第13回トーナメント:決勝①
No.6579
【スタンド名】
アルファベティカル26
【本体】
八重神 宝(ヤエガミ ホウ)
【能力】
アルファベットが繋がって『単語』になったものに変化する
No.6597
【スタンド名】
ハレルヤ・ハリケーン
【本体】
卍山下 秋実(マンサンカ アキミ)
【能力】
触れた対象の「特性」を強化する
アルファベティカル26 vs ハレルヤ・ハリケーン
【STAGE:湿原】◆Zb4sdv40uw
「結論から申し上げますと、卍山下秋実(まんさんかあきみ)様は正規の出場者ではありません」
コンクリートの壁に一人分の声が響く。
壁と、机と、黒電話と、幽かなノイズを発する蛍光灯しかない無機質な部屋である。
立会人の間で通称『電話室』と呼ばれるビルの一室であり、緊急の際に『運営』と連絡を取ることの出来る数少ない手段の一つでもある。
「トーナメント初戦で出場者のマネージャーである付き添いの女性、社冬子(やしろふゆこ)様の言動が気に懸かり、初戦終了後に秘密裏に調査していたところ、出場者リストに改ざんの痕跡が発見されました……極めて巧妙に隠蔽されていましたが」
一切のレスポンスが帰ってこない電話口に向かって、努めて平静を装い淡々と報告を続ける立会人____濱修治(はま・しゅうじ)____はその袖口で静かに額を拭った。
脇の下に嫌な汗をかいているのを感じながら、修治は心の中で舌打ちをする。
(……しまった、『極めて巧妙に隠蔽されていましたが』なんて付け加えるとは、まるでガキの言い訳じゃあないか)
稚拙な報告に嫌味さえ帰ってこない無言の電話が、逆に修治の焦燥を煽る。
「…………えー、それによると改ざんは外部ではなく内部から行われており、15時間前に首謀者と思われる人物が発覚しました。それに加え、出場者に度重なる脅迫行為を行っていたことも」
「今トーナメント決勝戦の立会人、リチャード・モイスチャー。試合では主に単純な武力による決着を好み、特に互いに死力を尽くしての死闘を好むため通称『血塵の(レッドミスト)モイスチャー』などと呼ばれている人物です。ただ…………」
電話口から顔を離し、不安に脈打つ動悸を悟られないように一つ深呼吸をする。
「その発覚は決勝戦の開始10分後であったため、私は独断で複数名の立会人と共にその決勝戦の中止、及び立会人リチャード・モイスチャーの粛清を断行すべく、可及的速やかに現場へと向かいました、が。しかし…………」
「ねぇ、秋実。やっぱり運転代わろうか?」
「むむむ……」
「ちょっと待って! ハイビームは止めなさい!! これじゃあ何も見えないでしょ!?」
「ああっ! 今変えようと思ったの!」
「分かったから前を向きなさい前を! …………ねぇ今看板見えた!」
「へぇぁ!? どこどこ!?」
「ああっ、もう通り過ぎた! ちょっと一旦Uターンして、看板に何かいてあるか読めなかったから」
「バ、バックですか!?」
「やっぱり一旦脇止めて! 歩いて見に行ったほうが早いわ!」
「ああっ、もう!! それにしても本当に!」
「「霧、深っ!!」」
ここは現地では時期になると強烈な濃霧が発生することで有名な湿地帯である。
自然保護地域に指定されており、日本の湿地では珍しい植物が自生していることから僅かながら遊歩道や休憩所などが設けられた自然公園となっている。
そして、今は濃霧真っ盛りの時期であり、手紙に記載された時刻が夜間であったこともあり道のりは非常に危険なドライブとなっていた。
兎も角、何とか入り口の看板を見つけることに成功し、見事トーナメントを勝ち抜いたアイドルとそのマネージャー、卍山下秋実と社冬子は最後の戦いへと歩を進める。
「それにしても冬子さん、結局最後まで着いて来ちゃうんだもんなぁ」
冬子の持つ懐中電灯の光の中を行く秋実が誰へともなくぼやく。
当然、それを聞きとがめた冬子がどこかたしなめるような口調で言葉を返した。
「当然でしょ、アイドルの面倒を見るのはマネージャーの本能なの。それに前回の戦いじゃあ、私がいたから勝てたようなものでしょ?」
「義務とかですらないんだ……そりゃあ、まぁ、そうだけど」
先刻の戦い……群集の中から互いを見つけるスタンド使い同士の『かくれんぼ』。
スタンドが見えない『非スタンド使い』である冬子の存在が、期せずして大きなアドバンテージとなり、勝負を決するに至った。
そのことには秋実も感謝しているし、事実冬子の存在自体に助けられている部分が大きいことも自覚している。が、しかし……
「…………なーんか腑に落ちないって顔してるわね。秋実」
詰問するように秋実に顔を近づける冬子。
その断定口調に、秋実は思わず苦笑してしまう。
(冬子さんと居るといつもそうだ、喋るつもりのないことまで喋らされちゃう)
「……だってさ、そりゃ冬子さんがいてくれるのは心強いよ? でもやっぱりスタンドを持ってるのは私だけなわけだし、冬子さんに万一のことがあったらって思うと…………」
「不安?」
「そう! 不安、なんだよね…………」
哀しそうに目を伏せる秋実を見ながら、冬子は思う。
アイドルという立場でありながら、またトーナメントという非日常の中でありながら、それでも尚、純粋な感情を保っていられる、自分らしさを失わないで居られることこそが、彼女の才能なんだろうと。
出会った当初はそんな彼女の無垢さを、無知ゆえだと思ったりもした冬子だったが、今ではそんな彼女を守るためなら何だってするという強い決意へと変わっていた。
「バカ、お互い様でしょ。不安なのは」
だから、せめてアイドルとしての彼女を手放さないように、冬子は何処までもしつこく着いていくことを心に決めていた。
「あなたがスタンド使いとして一般人の私を不安に思うのと同じように、私もマネージャーとして、いや、一人の人間としてあなたの身を案じているんだから。だから、私のことなんて気にしないで。これで最後なんだから、思い切ってやりなさい」
「…………そっか、そうだね! ありがとう冬子さん! それと、私だって一人の人間として冬子さんのことを心配してるんだから!」
どこまでも無邪気に笑う秋実と、照れた笑顔を隠そうとする冬子の二人は、闘争とはひどく遠いところに居るように思えた。
だが、死闘は、悪意は。
そんな彼女たちのすぐそばまで迫っていた。
音もなく、深まっていく霧に紛れて。
湿地帯をわたる細い木製の足場を渡っていくと懐中電灯の光が、霧越しにその木造の建造物を照らす。
四方と中央、五つの柱に屋根がかかり、その中央のお弁当を開けるような小さな机をぐるりと椅子と背もたれにもなる低い壁が囲む小規模な休憩所である。
その机の上に、見たことのあるデザインの封筒が置かれていた。
血で濡れた様なその表面が、血だまりのように懐中電灯の光を照り返す。
冬子は鳥肌が立つのを感じた。
「あ、あれが決勝戦の詳細かな?」
そう言って小走りで駆けていく秋実を、冬子は咄嗟に呼び止めようとした。
だが、その本能を、理性が押し留める。
呼び止めるタイミングは既に失っていた。
どのような脅迫があろうと、あの封筒が届いたその時点で止めるべきだったのだ。
分かりの良い大人の真似事などせず、本能にしたがって。
秋実が一切の逡巡なく封筒を開き、冬子にも聞こえるようにその内容を読み上げる。
「『卍山下秋実様へ。
第13回トーナメント、決勝進出おめでとうございます。
それではこの決勝戦の内容を説明させていただきます。
舞台はこの湿地帯全域、勝利条件は相手を戦闘不能にすること。
それ以外に特にルールはなく、また勝敗が決するまで立会人が干渉することはございません。
尚、制限時間は…………』」
見たことも無いような表情で、秋実が冬子を振り返った。
どうしたのよ、と彼女を安心させるために笑顔を浮かべようとしたが、胸に違和感を覚えて立っていられなくなった。
胸から、何かが致命的に破れる音がした。
ブラよりもう少し深く、その不可視の腕が無遠慮に突っ込まれる。
ゴボリ、と粘度のある赤い液体がスーツの隙間からあふれ出した。
「冬子さん!? ねぇ! 冬子さん!!」
駆け寄ってくる秋実の声が何処か遠く聞こえる。
霞んでいく冬子の視界に、秋実が取り落とした手紙の中身が映る。
(…………ああ、やっぱり。)
(最初からこんなところ、来るべきじゃなかったんだ…………)
無機質な文体で綴られた、その文章の末尾はこう締めくくられていた。
『尚、制限時間は付き添いの方の命が尽きるまで。
それではどうぞ最後まで、凄惨な死闘をお楽しみください』
秋実にはわけがわからなかった。
気がつけば冬子が胸から血を流して倒れている。
まだ何も始まっていないはずなのに、大切な人が死にそうになっている。
「ハレルヤ・ハリケーン!!」
ほとんど叫ぶように、彼女はスタンドの名を呼ぶ。
無意識のうちに腕の中の冬子に触れようとして、寸での所で思いとどまる。
(ハレルヤ・ハリケーンは特性を強化する…………でも、いま冬子さんに使ったらどうなる?)
ハレルヤ・ハリケーンの能力、その最大の弱点は『特性を選択できない』ことにある。
乗用車のような無生物に使っても『速く走る特性』というメリットと引き換えに『燃料を消費する特性』というデメリットを付加させることになった。
ましてや、生物のような複雑なモノに対して能力を行使すればどうなるだろう。
『治癒する特性』もまた強化することが出来たとして、『老いる特性』や『全身に血液を送る特性』などを付随して強化してしまえば、彼女の命を縮めるだけになるかもしれない。
もはや、秋実に戦うだけの心の余裕は残されていなかった。
「誰か、誰か助けて! 『降参』します! だから…………!」
秋実は、必死に霧の向こうにいるはずの誰かに向かって叫んだ。
だが、あまりにも深い霧の壁がその叫びを妨げ、乱反射し、意味の無い音へと歪めてしまう。
だが、その声を頼りに二人に近づく影が二つ。
水しぶきを上げながら、猛然と彼女らへと近づいていた。
「あ、あの、対戦者の方ですよね! 私はもう戦いません、だから………………!」
霧の中に突如現れた何者かへの、秋実の必死の懇願に、しかし帰ってきたのは丸太のような腕から繰り出される無慈悲な一撃。
腹に『BEAR』と印されたその黒い影が、与えられた命令がままにその腕を振り下ろした。
もう一人の対戦者、八重神宝(やえがみ ほう)は霧の中で息を潜めていた。
先刻の『近距離型スタンド』との戦い。変則的なルールであったからこそ勝利をつかめたものの、しかし真正面からのぶつかり合いでは勝ちの目は薄かっただろうと、宝はそう分析していた。
(私の『アルファベティカル26』は、応用力だけはたいしたものだと自負してるんだけどね……やっぱり近間での戦いとなるとどうしてもスタンド自体の脆さと、思考時間込みの遅さがネックになる……!)
アルファベティカル26は、確かに可能性こそ無限大ではあるものの、問題は『組みあがるまではなんの力も持たない』という致命的欠陥である。
発現し即攻撃、あるいは防御に移れる他のスタンドとは異なり、発現から単語として組みあがる行程を経て初めて有用な形を成す自身のスタンドでは、近距離での殴りあいは圧倒的に不利である。
初戦こそ瞬間的な発想で辛くも勝利をもぎ取ったものの、あれはあくまで偶然思いついたというレベルの問題に過ぎない薄氷の上の勝利である。
(だからこそ、私はアルファベティカル26のもう一つの強みを活かす!)
送られてきた手紙に記された対戦場所を見たとき、宝はその強みに賭ける事にした。
それは『戦闘をある程度アルファベティカル26に委任する』というものである。
アルファベティカル26により発現した生物は、基本的には本体の言うことに従う。
逆に言えば、それらの知性はあくまで『高度に調教された生物』というレベルであるということだ。
他のスタンドのように自分の手足のように動かすことは出来ないものの、それゆえにある程度自身で判断し、攻撃、防御が可能となる。
(幸い、私のスタンドの射程距離は10メートルや20メートルじゃあない! 『対戦相手を死なない程度に戦闘不能にする』って言っておいた熊さんたちの遥か彼方で一方的に攻撃を仕掛けることだって出来る!)
アルファベティカル26の群生型としての本体へのダメージのフィードバックが少ないという特性と、生物を生み出したときのみ適応される自立行動型のような特性、そしてこの濃霧の発生する湿地帯という環境が噛み合い、宝のこの戦法を可能としていた。
だが、あくまでこの戦法は戦闘の『委任』であり。
宝が後方から行えるのは、甚大なダメージを受けた場合の対応や、新たな命令を送ることのみである。
ゆえに、遥か彼方の戦場で進行していく悲劇的なすれ違いに、宝は気付くことはなかった。
宝にとって幸か不幸か、その身を隠す霧はより重く、より深くなっていく。
「ハレルヤ・ハリケーン!!」
秋実は咄嗟にスタンドを発現させて冬実を引きずり、自身はその一撃を身をよじってかわす。
振り下ろされた一撃は彼女たちの足場を叩き壊し、二人は湿地帯に投げ出される。
決して安くない衣服が泥にまみれる。
それでも尚、なりふり構わず秋実は叫ぶ。
「戦いをやめて下さい! 私はもう戦いません!」
秋実の悲痛な叫びが、獣の知性で理解できるはずも無く、続けざまに横なぎの一撃が秋実を襲う。
熊からすれば命を奪わないように手加減した一撃だったが、小柄な彼女の体を吹き飛ばすには十分な威力があった。
泥に頭から突っ込み、口の中に砂利と血の味を感じながら、それでも、まだ叫ぶ。
「もうやめて! お願いだから!」
涙混じりに叫ぶ彼女の背後に立つ影。
一抹の期待を抱いた秋実が振り向くと、額に『LION』と刻印されたライオンがその腕を振り上げていた。
咄嗟にスタンドで防御するも、受け止めきれない衝撃に秋実の体が泥の中を滑る。
体中どろどろになった彼女が何とか顔を上げると、二匹の野獣が冬子に群がるのが見えた。
『BEAR』と『LION』からすれば、彼女が戦闘不能かを確かめるための行動だったが。
それは結果的に、秋実を諦めさせることにつながった。
優しさを捨て去るという、哀しい諦めに。
(…………あぁ、そうか。これは戦いなんだ)
(『助けて』も、『やめて』も、ここには無いんだ………………)
立ち上がった彼女の肩に『ハレルヤ・ハリケーン』の手が置かれる。
今まで無意識に禁忌としていた『人間に対しての能力の行使』。
一切の選別無くあらゆる特性を強化するこの能力を発動し、果たして元の人間に戻れるのか彼女にはその確信が持てなかった。
それでも、彼女は祈った。
強く、何度も、繰り返し。
自分という個体が一つの目的のためのみに練磨され、それが特性と呼べる代物になるまで昇華されるように。
(勝ちたい、勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい生き残りたい死にたくない死なせたくないどんな風になっても良い冬子さんを助けるためなら取り戻すためならどんな代償だって背負うだからだからお願いハレルヤ・ハリケーン)
「私は絶対に『勝つ』んだッッ!!!!」
彼女の全身が、拍動するかのようにうねる。
あらゆる生物の目的は『生存』であり、そして肉体の特性はその苛烈な生存競争に『勝利』することに特化している。
今、生死を賭けた極限状況に追い詰められた彼女の『肉体』は『生存』への打開策を求め、思考さえ追い抜く彼女の『祈り』に呼応するかのように『勝利』と『生存』に向かうその特性が、耳を劈くほどの『賛美せよ』の大号令の中で極限まで強化され、作り変えられていく。
そのハレルヤの竜巻の中で、彼女の肉体は彼女を『生存へと勝利』させるために操舵者を置き去りにする暴走機関と化した。
一迅の風の如く、秋実が奔る。
二匹の野獣が水音に振り返るも、追いつかないほどのスピード。
『BEAR』の腹に深く秋実のつま先が突き刺さる。
だが、それほどの速度を加えても、野生の熊を倒すには彼女の体はあまりに『軽い』
よろめく『BEAR』の横から『LION』が秋実へと迫る。
叩き潰さんばかりの振り下ろされた右前足を体を捻ってかわすと、スタンドを傍らに発現させる。
「ハレルヤ・ハリケェェェン!!」
『ハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレ、ハレルヤァッ!!!!』
呼吸を必要としないスタンド特有の怒涛のラッシュだったが、しかし分厚い毛皮と筋肉を前に、百獣の王の体を押し返すだけに留まった。
やはり猛獣を相手にするには手持ちの武器では威力に欠ける。
致命に至る箇所を狙う必要がある。
そのために、何とか動きを止めなければ。
ならば、手持ちの道具を強化すればよい。
閃光のような淀みない思考の中でも、秋実は猛獣の攻撃をかわし、いなし、押し返していた。
『BEAR』の横なぎの一撃に合わせて体勢を深く沈ませて間合いを詰め、腕の内側に潜る秋実は下げていた小物入れの中からまだ割れていない『香水』を取り出し、能力を行使してから『BEAR』の鼻へと叩き付けた。
『香る』特性を極限まで強化されたそれは、嗅覚に頼る動物にとっては強力な刺激物と化す。
一瞬にして嗅覚に叩きつけられた未体験の衝撃に仰け反る『BEAR』の眼球を狙い、秋実は全体重を込めて貫手を突き出した。
指先が脳まで届く感覚とほぼ同時に『BEAR』の輪郭が霧に溶けたかのようにぼやけて、腹の『BEAR』の文字が取り残されたかのように宙に浮かぶ。
仰け反った顔へ飛び込むように貫手を放っていた秋実の体は支えを失い宙に投げ出された。
「熊さんがやられた…………なら!」
遥か後方で宝が『BEAR』へのダメージを感知した。
敵の正体は掴めないが、恐らく『BEAR』が倒された為、似た特性を持つ『LION』がやられるのも時間の問題と判断し、宝は『BEAR』と『LION』を組み替える。
「熊さんもライオンさんもダメなら…………蛇さんでどうだ!」
宙に投げ出された秋実を『LION』の一撃が襲う。
だが、スタンドを利用し空中で姿勢を変えることで直撃はさけ、衝撃を全て後方へ逃がして距離を取る。
香水を使った奇襲は成功した。
同じ方法で『LION』もやれるだろう。
だが、着水した秋実が目にしたのは先ほどの『BEAR』と同じように、輪郭を失い『LION』の文字だけ残して霧散した姿だった。
そして、宙に浮かんだ『B O A』が、組み合わさり『BOA』という単語を成す。
すると、その単語を中心に瞬く間に大蛇の姿が発現し、残りの文字を呑み込むと、霧の中へと姿を消した。
その一連の現象に、秋実はようやく敵の正体を理解する。
敵の能力は、現象を伴う『アナグラム』であると。
そして恐らく『同じ文字は一つのみ』の『アルファベット』。
ゆえに先ほどまでライオンと熊だった文字列が組み変わり『BOA』、つまり大蛇へと変化した。
さらに、発現した生物を倒しても相手にダメージは無く、無数にあるであろうアルファベットを叩くか、あるいは本体を直接叩くことでしかダメージは発生しない。
ただ生物自体を攻撃しても、その場で組み変わり再び襲い掛かってくる。
…………なら、逃走の意味は何だろう。
敵に本体を見つけられる時間を与えてしまう悪手ではないだろうか。
秋実は残った文字を思い出す。
『BEAR』に『LION』、『BOA』を使えば残りは『E R L I N』。
…………まずい。
考えがある可能性にたどり着くより数瞬速く、風を切る音が後方から聞こえた。
耳元を掠めるそれに、思わず秋実は大きく仰け反る。
飛翔してきたそれが再び霧の中に消えていく直前、秋実の動体視力はその白い球体に浮かぶ文字列を捕らえていた。
白球に刻印されたその文字列は『LINER』。
不可視の霧の中から、低弾道の打球が再び秋実に放たれようとしていた。
『LINER』の文字列を呑み込んだ『BOA』は恐らく索敵兼砲台の役目を果たしている。
無音の移動とピット器官による索敵能力はまさに砲台にうってつけだろう。
先ほど直撃しなかったのは運などではなく、未だにこの辺りを漂う香水の香りが狙いを誤らせたに過ぎないだろう。
つまり、二度目は無い。
この濃霧の中、顔や腹などを時速100キロを超える勢いで白球に狙われれば、軽傷ではすまないだろう。
それに加えて相手はひたすら、トライアンドエラーを繰り返していればいい。
状況を整理しおえ、秋実は迅速に判断を下す。
なるほど…………全く問題ない。
『勝利』のために練磨され『勝利』に囚われたその肉体が、湿原を物ともせずに駆け抜ける。
濃霧の中だろうと、一切迷うことなどありえない。
他ならぬ、大切な人の下へと向かって。
一切の予断無く彼女は走る。
その背中を、大蛇が冷たい双眸で狙い済まして、ゆっくりと口を開く。
香水の香りから遠ざかった彼女へと放つ白球に、狙いを外す要因などなかった。
「冬子さん…………」
秋実の口から彼女の名前が漏れる。
唇は青ざめ、血液は流れ出し続けてはいるが、まだ息はある。
この戦いに勝利すれば、きっと冬子さんは助かると。
根拠無くそう信じて、秋実は傍らの懐中電灯を手に取った。
「ハレルヤ・ハリケーン」
彼女の傍らに小さな小人が発現する。
無機質なその両手で懐中電灯を握り締めると、手の中のそれは小さく震えだしているかのように見えた。
背後から再び風を切る音。
後頭部に走る重たい衝撃に、彼女は大きくよろめいた。
が、倒れない。
通常ならばそく意識を奪われるその一撃も『生存』へと強化された秋実ならば一撃は耐えると踏んでいた。
そして、二撃目はもう無いと。
限界まで強化された懐中電灯を、秋実は天高くかざして、スイッチに手をかける。
「…………炸裂しろ」
ポツリと零れたその呟きを合図に、秋実はスイッチを入れる。
そして、閃光が霧を貫き、血で濡れた湿原を彼方まで照らす。
遥か後方で佇んでいた宝は、一瞬わけが分からなくなった。
真正面から大型車に追突されたような衝撃。
それが錯覚だと気付くような心理的余裕も無く、襲い掛かる衝撃に立ちすくむほか無かった。
今自分が目を開いているのか閉じているのかも分からないような錯乱状況に、宝は叩き込まれていた。
そして、圧倒的な光に立ちすくむ宝の後方の霧に、人型の影が大きく伸びる。
見つけた。
彼方で伸びる人型の影に向かって泥の飛沫を上げながら走る。
足元のぬかるんだ土壌に捕らえられるより速く前へ。
秋実の傍らを白球が掠める。
光の炸裂により二撃目の『LINER』は彼女の体を捉えることはなかった。
だが、宝へと一直線に走る彼女の傍らを抜けた『LINER』はそのまま宝の方向へと向かう。
バラバラになった『L I N E R』の文字は彼女の傍らに控えていた他の文字列と絡み合い、新たな形を成す。
宝は自身の背中に『WING』を発現させると、そのまま上空へと逃れようとした。
が、しかし宝は秋実の常人ならざる跳躍力を知らなかった。
全速力で駆ける勢いそのままに宙に浮かぶ宝へと飛び掛った秋実の、その異常な飛距離に宝の反応が一瞬遅れる。
その隙を秋実が見逃すはずも無く、両腕で宝の右足首をがっしり掴むと、その体勢のまま宝の体を大地へと叩き付けた。
「がっ………………は……」
二人分の体重ごと地面に叩きつけられた宝の体内から呼気が叩き出され『WING』の文字列がばらばらになり宙にさまよう。
このトーナメントの中で、宝が初めて受けたリアルな『痛み』は、彼女の思考から冷静さを奪った。
「ふっ…………ぅぅ……」
先ほどの衝撃で声も出せない状況の中、宝は必死でスタンドを動かして応戦しようとするが『アルファベティカル26』は羽虫のように秋実の周囲を浮遊するのみで、形を成すには至らなかった。
その文字の渦の中、秋実が無表情に宝の首を掴んで引きずり起こす。
限界まで強化し、加速された秋実の思考の中に、目の前の敵が少女であるなどといった瑣末な配慮は残されていなかった。
体をよじって僅かな抵抗を示す宝に、スタンドのラッシュが容赦なく叩き込まれる。
『ハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレハレ、ハレルヤァッ!!!!』
あふれ出る激情によって繰り出されたラッシュに、湿原を勢いよく滑り飛ばされる宝。
狙いを定めずがむしゃらに打ち込まれた拳は、幸か不幸か宝の意識を飛ばすまでには至らなかった。
骨を砕かれ、筋を断ち切られ、初めて体感する痛み。
このトーナメントの中で、初めて現実味を持ち始める『死』という概念。
「あ…………あ、あ、あ………………」
ぐるぐると、無意味にアルファベティカル26が渦を巻く。
その渦の中を、感情を失ったかのような相貌の秋実が向かってくる。
声なき声で慈悲を望むも、そんな瑣末な事情を汲む余裕など秋実にはなかった。
今の秋実を占めているのは、体内に大音量で響く強烈な目的意識の大合唱。
目の前に力なく横たわる少女は、嘗ての自分の似姿。
(そう…………戦わなければ、生き残れない…………)
そして今無慈悲な一撃を加えんと進む自分こそ、この闘争の場に正しいと信じて。
たった一つの目的のために肉体を『強化』した彼女には、嘗ての面影など微塵も無く。
皮肉にも、この湿原を覆ってきた霧がようやく晴れようとしていた。
月明かりの下。
泥にまみれた二人の少女が、今始めて真っ向から対峙する。
一人はとても少女とは思えない異常な輪郭の肉体と成り果て。
一人は初めてとも言える『リアルな』闘争に恐怖で身を竦ませていた。
(いやだ…………死にたくない………………)
許しを請い、助けを求めようとするも、口から漏れるのは苦しそうな呼気のみ。
口の端から泡を吹きながら、宝は必死で這いずりながら後ろへ逃げようとするも、追いついた秋実が、無防備な宝の腹に容赦ない蹴りを加える。
形を持たないアルファベットの群れが力なく秋実へと群がるが、まったく意に介することなく宝へと向かうと、その首を両手で掴んで持ち上げた。
泥に塗れて、必死で助けを請う表情。
目の前の脅威に必死で抵抗しようともがく華奢な体。
どちらも、自分で選んで捨てたもの。
手放したくなかったもの。
首を締める手に力が入る。
無くしたはずの感情がその細い首を握り締めようとする。
何時しか霧は晴れ、秋実の体の泥を雨が洗い流していた。
「…………ぁ…………るぁ……」
ぱたぱたと力なくもがく宝を、秋実の腕が動かなくなるまで締め上げようとする。
雨は強くなる一方であり、秋実が煩わしそうに夜空を見上げると、そこには満点の星空が広がっていた。
「…………え?」
思わず締めていた手を離し、頬についた雨粒を拭いその手のひらに目をやると。
その無数の雨粒には『RAINS』の刻印が浮かび上がっていた。
そして、秋実の体に張りついた無数の雨粒が蠢き、その形が組み代わる。
地に伏せた宝が力なくすすり泣いている。
そして、秋実は意識が遠のいていくのを感じた。
体中にへばりつき、そして体内にも侵入した無数に分かれた『RAINS』の文字列は組み変わり。
致死量を遥かに超える『SARIN』へと変化し、少女の体を内側から蝕む。
地面に倒れ伏すより速く、秋実は毒に侵されて事切れていた。
「しかし…………現地に到着したときには既に勝敗は決しており、我々が回収できたのは失血死寸前だった社冬子様と、全身打撲を負い心神喪失状態となった八重神宝様の両名のみであり、アルファベティカル26により体内を致死量のサリンに蝕まれていた卍山下秋実様は残念ながら死亡が確認されました。立会人リチャード・モイスチャーにおいても、既に行方をくらました後であり、現在行方を捜索中でございます」
冷や汗が頬を伝う。
この場所を教えてくれた先輩立会人の言によると、何かレスポンスが返って来るまで決して電話を切ってはいけないという。
電話を切るとどうなる? などと聞ける雰囲気ではなかったが、今それが分かった気がした。
電話を切ろうにも、あまりの緊張に受話器と手がまるで一体化したように、それを掴んで放せない。
それからどれだけ経ったのだろう。
老人のような、少年のような、奇妙な声色で電話越しにその相手は一つだけ尋ねてきた。
「…………八重神宝は、賞品について何か言っていたか?」
「はっ…………えぇ、先ほども申し上げたとおり、八重神宝様は現在心神喪失状態であり、まともにコミュニケーションが取れる状態ではありませんが、医者の話によると呟くように繰り返している言葉が、一つだけ」
「……………………」
「えぇ、と。『誰か私を罰してください』と繰り返しているようです」
「………………報告、ご苦労」
その言葉を聴き、ほとんど反射的に叩きつけるように受話器を置いた。
痺れ始めた手足だけが、時間経過を物語っていた。
何かに追われるようにそのビルを後にし、妙に興奮した感情を抑えようと街をそぞろ歩いているうちに思い出されたのは、先ほど報告した宝の言葉。
既に戦いが終結した後に現場を訪れた修治にすら、その戦いの凄惨さは一目瞭然だった。
まるで嵐の後のように暴力的に荒らされた足場と、湿原の植物たち。
胸元から大量の血を流す女性。
最早少女とは呼べないほどに変質した少女。
そして、とり憑かれたかのようにうずくまり、小さく震える泥だらけの少女。
その過程で行われた殺人が罪だというなら、スタンド使いは、果たして誰に裁かれるべきなのだろうか。
そして、あるいは。
我々立会人も、誰かに裁かれるべきなのではないだろうか。
搾り出すようなため息とともに、修治はその疑問を握りつぶした。
「ごめんなさい…………ごめんなさい………………」
自分が殺した亡骸に、必死で返事を期待して、宝は憑かれたように謝罪の言葉を繰り返す。
泥の中を這いずるようにして、宝はその亡骸の元へと向かった。
とっくに事切れているであろうことは誰より宝が知っていたが。
それでも尚、何かの間違いを信じて、彼女はその手を握った。
自分が感じた大きな恐怖より、遥かに小さな手の平から伝わる冷たさに、宝は胸の奥からこみ上げてくるものを感じた。
胃の内容物をすべて泥の中に吐き出しても、嗚咽が止むことは無かった。
ふと気付くと、すぐそばの泥の上に、見覚えのある封筒が浮かんでいることに気付いた。
この場所と、時刻を伝えたのと同じ、血で濡れているかのような光沢を放つ奇妙な封筒。
震える手でその封筒を開くと、そこには。
『八重神宝様へ。
第13回トーナメント、見事優勝おめでとうございます。
前述のとおり、優勝者にはお望みの賞品が送られることとなります。
不肖私は対戦相手であった卍山下秋実様へ僅かならぬ期待を寄せていたのですが、
自らの殻を破り、本能がままに戦われた卍山下様に劣らぬ力を見せていただいた
八重神様には真、頭が下がる思いでございます。
ぜひこれからもその力を存分に振るわれ、
世界をより闘争に満ちたものへと変革していただくことを期待しております。
私は、影からその可能性を見守るものでございます。』
宝はその内容に愕然とした。
一つはそのあまりの幼稚性に、である。
そんな下らない目的のために、私たちは争わされたのかという圧倒的な無力感。
そして、もう一つは。
今夜の出来事によって、自分は誰からも裁かれることは無いだろうという気付きにであった。
これまでも、そして、これからも。
世界は何処までもスタンド使いに対して無力であり続けるのだろうという、漠然とした確信。
でも、それなら。
この私の胸の中の、張り裂けそうな罪悪感は、一体どうすればいいのだろうか。
一体誰が、私を罰してくれるのだろうか。
あるいは、今私の隣に横たわる彼女の大切な人に会いに行けば。
その憎しみが、殺意が、私を救ってくれるのだろうか。
★★★ 勝者 ★★★
No.6597
【スタンド名】
ハレルヤ・ハリケーン
【本体】
卍山下 秋実(マンサンカ アキミ)
【能力】
触れた対象の「特性」を強化する
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最終更新:2022年04月17日 14:32