど無駄な時間だったわ。貴方とは」
「……チッ」
「あれェ、なんでお怒りなのかなダリク君。
しかも今、確かに舌打ちしたわよね。お客様がいらっしゃるのに。
何となく不穏な空気醸してるしさァ」
「いや……後は頼みましたよ、店長。
この跳ねっ返りに一発ガツンと言ってやってください。
うちは女の客は取らないってね」
そう吐き捨てると青年テイラーは憎々しげに少女の方を人睨みして、さっさと店の奥の方へ歩いていってしまった。
少女はそんな彼を冷ややかな目で見送るとわざとらしく咳払い、キョトンとしているマルヴィナに自分へ注目するよう促した。
「全く躾がなってないわ」
「んン~……良くも悪くもここの人らは皆職人気質だからねェ。無礼があったのなら店長として御詫びするわ。
御免なさいね」
マルヴィナは軽く頭を下げた後、帽子のブリムを指で上げつつ興味深げに少女の体をまじまじと見つめた。
少女は彼女の熱視線にあまり良い思いはしなかったが、それを自分から止めようとはしなかった。
自他共に認める高慢不遜を極めたような少女でさえも気圧される、マルヴィナの刺すような真剣さが伝わってきていたからだ。
「え~~とォ、上から81・58・80ってとこかしら」
「!? 」
「ふっふふふ……私は相手を一目見ただけでスリーサイズを測れるのよ。
察するに召し物をとびっきり素敵なドレスに新調したいんでしょ?
ずばり!この店を選んだのは大正解だったわねェ」
マルヴィナはどこからか取り出したメモ紙に、これまた何時の間にか握っていた羽ペンをさらさらと走らせる。
「え……ええ。
貴女のお祖父様、このブランドの立ち上げ人ベンジャミン・シャノンがあのエリザベス女王のドレスをデザインしたのが『Eddowes & Sharon』の始まりだと聞いたのよ。
私に相応しいドレスを仕立てるのなら、この店しかないと思って……」
「でも、ここは紳士服のお店。 表の看板にも書いてるけれどドレスは取り扱ってないの……表向きはね。
まぁ知る人ぞ知るっていうのかな、娘さんがいるお得意様とか一部の人にしか教えてない情報だから。
ダリク君もそうだけど、私一人で作るから従業員にも教えてないのよ」
「そのせいで本当に合っているのか、私も最後まで迷ったわ。貴女が出てくるまでは賭けに負けたって後悔してた。
……恥をかくのはもう止めにしたかったから、尚更ね」
少女の声が僅かに強張り落ちたのを、マルヴィナは敢えて気付かない振りをした。
「名前、聞かせてくれる? 」
「え? 」
「あなたの名前よォ。 ドレスは一朝一夕じゃ出来ないし、デザインのことでお互いに擦り合わせもしなきゃいけないでしょ? だから仲良くやりましょう。
勿論、連絡先とかも教えてもらうからね。代金の踏み倒しは絶対に許さないわよォ」
「名前、私の……」
冗談っぽくウインクをして、マルヴィナは戸惑う少女に微笑みかけた。
少女は少女でどこか躊躇うような仕草を見せたが、
「誰にも言わないで」
なんていう奇妙な約束事を条件に教えてもらえるようだった。
名前ぐらいで大袈裟だとは思ったが、それよりもマルヴィナは別のもっと気掛かりな、漠然とした不安の正体について考えを巡らせていた。
(んン……この子、大丈夫なのかしら。私みたいなのが関わっても良い人間じゃあないのかも)
実はこうして話している内に彼女には大きな裏というか底知れぬ闇があると、マルヴィナは薄々勘付いていた。
初めに会った時からどこか違和感があり、着ているものはどうにせよ立ち振舞いや喋り方は気品に溢れたものであったし、借金を苦に破綻したどこかの貴族崩れと思っていたのだが。
決してそれだけではないような、影しか見せない不安の波がマルヴィナを追い立てていた。
「私の名前は……ロージーよ。
また近い内に来るわ、マルヴィナ。
次までには礼節をきちんと弁えた店員を置いておくことね」
少女はそれ だけ言うと連絡先を記した紙を手渡して、愛想無さげに踵を返し一度も振り返らず出口へと向かう。
「あっ……ええ、それじゃあ。
幾つかデザイン案は用意しとくから~~……」
マルヴィナが応える前にロージーの姿はどこにも見えなくなっていた。
結局、彼女の素性は分からない。かえってこのまま聞かない方が良いのかもしれない。
彼女はもう居なくなったというのに、気持ちの悪い微かな胸のざわつきは治まらないままでその日の仕事を終えることになる。
マルヴィナ宛に 差出人不明の赤封筒の手紙が届く、三日前の出来事だった。
「どうしてねェ……はぁ~あ……」
マルヴィナは気怠そうにして、ロンドンの近郊に建てられた洋館の前で大きな溜め息を吐いた。
首を動かすのも面倒臭かったが、改めて“手紙”に指定されていた戦いの舞台を見渡してみる。
どうやらこの立派な洋館は売り家であるらしく、久しく人が住んでいない様子だった。
落書きされた立ち入り禁止の立て札の前まで来ると、蔦の巻き付いた門の隙間から手入れもされていない庭園跡が見える。
近くで眺めてみると外装が所々剥がれ落ち、地元の子供に幽霊屋敷とでも呼ばれていそうなステレオタイプな不気味さを漂わせているのが分かった。
「……門は開いてないわねェ?
んっン~~……壊しちゃっても良い感じかしら? 」
今日、マルヴィナが仕事を休んでまでこの場所を訪れたのは先日自分宛に届けられた招待状のせいである。
内容はシンプルなもので、スタンド使い同士の対戦で優勝者を決めるトーナメントの開催を宣言する旨のことと、万が一出場を断れば何らかの不幸が訪れると書かれていた。
今日日こんな脅し文句に引っ掛かる人間がいるのかと思ったが、それでも彼女は素直に文面に従ってここにいる。
何故なら手紙を読んでいる時、
(はいはい、こんなの死んでも行かないわ)
と心の中で呟いた瞬間、丸テーブルに乗せていた羽ペンのインク瓶が勝手に溢れ一緒に置かれていたドレスのデザイン草案を真っ黒に染め上げてしまったからだ。
すぐに送り主からもたらされた不幸であり、警告なのだと理解した。
マルヴィナの怒りは穏やかに、けれど隠れた中心点は洒落にならないほど燃え盛っていた。
これは手紙を書いた人間に会って『お仕置き』をする必要があると判断し、トーナメントに参加しようと決意した次第だ。
「さぁて、ちゃっちゃと済ませて帰りましょうか」
マルヴィナは帽子を目深に被り直して、左腕を門の上の方に突き出すと己の分身---スタンドの左腕だけを発現させる。
その手には巨大な縫い針が握られていて、先には糸も結わえられていた。更に糸を辿るとマルヴィナの人差し指から伸びている。
「『マイ・インセイシャブル・ワン』、糸を伸ばせばァ……」
掛け声と共に、スタンドは逞しい腕を豪快に振りかぶって洋館の壁目掛け縫い針を投げ放った。
鋭く尖った風切り音を唸らせて崩れかかった二階の中央窓横に広がる壁面スペースに勢いよく突き刺さる。
ぐいっと糸を引っ張って縫い針が抜けないことを確認するとマルヴィナは帽子が飛ばされないよう押さえつつ、糸を高速で巻き取って香港映画のワイヤーアクション顔負けの動きで洋館へと急接近していく。
「ちょっとだけよォ~~っ! 許しなさいねェ」
壁が目の前に迫ると『マイ・インセイシャブル・ワン』の拳を構え、突破口を開くために思いっきりぶん殴った 。
無惨にも、そのままでも十分無惨だった洋館の壁は粉々に砕け散って人一人が通れるぐらいの穴が空く。
次いでマルヴィナがその穴に転がり込んで、無事に部屋の中への浸入を成功させた。
「あらよォっと! ……よぉし、修繕しなさい『マイ・インセイシャブル・ワン』ッ!」
返す刀で壁から抜けた縫い針を未だ空中でバラけている破片に目にも止まらぬ速さで通していくと、それらの落下が一斉に止まり、さながら時間が巻き戻るように崩れた壁は元通りに『修繕』された。
「ねェ、ちょっとだけだったでしょう? 」
「貴女……! 」
格好良く決まったと、ニヤけ顔で一人悦に浸れたのも束の間だった。
突然かけられた聞き覚えのある声に、マルヴィナは一転焦った素振りを見せて発声源を目で追った。
部屋は所謂グレートホールだった。
一般的に、洋館に住む人間全員が一辺に食事を取れる食堂のような場所である。
見れば一点の汚れなく隅々まで真っ白な天井からは豪華な装飾のシャンデリアが吊り下げられていて、映像でしか見たことのない架台式の長テーブルが奥へ奥へと伸びている。
その一番向こう、家主とその家族が座するヘッド・テーブルの辺りで小柄な人影が揺れたのを見た。
「まさかとは思うけど、ロージー? 」
「やっぱり……貴女なのね、マルヴィナ」
思いがけない再開に二人は互いの名前を呼び合った後、暫く黙りこくってしまった。
二人が会うのはこれで二度目であった。
ドレスのデザイン案がもうすぐ上がりそうだからとマルヴィナの方から連絡を入れたのが二日前で、一週間後に『Eddowes & Sharon』で打ち合わせをする予定だった。
「スタンド使いだったのね」
「ん……まぁね」
「……『ボンド・ガール』
私のスタンドよ 」
ロージーは簡単に紹介をしてから、傍らにスタンドを控えさせた。
流線型の天を衝く頭部を持った人型のスタンドである。
女性の体型ではあるが、鍛え抜かれた肉体に宿るパワーには相当の自信があるといった感じだ。
これにマルヴィナも無言で頷いて自身のスタンドを、今度は腕だけでは無くその全身を発現させた。
ハート柄のマントを靡かせる、ヒーロー然とした風貌のスタンドが相手にとって不足無しとばかりにファイティングポーズを取った。
二人は元より分かっていたのだった。
この寂寥とした空間を支配していたのは、何か。
「……負けられないの」
「私は負けてあげてもいいけどさァ、別に。
なんだかんだお客様は神様だしね、どんな仕事でも」
「違うッ! それじゃあ駄目なのよ!
……駄目なのよマルヴィナ。
手加減は不要。本気で本気の貴女と戦って勝たなきゃいけないのよ……それがあの方からの厳命だから ……」
「……そう。退っ引きならない事情があるのなら仕方が無いわね。
それじゃあ望み通り付き合うわ、ね? 」
それは、
「『ボンド・ガール』ッ!!」
「『マイ・インセイシャブル・ワン』ッ!」
諦めだった。
「悪いけど、速攻で決めさせてもらうわよォ! 」
まず先手を取ったのはマルヴィナだった。
この戦いに於いても、門外から洋館に飛び込んだのと同じ方法を用いたのだ。
投げ槍を投擲するように縫い針をロージーの上方、雄々しい軍馬と貴族とおぼしき格好の男性が描かれた絵画へと投げ付けて。
針の切っ先は寸分違わず軍馬の目玉を見事射た。
「! ……速いッ!」
「ふふン、 生き馬の目を抜く程にって言うしね!」
そのまま糸を高速で巻き戻す。
必然的に、マルヴィナの体は狼狽えるロージーの方へ物凄い勢いで運ばれていった。
この速さ、移動による運動エネルギーを与えられたスタンドが放つラッシュの威力は如何程か想像に難くない。
例えマルヴィナの『マイ・インセイシャブル・ワン』の腕力がそこらの人並みであったとしても決して無事では済まないだろう。
回避も恐らく今からでは間に合わない、とすれば………
「なら、こうするしかッ! 無いッ!」
濁った銀の燭台が、古びた食器や錆び付くナイフ、フォークの類いが宙を舞う。
ロージーが選んだ対応策は、スタンドの超人的なパワーに任せて無理矢理テーブルを引っくり返すことだった。
マルヴィナはこのテーブルの上を飛んできている故に、ロージーの判断は攻撃と防御の両方を一度に行える限られた選択肢の中での最善手だった。
「ッ~~!! ダリク君の言う通りだったわね、とんだ跳ねっ返りよロージー!」
迫る殺人木板に、マルヴィナは咄嗟に体を捩らせ直撃を免れた。
「クッ……貴女、本当にただのテイラーなの? 明らかに場馴れしているわ! 」
「それは御互い様でっ…しょっと!」
攻撃を避けられたはしたが、彼女の体がブレたことで糸による高速移動は中断された。
それでロージーは無自覚の内に油断する。よりにもよってマルヴィナへの追撃を怠るという名の油断。
ほんの刹那、それでも相手の命を奪うには余りある時間だと誰よりも知っていた、 筈だったのに。
「何をするつもり……」
体のブレと残された勢いを利用してマルヴィナは倒立したテーブルを基点に、鉄棒を使って連続宙返りをする要領で糸を何度も巻き付けていく。
何重にも絡められた糸の太さは加速度的に肥大していき、数秒と掛からず丈夫なロープのようになる。
「私のスタンド能力、とくとご覧あれって奴よッ!」
締め付けによる多大な負荷に、とうとう耐えられなくなったテーブルは真っ二つに裂け弾け飛んだ。
間髪入れずに中空へ放り出されたその片割れを、最後の力を出し切るようにマルヴィナのスタンドが蹴り上げた。
「これぐらいなら、造作ないッ!」
猛進するテーブルの片割れを、ロージーは冷静にスタンドを使って後方にいなす。
爆発音にも似た轟音を置き土産にしてそれは壁にめり込んだ。
「ひょっとして、これで貴女の能力は終わりかしら? 」
「いいえ? これからが始まりよ……」
ロージーはここで初めて異変に気が付く。
埃塗れのシャンデリアからの光を浴びて視界の端で何かが煌めたのを彼女は見逃さなかった。
先走る恐怖と絶望に挟まれながらも、ゆっくりと左右に首を振った。
糸である。
それはマルヴィナのスタンドによる産物で間違いなかった。
しかも往来している糸の本数は一本や二本では無い。自分を取り囲むように何十、何百という糸が張り巡らされている。
「『修繕』する能力よ、私の『マイ・インセイシャブル・ワン』
二つの物体が糸で繋がってしまった以上、その間に何があろうとも関係ない! 全て壊して治してお仕舞いッ! 」
軋み、擦れて徐々に抜けていく……ロージーの背後からはそんな音が響いてきていた。
これは挟み撃ち。
逃げ道はどうやっても見付からない、そもそもそんなものは存在しないのだろうが。
「裁断は得意なのよ……私。
あなたを殺したくはないから、全力で迎え撃って」
悲しげな呟きを残し、マルヴィナは身を翻した。
まだまだ幼い少女が傷付き、下手をすれば死ぬかもしれないという様から目を逸らしたいのだろう。
だが見方を変えれば、自身の勝利を確信したかのようにも感じられる。
尤も、今の土俵際まで追い詰められたロージーにしてみればマルヴィナの姿は後者の方にしか捉えられない。
「くっ……そぉ……」
前後から鋸歯と化したテーブルの切断面が一対、ロージーの華奢な胴体を噛み切らんとして動き始めた。
これを迎撃するにしても、どちらか一方にしかスタンドを割くことができないために無傷で乗り切るのは不可能だ。
こうなれば腹を括るのだ、と何度身体に言い聞かせても一向に震えは治まらない。
白旗を降って降参するのだ、と何度思考が命令しても心は未だ戦う意思を失わない。
「私は死ねないんだ……こんなところで、こんな風に……」
「ロージー……どうしてそこまで……」
「私の……私の夢を諦めてたまるもんかぁッ!『ボンド・ガール』ッ! !」
舌舐めずりをして喉元に狙いを定めるように少しずつ接近していたテーブルが、遂にその牙を剥いた。
「ウラァッ! 」
一撃、更なる一撃。
気炎を吐いたロージーは臆することなくスタンドを前衛に回すと、情け容赦無く襲い来るテーブルを拳のラッシュによる弾幕でみるみる内に細かな木屑へと変えていった 。
「……注意して、前にばかり気を使うと『覚悟』が疎かになるわよ」
「うぐッ……くうううッ!! 」
矢庭にロージーは懸命に押し殺した悲鳴をしかし漏らして仰け反った。
その直後、 彼女のスタンドヴィジョンに何本もの亀裂が生じる。原因は、がら空きだった背中に走る激痛と熱だった。
無防備にせざるを得なかった後ろ側から、マルヴィナが蹴り飛ばしたテーブルの直撃を受けたのだ。
耐えろ、耐えろと必死の思いで自分の折れそうな心を鼓舞して、どうにか意識を保ったままで苛烈を極める攻撃を寸でのところで防ぎ続けた。
木屑はますます猛り狂い、グレートホールに吹き荒れている。
「…………あ、あぐ……くっ」
「ロージー、あなたは良く頑張ったわ。
だからもう……これ以上苦しまないで、いいから」
やがて木屑の吹雪は収まって、ひらひら舞い散る穏やかな物になる。
「……ぅ 」
……テーブルの『修繕』が完了し元の形に戻る頃、猛威の去ったグレートホールに残されたのは全身に機関銃で撃たれたような穴が空き、夥しい量の血を流して床に倒れるロージーとそれを見下ろすマルヴィナの脱け殻のような姿だった。
ロージーのスタンドが消失したのを確認して、マルヴィナも『マイ・インセイシャブル・ワン』を解除する。
「確実に……勝たなきゃならなかったの。
殺さないギリギリまで手を抜くなんて、私にはそんな器用な真似できないのよ。言い訳にしかならないんだけどさ。
でも、それでも……私は…… 」
「はぁ……うぁ……」
マルヴィナは心臓を直接殴打されているような、吐き気と痛みを伴った不快感に潰されそうだった。これを独白しなければとても正気でいられない。
ロージーが死に物狂いで行ったテーブルの迎撃は虚しくも、結果的には裏目に出てしまったのである 。
砕かれて出た木屑の一片一片にすらも、『マイ・インセイシャブル・ワン』の縫い針と糸は通されていたのだ。
結局のところ 、彼女は自分が受ける凶弾を一発の砲弾から無数の弾丸に変えていただけだった。
それを承知で白々しくもロージーに「全力で迎え撃って」と言ったのだ。勝利の代償はあまりにも重く、マルヴィナの良心にどろりと覆い被さった。
「私は、何て惨い事をして…… 」
「ぁ…う………」
「……さようなら。許してなんて、言わないわ」
「………」
ロージーの朧気な意識を証明していた呻き声すらいよいよ聞こえなくなり、何もかも終わったのだと実感した。
覚束無い足取りで店に帰ろうと、部屋の出口へ歩き出す。
一歩一歩がとても重い。
マルヴィナは立ち止まって、不思議そうに首を傾げた。
「も……う……持た……な……」
「……んンン? 」
その時留め具が破断していく響きに近い金属音を耳にしたのは、マルヴィナの勘違いなどではなかった。
「あれェ……」
突拍子もなく頭上から、腕や頬に粘ついた白濁液がぽたぽた滴り落ちてきたことも、自分の足が沈んだ気持ちのせいではなくて本当に重くなっているらしいのも。
天井が、夏場のアイスクリームよろしく溶けていく光景を目の当たりにしたことすらも幻覚ではなく現実としてマルヴィナの前に突き付けられている。
「なんでよ、なんで……ロージーのスタンドはもう消えてるのにッ!
明らかにスタンド攻撃じゃない!
ううンッ! ……駄目、足が床にくっついて全然離れないわッ! 」
「う……え……マルヴィ……ナ」
「一体何なのよッ……え、うえ? 」
ロージーの途切れ途切れの声に促され言われるがまま見上げてみれば、目と鼻の先にシャンデリア。
ああ、そうか。そういうことだったのか。
マルヴィナは絶体絶命の危機に瀕している最中だと言うのに、一人冷静に合点し、力尽きて伏しているロージーに目をやった。
相変わらずスタンドは出されていないし、彼女は嘘偽りなく虫の息だ。
だからこうなったのかと、マルヴィナは理解したのだった。
衝突不可避のシャンデリアに対し彼女は反射的にスタンドを出してはいたが今からでは完全に防げないことは自明であった。
マルヴィナが自発的に選ぶことのできる未来は大きく分けて二つある。
黙ってガラスの塊に押し潰されるか、足掻いてガラスの破片に全身を切り刻まれるか。
これが世にいう因果応報って奴なのかと自嘲気味の苦笑い。
小さく尖っただけの木屑よりもよっぽど雪のそれによく似た白濁液とガラスの欠片を派手に弾けさせて、マルヴィナは降り注ぐシャンデリアの雨の中に消えていった。
「生きて……る? 」
「……」
「マルヴィ……ナ? 」
「……」
「死んだのね……」
「ちょっと! あっ……うぐッ!
はぁ、まぁ生きてる……わよ。 これぐらいで……死んだら……店の皆の、笑い種よ」
「……そう。 それで、スタンド……は? 」
「もう……無理っぽいわ。 一応出せる……けど、自分の……傷口を縫うのは……」
「んン……これってもしかし……て引き……分け? 」
「いえ ……それは違う」
マルヴィナは薄く笑って瞼を閉じた。
何時の間にか、血塗れのロージーが立ち上がって此方を見下ろしていた。
拳銃を構え、虚ろな眼をして寄ってくる。
「ふふ……ふ、ほんと。 つくづく……私達って似た者同士……だと思わない? 」
「どういう意味……かしら? 」
「甘い……のよ 」
「……」
その一言に何も言い返せず、何も出来なかった。引き金に触れた指を曲げようにも、どうしても力が入らなかった。
ロージーは、奥歯を血が滲むほど強く噛み締めて、悔しそうに拳銃を投げ捨てた。
「約束しなさ……い 」
「何を……? 」
ロージーは背を向けて、肩口から鷹の目の眼光を覗かせて言い放つ。
「この世で……唯一無二の…貴女にしか……作れない……最高のドレスを仕立てるって、約束よ。
これを果たすまでは……絶対に殺さないし、死なせないわ」
「……うっふふふっ! 取引……成立よ、ロージー。
期待して、待ってて……デザインはちょっと事情があって……まだ見せられないんだけど」
「貴女は納得のいくまで、やれば良い。 どんなに掛かっても……私は待つわ。
それと、私の名前のことだけど……ロージーは単なるニックネームで、本当の名前は……ロザリンド」
「ロザ……リンド? 」
天井を覆っていた接着剤の大方が溶け落ちて、それで露になった天窓から柔らかな陽光が射し込み始めた。
ロージーは多少なりとも困惑するマルヴィナを見て、床に現れた真円の光の中に踏み入ると、
「……第11代ステイル家……当主、ロザリンド・ルーシー……ステイル」
誇りを胸に、そう名乗った。
★★★ 勝者 ★★★
No.4140
【スタンド名】
ボンドガール
【本体】
ロザリンド・ルーシー・ステイル
【能力】
指先から何でも瞬間的に接着する接着剤を発射する
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最終更新:2022年04月17日 13:49