第13回トーナメント:予選②




No.5323
【スタンド名】
シュルツェ&グロッサー
【本体】
豆井 鳴(マメイ メイ)

【能力】
「バベルの塔」を体現する


No.6664
【スタンド名】
スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア
【本体】
アルベルト・シラード

【能力】
触れた所にシャッターを取り付ける




シュルツェ&グロッサー vs スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア

【STAGE:軍基地】◆Zb4sdv40uw





 真夜中の眠った大地を、舐めるようにスポットライトが照らす。
 真昼のようなその輝きに追われ、野生動物すらそこに近づくことは敵わない。
 灰色の建造物の合間を、時折迷彩柄の兵隊が行き来する。
 異様なまでに均された滑走路が月光を受け、濡れているかのような鈍い輝きを放つ。
 その軍基地は、周囲の何もかもを拒絶する怪物の相貌のようにも見えた。
 周囲を取り囲む鉄条網は体毛。
 外敵を睨み据えるように暴力的な輝きを放つスポットライトは眼球。
 整然と並んだ戦闘機の牙の隙間の滑走路は、涎でてらてらと光る灰色の舌だ。
 そして、その怪物の顔を見下ろす影が一つ。
 夜空に翼を広げ、その影はニヤリと口角を釣り上げる。

「ギヒ、ギヒ、ギヒ。始マリダ、始マリダ。愉快デ奇妙ナ、脱出ゲームノ始マリダ」

 耳障りな声が雲一つない満月の下に滲む。
 繰り返される、スタンド使い同士の戦い。
 ただ『トーナメント』と呼ばれる正体不明の催し。
 戦いの中からある者は何かを得て、ある者は何かを失う。
 その開戦の合図は、ただ満天の星空だけが聞いていた。


『O! say can you see by the dawn's early light,
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming……』

 時間を持て余し、思考が安易へと逃げ集中力が散漫になるとき、私は『星条旗』を口ずさむ。
 歌はいい。国歌を歌うと、国家は私の原点であることを再認識できる。
 だが、その陶酔を邪魔する無粋な金属音が扉の向こうから聞こえた。
 恐らく扉を携帯している小銃の銃座で殴る音。
 それと同時に、彼らの言葉で短く、叱責するような言葉が飛んだ。
 おおよそ「静かにしろ」。あるいは「次はない」程度のニュアンスだろうか。
 私は歌うことを止め、短くため息をついて檻越しにひび割れた壁を這う蜘蛛を眺めた。
 猫がようやく通れるような小窓から微かに星空が覗く。
 そのどこまでも続く夜空に、私は自分の束縛された現状を嫌でも思い出させられた。
 両腕を上げる。手首にかかる金属の輪に、ジャラリと音を立てて鎖が続く。
 幸い、私に架せられた拘束はこの手錠と、硬いマットレスと冷めた食事の用意されるこの檻だけ。
 暫定政権の要人との会談へ赴く途中に、クーデターを起こした軍部に襲撃されここに監禁されてから丸二日が過ぎていた。
 しかし、私に絶望などない。
 むしろ、自身が歯車として『平和』に貢献しているという確かな実感があった。
 なぜなら、この監禁自体が……

 ふと気付くと、にわかに外が騒々しくなっている。喧騒が近づいてくる。
 鎖が触れ合い立てるジャラジャラという音と、彼らの罵声と、そしてもう一つ聞きなれない言語で何かを叫ぶ…………少女?
 荒々しく扉が開かれると、数人の兵隊と後ろ手に手錠で拘束された少女とがなだれ込んできた。
 一人の兵隊が私の入っている檻の向かい側にある檻の扉を何かに追われるように開けると、二人の兵隊がまだ何かを叫んでいる少女をその中に勢いよく放り込む。
 少女が体勢を立て直すより早く、兵隊が檻を施錠し、もううんざりだと言った調子で部屋を出て行った。
 残されたのは、現状を必死で理解しようとしている私と、寝ころんだ体勢で鼻息荒く檻の扉を蹴飛ばしている少女。

「…………Oh、君、ジャパニーズかネ?」

 官僚組織の中で鍛えられた敵意のない笑顔を少女に向けつつ話しかけると、彼女は初めて私の存在に気付いたようだった。
 両手は体の後ろで拘束されているため、体のばねだけで勢いよく体を起こすと、小首を傾げてこちらの顔を覗き込む。
 大きな瞳、肩口ほどで大雑把に切りそろえられた髪、フードの付いたトレーナーと栗色のスカートは草臥れていたが、どちらも彼女に気持ちよく似合っていた。
 活発そうに動く瞳と、小柄な体を大袈裟に動かす仕草に、私は思わず野生のリスを連想した。


「……えと、日本語言った? あれ、れ? もしかして日本人……かな?」

 小動物のような彼女は一切表情を崩さず、好奇心に瞳を目いっぱい見開いてそう尋ねてきた。

(日本人といえば、愛想笑いと平身低頭というイメージがあったが……どうやら彼女はそういったモノとは無縁らしい)

 少女の反応に内心苦笑しながら、私は無害な笑顔を崩さず応える。

「No、私はアルベルト・シラード……アメリカ政府の、役人、デス」

 表向きはね、と私は心の中で言い訳をした。
 どのような状況にしろ、歳若い少女に嘘をつくなどあまり気分の良いものではない。
 だが、それと同時にこの少女は我々にとっては無視できない『イレギュラー』だ。
 内政が安定せず、雨より爆弾の降る日の方が多いようなこんな国にやってきて、しかも軍基地に監禁されるような状況に置かれた日本人の少女というのは、どう考えても妙だ。
 だが、少女の次の発言は、私の想像を超えて奇妙なものだった。

「ああ、あなたがシラードさん……今回の『対戦相手』なわけか」

 一瞬、私が日本語を正しく訳せていないのかと思い、私は思わず聞き直そうとした。
 だが私の疑問は、唐突に響く耳障りな声に遮られることとなる。

「…………君、今なんと」

「ギヒ、ギヒ、ギヒ。ソロイ踏ミ、対戦者ノソロイ踏ミダ。ソレジャコレカラ、ルール説明ダ」

 金属をひっかくような笑い声とともに、小窓から突如として二人の間に降り立ったそれは、毒々しいまでの極彩色をしたインコだった。
 焦点の合わない目玉をぎょろつかせ、不規則に首を傾げながらインコはなんと『日本語』で語りだす。

「ルール一、コレハ脱出ゲームダ。勝利ジョーケンハコノ軍基地ノ北ヘ50キロ、廃棄された『錆びた鉄塔』ニ先ニタドリ着クコト」

「ヘイ、ちょっと…………」

 言いかけて、そもそもこちら側からの声がインコに届いている筈もないと思い直す。
 あくまでこれは『再生』された音声であり『録音』した人物は別にいる。
 だとすれば、私の取るべき行動は、この怪しげなインコが語る情報を最後まで聞くことだろう。

「ルール二、特ニ無シ。以上。オ終イ。ギヒ、ギヒ、ギヒ」

 驚くほどの情報量の少なさだった。
 私はインコより少しばかり意思疎通が簡単そうな少女に、この不明瞭な状況の説明を求めようとした。
 はっきり言って私が満足いくほどの説明が得られるとは思えないが、先ほどの口ぶりから察するに彼女の方は何か含みがあってこの場所に来たはずだ。


「君、えーと………………」

「うわぁ…………アメリカ人だけじゃなくて鳥も日本語を話す時代かぁ……」

 『うわぁ……』はこちらのセリフだと言いたくなるような彼女の物言いだった。
 どうやらインコはこの天然と言う他ない少女と私にこの軍基地からの『脱出ゲーム』をさせたいらしいが、私はともかく、彼女がこの檻からすら脱出できるとは思えない。
 そもそも、例え脱出が可能だろうと私はここから動くわけにはいかないのだ。
 この『監禁』こそが、私の軍人としての『職務』なのだから。
 だが、それも所詮は優先事項の問題である。

「失礼ナ小娘、イヤ人間ノ牝メ。俺ヲ鳥ナンテ呼ブンジャアネェゼッ。コレデモ俺ハジョーチャンナンカヨリ十年ハ長ク生キテルンダカラナ。俺ハ由緒正シイ血統書付ノベニコンゴウインコノ『クライマックス』。今回ノトーナメントニオケル絶対ノ『立会鳥』ダ」

 目の前のインコが地団駄を踏みながら、どう考えても少女に『文句を言った』ように見えた。
 そして、彼(彼女?)の口から飛び出た『トーナメント』という単語。
 いくら私が常識人と言えど、現状が非常識であると理解するだけの頭の柔らかさはある。
 そして、これは掛け値なしの『非常事態』であるらしいと、私は遅れながらも断ずることにした。
 自然と口元が吊り上る。
 CIAの暗部、それも常人には『見えない』案件を扱う部署に努める友人から、この『トーナメント』に関する情報は聞きかじっていた。
 何でもこのトーナメントを勝ち進むとその人物の『願いが叶う』とか。
 普段ならとんだ陰謀論だと一笑に付しただろうが、そんな戯言を吐いた彼の苦虫を噛み潰したかのような顔がその情報の信ぴょう性を物語っていた。
 世界の警察を謳うアメリカ合衆国は極端に『知りたがり』だ。
 戦争を起こしてしまえば最期、地表を何度も灰燼に帰すことが可能な兵器を開発したその瞬間から、大国同士の戦場は『リアル』から『ヴァーチャル』へとシフトした。
 情報戦の時代、なりよりも強力な兵器は『情報』だ。
 そのアメリカの情報機関の一員をもってしてなお、眉唾モノの噂話しか語れないという異常。
 この『トーナメント』の、アメリカを凌駕する圧倒的な機密性。
 そして、その参加者として、私が今ここにいるという事実。
 CIAに勤める彼も、この状況を予期していたのかもしれない。
 あるいは、藁にもすがる思いで知り合いの『スタンド使い』を頼ったか。
 となれば祖国の為にも、この僥倖を逃す手はない。


 私が手に汗握るような緊張の中、素早く思考をめぐらせているのとは対照的に、目の前の少女はどこまでも天然だった。

「あ、はい。すいません。私は豆井鳴(まめいめい)です。歌手目指して、今はバックパッカーやってます。うん、それでクライマさん。一ついいかな?」

「オウ。質問カ。イイゼ。立会鳥ハ質問ヲ拒マズ、ダ」

 いや、天然というよりどんな状況でも『自然』でいる才能なのか。
 思惑がどうであれこの状況で先んじたのはこの『立会鳥』に質問を投げかけた彼女__豆井鳴だ。
 己の求める情報をいち早く入手した者が、戦いを有利に運ぶのは自明の理。
 私が心の中で鳴の強かさを密かに賞賛していると、彼女はくるりと後ろを向き、手錠に繋がれた両手をインコに向けて突き出す。

「これ、はずしてくれない?」

「イヤ、無理ダ」

 私は状況に流されて的外れな評価を下した自分を恥じた。

「あ、駄目かぁ」

「流石ニ翼ト嘴ジャア手ニ余ルゼ…………手ナンテ上等ナモンハ持ッテナイガナ、ギヒ、ギヒ、ギヒ」

「クライマックス……と言ったかナ? 私も一つ質問、いいかネ?」

 謎のバードジョークを繰り広げだしたインコに向けて私は声を上げる。
 するとインコは不機嫌そうに爪をカチカチとコンクリの床に打ち付けた。

「足ラナイナァ、足ラナイゼ。人間ハ鳥ニ対スル礼ガナッチャアイネェ。ベニコンゴウインコノ俺ガ逐一教エナキャアナラネェノカ」


「…………つまり?」

「自己紹介は~、人間関係の~……基本! …………だね」

 半分寝ころぶような姿勢で、足をパタパタさせながら鳴は歌うようにそう言った。
 認めたくないがこの状況、いち早く適応したのは彼女のようだった。
 確かバックパッカーをしている……と言ったか。
 彼女の適応力の一端もそこに有るのかもしれない、と私は頭の片隅に記憶しておく。

「それは、スミマセン…………エト、私の名前はアルベルト・シラード、アメリカ海兵隊武装偵察部隊所属の将官、デス。この軍基地へは作戦行動の為あえて監禁されていまシタ」

「あれ、言ってること違うくない?」

「ギヒ、ギヒ、ギヒ、知ッテルゼェ。シラード君、君ノ目的モ、ソノ作戦モ。マ、ダカラコソココヲステージニ選ンダンダカラナァ」

 それにしても実に高圧的な物言いをするインコだ、と私は奇妙に感心してしまった。
 海兵隊の中にも、えらそうな物腰が『様になる』類の人間がごく少数存在するが、このクライマックスという『立会鳥』は彼らを彷彿させる。
 それと同時に、彼らのバックに存在する巨大な諜報機関は海兵隊の機密作戦にまで触手を伸ばしているという事実……あるいはブラフ……をしっかりと脳内に刻み込むことも忘れない。

「ソレデ、質問、ダッタカナァ。イイゼ、立会鳥ハ親切ナンダ」

「助かる……この脱出ゲームに関して、君たち……つまり…………エー」

「運営~、かな?」

「ソウ、君たち運営サイドの協力は得られるのかネ?」

「モチロン、ダガアクマデ俺タチガ介入スルノハ『チェックポイント』カラ、ダガナ。ギヒ、ギヒ、ギヒ」

 この悪趣味な脱出ゲームの最中はあくまで生死を問わず、ということか。
 そして、そういうことならばこの戦いは。
 …………いや、もはやこの『脱出ゲーム』を戦いと呼ぶことすらふさわしくないかもしれない。

「…………そうか……ヤレヤレ、全く。オカゲで正しく『理解』できたヨ……」

「ソイツァヨカッタナァ。ソンジャマ、セイゼイ頑張ッテクレ。オ二人サン、ギヒ、ギヒ、ギヒ」


 皮肉めいた口調でそういうと『立会鳥』は入ってきた小窓から勢いよく飛び出した。
 頭を抱えて、深くため息をつく私を不思議そうに眺めながら、鳴は尋ねた。

「なんかすっごく疲れてるみたいだけど、大丈夫?」

「…………オカゲ様でね……それジャア、とりあえずは友好の握手と行こうカ。アァ、手は拘束されたままだったネ」

「え、握手? そりゃまあOKだけど、なんで?」

 どこまでも無邪気に、そして危機感無くそう尋ねる彼女に、私は増々気が重くなる。
 愚痴りたくなっても仕方がないだろう。何故なら、この『脱出ゲーム』は……。

「イヤ、なんたってこの『脱出ゲーム』の攻略にハ『協力プレイ』が欠かせないからネ」

 ガンッ! と、図ったかのようなタイミングで、扉が強く打ち鳴らされる。
 我々のお喋りに業を煮やした兵隊が扉の向こうから自国の言語で罵声めいたことを叫ぶ。
 私は肩をすくめて立ち上がると、私のスタンド『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』を発現する。
 スタンドの指先が手錠を透過し、内側から金具を外す。

「おぉ~、次! 次、私お願いします」

 拍手できればしていただろう。代わりに鳴は体をゆすって賞賛を表現していた。
 トストスとお尻を床に打ち付ける彼女を見て、私は何度目かのため息をつく。

「エート、君。もしかしてスタンドは使えないのかネ?」

「使えるには使えるけど……私のスタンドはちょっとスロースターターなんだよ!」

 なんでちょっと自慢げなんだろうか、と私は嘆息する。
 肘で彼女が指し示した箇所には、確かに先ほどまでは存在しなかった土くれが浮いていた。

「全く、世界は広いな。幾ら類稀なる才能だからと言って、『ただの土くれ』のスタンドなんて脆弱な代物が存在するとは…………、…………待て、これは?」

 私がある変化に気付いて彼女に目をやると、豆井鳴は幼い子供が新しいおもちゃを見せびらかすように、その土くれをふよふよと上下させる。


「私のスタンド『シュルツェ&グロッサー』の能力は『バベルの塔の物語の再現』。つまり、私のスタンドの周囲では『あらゆる意思疎通の手段』が統一される。つまりシラードさんがどれだけ拙い日本語を話そうとしても、それは自分の最も使い慣れた言語と同等の『統一言語』に集約されるってわけ」

 そう言っている間にも、彼女の眼前に浮かぶ土くれは少しずつまとまっていき、一つのレンガの形を成していく。

「…………なんか今、すごく頭のいいことを言ってる気がする!」

「その発言が全てを台無しにしていることになぜ気づかんのだろうね」

「おい、いい加減に静かにしろ! 銃殺刑に処されたいか貴様ら!」

 兵士が再び怒号を上げたのは、すでに我々二人が檻から出た後だった。
 小さい体を限界まで伸ばしている彼女の傍らのスタンドに目をやると、握りこぶし大の土くれに細かいレンガの壁の模様が刻まれているだけで、到底戦闘に役立つとは思えない。しばらくは私の『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』で何とかするしかないだろう。

「さて……鳴君、少し下がってくれ」

「おぉ、いよいよってわけだね!」

 私のスタンドを見世物か何かと勘違いしているのか、鳴は目を輝かせている。
 実に呑気なものだ。私は心の中でため息をついた。
 スタンドの名を呟き、私は傍らに『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』を発現させる。

「『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』……その能力は」

 胸に大きく『燃える放射能ハザードシンボル』の刻まれた筋肉質な人型が、無機質なコンクリートの天上に触れると、扉を取り囲むように三方から勢いよくシャッターが飛び出す。
 蛇腹にうねるその電話ボックス大の長方形、その端にある取っ手を掴むと、私は勢いよく押し開く。
 ガシャン、と景気よく音がして、シャッターは再び天井へと開かれた。

「ふゥ~、この通り『触れた個所にシャッターを発現させる』。そして」

 ガチャガチャと力任せに錠を開く音がして、閉ざされていた扉が勢いよく開く。
 小銃を構えて怒りに顔を歪めた兵隊は、手錠もなく、檻から出ている囚人たちを前に一瞬だが状況判断が遅れてしまった。
 兵隊が引き金に手をかけるより速く兵士の四方からシャッターが降り、兵士を即席の箱へと閉じ込める。
 くぐもった銃声がシャッターの中で響き、数瞬遅れて、兵隊のうめき声へと変わる。

「『閉じるのは一瞬』、ガシャン! お終いだ。やれやれ、こんな密閉空間で火器を使えば跳弾でただではすまないことは自明だろうに……」


 肩をすくめながら私がため息をつくと、鳴が感極まったかのように猛烈に拍手した。

「すごい! なんていうか…………カッコいいね! そのスタンド!」

「…………ナァ、鳴君。一応言っておくがここは敵地で、それも基地のど真ん中なんだよ? この監房が兵舎とは少し離れた場所にあり、武器庫やらに比べて警備も手薄だから良いが、それを加味しても本気で、いいか? マジでここから生きて出たかったら、その手の行為は自重すべきだ、わかったか?」

 噛んで含めるように一文字一文字丁寧にそう言うと、彼女は叩いていた手をバッ! と広げると、興奮冷めやらぬと言った調子で、勢い余ってか両腕で自身の肩を抱いた。
 本当にわかっているのか再度問い詰めたいところだが、あいにくと一秒でも時間が惜しい。

「さて、それじゃあ私は中の兵隊君に用があるから、もしここに兵隊が来るようであればシャッターを二度叩いて知らせてくれ。わかるか?」

「兵隊、来る。私、シャッター、二度、叩く。だね」

「…………あぁ、そうだ」

 先ほどから引き続いている頭痛がひどくなっているという事実を無視しようと努めながら、私はなんとか感情の温度を下げる努力をする。
 思い出すのは冷たい地下房と、原始的な叫び声、骨の折れる音、肉の裂ける感触、小便と汗の入り混じった臭い、白熱電球の微かなノイズ、すすり泣く声、光を失った双眸と、それに見つめられる絶対的恐怖としての、私。
 シャッターを押し開き中へと入り、その光景が少女の目に触れないように迅速に閉じる。
 恐慌状態となった兵の口をスタンドで塞ぎ、耳元に口を近づけて囁く。
 彼女のスタンド『シュルツェ&グロッサー』は実に便利なスタンドだと、私は口の端に皮肉めいた笑みを浮かべた。
 『言葉』さえ通じれば、人間から情報を抽出する作業はひどく簡単になる。

「時間が惜しいんだ。私が望むのは君と同じさ。生きてここから出ること、私の場合はそれは極めて困難だが、君の場合、困難が伴うかは君次第だ。拷問の訓練を思い出せ、そして想像の中で凝縮しろ。いいか? それじゃ、始めようか…………」

 彼の口から『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイアー』の手をゆっくりとどける。
 恐怖の形に強張った口の内側に金属の光沢。彼の口には、すでにシャッターを取り付けた。
 開いたまま塞がらない上、口呼吸すら出来ない自身の現状を彼が正しく理解していたかはわからないし、そんなことはどうでもいい。
 拷問に重要なのは、たった一つ。

「それじゃ、喋りたくなったら教えてくれ。もちろん口は聞けないだろうからそれ以外の方法でね。せいぜい命がけで、私に伝わる様に頼むよ」

 彼はその瞳を大きく見開き、何度もうなずく。
 そう、このたった一つさえ理解してくれれば、あとは何もいらない。
 つまりこの場において、誰が絶対なのか、だ。


「あ、お帰りシラードさん」

 マグカップほどの大きさにまで組み上がった自身のスタンドと戯れていた鳴は、シャッターの開く音に顔を上げて朗らかに笑った。
 彼と私の間で行われた非平和的な話し合いは、幸いなことに10分と掛からなかった。
 どうやら私のスタンド能力に対する彼の必死の理解が私にとって都合のいい方向へと向いたらしい。
 必死に指をしゃぶりながら死んだ母の名を呼ぶ彼には、どうかこれから先も強く生きてほしいと、まぁそう思う。

「いいニュースと悪いニュースがある、どちらから聞きたい?」

「えぇっと、先に悪いニュースを聞いておけばそれ以上気分が落ち込むことはないけど……でも、やっぱりいいニュースから聞いておいて、心の準備をした方が結果的には落ち込まずに…………」

「悪い、君に聞いた私が馬鹿だったよ」

 なんとなくサービス精神を出してテンプレートなアメリカ人を演じてみたものの、この手のノリはやはり双方の理解が必要なのだろう。
 それともジョークでも混ぜなければやっていけないような笑えない現状の方に問題があるのか。

「まずはいいニュースだが、彼の交代要員が来るには後30分ほど猶予がある。無線による定時連絡も無し、だそうだから私たちの脱獄がばれるには丸々30分かかるってことだな」

「それで、悪いニュースは?」

「あぁ、脱出経路についてだ。この監房自体は元々余っていた兵舎を改装したもので兵の数はごく少数だが……当然のことながら出入り口には常に複数人の見張りが常駐している。正面は流石に無理として、一番警備が手薄な裏口から、我々は逃走することになるわけだが…………」

「わけだが?」

「問題は逃走後だ。この軍基地はクーデターを起こした少数の軍部がそのまま駐屯しているために内側への警備にそれほど重きを置いていない代わりに、外側からの攻撃に対しては血眼になってそれを迎え撃とうとしている」

「それは、つまり?」

「据え付けられたスポットライトの数が馬鹿みたいに多い。恐らく上層部に神経をやられた馬鹿がいたんだろう。軍基地の外は真昼間みたいに四六時中煌々とライトで照らされているそうだ」

「なるほど、それで?」

「…………鳴君、君はホントに理解しているのか? …………ああやはり言わなくていい、頭が痛くなる。つまり、君が知っておくべきなのはこれだけだ。我々がここから脱出地点まで向かうには『煌々とたかれたスポットライトの中を全力で逃げる』か『煌々とたかれたスポットライトをすべて処理してから逃げる』かの二択ってわけだ。全く、鉄条網はぶっ壊せるが、あの数の光をどうしろと?」


 荒く息を吐き出して、両手を軽く肩まで上げて、なるべく気楽に絶望を表現する。
 私のスタンド『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』の専売特許はあくまで『生存すること』であり、それが今回の作戦で私がここにいる理由でもあるのだが、今回のように『脱出』を目的とする場合は勝手が違う。
 だが、彼女のリアクションは私が予想していたような悲観的なものではなかった。
 いや、むしろある意味では。
 予想通りになどならない、という意味では、私の予想通りだったのかもしれない。

「二択じゃ解けない問題があるなら、それは問題じゃないか、二択じゃないか。だね」

 肩をすくめて、彼女は笑う。
 どこまでも自然に、そして無邪気に。
 彼女は絶望したことがあるのだろうかと、ふと私はそんなことを思った。

「日本にはこんなことわざがあるんだよ、木を隠すには森の中、人を隠すには人の中……ってね!」

 そういうと彼女は人差し指を一つ立てた手を頬に添えて、威勢よくポーズを決めた。
 そして幼さの残る顔を精いっぱい凛々しく気取ると、やたら響く声でこう言った。

「例えばこの基地の人たちがみんなしてここから逃げようとしたら、二人くらい知らない顔が紛れてても気づかないんじゃないかな!」

 しかし、どうやって? などと聞くより速く、私の頭の中でめまぐるしく思考が回転する。
 この軍基地の現状、異常な数のスポットライト、そしてたった今聞いた思わず耳を疑うほどの薄っぺらな警備。
 理想を語るには向いていないが、誰かの描いた青写真を現実へと落としこむ類の思考は得意だ。
 おそらく典型的な官僚脳なのだろうと、微かに自嘲の念が湧き上がりもしたが。
 それ以上に、目の前の少女の発想に感謝した。

「……でも、一ついいかね?」

「え、何? 勢いで言ってはみたけど、やっぱりこのプラン厳しい?」

「いや、それは何とかなる。そうじゃなくて木を隠すなら…………ってやつだが」

「何? 初耳だった? ふふ、私も意外と博識なところがあったりするんだから……」

「それ初出は英国の小説だからな?」

 私の水を差す様な発言に、不服そうに頬を膨らます彼女の顔を見て自然とあざけるような笑顔が浮かぶほどに、私の絶望は彼方へと消え去っていた。


 アメリカ情報部は調査の結果、クーデターを起こした軍部が決して一枚岩ではないという結論を出していた。
 そもそも今回のクーデターはアメリカが前独裁政権を崩壊させ、自身の傀儡政権を樹立させる為に反政府組織に秘密裏に資金提供をしていた際に事を急ぐあまり、独裁政権下の軍部までも懐柔し、反旗を翻させて独裁政権の力を削ごうとしたことに端を発している。
 アメリカはあくまで個別に軍の将校たちを懐柔していたが、何時しか彼らが結託し、アメリカの資金援助と自身の軍事力を利用して反政府組織より先に既存の独裁政権を襲撃、大統領以下閣僚たちの身柄を拘束し、我らがこの国の指導者であるとの声明を発表した。
 だが、アメリカ合衆国は既に反政府組織側を暫定政権として条約の締結を済ませており、米軍と軍部は決定的な対立には至らず各地で小競り合いを続けていた。
 事態が硬直し、元々資金源を持たず電撃作戦でクーデターを実行に移した軍部は次第に疲弊し、内部抗争が表面化。結果として軍事力の大半が離脱し反政府組織側に流れていた。
 だが、依然クーデターの首謀者と目される将校とその部下たちが、大陸間弾道ミサイルの発射設備を備えた軍基地に配備され、自身がこの国の指導者であるとの声明を発表し続けていた。
 その最後の砦を潰す為に送り込まれたのが私、アルベルト・シラードである。
 アメリカの外交官が近々暫定政府と重要な会談を行うという誤情報を流すと、切迫していた軍部はその外交官の身柄をスパイ容疑で拘束、国外追放とすることにした。
 だが、ほかならぬアメリカからの通達で拘束したのは現役の海兵隊員と知らされたときの将官の驚愕は察するに余りある。
 ほんの一時しのぎのはずが、米軍に攻め入る口実を与えてしまったからである。
 この場合、取り得る方策は二つしかない。
 牙をむくか、牙を折るか。
 結果として徹底抗戦を選んだ将官は軍基地で籠城戦を決行、私は捕虜として甘んじて拘束を受け入れていた。
 だが、敗戦の将に付いていく兵は少ない。
 アメリカ情報部が予想していたよりずっと速く、兵たちは次々と戦線離脱していたらしい。
 その結果が、異様なまでに手薄な警備と、それに反比例するかのようにずらりと並んだスポットライトの列である。
 あれは外敵への怯えではなく、脱走兵達への威嚇の意味が込められていたのだ。

(そして、その程度の警備であればいかに私が鳴君というハンデを背負っていようと私の『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』の利点を活かせば充分にその網の目を掻い潜ることが可能だ)

 スタンドが隠密活動において最も有利に働く点は、言うまでもなくその不可視性にある。
 監房を出て、仄暗い廊下を足音を立てないように慎重に進む。
 彼女にはそのような技術は期待できないので、四足で進んでもらうことにした。

「年頃の乙女にハイハイしろって…………シラードさんってそういう方でしたか」

 きわめて不本意な誤解から彼女には氷点下の眼差しを向けられたが、匍匐と言い直すと彼女も納得したようだ。
 まあ、正直なところ完全に邪な思いがなかったとは言い切れない。
 無論性的な意味では決してなく、純粋に私には人をからかって面白がる傾向があるということだ。
 論理的に言いくるめて、合理的に不条理なことをさせる。
 そんなことだから未だに独身なのかもしれないと、私はこの緊迫した場に似つかわしくない感慨を抱いた。


(…………っと、いけないな)

 緊張の糸が緩みそうになった自分を律し、廊下の曲がり角で立ち止まる。

(『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』、その角の向こうをチェックしろ)

 私は音もなく自身のスタンドを発現させ、曲がり角をカバーさせる。
 スタンドと視覚共有が出来るということは、すなわち薄い壁や曲がり角の先程度であれば透視することが可能だということだ。
 拷問で聞きだした情報通り、二人の兵が警備に当たっている。
 そのうち一人が、私が隠れる曲がり角の方へと巡回してきた。
 私からは相手が見えているが、相手にはスタンドが見えない。
 対非スタンド使いとの戦いでは、不可視性が圧倒的ともいえるアドバンテージとなる。
 相手が私のスタンドの目と鼻の先に近づいて来ようが、彼らは決して気づくことはない。

(故に、こんなこともできる)

 『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』の手のひらが、兵士の顔を静かに覆う。
 兵士の瞼と、口と、鼻の穴とがシャッターで完全に閉鎖される。
 突如襲来した暗闇と窒息に恐慌状態となる兵士をスタンドで羽交い絞めにし、音もなく絞め落とす。
 私が壁を軽く叩いて音を出すと、もう一人の兵士もこちらへと近づいてきた。

「ん? どうかしたか? …………おい、返事くらいしろよ」

 あまりに無警戒に兵士が私の居る曲がり角へと近づいてくる。
 私のスタンドのヴィジョンと、やってきた彼とが重なった。
 彼の喉元に、透過させた『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』の手が触れる。
 おそらく彼には、自身の喉仏の内側辺りで小さくガシャンと何かが閉まる音が聞こえただろう。
 あまりの状況に叫び声を上げようとするが、肺からは一向に空気が上がってこない。
 人はやろうと思ったことが出来ないと、一瞬それを為す事で頭が一杯になってしまう。
 叫び声を上げようと必死で口をパクパクさせる彼の意識が飛ぶ前の最後の光景は、私が振り下ろした拳銃の銃床だったことだろう。


「こういうのなんていうか知ってる…………確か、スネーキング・ミッションだね」

 警備の配置を把握し、スタンドで万全を期す。
 フォース・リーコンで隠密活動の訓練を積まされてきた私にとっては、もはやこの軍基地など隣家の庭のように無防備な場所だ。
 あまりにもスムーズな行軍に、彼女は完全に緊張の糸が切れたのかそんなことを言い出した。

「それをいうなら『スニーキング』ミッションだろう、全く……日本人はゲームに毒されすぎる」

「え、シラードさんメタルギア知ってるの?」

「ああ、子供のころはソニーとニンテンドーの熱狂的なファンだったものさ…………あの作品は内容もさることながら、音楽も素晴らしい…………そういえば、君も音楽で身を立てるつもりだとか」

「うん! よければ一曲……」

「冗談でもやめてくれ。流石に壊れたラジオを担いでの隠密行動は私の手には余る」

「ちぇっ……そういえばシラードさん、音楽のいいところって知ってる?」

「ん? そりゃ安価で、無価値で、扇情的なところだ。人を動かすには実に都合のいい道具だよ」

 私のそんな軽薄な物言いに気を悪くしたのか、さらに何か言い返そうとする鳴だったが、私は手でそれを制す。

「到着だ。これから先は流石に私語は慎んでくれ、流石の彼も総本部の警備体制についてまでは教えてはくれなかったからね。さて、それじゃあ少し私に捕まっていてくれ」

「あれ、扉はこっちだよ?」

「馬鹿正直に正面から入る必要などないさ」

 私のスタンド『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』が壁面をなぞると、屋上からここまで伸びる梯子のように細長いシャッターが発現する。

「さっき言ったかな、私の『シャッター』は、開けるときは手動だが……」

 細長いシャッターをスルスルと一番上の部分まで引きずりおろし、その取っ手に手をかける。
 私が馬鹿丁寧に差し出した手を、彼女がいぶかしげな顔で握った。
 そのまま胸に抱き止めてから、『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』は思い切りシャッターを上へ上へと閉め上げた。
 私と彼女は、その勢いのままワイヤーアクションのように素早く屋上まで持ち上げられる。
 ストン、と屋上に降り立つと、彼女はジェットコースターに乗った後のように興奮冷めやらぬ顔をしていた。

「閉めるときは、ガシャン! 一瞬だ。ご満足いただけたかね?」


 司令官室のある参謀本部の建物は、明らかに他の建物とは異なる堅牢な面持ちをしていた。
 電子ロック付きの扉に、窓の少ない構造。
 しかし、ここを突破しなければ、あの光の壁は越えることは出来ない。

(皮肉な話だ……軍基地の中枢へ潜り込むことが、唯一の『逃走経路』とはな)

 だが、こういった所には場所柄、緊急用の警報を鳴らすために、それぞれ兵隊が持つ無線機のマスターともいえる機材が存在しているはずだ。
 幸いこの軍基地には毒性の強いジェット燃料を使用したミサイル、お世辞にも管理が万全とは言えない武器庫など事故の起こり得る要因は無数にある。
 時刻は深夜、疲弊しきった兵たちはおそらく、警報の誤作動や侵入者の存在まで鑑みて冷静に行動を起こすことは出来ないだろう。
 その混乱に乗じることさえできれば、逃走計画は現実味のあるものとなる。

 屋上の扉は当然の事ながら電子ロックで封鎖されてはいたが、幸運なことに排気ダクトにまで警戒の網は張り巡らされてはいなかった。
 スタンドの顔を外へと出して周囲の状況を把握しながら、埃まみれでダクトを進む。

(…………よし、ここだ)

 『司令官室』とネームプレートのかかった部屋を見つけた私は、ひとまず降りて状況を確認しようと、後ろをついてくる彼女にハンドサインを送った。
 もちろん、彼女が海兵隊式のハンドサインを理解できるはずもなく、彼女は親切にも困ったような笑顔を浮かべて小さく手を振りかえしてくれた。

「私が様子を見てくるから、君は合図を出すまでここにいてくれ」

「あっ、なるほど了解」

 換気ダクトを押し開けて音を立てずに廊下へと着地した。
 ひとまずは安全を確保しようと、廊下の曲がり角へと向かおうとすると背後から何か聞こえた。
 幾度となく聞いたその音を、私が聞き間違えるはずもない。
 銃を構えて、引き金に手をかけるときの、微かな金属の触れ合う音。
 後ろに向き直るより早く、私はスタンドを発現させ、その拳を壁へと叩き付ける。
 向き直った私は、シャッターが閉まる様子をひどくゆっくりと知覚した。
 兵士の両足は柔らかく開かれ、半身を標的の方向へと向けられている。
 バッドストックはしっかりと方へとあてがわれ、左手は重心へと添える。
 いい構えだ。これでは間に合わない。素直にそう思った。
 これなら外すべくもないだろう。
 せめて死に際まで見届けようと目を見開いた私の瞳に飛び込んできたのは、しかし自身の鮮血などではなかった。
 私が天井から振り下ろされたレンガ造りの拳を視認したのと、兵士の体がぐしゃりと壁に叩き付けられたことに気付いたのはほとんど同時。
 まさに、一瞬の出来事だった。
 私がしばし呆けているうちに、鳴が恐る恐るといった風にダクトから降りようとして、着地に失敗して尻餅をついていた。
 その傍らに浮かぶ彼女のスタンド『シュルツェ&グロッサー』はすでに上半身まで完全に発現していた。
 石造りのでありながら、どこか筋肉が脈打つような奇妙な生命力を感じる。
 一見鈍重そうなこのスタンドの外見に、私は完全に誤解していた。


(『シュルツェ&グロッサー』人類の英知を結集して生み出された塔を模したスタンド…………か。やれやれ、スロースターターとの物言いは伊達ではなかったようだな。今まで私が見たどんなスタンドより速く、強い。恐らく私の『シェルター』でさえ、完全に防ぎきることは不可能だろう)

(…………もし、ここを無事脱出できたとして、私は彼女に勝てるのか?)

 この軍基地を利用した『脱出ゲーム』は、どちらかが一度見つかってしまえば警戒態勢を強化されてしまう都合上『協力プレイ』を余儀なくされる。
 私はここを脱出しても、彼女に戦闘力で引けを取ることがないという確信があったからこそ彼女と協力してこの軍基地を脱出することに異論はなかったが、しかし恐らく、純粋なスタンド同士の力勝負では私は彼女に敵わないだろうと、私の生存本能がそう告げていた。

「どうしたの、シラードさん。顔怖いよ?」

「…………いや、なんでもない」

 ともかく、今は一刻も早く逃げ延びることが重要だ。
 湧き上がる懸念を押し殺し、私は司令官室の扉を開くと。
 白髪の男の手に握られた拳銃の銃口が、私の額に狙いを定めていた。
 肩口にずらりと並んだ勲章が、彼がクーデターを起こした将官その人であると告げていた。


 動物から半歩はみ出たような人類の祖先が徒党を組んだ時、初めて『国家』と『文明』が生まれた。
 『国家』とは価値観を共にする仮初の家族だ。
 例えばそれは『平和』であり、『勝利』であり、『発展』であり。
 しかしそれも結局は単なる多数決でしかない。
 人間の個の力で世界の価値観が決まるなどありえない__あってはならない。
 だからこそ、世界最後の超大国であるアメリカ合衆国には拭いがたい魅力があるのだ。
 世界に対しての圧倒的発言力。
 その共同体に属しているだけで、自身の『価値観』が認められ、貢献しているような陶酔感。
 そう……『愛国心』は麻薬に近い。
 だからこそ……私__アルベルト・シラード__はアメリカ合衆国を愛する。
 政府の中枢に属し、国家の腐敗も悪意も知ってなお。
 私はアメリカ合衆国の掲げる『平和』という虚像に己を捧げるのだ。

「ククク、こんばんは。今宵は実に良い月が出ている。そう思わないかね?」

 ヒステリックに笑う彼の額には玉のような汗が浮かんでいる。
 全てを得ようとして、全てを失った男。
 自暴自棄になった人間が一番たちが悪いことを、私は長年の経験から知っていた。
 奥歯をきつく噛み締める。
 この距離では私のスタンドは届かないし、仮にシャッターを発現させても、引き金を弾く速度には間に合わないだろう。

「そう、実に。死ぬにはいい日だ。君も私を殺しに来たのかね? アルベルト・シラード。かの有名なフォース・リーコンに所属…………同じ少将でも雲泥の差だと、クク、君はそう思っているんだろうな」

 彼の問いは答えを求めるためのものではなく、ただ自分を慰めるためのものだった。
 今度は彼は鳴へと向き直り、その銃口を彼女の顔に向ける。

「そして、彼女。君は一体なんだ? すでに敗北したこの私の軍基地に潜り込み、抵抗し、拘束された。今となってはそれら全てが何か大いなる目的の為計画されていたものだったとしか思えん。そう、私が反旗を翻したかったのはまさにそれなんだ。君はこの国の現状を知っているかね?」

 憑りつかれたように笑顔を張り付けていた彼の顔が、憎悪に歪む。
 暗い熱を帯びた双眸は、どこに焦点が合っているのかすら定かではない。

「絶望、貧困、怠惰、暴力、疲弊、そして、無力感。君たち大国の人間には理解できないだろう。絶望の最中に生まれることの意味が。少数であるということはそれ自体が罪だ。貴様ら大国の法が我らを罪人にしたのだ。貴様らの存在が、我々を弱者へと落としたのだ。尤も、君たちには私が何を言っているのかすら理解できないだろうね。私と君たちの間では、意思の疎通すらすることが出来ない、私の苦痛の一端さえ、君たちには……」


「それは違うよ」

 涎をまき散らしながら、口を閉じることも忘れて叫び続けた男の口上を、凛とした声が断ち切った。
 自分が彼女の言葉を完ぺきに理解していることに気付いた男は、胸を強く突かれたようによろめいた。

「この世界のどこにでも苦痛はあるし、どの国の人々にも不満はあるし、どんな生き方をしようと困難はある。私にはあなたの苦痛を理解することなどできないし、あなたにも私の痛みを知ることは出来ない。だから笑うし、泣くし、叫ぶし、歌うんだ」

 力強く、繊細に、彼女は歌うように言葉を紡ぐ。
 いつしか私は、指一本動かしていない自分に気付いた。
 この歌は、明らかに彼女の普段話す言葉とは違う。
 『世界言語』に統一されてはいるが、この歌は日本語ではない。
 いや、もしかしたら、今聞かされているこれは、言語ですらないのかもしれない。

「互いの輪郭しか理解できない私たちだから、必死で声を寄せ合って、互いの鼓動を確かめ合って、一人じゃないと許し合うんだ。世界への憎しみや、恨みや、怒りを。正しいものだと認め合えるから、私たちは、自分が好きな自分でいられるんだ」

 男が自らの握る拳銃の重みに従って、ゆっくりと腕を下ろす。
 彼の双眸に宿っていた暗い光はいつしか消えて、ただ涙だけがその頬を伝っていた。

「あなたの世界に私も住んでいる。私の世界の中のあなたは、あなたが思うほど悪くない。綺麗ごとだと笑うかもしれないけれど、必死で世界を美しいと思い込もうとしているだけだから。閉じた世界の輪郭を合わせて、確かめ合うから忘れずに済むんだ。だから、一つだけエラそうなことも言わせてよ。あなたの痛みも苦しみも、それほど珍しいものじゃない」

 彼女の歌が終わると、男は糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
 隣で聞いていた私でさえも、奥歯がカチカチと鳴るのを止められなかった。
 私が感じていたのは、止めようもない陶酔感と、嫌悪感。
 心臓を直接抱きしめられているかのような容赦無く感情を揺さぶる彼女の歌声は、明らかに異様だった。

「君は…………一体…………?」

「…………これ『原初の歌』、っていうんだ。相手の気持ちとか、鼓動とデュエットするみたいに歌うの。私ね、小さいころは言葉っていうものを理解できなかったの。泣いたり、笑ったり、唸ったり、叫んだり、お父さんとお母さんは病院に連れて行ってくれたりもしたけど、全く治らなかった。でも、この能力を手に入れてからは、ちゃんと自分の言いたいことが通じるようにもなったし、日本語も苦手だけど話せるようになった」


 恐らく彼女がしたのは、言葉になる以前の純粋な『叫び』を、スタンドを介して直接意味として相手の精神へ叩き込むこと。
 それが相手の鼓動や感情さえ汲み取る彼女の異常な感応能力とあいまって一種の強力な睡眠音声となったのだろう、しかし…………。

「だからね、シラードさん。私は歌手になりたいんだ。そうすれば、もっといろんな人と分かり合えると思うから」

 恐らく、彼女は気付いていないのだろう。自分のやっていることの重大さと、その残虐性を。
 小刻みに震えながらうずくまっている男を目をやりながら、私は恐怖を感じた。

(人にとって、感情を切り開かれ外気にさらされるというのは、それ自体が拷問に近い。彼のように自分の感情を統御し生きようとしていた人間にとってはなおさらだ。確かに彼女の歌声で救われる人間もいるかもしれない。だが…………)

「鳴君、人は誰もが自分に正直に生きられるわけじゃあない」

「でも…………!」

「正しさに殺される人もいる。絵に描いた餅で飢えを満たしている人間の方がこの世界には多いのさ」

 不服そうに顔をしかめている彼女。
 生の感情を隠そうともしない少女は、私にとっては眩しすぎた。
 おそらく、人々が彼女から学ぶべきことは多いだろう。
 だが、私はどうしても彼女の歌という暴力を肯定することは出来なかった。

「さあ、仕上げだ。出来るだけで派手にやろう。喧騒が我々の味方だ」

 私はまだ小刻みに震えている彼をまたいで、彼の机へと向かう。
 引き出しには鍵がかかっていたものの、木製の机程度なら私のスタンドでも十分に破壊可能だ。
 取り出したのは、緊急用の無線コード。
 有事の際に兵隊たちへいち早く緊急を伝えるための、いわば警報。

(…………緊急コード804、揮発性の高いジェット燃料の漏洩が発生、か。おあつらえ向きじゃあないか)

 もし兵隊に見とがめられた場合、このコードであれば火器の使用を躊躇させることが出来るだろう。
 私がコードを入力すると、施設内のスピーカーが一斉に叫びだした。
 焦燥感を煽るBGMの中、私と彼女は狂った人生の中に一人取り残された男を置いて、その部屋を後にする。


 軍用ジープが未舗装の大地を踏みしめる。
 脱出は酷く呆気なく成功した。
 鹵獲した軍基地といアウェーの環境下での緊急事態ということに加え、フラストレーションの溜まっていた兵士たちが今が好機とばかりに集団脱走を企てたらしい。
 その上、自分たちの最高司令官は精神が崩壊し使い物にならず、有事の指揮系統すら整わないままに誰もが命令を待って硬直状態に陥っていたようだ。
 結果蜘蛛の子を散らすように地平線の彼方へとエンジンをふかした脱走兵たちに紛れて軍基地を脱出した我々を妨害するモノなどいなかったということだ。
 そして、いよいよ決着の時が迫っていた。
 幾らこれが協力プレイ前提の『脱出ゲーム』とはいえ、本来私と彼女は敵同士なのだ。
 そして、勝利条件は先に『錆びた鉄塔』に辿り着くこと。
 つまり、ここからが本当の闘いなのだ。

(ある意味では、これこそが運営の予想した着地点だったのかもしれないな)

 全ては発現してから完全に形を成すまでにかなりの時間を要する豆井鳴のスタンド『シュルツェ&グロッサー』と私のスタンド『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア』を万全の状況で戦わせるための伏線だったのかもしれない。
 そして『錆びた鉄塔』まであと一キロ程度に迫り、私と彼女の間合いは運転席と後部座席の距離だ。
 確かにカタログスペックだけで見れば、私のスタンドではパワーもスピードも彼女のスタンドに及ばない。
 だが私は曲がりなりにも軍人だ。
 対スタンド使いとの戦い方にも、幾許かの心得はあった。
 鉄塔が徐々に近づいてくる。
 戦うとしたらこの辺りが妥当だろう。
 私は小さく息を吸い、集中力を戦いへと研ぎ澄まし、後部座席に座っているはずの少女を振り返る。
 と、私は目にした光景に、思わず間抜けな声を上げてしまった。

「はぃ!? …………いやいや、なるほど。道理で鳴君が道中静かなわけだ」

 後部座席で小さく寝息を立てる彼女の姿に、私は天を仰ぐ。
 この年の少女が、死と隣り合わせの大脱出をして見せたのだ。
 そんな風には見えなかったが、疲れがたまっていたのだろう。
 当然、完全に人型を成していた彼女のスタンドの姿はどこにも見えない。
 本来ならば血で血を洗う最終決戦の場となるはずだった鉄塔までの道のりを一人で歩くこととなった私は、小さく『星条旗』を口ずさみながら、ささやかな勝利への凱旋を遂げた。

『O! say can you see by the dawn's early light,
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming……』

 豆井鳴のように自分に正直に生きることなどできないが、私はせめてこの『愛国心』だけには背かずに生きようと、白み始めた東の空に誓うことにしたのだった。


「…………んむぅ、あれ?」

「やあ、眼が覚めたかね」

「あー、シラードさん。あー…………あ! トーナメント!」

「ああ、それね。残念ながら戦わずして私の勝利だ。君は自分の睡眠欲に負けたのだよ」

「ちくしょお…………夜更かしできない自分が憎い」

「ハハハ、さて、もうしばらくで迎えが来るそうだよ。トーナメントの運営が君を家まで送り届けるそうだ」

「家かあ……しばらく帰ってないなぁ…………」

「そういえば、君、一体全体どうしてこんなトーナメントに参加しようと思ったのかね?」

「ああ、それはもちろん。興味だよ。空港で誘われたんでホイホイ着いてきちゃった。バックパッカーの原動力はそれに尽きるからね」

「それは…………なんというか、たくましいな。君は」

「へへ、いつか世界中全ての国で路上ライブをするのが、私の夢だからね! そうだ、せっかくだからシラードさん、私の歌を聴いてよ!」

「いや、それは断固辞退する」

「なんで!? 音楽嫌い?」

「いや、音楽は好きだがこの年で廃人にはなりたくないからね」

「やだなぁ、『原初の歌』じゃあないよ、あれは私の切り札みたいなもんだから」

「…………それじゃ、お願いしようかな」

「やった! …………あ、そうそう、そうだよ! これが音楽のいいところなんだよ!」

「えーと、つまり?」

「分かんないかなぁ…………音楽があれば、世界中のだれとでも心が繋がれるってこと! その証拠に、シラードさんと私は、もうとっくの昔に友達だからね!」

 ただ『トーナメント』と呼ばれる正体不明の催し。
 戦いの中からある者は何かを得て、ある者は何かを失う。
 だが、敗者とて何かを失うばかりではない。
 この日超大国と言う強大な力に心酔する軍人と、危ういまでに純粋な少女との間に生まれたやや一方的な友情も、その一つと言えるのかもしれない。

★★★ 勝者 ★★★

No.6664
【スタンド名】
スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア
【本体】
アルベルト・シラード

【能力】
触れた所にシャッターを取り付ける








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最終更新:2022年04月17日 14:21