第12回トーナメント:準決勝①
No.6754
【スタンド名】
ティン・エンジェル
【本体】
白鷺 かふら(シラサギ カフラ)
【能力】
接触する二つのモノを徐々に癒着させる
No.4367
【スタンド名】
ムーン44
【本体】
滕翦瑜(テン・ジャンユ)
【能力】
触れたものの「状態」を「感染」させる
ティン・エンジェル vs ムーン44
【STAGE:ホテル】◆Zb4sdv40uw
トーナメント第二回戦、その一日前。
まだ対戦場所を知らされていないはずの参加者、滕翦瑜(テン・ジャンユ)は対戦場所であるホテルの一室でベッドに寝そべっていた。
明らかに公平性を欠いたそのような事態がなぜ招かれたかというと、それは彼の所属している組織『ディザスター』のトーナメントへの関与があった。
『混沌の世界』の創造を目的とする組織『ディザスター』。
その構成員の多くをスタンド使いが占めるその組織は、一部隊の長であるはずのジャンユをもってしても全容が把握できないほど大規模な組織である。
いや、正確には組織化さえなされていないのかもしれない、とジャンユは思う。
世界の無秩序化、というのは何も組織外だけの話ではなく。
むしろ組織内でこそその無秩序さ、無法さは突出している。
上下関係が一月のうちに何度も入れ替わるなど日常茶飯事だし、風の噂ではすでに二、三回組織のトップの入れ替わり騒動が起きているという話だ。
そんな組織の体すらなしていない『ディザスター』が、何故今日まで崩壊もせずに存続しえたのかというと、理由は酷く単純な話だ。
構成員の全員にとって『ディザスター』というスタンド使い同士の広大なネットワークの存在自体が『自分にとって』都合がいいから、という理由である。
元々『スタンド能力』という圧倒的個性を持って組織に受け入れられた構成員たちは、それゆえに求められる仕事量が少ないのだ。
本人にとっては出来て当たり前のことをこなすことが、組織において多大な貢献となる。
実社会で真っ当に生きるにあたっては余分ともいえる『スタンド能力』を求められた時だけ発現させることで、汗水たらして働くより遥かに割のいい収入が得られる。
無論、『スタンド使い』という存在自体が世界秩序にとっては邪魔者といってもいい存在であり、法の目を掻い潜り犯罪行為を重ねているうちにこの組織に勧誘されて入った者や、この組織の目的に心酔して構成員となった者も少なくない。
だが、確かに名目上は『実験部隊』隊長という肩書を得ているものの、ジャンユ自身もただ『ムーン44』という自身のスタンドを活かすことの出来る場を与えられているだけだという思いのみで、『ディザスター』という組織への忠誠心はほとんどないといっていい。
故に、今回『スタンド使い同士の戦うトーナメントに参加し、優勝しろ』という命令には彼自身煮え切らない思いがあった。
出来レースに次ぐ出来レース。
わかりきった実験の『被験体』になっているような居心地の悪さがあった。
噂では、最近組織内で勢力地図に大きな動きがあり、その際にこのトーナメントで優勝したジャン・ギャバンという若い男とその上司が、このトーナメントの優勝を何らかの形で利用して組織の中枢にまで上り詰めたらしい。
逆に、このトーナメントでふがいない成績を残した組織幹部だった男は、今では末端と構成員と同じような扱いを受けているそうだ。
今回の命令もどうやらこのトーナメントにご執心らしい、ジャン・ギャバンの上司の男から下されたモノのようだと、ジャンユは人伝に聞いていた。
このトーナメントにはもう一人、同じ『ディザスター』に所属する構成員が参加しているとも。
「ま、あまり深く考えることないか…………俺はただ命令をこなしているだけで勝ち進めるんだから」
ジャンユは一つあくびをすると、これ以上深く考えることを諦めた。
いくら『実験部隊』の隊長とはいえ、所詮は下っ端に過ぎないし、これからもそれでいい。
『ディザスター』はその特性上、組織内で地位を高めようとする人間には厳しいが、それ以外の末端のスタンド使いに対しては比較的に無干渉だ。
ジャンユは『混沌の世界』にも『組織内の地位』もどうでもよかった。
ただ漫然と、与えられた命令をこなすだけで普通のサラリーマンよりはるかに贅沢な暮らしが出来るのだからそれでよかった。
その与えられた命令が自身のスタンド能力を使った人体実験だろうと、大量虐殺だろうと、ジャンユにはあまり関係がない。
労せず結果が得られるならば、それだけでいい。
むしろそういうジャンユのアイデンティティーこそが、彼が『実験部隊』隊長に任命された理由だろうと、ジャンユは他人事のように考えていた。
「隊長、頼まれていた処理済みのマウスをお届けに上がりました」
扉の外から部下の声がして、ジャンユはベッドから立ち上がる。
扉を開くと、重そうなクーラーボックスを手にした幾人もの白衣姿の部下の姿があった。
「おいおい、隊長なんて仰々しい呼び方はやめろっつったろ」
「はは、スイマセン、ジャンユさん。これ、どこに置いとけばいいですかね?」
「適当にそこらへんの床に置いといてくれ、あとは適当に俺がばら撒いとくから」
「了解しました。…………それにしても、こんなに必要ですかね? 相手は高校生の少女だって聞きましたけど」
「ま、そうだけどさ。一回戦の情報が上から下りてきたんだけど、どうやら今回の対戦相手の女の子、能力も込みでかなり『キレちゃってる』子らしくてね。できれば会わずに済ませたいし……」
そういうと、ジャンユはへらへらと笑う。
そこには人を殺そうなどと言った深刻さはなく、ただ享楽的な能天気さだけがあった。
「俺のスタンド『ムーン44』のテリトリーの中で、『被験体』がどうもがくのかにも興味があってさ」
人里離れた山の奥に、そのホテルはあった。
高度成長期、土地の値段が軒並み高騰し、そこかしこに道路や駅が乱立される中、ある成金大富豪が山一つを巨大なリゾート地としようとした、その名残である。
ゴルフ場計画は環境保護団体の圧力で頓挫し、この近辺で最も巨大なテーマパークとなるはずだった場所は、コンクリートで均された地面と、幾つかの建造物を残して計画途中で資金が底を尽き、まともに形になったホテルでさえ、海外のファンドに二束三文で買い叩かれた。
尤も、その大富豪がある海外の裏組織から『いずれここには新幹線の駅が作られる』などと言った誤った情報を掴まされ、斡旋されたスポンサーには計画途中で軒並み資金を引き揚げられた挙句、残った廃墟同然のそれらの土地を恐喝とも取れる取引で買い叩かれたなどという話は、公には知られていない。
そのホテルの正面玄関の前、ドーナツの箱とコーヒーを傍らに駐車場の縁石に座る青年がいた。
大きく欠伸をし、右手の腕時計を見て、また大きく欠伸を一つする。
つまらなさそうにドーナツを齧り、縁石のヘリに置いたカップからコーヒーを啜る。
懐から文庫本を取り出し、数ページめくり、目頭をもんで肩をすくめる。
それから空をしばらく眺め、思い出したかのように大きく欠伸をし、右手の腕時計を眺める。
もう1時間も青年はその一連の動作を繰り返していた。
「…………いちじかーん」
誰に聞かせるでもなく、青年が空に向かってつぶやく。
そして、青年が大きな欠伸をし、右手の腕時計に目をやろうとした、ちょうどその時。
冷たい風に運ばれて、遠くから微かに風切り音が聞こえてきた。
普段では気にも留めないような小さな音ではあるが、周りを深い森に囲まれたこの場所では、いやでも耳につく。
青年が手に持ったドーナツを口にくわえながら、音の方向に目を向けると、小さな黒い点が徐々に大きくなってくるのが見えた。
最初はその小ささが故に気が付くことはなかったが、しかし。
その黒い点が豆粒大の大きさからソフトボールほどの大きさになって初めて、その異様さに気付く。
ヘリコプターだ。それもテレビ局などが中継に回すようなヘリとは比べものにならないほど速い。
それは青年の上空、300メートルほどの高さで制止すると、地上に向けて何かを落とした。
青年が目を凝らすと、それは背負っているリュックのようなものから花火の様に鮮やかな色をしたパラシュートを開き、青年が突然の出来事にただただ呆然としている間に、華麗な受け身を取って青年のちょうど真正面に降り立った。
そして優雅なしぐさで背負っていたパラシュートを駐車場に下すと、二、三度スカートを叩いてから恥じらうようにはにかんだ。
「申し訳ありません。開始時刻の変更のお手紙が届いたのが、その手紙で指定されていた開始時刻の30分後だったものですから、やむなくこのようなはしたない方法を取らせていただきました」
そういうと彼女は、スカートのすそをつまんで優雅にお辞儀をした。
「ご機嫌麗しゅう、わたくしは白鷺かふら(シラサギ カフラ)と申します。以後お見知りおきを……」
刃物のように鋭利な光を帯びた銀髪を二つに結わえ、夜のように暗いセーラー服を着た彼女『白鷺かふら』は艶やかにほほ笑んだ。
刹那、青年はその佇まいに心を奪われていたことに気付いた。
軽く咳払いをし、青年は自らの目的を意識の中に取り戻す。
「えー、と。流石に失格にはしないけど、どんな理由があろうと遅刻は遅刻だからね。この場合自分の不運とのろまな配達員を恨むといいよ」
「それはありがとうございます。ところで、あなたが今回の対戦相手の……」
「え!? いや違う違う、僕はしがない立会人、いわば裏方さ」
彼女の瞳の奥に浮かぶ怪しい光に気付き、青年は思わず大きな声で否定する。
理屈ではなく本能で、彼は目の前の成人もしていないであろう少女に警戒心を抱いていた。
まるで食虫植物のように、一度捉えられたら離れられないような。
暴力的な魅力のようなものが、彼女にはあった。
「それは残念……ところであなたのお名前は?」
「ドーナツ食べ夫…………」
「……………………………」
「…………偽名だよ」
「…………まあいいでしょう」
名乗りたくない一心で吐いた名前は、論外を通り越してギャグの域に到達していたが、幸いにも彼女はそれ以上の詮索を諦めた。
「それで、食べ夫さん。肝心の対戦相手『滕翦瑜(テン・ジャンユ)』様はどこにいるのかしら?」
青年は内心大きく安堵の息を吐いた。
とりあえず、これからは命令通りに言われたことを言えばいい。
「えー、と。それも含めて、今回の対戦内容、説明します。今回二人……といっても一人はすでにゲームを開始してるけど……にやってもらうゲームは『おにごっこ』です」
「『おにごっこ』……というのは、あの有名な遊びのことかしら?」
「まあ、あのおにごっこと相違ないモノと思ってもらって大丈夫。ルールは単純、一人は鬼となって他の人を追いかけ、相手の体に触れたら鬼の権利が移る。カウントするのは生身と生身の接触のみで、スタンドや衣類の上からの接触はカウントしない。鬼の権利が移って五分間は権利の移動は発生しない……まあ仕切り直しってことだね。勝利条件は制限時間が過ぎた時に鬼ではないこと。あ、あとフィールドはこのホテルの敷地内のみ。これより外に出た場合強制的に失格とします。えー、本来なら開始時刻に二人の中からランダムで鬼を決めることになってたんだけど…………」
そういうと青年は言葉を濁してかふらの方をチラチラとみる。
「遅刻のペナルティーとして、私の鬼番からスタート、制限時間は遅れた分の延長無し。つまりこういうことですわね?」
「いやぁ、ハハハ。理解が早くて助かります。えー、本来この『おにごっこ』の制限時間は三時間を想定していたので、残り二時間、それでは頑張ってくださいねー」
苦笑いを顔に張り付けながら、青年は逃げるようにその場を後にした。
しかし、それはかふらの事を恐れて……というだけではなく。
もうひとりの対戦相手、ジャンユのその能力ゆえでもあった。
(まあ、彼女…………白鷺かふら、だったか。もしこれが正当なトーナメントだったら結構いい線までいってたかもしれないけれど……)
(うちの隊長の『ムーン44』の『実験』が始まったが最期、死んで終わればまだマシかもね)
豪奢なシャンデリアが煌々とエントランスホールを照らす。
草原の様に厚く、深さのあるペルシャ絨毯には高級そうな光沢を放つ皮制のソファーや、巧みな意匠の施されたテーブルクロスに包まれたテーブルが置かれ、すぐそばにはちょっとしたカフェも備え付けられている。
だが、その煌びやかな内装とは相反して、無人のホテルの中は張りつめた沈黙で包まれていた。
そのエントランスホールの入口付近で立ち止まり、かふらは高鳴る胸を落ち着かせるために大きく深呼吸をする。
このトーナメントに、なんらかの不平等な介入があることなどかふらはとっくに看破していた。
第二回戦に遅刻させられるように仕組まれた手紙と、誂えたかのようなルール。
だが、かふらの抱いた感情は、怒りでも、悲しみでもなかった。
(ああ……スタンド能力だけでなく、このトーナメントを動かす『権力』までお持ちとは、一体どれほど強かな殿方なのでしょう……なんとしても、そのお顔を拝見したいものですわ……!)
興奮で震える自らの体を鎮めるように、かふらは強く自身を抱きしめる。
(ですが、先走ってはいけません……これほどまでに慎重な殿方、必ずそこかしこに罠を仕掛けているに違いありません……)
駆け出したくなる己の衝動を抑えて、かふらは五感を研ぎ澄ませ、一歩一歩絨毯を踏みしめる。
と、かふらはペルシャ絨毯の模様の間に、なにか白いモノが蠢くのを捉えた。
『キューン…………』
かふらは自身のスタンド『ティン・エンジェル』を絨毯の上に発現させた。
クリオネのように透き通った小さな天使は、毛深い絨毯の繊維、その一本一本に『癒着性』を与える。
絨毯と癒着し、身動きの取れなくなったソレをかふらが覗き込むと、それは白い一匹のネズミだった。
普通なら、無人のホテルにネズミがいた所で、何の疑問も持たないところではあるが、幼いころから『白鷺家』の跡取りとして英才教育を受けてきたかふらの知識は、そのネズミに違和感を覚えさせる。
(このネズミ、この季節のモノにしてはずいぶんと体毛が薄い……それによく見れば手足が妙に綺麗ですわね、まるで誰かに『洗浄』されたみたいに……つまりこれは野生のモノではなく、誰かが意図的に持ち込んだもの…………だとすればあるいはこの実験用のマウスがジャンユ様の能力の理解の助けになるかもしれませんわね…………)
だが、時として知識があることが悪い方向に働くこともある。
もし、かふらが絨毯の上のマウスに意識を奪われていなければ、天井から微かな物音がすることに気付いただろう。
そして、さらに、天井に幾つも空けられた、不自然な穴にも。
絨毯の上のマウスを覗き込むかふらは、首筋に何かが落ちてきたことに気付いた。
そして『まるでさっきからそうだったかのように自然な』暴力的な左胸の痛みと、急に高山の頂上に放り込まれたような息苦しさにも。
息が苦しい、冷たい汗が額に浮かぶ。
指先がドライアイスを詰めこまれたように痺れる。
視界が暗くぼやけて、睡魔がかふらの首を絞める。
膝がガクガクと震え立っていられず、かふらは絨毯の上に倒れこみそうになった。
(…………ありえませんわ)
(首筋に落ちてきたのは、恐らく絨毯の上にいるのと同じマウスでしょう)
(で、あるならば)
(このマウスの上に倒れこんで、マウスに触れるのだけは、ありえません!)
異常とも思える意志力で、かふらはなんとか足を支え、頭上を確認する。
天井には、明らかに人為的に空けられたであろう穴が等間隔に並んでいた。
痺れる手のひらに爪を思い切り食い込ませ、かふらは何とか冷静な思考を取り戻す。
(あの穴からマウスが落ちてきた……それはまず間違いない)
(そして、このマウスに触れると私の体にダメージがフィードバックするということも)
(私の『ティン・エンジェル』で天井裏に潜むマウスを全て『癒着させて』しまうのが恐らく一番の解決法でしょうが……しかし、隣接したモノ同士を癒着させる私のスタンドのスピードではあの天井まで能力をいきわたらせるには時間がかかりすぎる…………しかし……)
(…………ああ! 思考が曇る!)
冷静な思考を取り戻してなお、かふらの呼吸はおぼつかない。
頭に新鮮な酸素が供給されず、靄がかかったように思考は空回る。
(まず必要なのは、隠れる場所です……頭上からの攻撃に怯えずともよい場所……)
そして、かふらはエントランスホールにあるテーブルに気付く。
(あのテーブルのテーブルクロスの端を『癒着』してしまえば、マウスはそれ以上入ってこれないでしょう。そうすればあとは、天井にまで私の『ティン・エンジェル』の能力が浸透するまで待てばいい……!)
よろよろと、満身創痍でかふらは歩を進める。
何度も暗転しそうな意識を、血が滲むまで手のひらに爪を立てることで奮い立たせつつ。
最初の一匹を皮切りに、まるで雨が降るかのようにエントランスホールにはマウス達が落下し続けていた。
恐らく、予め閉じ込めておいたマウスをリモコンか何かで解放したのだろうと、かふらは意識の片隅でそんなことを思う。
(あと、十数歩……、なんとかあのテーブルの下に潜り込めれば…………!)
願うような気持ちでかふらは安全を確かめるために頭上を見上げた、だが。
ちょうどかふらの真上あたり、退路すら塞ぐように五つの白い影が穴から覗く。
だが、このような絶望の淵に立たされようと、かふらの胸の内の高鳴りは止むことはなかった。
(ああ……、ああ……! なんと苛烈で、なんと容赦のない攻撃なのでしょう! 私にそれほどまでの熱情を向けてくださるなんて、なんと素敵な殿方なのでしょう!)
(ああ…………あなたを愛してしまいそうですわ、ジャンユ様! あなたに会うまで、私も死ぬわけにはいきません……!)
かふらは決して諦めることなどない。
なぜなら、自らを死に追いやるその攻撃が、愛ゆえだと盲信しているからである。
殺意も、悪意も、害意も、敵意も。
全てが自らに向けられた熱情であると、そう信じてやまないがゆえに。
むしろ死地であればこそ、白鷺かふらという人間は燃え上がるのである。
かふらは懐に忍ばせた匕首を取り出すと、一瞬の躊躇いもなく、その刃先を自らの首筋に向けた。
そして、その刃先を下に勢いよく滑らせる。
かふらの纏っていたセーラー服が胸元から真っ直ぐに切り裂かれた。
そして、そのセーラー服の裾から素早く腕を引き抜くと、そのセーラー服の下に滑り込むように身をかがめ、襟をつかんで頭巾の様に頭にかぶり、渾身の力を込めて勢いよく踏み出した。
マウスが何匹も頭上から落ちてくるが、勢いよく脱がれたセーラー服に阻まれ、かふらの体に届くことなく一度弾んで絨毯の上に落ちる。
そして、渾身の力でかふらはテーブルクロスの中に自らの体を投げ込み、そして『ティン・エンジェル』の能力で端を絨毯と『癒着』させた。
…………だが、しかし。
かふらは勢い余ってセーラー服の下に来ていたシャツまで切り裂いていた。
無論、あの局面でそんなことを考慮し、少しでも動作が遅れていたら、何匹ものマウスに触れ、恐らく致命傷となるダメージを負っていだろう。
それ故に、かふらの上半身は上品な黒いブラジャーのみとなっている。
そして、そのむき出しとなったお腹の下に、かふらは確かに生物の拍動を感じていた。
確かに一度端を癒着してしまえば、テーブルクロスの中にマウスが入ってくることはないが。
元々、テーブルクロスの下にマウスが潜んでいれば話は別である。
ストン、と。
かふらの体を支えていた右腕に力が入らなくなり、かふらは絨毯に頭を強かにぶつけた。
現状を確認しようとかふらが体を起こそうとしても、頑なに右手は言うことを聞かない。
「あ、ああ…………!」
そして、かふらは自らが受けたダメージに気付く。
かふらの右ひじより先は、まるで手術で切り取ったかのように縫合跡を残して消え去っていた。
しかし、右腕を失ったかふらが思ったのは絶望ではなく。
受けたダメージが致命傷ではないという安堵であった。
『キューン……』
『ティン・エンジェル』の『癒着』の能力が天井にまで浸透する間、かふらはゆっくりと息を整える。
かふらは現状を悲観的には考えず、むしろこの状況を楽観的にとらえていた。
先ほど自らの腹で潰してしまったマウスの死体を左手の匕首で器用に解剖しながら、かふらは思考を組み立てていた。
(このマウスがテーブルの下にあったのはむしろ好都合だったかもしれませんわね……ジャンユ様の能力の正体は恐らく『状態の同期』、いや、この場合『状態の感染』と言った方が適切かもしれませんわね……)
(このマウスは、私と同じで右腕が途中から手術によって切り取られていた……もしやと思い腹を切り開いてみたら案の定、マウスの死体には右腕と同じように手術によって、いや、手術によるものと同じ『状態』で、左の肺が欠損していた…………もとからこのマウスが私の現状と同じく右腕と左肺が欠損していたとは考えにくい。ならば考えられる結論は一つ)
(最初のマウスに『左肺が欠損した』状態を感染させられた私を通して、この『右腕が欠損した』マウスに『左肺の欠損』が感染した…………これがジャンユ様の能力、であるならば、もしや…………いえ、これは今考えることではありませんわね……)
(状態を感染させることができるのは、おそらく『生物』から『生物』のみ……だからこそ一匹のマウスで私に致命傷を与えることは不可能だった…………しかし、今の私では話が変わってくる)
(もしも、『右肺が欠損した』状態になっているマウスに触れてしまえば。こんどこそ確実に、私は死に至ることでしょう)
(その上、左肺を切除され、数日しか経っていないという、本来であればリハビリが必要であろう状態を感染させられた私では、制限時間内でしらみつぶしにホテル内にいるジャンユ様を見つけるという行為は得策ではない…………ならば)
『ティン・エンジェル』の癒着が天井まで行き渡ったことを確認して、かふらはごそごそとテーブルの下からはい出した。
かふらがテーブルの下からはい出して、次に訪れたのは階段でもエレベーターでもなかく、洗面所だった。
マウスが物陰に潜んでいることを警戒し『ティン・エンジェル』を発動させつつ、かふらはゆっくりと洗面台に近づき、ゆっくりとしゃがみこんだ。
「洗面所にへたり込むような不潔な真似はしたくないのですが……仕方ありませんわね」
そう誰にともなくつぶやくと、かふらは洗面台の下の、むき出しになった冷たいパイプに自身の耳を強く押し付ける。
『キューン……キューン…………』
半透明の天使が音もなく発現し、かふらの耳にちょこんとその小さな手を置いた。
すると、徐々にかふらの形の整った耳がパイプに沈み込んでいく。
いや、正確には、まるで異なる絵具を混ぜ合わせているかのように、かふらの耳の肌色が染み出し、金属光沢を放つ銀色へと変化しだしていた。
____『ティン・エンジェル』の能力は『隣接した異なる二つのモノを癒着させる』能力であり。
そして『接着』ではなく、『癒着』であるということは。
その能力の本質は『異なる二つのモノを、一つにする』という能力である。
強く押し付けられたかふらの耳は金属のパイプと一つになり、かふらはそのホテルに張り巡らされた水道管を、まるで自身の『鼓膜』であるかのように扱ってホテル内の様子を聞き取っていた。
そして、かふらはホテルの最上階、地上10階で。
マウスのモノとは異なる拍動を確かに聞き取った。
かふらは能力を解除してパイプから耳を離すと、艶やかな笑みを浮かべた。
恋い焦がれた彼を見つけたように。
獲物を見つけた魔物のように。
「ああ…………ジャンユ様、今、お傍に参ります……っ!」
ジャンユはホテルの最上階で退屈そうに時計を一瞥し、大きく伸びをした。
指定された制限時間まであと15分を切り、ジャンユはほとんど勝利を確信していた。
(しかし、この時間になってもホテルの敷地外から出る『棄権』扱いにならなかったことを見ると、お相手さんはどうやら『コンボ』をくらって死んじゃったかね)
ジャンユの能力では、ある程度共通の要素を持つ相手同士でしか『状態の感染』を発動させることが出来ない。
例えば『無生物→無生物』であったり、『生物→生物』であったり。
同じ生物にしても、ハエと人間と言った、極端に体の構造が異なる生物同士での状態の感染は行われない。
そのため、マウスの死体に触れた相手に『死』を感染させることは不可能であるため、どうしてもマウスには『致命傷』を与えることが出来なかったということである。
ジャンユの言う『コンボ』というのは、例えば『右肺の欠損』と『左肺の欠損』を同時に食らうことであったり、『肺炎』と『エイズ』を同時に食らうことであったり、つまりは相手をそれ自体で致命傷たり得ない要素を同時に感染させることによって致命傷を与える『組み合わせ』である。
ジャンユはホテルの全フロアに、均等にこれらの『感染源』たりえるマウスを放していた。
(ま、確立としてはそんなに高くないし。本来のもくろみ通り四肢欠損と重病が重なってどこかのフロアで動けなくなってるくらいなもんでしょ)
ジャンユはあえて人を殺そうはしないが、それは優しさ故ではない。
長年の経験と習慣から無意識に、そうすることが一番『効率がいい』事を知っているからだ。
例えば、『ディザスター』が人間の被験体を村ひとつ分ほど欲しがったとする。
そういうとき、すぐに『感染源』を殺してしまえば、それ以上『感染』は広がることはない。
苦しみ、生き続ける人間こそが最も有効な『感染源』となるが故に。
人情ではなく、効率で。
人を殺すことを忌避するでもなく、歓喜するでもなく。
人間の死すら一種の『状態』と捉えているジャンユは殺人にすら興味がなかった。
退屈しのぎにテレビでも見ようとリモコンに手を伸ばしたジャンユは、ふと違和感に気付いた。
座っている椅子から立ち上がることが出来ないのだ。
まるで、何物かに『張り付けられた』かのように。
「ああ…………ようやく、ようやくお目にかかれましたね。ジャンユ様」
顔を上げると、窓の外、ベランダに半裸の少女の姿があった。
右腕は欠けており、胸には無残にも縫合跡が走っている。
だが、その欠損すらも妖しさに変えてしまうようなそんな不思議な魅力を持った少女。
その顔には、恍惚とした笑みが浮かんでいるが、瞳の奥に灯る光は暗く淀んでいるように見えた。
彼女はゆっくりと窓を開けると、部屋に入り、スカートの裾を摘まんで丁寧にお辞儀をした。
「ご機嫌麗しゅう、ジャンユ様。わたくしは白鷺かふらと申します。以後お見知りおきを……」
極度の疲労か、それとも興奮が故か。
異様に震える声色で、かふらはジャンユに名を名乗った。
その対戦相手を眺めながら、ジャンユは胸中で嘆息した。
仕掛けた罠は見事に掻い潜られ、自分はどうやらゲームに負けたようだと自嘲した。
あーあ、これで今回も…………
「おいおい参ったな。まさかあのマウスの中を抜けてここまでやってくるとはね……恐れ入ったよ」
「いいえ、ご期待に沿えないようで申し訳ないですけれど、私が通ったのは正規ルートではありませんから……」
うつむきながら頬を染め恥じらうかふら。
これが普通の場であれば可愛らしい仕草だとジャンユも思っただろうが、今この場所ではただただ異常だった。
「えーと、とすると君は一体どうやって…………」
「ああ……それは、もちろん。壁を伝って登って参りました」
事もなげにそう口にするかふらだったが、しかし語られた内容は想像を絶するモノだった。
外見から察するに、彼女は右腕と、おそらく臓器の欠損に『感染』している。
『ディザスター』から下りてきた情報によると、彼女の能力は『モノを貼り付ける』能力。
確かに壁を登るに適した能力に思えるが、所詮はパワーのない遠隔操作型のスタンドであり。
壁に貼り付く助けにはなっても、登る助けにはならないはずである。
「……するとだ。かふらちゃんはこの地上十階まで左手一本と両足だけで登ってきたってことか!?」
「ええ、途中で何度か意識を失いそうになりましたが……」
そういうと、かふらは艶やかな微笑みを浮かべて、ジャンユの目を覗き込んだ。
淀んだ瞳の奥に、狂気に燃える光が宿っていることに、ジャンユは気付いた。
「ジャンユ様に会うためだけに、力を振り絞ってここまで参りました」
(おいおい、聞いてねぇぜ。確かに『キレちゃってる』女の子とは聞いていたがよ…………)
ジャンユは背中に冷や汗をかくのを感じた。
一秒でも速く決着を着けないと、確実にまずいことが起こると彼の本能が知らせていた。
「やれやれ、敵わねえな。これ以上抵抗しても無駄そうだ…………」
胸中の動揺を隠しつつ、ジャンユは手筈通り、肩をすくめて彼女に手を差し出した。
まるで諦めたかのように、草臥れた笑みを顔に張り付けつつ。
「俺の負けだよ。ルール通り、タッチして終わりにしようや」
瞬間、ジャンユは全身の血液が凍りついたかのような錯覚を覚えた。
恥じらうような笑みを浮かべていたかふらが、その言葉を聞いた瞬間。
表情を全てはぎ取られたかのような、無機質な表情へと変貌したからだ。
先ほどからは想像もつかないような、冷たく、硬質な声色で、かふらは言った。
「ええ、タッチする前にあなたを殺して、それで終わりにいたしましょう」
「…………………………え?」
「ふふ、もう一度言いましょうか?」
口元に微笑みの残滓を浮かべて、彼女が嗤う。
その眼からは淀んだ熱情の光は完全に消えて。
代わりに暗く冷たい深海の底の泥のような瞳が、ジャンユを見据えていた。
「……おいおい、なんで殺す必要なんてあるんだよ!? なぁ! こんなもんただのゲームじゃねぇか! 命の駆け引きがあるわけでもねぇだろぉが!!」
「ふふ、おかしいですわね。たった今あなたは、私を殺そうとしたはずですのに」
「ッッ!!」
図星を突かれて言葉に詰まったところを、かふらが流れるように畳み掛ける。
「この試合は最初から出来レースだったことは理解していました…………そして、あなたの能力。生身同士の接触をトリガーとして相手に『状態を感染』させるこの能力に気付いたときに、私はある仮説にたどり着いたのです。『タッチは生身と生身の接触に限る』。このルール自体がすでに私を必殺の間合いへと引き寄せる罠なのではないかと…………しかし、これはあくまで仮説。ですが、もし『ジャンユ様が抵抗することなくタッチさせようとしたら』そのときは……」
ジャンユは思わず歯ぎしりをした。
必勝のはずのこのゲームを、目の前の少女に完全に見透かされている。
『ディザスター』の『実験部隊』隊長である彼は、自身を特注のウイルスに罹患させていた。
『ムーン44』の最大の弱点、その殺傷能力の『遅行性』をジャンユは当然理解していた。
しかし自身が『本人以外を確実に殺す』病魔に侵されているのであれば話は別である。
彼は『実験部隊』隊長の権限を最大限活用し、彼以外のDNA情報に反応し活性化するウイルスを生み出していた。
その『即効性』はまさに一瞬であり、一度『感染』させてしまえば、銃弾より速く人を殺す。
「ああ…………全く、残念ですわ。私の全てを奪おうとなさるなら、全身全霊を賭して向かってきてくださらないと……戦うことをしようとしない殿方には、一片の価値すらありません」
「…………『ムーン44』ッ!」
ジャンユはなりふり構わず自身のスタンドを発現させた。
いくら近接向けのスタンドとはいえ、かふらのスタンドは所詮パワーの無い遠隔操作型だ。
自身は椅子に張り付けられてはいるものの、かふらをスタンドの一撃で葬り去ってしまえればそんなことは問題にならない。そう見越しての奇襲だったが……
「ふふ、もう少し早くその熱情を見せていただければ、私の心も変わっていたかもしれませんわね」
気の利いた冗談を口にしたかのように、かふらが柔らかく笑う。
渾身の力を込めて打ち込んだ『ムーン44』の一撃はかふらに届くことはなく。
ヴィジョンがジャンユの体から離れることなく、拳は空を切ったのみだった。
「私の『ティン・エンジェル』の癒着は、スタンドパワーすら例外ではありませんから……」
ジャンユはかふらのその柔らかい微笑みに、初めて絶望した。
自身の死という現実が、初めて重みをもってジャンユを襲う。
(俺を殺せば『ディザスター』が黙ってないぞ!)
そう口にしようとしたジャンユだったが、しかし舌が口内から離れることはなく、ジャンユの口からは無様なうめき声が上がったのみだった。
何時しか瞼は降りることなく眼球に貼り付き、指の動きもおぼつかなくなってきていた。
思考は靄がかかったように曖昧になり、視界は白に染まりつつある。
どこか遠くの方から、かふらの声が聞こえてきた。
「ふふ、私の『ティン・エンジェル』の能力の本質は『異なる物を一つにすること』。床と椅子が、椅子とズボンが、ズボンと肌が一つになれば、次は肉体の内側ですわ。舌は口蓋に貼り付き、骨と骨は一つに繋がり、血流は滞る。そして最後には、体の中枢、心臓の弁がぴったりと癒着いたします。あとに残るのは人の形をした肉の塊のみ。ああ、ジャンユ様、もう私の声すら届いては…………」
そして、ジャン、ユ、は、、、
★★★ 勝者 ★★★
No.6754
【スタンド名】
ティン・エンジェル
【本体】
白鷺 かふら(シラサギ カフラ)
【能力】
接触する二つのモノを徐々に癒着させる
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最終更新:2022年04月17日 13:55