第14回トーナメント:予選④




No.7160
【スタンド名】
エリミネーター
【本体】
八坂 巡子(ヤサカ メグリコ)

【能力】
爬虫類の生物に変身する


No.2156
【スタンド名】
シグナル
【本体】
グレゴリー・ヘイスティングス

【能力】
歩く、走る、止まる、のいずれかを禁止する




エリミネーター vs シグナル

【STAGE:朝の公園】◆Zb4sdv40uw





「それで? 結局私は何をすればいいんですかね」

 寂れたビジネスホテルの一室、スーツ姿の男が何処か薄汚れた雰囲気のベッドに腰掛けている。
 億劫そうに真っ黒な靴下を履きながら、肩と頬とで挟んだ携帯電話で会話をしている彼__奥村稀助(おくむらまれすけ)__が、今回の対戦の立会人。
 携帯の向こうから届く声は、彼の直属の上司である女性のものである。

「具体的に何か特別なことをするか、と言えば『何も』だよ。通常通り円滑な大会運営のために立会人としての責務を果たしてくれればいい。だが、今回に限っていうならその『何も起こさないこと』がカギ括弧で括るほどに重要な事柄なんだ」

 靴下を履き終えた稀助は傍らのくたびれたネクタイを掴むと洗面台へと向い、鏡を見ながら携帯電話を耳から離さないように器用にネクタイを結び始める。

「知ってのとおり、我々『運営』の他にもスタンド使いの組織はこの世界に無数にある。この世界の混沌を這い非合法な手段を用いる犯罪組織『ディザスター』、この世界の中枢を束ね超法規的な手段を用いる秘密結社『ヴァルチャー』などがその代表だろう。中には異分子であるスタンド使いを集めて学園組織やタレント集団を作り出したものもいる…………当然、我々も世界各地のスタンド使いを招聘している都合上、それらの組織と不本意ながら接触することもありうる。そして、それは同時にこのトーナメントの最も重要なファクターである『公平性』が、これら組織の存在によって侵害される危険性があるということだ。現時点では調査中だが、既に『運営』内に他組織の内通者が居る可能性さえ浮上してきている…………さっきから何だこの音は」

「あ、スンマセン。ヒゲ剃ってました。もう終わったんで」

「………………まぁいい」

「でも、驚きましたよ。私がそこまで信用されてたとはね」

 衣装ダンスを開けて、ハンガーに掛けられた上着を手に取りながら、未だ『調査中』の疑念が情報として伝達された事実に肩をすくめて稀助は軽口を返す。

「……少なくとも、運営は君の『忠誠』は疑っていないというだけの話だ。当然この情報を伝える前に君の周囲の金の流れや昨日食べた朝食のメニューまで、情報部の調査は済んでいる」

「それはずいぶん潔癖症なことで。ま、私の人生はシンプルな方と自負してますから」

「そのシンプルさが今回の運営の思惑と合致するんだよ。君には滞りなく今回の立会を終え、そして二人の対戦者の間に何か動きがあるか注意深く観察してもらいたい。それが今回、君に留意しておいてもらいたい事柄だ」


上着のボタンを上まで閉めて、少し歪んだネクタイを正す。
 全ての身支度を終え、頬と肩とにはさんだ携帯をようやく手に取る。
 先ほどの軽薄な口調はなりを潜めて、極めて事務的なトーンで稀助は話の核心に触れた。

「今回の対戦では『公平性』が脅かされる恐れがある。上はそう判断しているということですね」

「その通りだ、今回対戦する両者は共に同じ組織に属している。この世界の弱者に与し合法的な手段を用いる軍団勢力『アンカー』、『ディザスター』が裏世界を暗躍する頭のない怪物だとすれば、彼らは表舞台で豪腕を振るう巨人だ。世界各地のNPOや市民活動家に資金援助を行い、環境保全や反戦を掲げて活動している…………表向きはな」

「なるほど……胡散臭いですね」

 ようやく稀助は与えられた任務の重大さと、上層部の意図について理解した。
 『アンカー』という得体の知れない組織とのファーストコンタクトだからこそ、個性派揃いの立会人の中でも比較的まともな自分が選ばれた、ということ。

「気をつけろ。奴らはある意味、平和的に相手取るには最も質が悪い集団だ。丸め込まれるなよ、奥村」

 事務的な仮面を付けた上司にしては珍しく、自分を心配する言葉で切れた携帯電話を眺めながら、奥村は嬉しさよりも拭いがたい不安感に襲われていた。
 私情を挟むことを一切嫌う彼女があのような言葉を発する理由はただ一つ。
 当然、それは決して優しさなどではない。

(伝えるべき正確な情報、それ未満の警戒要素が『アンカー』にはあるということか……)

 無意識に、稀助は整えられたネクタイへと手を伸ばす。
 既に流れ作業と化していた立会という日常が、徐々に輪郭を失っていく気配がした。


深夜の冷たさと、太陽の暖かさがまだ同居する早朝の公園。
 整えられた芝生も待ちわびた朝の到来にどこか生き生きとしているようだった。
 その綺麗な空気の中、最高級の料理でも味わうような愉悦の表情で深呼吸をする男が居た。
 仕立ての良いスーツに、嫌味のないシンプルな柄のネクタイを締めて片手にスーツケースを下げ、ウェーブのかかった金髪を緩く七三分けにした、いかにも英国のホワイトカラー然とした男である。
 だがそのスーツ姿は確かに似合っては居るものの、何処かコスプレのような違和感を与えるものだった。

「素晴らしい……実に! まだ幽かに夜露の名残を残した冷たく鋭い早朝の空気と、整えられたばかりの芝生の生命力溢れる香りの二重奏…………地球の血脈を感じる素晴らしい朝だ」

 感嘆のため息と共に朗々と紡ぎだされた詩の断片のような言葉も、パリッと仕立てられたスーツ姿の金髪の外人の口から発せられたものであることも相まって、見るものにある種のシュールさを感じさせる。
 そんな彼の眉間に深くしわが寄せられた。
 胸元からハンカチを取り出して口元に当てると、不機嫌そうな表情であたりを見回す。

「この純粋無垢な朝の空気に淀んだ煙を撒き散らす輩は…………奴らか」

 その鋭い眼光の先にいたのは、少し先にあるベンチと小さな机でタバコを吸う数人の男の群れだった。
 一様に薄汚れたつなぎを身に着けた彼らは、どうやら近くの工事現場で働いている作業員らしい。
 険しい表情のまま男はその集団へと歩みを進める。
 近づくたびに、散乱するビールの空き缶、乾き物の類の袋などが目に付き、男の額に青筋が走る。
 どうやら徹夜の現場帰りの小さな酒盛りのようである。
 その一団の前にやってくると、男はよく通る声で問いかけた。

「失礼だが、この公園は禁煙なんだ。知っているかね?」

 一拍遅れて、話しかけられているのが自分たちだと気付いた彼らが胡乱な目を男に向けた。
 その中でも最年長と思われる男が、ヘラヘラと言葉を返す。

「おたく、外人さん? 日本語うまいねぇ~」

 仲間内で下卑た笑いが響き、まるで男の問いなどなかったかのように、再び彼らはタバコを吸い、酒を呑み始めた。
 男はゆっくりと首を傾げて、元に戻す。
 たったそれだけの動作で、男のまとう雰囲気が変わった。


「聞け。貴様ら、ここは子供たちの為の遊び場だ。貴様らが酒盛りをする場所ではない。即刻立ち去れ」

 厳しい口調で語りかけられ、ようやく自分たちに向けられた敵意に気付いたのか、彼らはおもむろに立ち上がり、男を半円状に囲むように立ちふさがる。

「あのさぁ、ここはあんたの国じゃないの。俺たちの国には俺たちのルールがあるわけ。痛い目見たくなかったらとっとと国に帰りなアメ公」

 自分を取り囲む見下すような視線を前に、男はしかし幽かに口角を吊り上げる。
 予期せぬ闘争の匂いに、指先に懐かしい温かみが戻ってくるのを彼は感じていた。

「おかしいな、君たちの国の条例では公園での喫煙は禁止されていたと思っていたが?」

「うるせえな、オイ。日本語聞こえてるか? 引き際覚えないといい加減頭にくるよ?」

 さらに一歩、好戦的に彼らが詰め寄る。
 その足の出し方や幽かな目配せから、男は素早く集団のリーダーを見極める。

(アルコールの入った武装していない肉体労働者4名。スタンドを出すまでもないな)

「頭にくるのはこっちの方だ。そのルールとやらを体に教えてやろうか猿共」

 言い切る前に、先頭の男が右腕を振りかぶった。
 だが、それは彼にとっては欠伸が出るほど悠長な予備動作だった。
 それこそ、命を奪ってもおつりがくるほどの。
 振り上げられた右腕が振り下ろされるより速く、半歩前に出る。
 お互いの胸が触れ合うほどの至近距離。
 左手を無防備な首に、左足を相手の左足の後ろに添えて、そのまま自身の体で強く押す。
 相手の男の視界に最後に映ったのは、突き抜けるように見事な青空、そして、暗転。
 コンクリートの床に後頭部を強かに打ちつけ一瞬で戦闘不能となった仲間を前に、彼らは思わず後ずさる。
 流れるような一連の動作に、生物としての本能が敗北を悟らせていた。
 スーツ姿の男は右手にスーツケースを置くと、獰猛な笑みで彼らに語りかける。

「さあ、お説教の時間だ」

 この男こそが今回の対戦者であり、元アンカー警備部長にして現日本支部宣伝室長、グレゴリー・ヘイスティングスその人である。


 その少し後、指定された対戦場所にやってきたアンカー予備警備生、八坂巡子(やさかめぐりこ)の目に飛び込んできたのは、箒やトングで清掃活動に勤しむ作業着の男たちの姿だった。
 一様に不服そうな彼らの表情を見て全てを察した彼女がキョロキョロとあたりを見回すと、案の定。

「……いた、おーい。グレッグおじさーん」

 彼らと同じく猛烈にごみを拾うスーツ姿の男がいた。
 彼女の声に気付くと、グレゴリーは顔を上げてにこやかに手を振る。

「やあ、巡子ちゃん! 久しぶり! 少し待っていてくれ、じき終わるから」

 彼のいつもの癖である周囲を巻き込んだ『ゲリラ清掃』に、巡子は何処か懐かしさすら覚えた。
 彼女の胸中に蘇るのは、数年前、グレゴリーがまだ巡子の共感だった頃の思い出。

「手伝うよ、小父さん。私だってアンカーだもの」

「そうか、助かる。ではこのトングを使ってくれ」

 さも当然のように何処からか出てくるトングを受け取ると、ジャージに枯葉が付くのも構わずに、彼女はゴミを探して植え込みに顔を突っ込んだ。

「さて…………そろそろ対戦も始まる頃合かな、見えるゴミはあらかた拾っただろう。よし、総員気を付けェ!」

 公園中にまで通るような声を張り上げると、公園のあちこちから体に枯葉や土をつけたつなぎの男達と、青色のジャージを着た背の高い少女とが隊列を組む。
 近所の人々が遠巻きにしてその奇妙な光景を眺めるのも構わず、グレゴリーは言葉を続ける。

「以上、清掃活動、終わり! 今後は公共の場を乱すような行動は慎むように! それでは総員、解散!」

 歯切れのいい言葉と共に、数刻前より幾分か背筋の伸びたつなぎの男たちが早歩きでその場を立ち去っていく。
 後に残されたのは、金髪のスーツ姿の男と上下ジャージを着た長身の少女というアンバランスな二人。


「悪いね巡子ちゃん。付き合わせてしまって」

「久しぶりだったから少し楽しかったよ。それにしても変わんないねー小父さんは」

「そういう巡子ちゃんはずいぶん変わったな、見違えたよ。一昨年の年始の集まり以来だから、二年ぶりだな」

「そうだね、背は伸びたねー、うん。えーと、20センチくらい?」

「既に日本の成人男性の平均と同じくらいか? 私もじき追い抜かれそうだ。いいものを食べている証拠かな?」

「うん、美味しいものいっぱい食べてるよー。カエルとかネズミとかー」

「ハハハ、それがベストな選択かはどうかとして結果が出ている以上、少々特異だがそのおかげかもしれないな!」

 何処までもかみ合っていないようで、それでいてかみ合って居るような会話が続く。
 グレゴリーがちらりと腕時計を見ると、試合開始まであと30分といったところだった。

「それにしても、早かったね巡子ちゃん。開始一時間前に来るとは」

「そりゃねー、対戦場所の下見にはそれくらいいるかなって。それでもグレッグ小父さんには負けたけど」

「私の場合、ただ単に早朝の空気が好きなだけだがね。おかげで思いもよらぬ世界貢献も出来た。そろそろ試合開始だ。私は向こうの自販機でコーヒーを買ってくるが、何かいるか?」

「甘いのがいい。炭酸はいやー」

「わかった、見繕ってくるよ」

 まるで親戚同士のような会話だが、それこそが『アンカー』という組織の本質でもある。
 アンカーの目的である世界征服、それは同じ価値観の共有だ。
 『地球は全ての生物にとって我が家であり、我々は皆家族である』
 家長であるボスを筆頭としたその組織形態は、独裁国家のようでもあり、一般家庭のようでもある。
 あるいは、その両者を単一のものとした価値観こそ、彼らの目指す世界なのかもしれない。


「この度はこのような素晴らしい催しを開いていただき、我々アンカー一同、大変感謝しております!」

「おりますー」

 開始十分前、人払いを済ませた稀助を待ち受けていたのは対戦者二人の深々としたお辞儀だった。
 前代未聞の出来事に、立会人としての仮面が一瞬剥がれかける。

(いや、待て。うん、そりゃ確かに無料でイベント開いてるわけだ。感謝の言葉? あっても不思議じゃあないだろう)

 常識を総動員して理論武装、剥がれかけた仮面を付け直して無表情に勤める。
 声が上ずらないように心の準備をしてから説明をしようとした矢先、彼の目の前に名刺が差し出される。

「私こういうものでございます」

「私はこういうものはないですー」

 勢いのまま差し出された名刺を受け取ると、そこには流麗な文字でこう書かれていた。

『一般財団法人 アンカー
 宣伝室長
 グレゴリー・レイスティングス』

(ちょっと待て、財団法人!? いや、まあ別に悪の組織ってわけじゃあないんだ。法人格があっても別に不自然じゃあない。うん、むしろ自然だ)

 ご丁寧にも右隅にシンボルマークまで印刷された名刺に混乱する思考に何とか道筋をつけるべく脳内を整理する稀助だったが、なおもグレゴリーは機関銃の一斉掃射のように言葉を並べる。

「それでですね、お近づきの印といっては何ですが、こちらをお納めください。我々アンカーグループで今度発売される新商品でございます」

 そういって差し出されたのは、シュールにデフォルメされたスーツ姿の男性がドライフルーツを頬張っているデザインのあしらわれたパッケージ。

「『ドライフルーツの森』という商品でございます。こちら発展途上国の雇用の創出にも貢献しておりましてですね。現地生産、フェアトレードとなっております。その他にも我がアンカーグループでは環境保全活動にも尽力しておりまして、こちらのパンフレットの方にまとめてあります。よろしければ、一部どうぞ」

 言われるがままに受け取ってしまう稀助。
 『一般財団法人 アンカー』近代的なロゴ。
 『僕らの地球を、次の世代に』わかりやすいキャッチコピー。
 理路整然と並べられた世界各地での環境保全活動の実績、表彰、国際貢献。
 それらは稀助の想定していた『アンカー』とはかけ離れたものだった。

「日本での知名度はまだまだ低いですが、もし興味がおありなら全国7箇所に設置されている支部や、24時間体制のコールセンターやホームページなどで更に詳しく『アンカー』の活動内容を知ることが出来ます。我々アンカーは現在日本での展開のために有能な人材を求めておりまして、特に各支部、コールセンターのオペレーターに「スタンド使いが来た」と仰って下されば無料で『アンカー一日体験プラン』というものにご参加いただけます」


「……『スタンド使い』ですか? 実に興味深い。なんのとりえもない僕のようなスタンド使いでも、アンカーに入ることが出来るんでしょうか?」

 淀みないセールストークに思わず聞き逃すところだったが、稀助は何とか『スタンド使い』という単語に食らいつく。
 我が意を得たり、といった表情でグレゴリーが言葉を紡ぐ。

「もちろん、何を隠そう我がアンカーグループの総帥もスタンド使いでして、一時は社会の無理解に悩まされたと聞いております。そういった方々の為に受け皿となり、その唯一無二の才能を活かす場を提供するお手伝いが出来ればと、我々はそう考えているのです。現に、こちらの八坂巡子は両親のスタンド能力に対する無理解でネグレクトを受けていたところを我がアンカーグループが保護しました。現在では我々運営する学校法人で適切な教育を受けさせています」

 グレゴリーの傍らで所在無さ気にしていた巡子がぺこりと頭を下げる。
 稀助は徐々に『アンカー』という組織に興味を持ち始めた自分に気付いた。
 『スタンド使い』は一般人とは別の世界を共有した別個の生物である。
 彼らの見る世界は血の繋がった親子でさえ共有できない別の世界だ。

「…………まぁ、それはともかく、開始の時刻を既に10分も過ぎておりますので、そろそろ本題に入ります。この度は『トーナメント』に参加いただき真にありがとうございます。第一試合、試合内容は『戦闘』でございます。文字通りどちらかが戦闘不能になった時点で、残った方の勝利となります。場所は先だってお伝えしたとおりこの『朝の公園』。対戦者のどちらかがこの公園から出たり、この公園が『昼』となったその段階で、両者失格となります。尚、この対戦で明らかな『談合行為』が見受けられた場合も両者失格とさせていただきますのでご了承ください」

 純粋な武力のぶつかり合い、その制御こそ立会人の根本であり、人間の本性が垣間見れる瞬間だと稀助はそう確信していた。
 たとえそれが大の男と、年若い少女とだとしてもだ。
 だからこそ、いくら一見不公平に思える内容だろうと、稀輔はこの対戦内容を変える気は……


「ほう、組み手か。久しぶりだな巡子ちゃん。ちょうど二年振りか!」

「うん、小父さんとはスタンドありありの『バーリトゥード(何でもあり)』は初めてだっけー?」

「………………あれ、いいんですか?」

 てっきり不公平だと反発が来ると思っていた稀助は予想外の反応に思わず問いかけてしまう。
 グレゴリーは上着を脱いで傍らのベンチに掛けながら、さも当然のことのように言葉を返した。

「我々『アンカー』は確かに世界平和を目指す組織ではありますが、武力がなくとも大義をなせると考えているほど楽観的ではありませんよ。平和主義ゆえに弱いとお思いなら、それは逆だ」

 上着の下から現れたワイシャツは、内側から盛り上がる筋肉にはちきれんばかりだった。
 入念に柔軟体操をしている巡子を眺めながら、グレゴリーはコキリと首を鳴らす。
 その眼差しには、一切の油断はない。

「殺さずの訓練は、殺しの訓練より幾分かハードですから」


 お互いの間合いの外から、両者が向かい合う。
 ジャージの少女と、上着を脱いだスーツ姿の男。
 互いの力量をある程度知って居るからこそ、お互いに動きかねていた。

「思えばお互い、相手のスタンド能力さえ知らないんだな」

「そうだねー。ボスが仲間にも極力それは漏らすなって言ってたからね」

「ボスは正しい。いかなる状況でも、スタンド使いは決して自分の能力を他人に見極められてはならないからな。スタンド使い同士の戦いは、言わば未知の兵器同士のぶつかりあいだ。容易い攻略法があることなどざらだし、ジャンケンほどの相性差があることすらある。もしかしたら私がパーで、巡子ちゃんがグーかもしれない」

「あるいは、その逆か……ねッ!!」

 最初に仕掛けたのは巡子側。
 姿勢を低くしてグレゴリーの足を狙うべくタックルを仕掛ける。
 サブミッションでの攻防となれば、性別による根本的な筋力差は関係ないと踏んだか。
 あるいは、至近距離こそが彼女のスタンド能力の間合いであるか。
 いずれにせよ、関節技の間合いで戦おうとする相手に馬鹿正直に付き合うのは下策とグレゴリーは考えた。

(規制しろ、シグナルッ!!)

 ステップで後方に逃れながら、グレゴリーは自身のスタンドを発動させる。
 機械的な相貌の三つ目の怪人が傍らに発現し、その目のうちの一つが不気味に発光する。
 と、勢いよく迫る巡子が、突如として何かに躓いたかのように前へとつんのめった。
 その前へと無防備に突き出された上体、その顎目掛けてスタンドヴィジョンのアッパーが迫る。
 スタンドの拳はスタンドで防御しなければ肉を透過し、主要な臓器にダイレクトに打撃を打ち込める必殺の一撃だ。
 ゆえに、巡子はスタンドを用いてガードせざる終えない…………が。
 振り上げられた拳を、彼女は自身の両腕でガードした。
 強烈な一撃に、彼女の体がガードごと跳ね上がる。
 よく見ると彼女の全身を、蛇の鱗を模したかのような奇妙なレオタードが覆っていた。

(これは…………!?)


 跳ね上がり、グレゴリーの前に無防備に晒された腹を目掛けて、今度はグレゴリー自身の拳を打ち込む。
 近距離戦において、グレゴリーが他のスタンド使いに勝る点はまさにそこにある。
 二対の腕での連携、連撃。
 彼が戦ったスタンド使いの中には、自身のスタンド能力を過信し、自身のスタンドのみで戦うような人間もいたが、所詮スタンドも人型の制約からは逃れられない。
 一度攻撃を外せば体勢は崩れ、そこには隙が生じる。
 その弱点を知るグレゴリーだからこそ、彼は自身の体の一部のようにスタンドを動かせるべく修練を積んだ。
 本来であれば狙われたくない弱点であるはずの本体自体の攻撃。
 それがグレゴリーの出した自身の戦い方への結論である。
 全霊の一撃を打ち込まれた巡子は後方へと吹っ飛ぶ。
 だが、ヒットの瞬間グレゴリーが感じたのは肉体への打撃の感触ではなく、岩壁でも殴ったかのような手ごたえ。
 握った拳から血が滴る。

(やはり彼女のスタンドの正体は装甲のように身に纏ったそのレオタード自体か…………生身での攻撃では効果は薄いな)

 人型のヴィジョンではなく、装甲のようにその身に纏うスタンドもあることを彼は長年の経験の中で知っていた。
 後方に飛んだ巡子は即座に体勢と立て直すと、今度は大きく跳躍して距離をつめてくる。
 息もつかせぬ連撃、情報分析が即敗北へと直結するスタンド使い同士の戦いにおいては有効な手段だ。
 再びグレゴリーのスタンドが発動し、必殺の勢いが減衰される。
 だが、巡子もその現象に対応してきたのか、前方につんのめる勢いそのままに、人体の急所の一つ、首へと両手で貫手を突き出す。
 グレゴリーはその攻撃を自身の手で受け止めると、そのまま指を絡めて組み合い、腕を大きく左右に開く。
 完全にがら空きとなった顎を狙って、スタンドの拳が再度迫る。
 対する巡子は組み合った両腕を支点に、鉄棒の要領で自身の体を引き上げた。
 その程度の重さでは相手は動かない、その信用を元に繰り出された一手。
 巡子の体が宙に浮き、顎を狙った一撃を足の裏で受け止める。
 それと同時に、グレゴリーは組み合った手がまるで煙のように解けていくのを感じた。
 そのままその衝撃を逃がし、巡子の体が空を舞うのと、彼女の体が急速に組み変わり、人ならざる形へと変身したのはほぼ同時。
 5メートルほど先の木立に落ちたその物質を、グレゴリーの目は確かに捕らえていた。

(今の一瞬、確かに彼女はカメレオンへと変身した…………そして先ほどの腹への打撃、一瞬で岩のような硬度へと変化したが、爬虫類の鱗であると仮定すれば辻褄は合う。つまり彼女のスタンドの能力は『纏った自身をカメレオン、あるいは爬虫類へと変身させる能力』か…………ならば)

 戦闘の刹那の中で与えられた情報を咀嚼し、次の一手をはじき出し、勝利への方程式を組み立てる。
 この一瞬の攻防の中で、グレゴリーの戦闘感覚は、ほぼ全盛期のものへと戻りつつあった。
 彼は無音で、自身の傍らにスタンドを発現させる。

(規制しろ、『シグナル』。次の規制対象は『止まる』だ)


 木立に満ちる小さな葉擦れの音の中に、グレゴリーが分け入る。
 聴覚を研ぎ澄まし、あらゆる雑音に埋没し、排除していく。
 グレゴリーのスタンド『シグナル』、その能力は『信号機』の名の示すとおり『歩行の規制』だ。
 能力範囲内において自分を含むあらゆる生物の『止まる』『歩く』『走る』のいずれかの行動を封じる。
 『走って』迫りくる相手に大して『走る』ことを規制すれば、急に下半身だけ泥の中に突っ込まれたかのように感じることだろう。
 相手からすれば突然自分が何かにぶつかり、躓いた程度の判断材料しかない。
 スタンド同士の戦闘において情報アドバンテージはそのまま勝敗に直結する。
 だからこそ、必殺のタイミングまでは手の内を隠す必要があると、グレゴリーは考えていた。
 そして現在傍らの『シグナル』によって規制されている行為は『止まる』。

(どれだけ背景に紛れようが、静止できないのであれば気配を捉えることは容易い……)

 環境音を意識から消し、暗い水の底に潜るかのような集中力で、グレゴリーは巡子の気配を探る。
 風と共に一定のリズムを刻む葉擦れの音の中、木の葉を叩くような小さな音をグレゴリーは捉えた。
 ほとんど反射的に、グレゴリーは音の発信源に裏拳を叩きつける。
 その動作に思考が追いつくと、グレゴリーの眉間に幽かに皺が寄った。

(釣られた…………ッッ)

 裏拳が木の葉をなぎ払うと、そこに巡子の姿は無く。
 グレゴリーの背後から何かが飛び出してくる明確な気配がする。
 葉を叩く音の正体は、カメレオンの舌。
 弾丸のように飛び出し、獲物を捕らえる長い舌で木の葉を撃つ音がグレゴリーの判断を誤らせた。
 咄嗟に振り向くも、攻撃の分だけ回避動作が遅れる。
 グレゴリーの目と鼻の先、獰猛な笑みを浮かべたカメレオンの口が大きく裂けて、飛び掛る勢いとともに爆発的に質量を膨張させていた。
 大きく開かれた口にずらりと並んだ牙が並ぶ。
 グレゴリーの顔を食いちぎらんばかりに至近で開かれたクロコダイルの顎。
 髪の毛が触れるかという距離にまで接近した明確な凶器に、全身が総毛立つ。


「シグナルッッ!!」

 叫ぶように自身のスタンドの名を呼ぶと、発現したスタンドはそのままグレゴリーの体に全身をぶちかます。
 その勢いで後方に逃れるグレゴリーの鼻先で、勢いよく鰐の顎が閉じられる。
 奇襲を仕掛けた巡子の一撃は、宙に舞ったグレゴリーのネクタイを半分ほど食いちぎる。
 体勢を立て直させないようにと、素早く人間形態へと戻り大地を踏みしめ距離を詰めようとした巡子の体が、三度ガクンと急停止させられる。
 その隙に再び距離をとるグレゴリー、二人の間合いは試合開始前の状態まで戻る。
 だが、この攻防により情勢は大きく傾いていた。
 二、三度確認するように大地を踏みつけると、挑むような表情で巡子がグレゴリーへと笑いかける。
 対するグレゴリーも、肩をすくめて笑みを返す。
 先ほどの攻防、鰐の顎が掴み取ったのはネクタイの先ばかりではない。
 『止まる』ことを規制した時点で、こちらのスタンドの能力が恒常的に相手の動作へと働きかけるものだという仮説を立てるには十分な情報を、グレゴリーは巡子に与えていた。
 そして『走る』ことが出来ないという現状、更に巡子に対して行動を規制しているのにも関わらず一切攻撃するそぶりを見せないという事実。
 連続して発動させたこの二つの現象からグレゴリーのスタンド能力を理解は容易だ。
 しかし、当然グレゴリー側もそのことを理解している。
 むしろ理解される危険を冒さなければ回避することができない攻撃を仕掛けた巡子側が、この攻防において一歩先んじたというだけのこと。
 だからこそ、巡子は勝利の笑みを浮かべたのであり。
 そのメッセージを受け取ったからこそ、またグレゴリーも笑みを返したのだった。
 かつての教え子からの、戦線を離脱した師匠への意趣返し。
 強者の間でのみ通じる、言葉より雄弁な意思疎通が巡子と出来るということに、グレゴリーは喜びを感じずにはいれなかった。

「このネクタイお気に入りだったのにな、残念だ」

 『走る』を規制し、お互い歩行のスピードで間合いを図る中、グレゴリーが巡子に語りかける。
 当然、ここで会話を振ったのも少しでも時間を稼ごうというグレゴリーの思惑のためであり。
 巡子の律儀な性格を利用し、恩人としての立場を利用した一手である。


「あー、ごめんなさい。私が買いなおしますよ」

「いや、いいんだ。闘争の場でこんなものを外しておかなかった私が悪い」

「そう言えば小父さん言ってませんでしたっけ? 首にネクタイみたいな丈夫な布を巻いておくなんて、相手に無償で武器を進呈するようなものだって」

「私も少々勘が鈍ったかな、この二年、私の戦場はオフィスと取引先だったからね」

 恩人との絆だろうと、戦闘において使えるものは何であろうと利用する。
 それはグレゴリーなりの敬意であり、巡子も彼からそう教わっていた。
 案の定、巡子は言葉を返し、グレゴリーは会話を重ねながらも必死で打開策を探る。
 『走る』ことを封じたこの間合いで相手がどれほど迅速に攻撃を仕掛けてこようとグレゴリーには反応できる自信があった。
 だからこそ、その対応が出来る程度の集中力だけを残し、残りの意識を思考へと裂いた。
 つまり、目の前の戦いから『気を抜いた』。
 二年前の彼なら、このような悪手は打たなかっただろう。
 だが、長い間実践から離れ、頭脳労働に勤しんでいたグレゴリーの戦闘への嗅覚は致命的なまでに鈍っていた。
 彼の思考はその瞬間まで、ある事実にいたることは無かった。
 巡子のスタンド『エリミネーター』が、自分のスタンドにとってのじゃんけんの『パー』であるという、致命的な事実に。

「そだね、私も同じことを考えてた……よ!!」


言葉とともに巡子はほとんど倒れるかのように前傾する。
 彼女の体に纏われたスタンド『エリミネーター』の表面が鱗が波打つように変容していく。
 『シグナル』の能力で規制することが出来る行動は『止まる』『歩く』『走る』の三つ。
 それは二足歩行を主な移動手段として使用する人間に対しては強い拘束力を持つが。
 もし、相手がそれ以外の生物だとしたら。
 巡子の意図に気付き、咄嗟にスタンド能力を解除し距離を取ろうとするが、僅かに遅い。
 『走る』でもなく、『歩く』でもなく。
 早瀬の如く『這いよる』キングコブラの毒牙がグレゴリーの足を捉える。
 数多の蛇の中でも最悪と謳われる大蛇の神経毒が、彼の意識を闇へと落とす。
 紐の切れた操り人形のように大地に倒れんとするグレゴリーの体を、人間の姿へと戻った巡子が支えると、慣れた手つきで胸元から注射器を取り出して間断無くグレゴリーの体へと突き刺し、素早く血清を血管に流し込む。
 その顔からは獰猛な戦士の笑みは既に消えうせ、ただ彼の身を案ずる歳相応の少女の不安そうな表情が浮かんでいた。


「それで? 首尾はどうだった? アンカーの側から懐柔するような動きはあったか?」

「それは…………」

 嵐のように繰り広げられた闘争の後、ついさっきまで神経毒に侵されていた男のものとは思えないセールストークと、彼と壮絶な死闘を演じ見事勝利を収めた少女の昼食への控えめな誘いを振り切って、帰路。
 稀助は自らの胸の中に、未だ妖しく熱を持つ感情が渦巻いているのを感じていた。
 立会人としてスタンド使い同士の戦いはいくつも見てきた。
 だが、あれほどまでに自身のスタンドを『動かす』人種を、稀助は見たことが無かった。
 スタンドを体の一部として捉え、鍛え、磨き上げるという発想。
 それはスタンドを超常的な力として捉えていた稀助にはない考え方だ。
 立会人とは根本的には闘争を好む人種である。
 戦いを御し、その熱を掌握することを望む。
 しかし稀助は初めて自身が立ち会う戦いにある感情を抱いた。

「…………問題ありません。対戦者の一人からあくまで一スタンド使いとしてアプローチは受けましたが、彼らはあくまで一出場者としてトーナメントに望むようです」

「そうか、ご苦労。再びアンカーから接触があれば、その都度連絡してくれ」

「そんなこといって、どうせ連絡しなくてもわかるようになっているんでしょう?」

「当然だ」

 何を馬鹿なことを、とでも言いたげな声色を最後に、事務的に電話が途切れる。
 何処にもつながっていない携帯電話を見つめる稀助が胸のうちに閉じ込めた感情は、羨望。
 自分もあの場所に、彼らとともに立ってみたいという憧れだった。
 もしかしたら自分はとっくに、彼らの術中に嵌っているのかもしれない。
 『アンカー』という組織に感じた拭いがたい魅力と、それを上司に伝えることを躊躇ってしまった後ろ暗さが、いつか自分の首を絞めることになるかもしれないという予感を、稀助は抱いた。
 あるいは『アンカー』のそのカリスマ的魅力こそ、トーナメントの最大の脅威足りえるのかもしれない。
 そんな苦々しい思考を、稀助はもらったドライフルーツとともに噛み砕いた。

★★★ 勝者 ★★★

No.7160
【スタンド名】
エリミネーター
【本体】
八坂 巡子(ヤサカ メグリコ)

【能力】
爬虫類の生物に変身する








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最終更新:2022年04月17日 14:49