第16回トーナメント:決勝②
No.5405
【スタンド名】
フローレンス・アンド・ザマシーン
【本体】
奏 璃乃(カナデ リノ)
【能力】
様々な「香り」を生み出す
No.5858
【スタンド名】
アイス・エイジ・4
【本体】
阿須名 彗(アズナ ケイ)
【能力】
対象の物体を一定時間無敵にした後、消滅させる
フローレンス・アンド・ザマシーン vs アイス・エイジ・4
【STAGE:超高層ビル】◆ikCeJ7Z6GM
その昔、とある町に、仲の良い二人の少女が暮らしていた。
共に同じ地にうまれ、同じように育ち、どこへいくのも、なにをするにも常に一緒の二人だった。
長い時間を共に過ごした彼女たちは、ある時期を境に別々の町で離れて暮らすようになった。
両親が離婚したとか、そんな理由だった。
二人は各々違う土地で、違う日々を過ごし、そして同じように歳を重ねた。
成長した二人は数年後、オリスタトーナメントという名の舞台で、運命の再会を果たす。
しかし喜びもつかの間、二人は運命のいたずらによって、再び別々の道を歩むことになる。
一人は、自らの望みのため、自分の信じる道を進む。
一人は、もう一人の望みのため、越えてはいけない一線を越える。
そして彼女たちは、永遠に別たれた。
この季節、午後も五時をまわると陽は完全に沈み、空気は冷え切り、あたりはすっかり夜だった。
月は厚い雲にさえぎられ、宵闇が空一面を覆っている。
阿須名 彗(あずな けい)が招待状の案内通りにやってきたのは、都内某所のとある高層ビル。
その名を、『ロイヤル・スターズ・タワー』という。
全高122メートル、地上30階建ての超高層建築物である。
にもかかわらず、タワーの周囲には、およそ都心とは思えないほどに人気がなかった。
「また高層ビルかぁ……くしゅんっ」
阿須名の頬と鼻先はじんわりと紅い。くしゅん、と小さくくしゃみ。
招待状を折りたたんでポッケにしまうと、タワーの前に腰かけていた男女二人組に声をかけられた。
男はスーツ姿で、女の方は私服だった。若い二人だったが、その顔にはどこかで見覚えがあった。
「こんばんは。君が阿須名 彗だね? 僕は谷口 章介(たにぐち しょうすけ)。立会人です。よろしく」
「アタシは本仮 ユイ(もとかり ゆい)です。谷口さんの付き添いです~」
スーツの男の方は、阿須名の予想通り立会人だった。
谷口立会人は背が高く男前で、本仮 ユイの方もぱっちりした大きな目がかわいらしい女性だ。
そこで阿須名はあっ、と思い出した。
この二人は芸能人だ。TVでみたことがある。
「ユイちゃんは試合には関係ないんだけど、さっきまで番組の収録で一緒でね。
申し訳ないけど、彼女も同席していいだろうか? もちろん立会に影響はないと約束しよう」
「私は別にかまわないですけど」
「やった♪ ありがとうございます!」
わいわい騒ぐ二人に興味をなくして、阿須名は周囲をぐるりと見回してみた。
すると暗がりからもう一人、タワーに近づく女性の姿が見えた。
亜麻色の髪に、白い肌。茜色のワンピース。その手には、阿須名のものと同じ招待状が握られている。
「ふふ……来たね」
「遅れました、ごめんなさい!」
阿須名 彗の対戦相手、奏 璃乃(かなで りの)が着くなり頭を下げた。
「こんばんは、奏 璃乃。僕は立会人の谷口 章介。さて、役者がそろったようだし、中へ入ろうか」
そう言って、谷口立会人は『ロイヤル・スターズ・タワー』を指し示した。
阿須名、そして璃乃は谷口立会人に示されるがまま、タワーの内部へ足を踏み入れた。
『ロイヤル・スターズ・タワー』は、地上15階まではレストランや洋服店などの商業施設が並び、そこから上は様々な企業のオフィスが入っている。
四人が1階のエントランスにやってくると、内部の灯りは煌々としていた。
お店のシャッターも開いているが、店員や客の姿はなかった。まるでタワーの中で神隠しが起きたかのようだった。
四人は、四基あるエレベーターのうち一基に乗って、最上階へ向かった。
「最上階までは、1階からこのエレベーターで、約2分。ちなみに、稼働中のエレベーターはこの一基のみだ」
立会人は、二人に向き直ってにこりと笑った。
「覚えておいたほうがいいよ。今日の試合にかなり重要な情報なのでね」
璃乃と阿須名は、改めて自分たちのいるエレベーターの中をじっくりと観察する。
コンソールパネルの階数指定ボタンは、【1】【10】【20】【30】の4つのみ。
つまり、エレベーターは11階や22階といった中途半端な階に止まることはできない。
2分後、エレベーターは最上階である30階に到着。扉が開く。四人が降りると、そこは展望台だった。
分厚いウィンドウガラスが円を描くように並び、360度東京の夜景が一望できた。
思わず夜景に目を奪われそうになるが、二人はその場所に設置されたあるモノにきがついた。
それは、病院でよく見かける血圧計のような装置だった。
「さあお二方、ご注目。これが今回の主役、『採血くんver3』でーす」
谷口立会人は、その装置を『採血くんver3』と紹介した。
テーブルに設置された『採血くんver3』は、二台の血圧計を横にくっつけたようなカタチをしていた。
十中八九腕を通すであろう穴が右端と左端に、一つずつあいている。
右側が青く、左が赤い。
穴のそばには、数字の表示板と、それから大きな押ボタンがあった。
青いボタンと赤いボタンが、これもまたそれぞれ一つずつ。
そして、透明な管も一本ずつ、装置の下部に向かって伸びていた。先を追ってみると、それぞれ管の先端を、鉄製のタンクがくわえこんでいた。
『採血くんver3』。つまりは、そういうことだった。
「私たちの血を抜く装置、ってわけか……」
阿須名がぼそりとつぶやいた。
「そのとおり。今回の試合は、この装置を使って『ブラッディ・カウント』というゲームをやってもらう」
淡々と、しかしかすかに高揚した声で、谷口立会人が言った。
『ブラッディ・カウント』。その名を聞いただけで、ろくでもないゲームであることは十分伝わる。
谷口立会人は、『採血くんver3』の主電源を入れた。
ぴろり~ん、と陽気な起動音が鳴ったあとに、装置の赤側と青側が交互に発光する。
一見すればおもちゃのような愉快さだったが、それが一層、装置の不気味さを引き立てていた。
「『ブラッディ・カウント』は、その名の通り、何かを数える(カウント)ゲームだ。
なにを数えるか? それは、この『採血くんver3』で【採血される血液の量】……なのだ」
「まず、二人は1階から出発し、エレベーターもしくは階段をつかってここ30階(最上階)を目指す。
その間、『採血くんver3』では二人からいただく血液量――【採血量】を、カウントしていく」
「【採血量】は、時間の経過で一定ずつ増えていく。二人が最上階で『採血くんver3』のボタンを押せばカウントは止まり、その時点で【採血量】が確定。
そのあと、血圧を測るような感覚で装置に腕を通せば……確定した【採血量】を、装置が自動的に採血する……というわけだ」
「なるほど……」とつぶやき、阿須名は眉間にしわを寄せる。
彼女は、何かを思考していた。物凄いスピードで思惟を巡らせていた。
璃乃は、そんな対戦相手の姿に、少しだけ焦りを覚えた。
「……二人とも採血が完了したところで、1ゲーム終了とする。二人には再び1階へ戻っていただいて、2ゲーム目をはじめる。
どちらかが失血死するまで、このゲームは何度でも繰り返される」
「えー!?こわい~」とユイがわざとらしく言った。
璃乃にも、阿須名にも、彼女に反応する余裕はない。ゲームのルールを飲み込む作業で必死だった。
立会人の説明に対して、すっ、と阿須名が手を挙げた。
「……二つ聞きたい。【採血量】は、どのくらいの時間でどれくらい溜まっていくのかな?
それとゲーム中、自分の【採血量】がどれくらいカウントされているか、知ることはできる?」
「阿須名 慧、一つ目の質問については、残念ながらお答えしかねる。それはゲームの中でご自身でお調べいただきたい。
それから二つ目の質問だが、これも自分の頭の中で計算し続けていただく以外にない。
装置のボタンを押して【採血量】を確定させれば、【採血量】は装置に表示される。そこで初めて正確な数字が判明するということだ」
つまりは、『採血くんver3』のボタンを押すまでは何もわからないし、何も始まらないし、何も終わらないということである。
このゲームは、いかに素早くボタンを押すか。それにすべてかかっているといっても過言ではないのだ。
少しずつ輪郭がはっきりとしてきた『ブラッディ・カウント』。谷口立会人は、さらに説明を続ける。
「最上階への移動手段は、エレベーターもしくは非常階段のみ利用可能とする。その他の方法で上を目指すことは禁止だ。
……そうそう、注意してほしいのは、エレベーターを利用する場合は【利用料】として【採血量】が別に加算されるからお忘れなく。
その際の【採血量】についても、ここでは差し控えさせていただく。このゲームは、自分で知ることが重要なのだ」
「当然ながら、『採血くんver3』に対する破壊行為や採血の勝手な中断なども禁止だ。
また、対戦相手への直接的な暴力行為も、この試合では認めない。……まぁ、君たちは大丈夫だろう?」
さぁどうかな、と言いたげに、阿須名は鼻を鳴らした。
性別すらはっきりしない中性的な顔つきからは、その表情を正確に読み取ることは難しい。
細かなしぐさ、発した言葉、息遣いから、わずかな思惟を感じ取る以外にない。
璃乃にわかるのは、この決勝戦が、今までで最も辛い闘いになるということだけだった。
璃乃は、阿須名へと一歩近づいて、右手を差し出した。
「奏 璃乃です。よかったら、あなたの名前を教えてください」
「……阿須名 彗。よろしく、お姉さん」
差し出された手を、阿須名が握り返した。
一瞬、璃乃の表情が揺らいだ。彼女が息を呑んだのが、阿須名にも握手を通じて伝わった。
「やっぱり……」
璃乃は、相手に聞こえないトーンで、そうつぶやいた。
「どうしたん?」
「……ううん。ごめんなさい」
そういって、璃乃は握手をほどいた。
二人は、谷口立会人の指示のもと、エレベーターに乗り、1階エントランスへ降りていく。
エレベーターの静かな振動の中、互いの心臓は激しく脈打っている。
ゲームが始まるまでは、二人は言葉を交わさなかった。
「ついにここまできた……。必ずやるよ、志保。だから……私をみててね……」
声には出さず、胸中につぶやいて、璃乃は目を閉じた。
ちん、と小気味良い音が鳴って、エレベーターの揺れが停まった。1階に到着したらしい。
扉が開いた。二人は、エレベーターを降りた。
ゲーム名:『ブラッディ・カウント』
ルール:1階から出発し、30階(最上階)の装置にて採血を行う
両者の採血が完了したら1ゲーム終了、再び1階にもどり次ゲームを開始する
どちらかが死ぬまで繰り返す
使用器具:『採血くんver3』(採血装置)
勝利条件:失血による対戦相手の死亡、もしくは対戦相手の降伏
禁止事項:1、最上階への移動手段は【エレベーター】、または【非常階段】を使うこと
これ以外の方法で最上階へ向かうことは禁止
2、『採血くんver3』に対する分解や改造、破壊行為は禁止
また、採血行為の故意的な中断も禁止
3、相手に対する直接的な暴力行為は禁止
その他:【採血量】は時間経過につき『採血くんver3』に加算されていく
装置のボタンを押した時点で【採血量】が確定、その際は全館放送でアナウンスされる
(璃乃は赤のボタン、阿須名は青のボタンを押す)
エレベーターを利用する場合、時間経過分とは別に【利用料】として【採血量】を追加加算する
「さぁ、試合開始です!」
「ねぇ、私は階段で行こうと思ってるんだけど」
暗中模索の第1ゲーム。はじめに切り出したのは、阿須名 彗だった。
彼女の唐突な宣言に、一瞬璃乃は固まったが、その意図をすぐに理解した。
阿須名が発したのは、単なる意思表示ではなく、言うならば提案だった。
「……わかった。じゃあ、私はエレベーターでいくね」
そう答えつつも、璃乃は先手を打たれたように感じていた。
二人はエントランスでわかれ、阿須名は階段をのぼり、璃乃はエレベーターに乗り込んだ。
一方、谷口立会人とユイは、最上階に残っていた。
二人は椅子にすわり、机の上に並べた6台のモニターを注意深く観察する。
モニターには、璃乃と阿須名の姿が映し出されていた。
タワー内の全防犯カメラの映像が、リアルタイムでモニターに表示されていた。
映像を見ながら、「ほ~。分かれましたね」と、ユイが言った。
「当然だ。このゲーム、最初はほとんど必ずこうなる」
「え? そうなんですか?」
「ユイちゃん。この第1ゲームは探りの初戦なんだ。プレーヤーたちは、まず【採血量】のカウントの法則を知る必要がある。
自分たちの生死をわける重要な要素だからね。だから、彼女たちは別々の道を選んだんだ。
時間の経過とエレベーター利用、両パターンのカウントを第1ゲームで把握するために」
「なるほど~」
「しかし、自分は迷わず階段を選択し、相手には自然にエレベーターを使わせた阿須名 彗には恐れ入る。
彼女は、このゲームを完全に理解しているようだ。まだ、はじまってもいない段階からね」
モニターの青白い光を浴びながら、谷口立会人が感心したような声で言った。
「どういうことですか?」
「階段は、エレベーターと違い利用料がないコースだ。つまり、エレベーターより採血量を抑えられる可能性が高い。
だが、半面エレベーターよりも体力と時間を浪費する。となると、階段の選択が最も活きるのはいつだと思う?」
「うーん……第1ゲームですか? 第2ゲーム以降は血を抜かれているから……」
「その通りだよユイちゃん。プレーヤーは毎ゲーム血を抜かれ続け、体力をすりへらしていく。
そうなると、必然的に階段を上る時間も増大していくわけだ。
つまり、ゲームの回数を重ねるごとに、階段はメリットを発揮しなくなっていくんだ」
「だから阿須名 彗ちゃんは、階段を選んだんですね。血も満タンで体力のある第1ゲーム目で……」
谷口立会人は、にこりと微笑んで、ユイの頭をぽんぽんと撫でた。
まったくいやらしさを感じさせない、自然すぎるスキンシップに、ユイの頬が赤らむ。
「法則を探るための第1ゲームだが……どういう意図で、どっちの経路を選択するかで中身は変わってくる。
一回目の採血すらしていないこの状況で、もう既に阿須名 彗が若干有利ということだ」
モニターの中の阿須名 彗を眺めながら、谷口立会人は言った。
防犯カメラは、必死に階段を駆け上がる阿須名 彗と、エレベーターの中の奏 璃乃、両者の姿をとらえていた。
璃乃のほうは、まもなく最上階に到着する。
『ロイヤル・スターズ・タワー』30階・展望台。
璃乃を乗せたエレベーターが到着し、彼女はエレベーターを降りて周囲をぐるりと見回した。
「あの子は……まだ着いてないよね」
当然だが、阿須名の姿はまだない。
腕時計を確認すると、1階を出発してから、ちょうど2分が経過していた。
璃乃は、エレベーターでの移動時間が、谷口立会人の説明通りであることを確認した。
そして、『採血くんver3』の赤のボタンを押した。
≪プレーヤー2、【採血量】確定しました。採血を開始してください≫
ボタンを押すと、無機質な合成音声が、璃乃の【採血量】確定を館内中に告げる。
どうやら、阿須名がプレーヤー1、璃乃はプレーヤー2という扱いになるらしい。
装置のプレーヤー2側――つまり赤色をした左側に、確定した【採血量】が表示された。
○第1ゲーム
プレーヤー2(奏 璃乃)……294mL
「294mL……」
思わず、その数字を読み上げてしまう。
璃乃には、表示された【採血量】が、多いのか少ないのか、わからなかった。
自分としても、ゲーム全体としても初めての採血である。まだ比較検討できる段階ではない。
しかし、唯一判断材料にできる数字がある。
それは、璃乃自身の体内に流れる血液の【総量】である。
「たしか、血液は体重の7%。私の体重が50キロだから……私の身体には【3500mL】の血があることになる。
何かの本で、血液の30%を失うと【危険状態】に、50%で【死亡】すると読んだ覚えがある……。
つまり私は、【1050mL】採血されると瀕死状態になり、【1750mL】の採血で……死ぬ」
ひとしきり計算を終えて、璃乃は背筋が寒くなる思いだった。
自分の命を数字に置き換えたのである。こんな計算をする日が来るとは、想像だにしていなかった。
実際、璃乃の計算は完ぺきだった。個人差や状況による若干の前後はあるもの、彼女がはじき出した数字は正しい。
「そう考えると、この294mL……これは多くも少なくもない気がする……。一回戦目だと考えれば、案外妥当な数字なのかも」
1750mLという生と死のボーダーライン。そのうちの294mLである。
璃乃は、数値自体に問題は特別感じていなかったが、その内訳については考えなければならなかった。
このうち、エレベーターの【利用料】が何mLで、時間経過によるのが何mLなのか。それにより、2ゲーム目で選択するルートが変わる。
「……」
とりあえず、阿須名の【採血量】が判明しない限りは、何もわからない。
璃乃は袖をまくり、白い腕を『採血くんver3』に差し出した。装置は璃乃の腕を感知すると、自動で血管をとらえ、そこに採血針を突き刺す。
特別製の針は、通常の採血で使われるものより太い。ずきりとした鋭い痛みが走ったが、璃乃は堪えた。
白い腕から管を通り、真っ赤な血が線を描くようにのびていく。管の先につながったタンクに、ものすごい速度で血液がたまっていった。
採血が終わった。璃乃は患部を抑えながら、ゆっくり立ち上がる。
たった294mLの採血だったが、足取りは若干ふらつき、気分もよくない。
血液は、臓器である。計算上問題ない数値だとしても、実際がどうかはまた別だ。人体に絶対はないのである。
璃乃は、「命を削られた」という感覚を、いっそう血色の抜けた腕に感じていた。
璃乃の【採血量】確定が放送された頃、阿須名は非常階段の7階部分に差し掛かろうとしていた。
アナウンスを耳にして、阿須名はすぐさまスマホを取り出し、時間を確認する。
1階を出発してから、2分ほどが経過していた。
「なるほど。さすがに早いな」
これで、エレベーターを使えば約2分で展望台につくことが確定した。
阿須名は、素直にカウントを止めてくれた璃乃に、感謝すらしていた。
自分がもしエレベーターを最初に選択していたなら、ある程度時間を空けてからカウントを止めるかもしれない。
そうして相手に誤った情報を与え、アドバンテージをとる方法もある。璃乃は、そうはしなかったということらしい。
階段が10階に到達したとき、阿須名はあることを思い出した。
ゲームの開始前、最上階で説明を受けるときに乗ったエレベーターの中のことだった。
エレベーターには、【1】【10】【20】【30】の4つのボタンしかなかった。
それはつまり、例えば7階でエレベーターに乗ろうと考えたとき、10階に上がるか1階に降りるかしないとならないということだ。
阿須名は、少し考えて、小さく口角をあげた。
それから約20分後、阿須名は非常階段で、ようやく30階まで到着。
階段を登り切るやいなや、「はぁーーーーっ」と大きなためいきをついた。
両足の筋肉は乳酸でパンパンだったし、額にはしっとりと汗をかいていた。
「ハァ、しんどかった……」
阿須名が肩で息をしていると、先に採血を済ませていた璃乃の姿が見えた。
璃乃は、窓ガラスの外をじっと眺めていた。
「……?」
何を見ているんだろう、と阿須名は思った。夜の街に星々の如く灯るネオンだろうか。
まぁいいやと、阿須名はスマホのストップウォッチアプリを止めた。
「22分34秒か……思ったよりかかったな。さあ、どうなるか」
それから、『採血くんver3』の青ボタンを押した。
≪プレーヤー1、【採血量】確定しました。採血を開始してください≫
全館放送のアナウンスのあと、装置に阿須名の【採血量】が浮かび上がる。
○第1ゲーム
プレーヤー1(阿須名 彗)……270mL
「270か……」
第一印象は、「思ったよりも高いな」、だった。
璃乃の方に表示された【採血量】――294mLと比べると、それほど変わらない風に見える。
阿須名の場合は、20階を超えたところで急にバテたのも原因だった。思うように階段を上がれず苦労したのだが、それはもうどうでもよかった。
今考えるべきは、270と、294という確定した数字。これは指標だ。
阿須名も、それから璃乃も、二つの数字を目に焼き付けて、比較し、思考する。
阿須名の【採血量】からわかること。22分34秒(1354秒)で270mL。
これは、だいたい5秒ごとに1mL加算されているということ。
そして、璃乃の294mL。ここから、移動にかかった120秒分を引く。
するとのこる数字は、270mL。これが、エレベーターの【利用料】である。
タワーは地上30階建て。エレベーターが止まれるのは10階、20階、30階のみ。
「つまりこのゲームは……」
●5秒経過で1mL
●エレベーター10階分利用につき90mL
「これが、【採血量】のカウントだ……!」
二人は、ほぼ同時に算出を終え、同じ結論に達した。
阿須名はそのまま、『採血くんver3』で270mLの採血を行った。
採血針の異常な太さは、彼女にはまるで槍のようだった。薄い皮膚を貫く痛みに、阿須名は顔をゆがめた。
「……っ」
透明な管の中を、阿須名の血液が駆け巡っていく。
装置にもっていかれる270mLという数字は、阿須名と璃乃とでは危険度がまるで違う。
阿須名の体重は40kgほど。その小さな身体には、約【2800mL】の血液が流れているが、これは璃乃の【3500mL】に劣る数字である。
阿須名のほうが血液が少ない。この身体的なハンディキャップは、ゲームにおいては致命的である。
ちんたらゲームを重ねていれば、相手プレーヤーよりも先に失血死する。
ガンガン攻めてゲームを早い段階で終わらせてしまうこと。阿須名が勝つにはそれしかない。
≪両プレイヤーとも採血を完了しました。第1ゲームを終了します≫
そんなことを考えていると、いつの間にか採血は終わり、第1ゲーム終了のアナウンスが鳴った。
阿須名は、さきほど自販機で買ったプルーンジュースをストローをくわえ、ちゅーと吸った。すこしでも鉄分を取らねばと思ったから買っておいた。
璃乃と阿須名は、エレベーターに乗って再び一階へ戻る。
谷口立会人とユイは、二人の【採血量】をノートに書き留めていた。
「第1ゲーム、二人の【採血量】にそれほど差は開きませんでしたね」
「そうだね。まぁ初回はこんなものさ。二人はカウントの法則に気づいたようだし、目的は達せられた。
こっからだよユイちゃん。面白くなるのは、次のゲームからさ」
≪これより、第2ゲームを始めます≫
二人が1階についたのと同時に、第2ゲーム開始を告げるアナウンスが鳴り響く。
「とりあえず、今度は階段で行こう」
そう決めて、璃乃はエレベーター脇の非常階段に足をかけた。
階段は、エレベーターよりも【採血量】を節約できるルート。彼女がそれを選ぶのは正しい。
璃乃の血液量は阿須名よりも多く、【採血量】を節約し続ければ、いずれ相手が先に倒れるからだ。
しかし一方で、阿須名は階段を選ばなかった。
階段もエレベーターもスルーして、1階のショッピングエリアへとむかう。
「……どこいくの?」
「んー。毛布買ってくる。なんか寒くて」
璃乃の問いに、阿須名はジュースを飲みながら答え、そのままショッピングエリアへ姿を消した。
璃乃は、気にせず階段を上った。気にしている余裕なんてなかった。
今は1秒でも早く、最上階にたどりつくこと。それ以外はどうだっていい。
とにかく素早く、全力で階段を駆け上がっていく。
≪プレーヤー1、【採血量】確定しました。採血を開始してください≫
璃乃が階段で10階にさしかかったとき、【採血量】確定のアナウンスが鳴った。
阿須名のカウントが止まったのだ。どうやら、対戦相手はエレベーターを使って先に最上階へ到着したらしい。
腕時計で時間を確認する。ゲーム開始から、5分ほどが経過していた。
「私も急がなきゃ……」
相手のカウント停止に急き立てられ、自然に両脚に力が入る。
璃乃は、それまで以上のスピードで階段を駆けた。一段、二段くらいは可能な限り飛び越えた。
そうしていると、気が付けばいつの間にか20階にまで到達していた。
腕時計を見ると、まだ10分ほどしか経過していなかった。これはかなりの【採血量】の節約になる。
「うん! いい感じだ」
はぁはぁと荒い呼吸で、璃乃は少し喜んだ。カウントを抑えられそうなことと、思ったよりも自分に脚力があったのもうれしかった。
あと10階だ。これを登り切れば最上階だ。
璃乃は一層張り切って、残りの階段を上がっていく。
しかしその勢いは29階――最上階手前で、止まってしまった。
「……ない」
「階段が、ない」
29階にたどり着いた璃乃が見たのは、「無」だった。そこにあるはずのものが無い。
上階へつながる階段そのものが、ぱっくりと消えていたのだ。璃乃が手を伸ばすと、そこは完全な虚空だった。隠れて見えないわけではなかった。
しかし破壊された痕跡はない。というか、階段が存在した痕跡がない。まるで最初からなかったかのようだった。
だが、第1ゲームで阿須名は確かにここの階段を上ったはずだ。第1ゲームの時点では、そこに階段はあったのだ。
「まさか、あの子が……?」
阿須名 慧が、スタンド能力で消した。それ以外に考えられなかった。
これは意図的な妨害であり、悪意を持った行為であり、つまりは今試合初の、相手プレーヤーに対する攻撃なのである。
「…っ! ほかの階段は……!?」
おそらく、阿須名 慧のスタンドは【物を消失させる能力】であり、彼女は最上階についたときに能力を使って階段を消した。
そう当たりをつけた璃乃が次に考えたのは、ほかの階段が残っているかどうかだった。
非常階段は一つではない。璃乃は、29階フロアを走る。
数分間、生きている非常階段を探し回ってみたが、見つからなかった。代わりに、不自然に途切れた階段はいくつか発見した。
最上階へ続く階段は、すべて阿須名 慧の手によって消されていた。
「ダメだ、もう階段はない……! エレベーターに乗るしか……」
璃乃はエレベーターホールへ引き返す。
しかし、29階にエレベーターは停まらなかった。29階は、エレベーターの停止階ではなかったのだ。
璃乃は、なぜ阿須名がわざわざ「29階の階段を消したのか」、そこでようやく気が付いた。
エレベーターの停止階は、1階・10階・20階・30階。
エレベーターに乗りなおすには、「20階まで下りないといけない」のだ。
阿須名は、璃乃の時間をできる限りロスさせ、【採血量】のカウントを引き離すつもりなのである。
「やられた……!」
悔しむ時間はなかった。
一刻も早く20階に降り、エレベーターに乗る必要があった。
璃乃は、飛び降りる勢いで階段を下り、来た道を引き返していく。
この時点で、もう数分ロスしてしまっている。【採血量】がどれほどカウントされてしまっているか、考えたくもなかった。
さらに、エレベーターに乗りなおすということは【利用料】も加算される。
璃乃は、とにかく何も考えないようにして、ひたすらに階段を下りた。
そして20階でエレベーターに乗り、最上階へ向かった。
璃乃がエレベーターで最上階につくと、展望台がやたら寒いことに気が付いた。
轟々と唸る風の音。展望台の中に、風が吹き荒れていた。
展望台の窓ガラスの一枚が消失していた。そこから風が入り込んでいたのだ。
阿須名 慧の仕業だった。
「あっ、来たねー。お疲れさま!」
璃乃の姿を見つけた阿須名が、無邪気な声で言った。
「……階段を消しちゃうなんて、ずいぶん意地悪するんだね」
「意地悪? あの程度で?」
璃乃の言葉に答えながら、阿須名は手元に毛布を広げていた。
1階のショップから持ってきたものらしい。
そしてその毛布で、『採血くんver3』をすっぽり包んでしまった。
毛布で包まれた装置を持ち上げ、阿須名はそれを窓際に運んでいく。
「立会人さん、この装置……壊すのはダメなんでしょ?」
「当然だ。それが壊れたらゲームにならない」
「わかってる。それは逆に言えば、壊れなければいい、ってことだよね」
「何をする気……?」
阿須名は、ガラスのない窓際に近づいた。
そして、傍らにスタンド像を浮かび上がらせる。牙をもった、本体同様中性的なフォルムの人型だった。
『アイス・エイジ・4(第四間氷期)』――彼女のスタンドは、そう呼ばれている。
『アイス・エイジ・4』が、毛布に包まれた『採血くんver3』に触れた。
「お姉さん。これからね、もっと意地悪なことするから」
氷のような冷たい笑みを浮かべて、阿須名は言った。
そして次の瞬間、彼女は『採血くんver3』を、窓の外に放り投げた。
「――――――――!!」
絶句する璃乃。窓際に駆け寄り、地面を確認する。
毛布に包まれた装置が、豆粒ほどの小ささで下に見えた。装置はタワーの100メートル真下へ落下していた。
「『アイス・エイジ・4』の能力で、【毛布を無敵化した】。だから中の装置は壊れてないよ。
さぁお姉さん。カウントはまだ続いてるよ? ボタン押しに行かなきゃ! はやく下におりなよ」
絶望する璃乃の耳元で、阿須名がそう囁いた。感情が凍り付いてしまったかのような、冷え切った声色だった。
「な、なんてやつだ……」
阿須名 慧の悪魔的な行動に戦慄したのは、谷口立会人と、本仮 ユイも同じだった。
『アイス・エイジ・4』の能力――【物体を数秒間無敵化させ、その後消失させる】。
その力で階段を消し、窓ガラスを消し、装置を包んだ毛布を無敵化し、装置を璃乃から引き離した。
谷口立会人には、その意図が明確にわかる。
「阿須名 慧……。こいつ、この第2ゲームで終わらせるつもりだ。
奏 璃乃のカウントを稼いで、ここで仕留める気なのか……!」
「立会人さん! エレベーターは……!?」
「奏 璃乃。まだ君のカウントは継続中だ。当然、エレベーターの使用は【利用料】がかかる。
1階に降りるんだとしてもな……」
璃乃が唇をかみしめた。その表情は、ひきつっていた。
やむを得ないといった感じで、璃乃は立ち上がり、エレベーターに飛び乗った。
そして迷わず真っ直ぐに1階へ降りていく。
たったこれだけのことで、エレベーター【利用料】の270mL以上が確実に追加された。
しかも、最上階へ登るときも10階分【利用料】を払ってしまっている。
この第2ゲーム、璃乃と阿須名の【採血量】は、倍くらい違ってしまっているはずである。
二人の【採血量】は、すぐに判明した。
エレベーターは1階に到着し、璃乃はタワーの外に飛び出した。
そして外に転がる『採血くんver3』を見つけると、邪魔な毛布なはぎとって、赤のボタンを押した。
≪プレーヤー2、【採血量】確定しました。採血を開始してください≫
アナウンスと同時に、璃乃の【採血量】が確定する。
装置のカウンターに、両プレイヤーの【採血量】が表示された。
○第2ゲーム
プレーヤー1(阿須名 彗)……330mL
プレーヤー2(奏 璃乃)……625mL
「ろ、600超え……」
悲鳴を上げたい気分だったが、思うように声が出なかった。
625mL。第1ゲームの294mLと合わせれば、1リットル近くの血を奪われることになる。
体内に流れる血液量の30%近くを失う計算だ。
この採血で【危険状態】に突入するのは必至、更に状況次第では、十分に「あり得る」のである。
――――【失血死】が。
全身の皮膚が粟立ち、筋肉は震え
恐怖が璃乃の全身を蝕んでいた。
かたかたと震える彼女の肩を、1階へ降りてきた谷口立会人がやさしく叩いた。
「……【採血量】確定したな。採血は上で行うぞ。さぁ、展望台に戻ろう」
谷口立会人は装置を抱え、璃乃を連れて最上階へあがった。
展望台に戻ると、谷口立会人は『採血くんver3』に問題がないことを確認して、装置を再びセッティングした。
青ざめた璃乃の表情を見て、阿須名は「やめたほうがいいよ」とつぶやいた。
「え……」
「625mLだよ。下手したら死んじゃう。負けを認めなよ。ここで終わりにしよ」
阿須名の言葉に、含みはなかった。彼女は、素直な気持ちを口にしていた。
625mLという数値を課せたのは彼女自身だが、璃乃がその義務を果たすことは望んでいなかった。
しかし璃乃は、首を縦には振らなかった。
「私は……私は降伏はしないし、まだ死にません」
声は震えていた。だが、そこから汲み取れる彼女の意志に、揺らぎはない。
「私が死んでしまったら……阿須名さんは人を殺したことになります。
その一線を超えてしまったら、あなたはもう引き返せない! だから……私はまだ死ねないんです」
自分ではなく、対戦相手のために、死ねない。璃乃の言葉は真剣だった。
なおさら、阿須名には彼女の言葉が理解できない。なぜ、この女は対戦相手の人生まで心配する?
自分の命がかかったこの局面で。
「何言ってんだよ……」
トーナメント二回戦、高層ビル、蘇亜橋 真座利(そあばし まざり)、踊り場を汚す鮮血。
阿須名の脳裏にこびりついた光景が、スライドショーのようにフラッシュバックする。
「一線なんて、とっくに超えてんだよ……」
爪が食い込むほど握り拳を固くし、阿須名は小さく震えていた。
谷口立会人が、璃乃にゲームを続けるか否かを確認する。璃乃は「続けます」と答え、袖をまくり腕を出した。
「よろしい。では二人とも、採血をはじめたまえ」
谷口立会人の合図で、璃乃と阿須名はそれぞれ腕を『採血くんver3』に通した。
彼女たちの意思とは無関係に、装置は機械的に二人の皮膚を突き破り、血管に針を刺した。
そして機械的に、粛々と、採血が開始された。
「うぅぅ……っ」
「くっ……うっ」
苦悶の呻きが、二つ重なる。『採血くんver3』は、二人の身体から無慈悲に血液を奪い去っていく。
採血のスピードは速いのに、彼女らには永遠にも感じられるほど、長い苦しみだった。
先に苦しみから解放されたのは、阿須名だった。330mLの採血を終えたのである。
彼女は椅子からたちあがり、ふらふらとした足取りで装置から離れた。顔は青白く、呼吸は速い。
阿須名は総血液の20%を失い、【出血性ショック症状】を引き起こしていた。
血液を失ったことで、血の循環が満足に行われず、臓器に血が行き届かなくなる症状である。
阿須名には、身体が危険信号を発しているのがイヤというほどわかった。彼女は、ジュースを必死にすすりながら、璃乃の背中を見た。
すこし遅れて、璃乃の625mLもの採血が完了した。
≪両プレイヤーとも採血を完了しました。第2ゲームを終了します≫
ゲーム終了のアナウンスと同時に、璃乃は意識を失い、その場に倒れこんだ。
――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
――――――――
「……璃乃、お願いがあるの」
「え?」
「もし私に何かあったら、私の代わりにあの子をお願いできる?」
「ミサ……? 何する気なの……?」
「……私は、一線を超える。もう決めたの。あの子のために」
「ミサ……だめだよ……」
「ごめん、璃乃。でも、あの子を守れるのは私しかいない」
「ミサ……」
「約束して、璃乃。私がもし、死んだときは――――」
「あなたが、あの子を守るって――――」
――――――――
――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――
「――起きろ、奏 璃乃」
顔を覗き込む谷口立会人の声に、璃乃が目を覚ました。
璃乃は、自分が採血の直後に意識を失い、倒れていたことを悟った。
ゆっくりと身体を起こし、立会人の肩を借りて立ち上がる。
「――うっ!」
しかしすぐに、立っていられなくなって璃乃は膝から崩れ落ちた。
足に力が入らない。全身がぶるぶると震え、脈は嵐のごとく荒れに荒れる。
冷や汗が止まらず、何か考えようとしても思考が混濁してまとまらない。
くわえて、璃乃の顔は、本当に真っ青だった。文字通り、血色が抜け落ちてしまっていた。
【総採血量】919mLが引き起こす、阿須名のそれよりも重度な出血性ショック症状だった。
「……阿須名 慧、残念だったな。奏 璃乃はまだ生きている。勝負は第3ゲームに持ち越しというわけだ。
ま、君らがその状態であれば確実に、次で決着はつくだろうがね」
立口立会人が告げた。
璃乃はよろよろと立ち上がり、死人のような足取りでエレベーターにむかった。
阿須名も絶え間ない頭痛に苦しみながらも、璃乃と同じエレベーターに乗る。
二人を乗せたエレベーターは、1階へ降下する。二人にはわかっていた。
このエレベーターを降りたとき、事実上のラストゲームがはじまると。
ゲームが終わったとき、どちらかは――――
ちん、と小気味良い音を奏で、エレベーターは一階に到着した。
阿須名が先に降り、その後よろよろと璃乃が出てきた。
≪これより、第3ゲームを始めます≫
二人がエレベーターホールに足を踏み入れたその瞬間に、ラストゲーム開始をつげるアナウンスが流れた。
璃乃は思わず、その場に座り込んでしまった。もう、立ってすらいられないと言った様子だった。
そんな対戦相手の姿を見て、阿須名が璃乃に歩み寄る。
「……悪いとは思ってないよ。お姉さんは降伏すればよかったんだ」
「……はぁ、はぁ」
「お姉さんが死ぬのは、自己責任だよ」
それは相手への言葉というよりも、自分自身に言い聞かせているようであった。
阿須名がエレベーターに乗ろうと踵を返したとき、璃乃が小さな声でつぶやいた。
荒い呼吸にまぎれていたが、阿須名はしっかり聞いた。「まだ勝負はついてない」と言った。
「……いや、もうおしまいだよ」
璃乃の言葉を無視して、阿須名がエレベーターのボタンを押そうとした、そのときだった。
≪プレーヤー2、【採血量】確定しました。採血を開始してください≫
――自然に、ごく自然に、アナウンスが鳴った。
それはプレーヤー2、つまり奏 璃乃の【採血量】確定を告げるメッセージだった。
あまりに自然に流れたので、阿須名は一瞬、それを聞き流してしまった。
「…………え?」
しかしすぐにアナウンスの意味に気が付いた。
機械音声は、【採血量】確定と言ったのだ。【採血量】確定?
「……………………は?」
【採血量】が、確定した?
「……な」
「なんだってェーーーーーーーッ!?」
想像だにしない事態が発生したことに気が付いて、阿須名は絶叫した。
ゲーム開始からわずか数秒で、絶対に流れないはずのアナウンスが流れたのだ。
まったく理にかなわないタイミングで、アナウンスが流れたのである!
「ど、どういうことなんだ……!?」
装置の不具合かとも思ったが、訂正のアナウンスがすぐに流れないことから、どうやらそうではないらしい。
ハッと気づいて、阿須名は璃乃に振り返った。
璃乃はうつむいていたが、にやりと小さく笑みを浮かべていた。
ふと、璃乃がぼそりとつぶやいた。
「……6秒」
「は!?」
「……6秒経ってた。ゲーム開始から……私、数えてたよ。このゲーム、私の【採血量】は……」
璃乃は顔をあげ、混乱にゆがむ阿須名の表情を見上げて、告げた。
「1mL」
璃乃の瞳は、真っ直ぐだった。1リットル近く血を失ったとは思えないほど、生気に満ちた瞳だった。
阿須名は彼女の瞳にたじろいで、すぐに視線をそらして思惟を巡らせる。
「誰だ!?」
「誰がボタンを押した!?」
一方、最上階の展望台でも、谷口立会人らが同じアナウンスを耳にし、阿須名と同様に耳を疑っていた。
装置のエラーかと思い、谷口立会人とユイはモニターから目を離し、『採血くんver3』を確認する。
すると、妙なことが起こっていた。
『採血くんver3』に何かが多数、群がっていたのだ。
「……え? これって……」
「……鳩だ」
近づいて確認すると、装置に群がっていたのは鳩(ハト)の大群だった。
第2ゲームで阿須名が消した窓ガラスのところから、鳩が続々と入り込んできているようだった。
どうやら、何らかの理由で『採血くんver3』に鳩が集まり、その内に鳩によってボタンが押され、璃乃のカウントが止まってしまった……ということらしい。
しかし、これは単なるハプニングではなかった。
「……みたまえ、ユイちゃん」
「……あ! これって」
鳩が群がっているのは、璃乃側のボタンのみだった。阿須名のボタンにはまるで関心がないように、一羽たりとも寄り付いていない。
「これはハプニングじゃない。作戦だよ。奏 璃乃が、何か仕掛けたんだ」
最上階で谷口立会人らが事態を把握した一方、1階の阿須名はまだ何が起きたのか把握しかねていた。
阿須名は、璃乃に詰め寄る。すると璃乃は、静かに種明かしをはじめた。
「……一般的に、鳥はフェロモンを持たないといわれている……」
「でも、私は知ってる。ある年齢に差し掛かったメスの鳩の体臭と、特定の花の香りを数種類、混ぜ合わせると……
出来上がったその【匂い】は、オスの鳩を強烈に惹きつける――まるで、フェロモンのように」
「……第1ゲームのとき、私は展望台の窓の外に、鳩の巣をみつけた。第2ゲーム、あなたは展望台のガラスを消した。
それで、ちょうどいいかなと思って……【匂い】をつけてみたの。採血のとき装置のボタンに……」
「鳩が私の代わりに、カウントを止めてくれるんじゃないか……って」
そう言って、璃乃は傍らに自らのスタンドを発現させた。
花弁のドレスをまとう女性型のスタンド――その名を、『フローレンス・アンド・ザ・マシーン』と言う。
「『フローレンス・アンド・ザ・マシーン』……香りを作り、操るスタンド。エレベーターにもたっぷり臭いをつけさせてもらったよ」
璃乃は、とても静かに、穏やかにそう告げた。阿須名は、エレベーターに振り返ってボタンを押した。
しかし扉が開いた瞬間、内部からおぞましい悪臭が一帯に広がり、阿須名は思わず飛びのいた。
何にも例えようのない激臭がした。鼻先にすこし触れただけで、ハンパじゃないほどの吐き気がこみあげた。
鼻の奥が焦げるような、全身の血が腐るような感覚を味わった。その【臭い】は、人間が嗅いでいい臭いではなかった。
「その臭いは、嗅覚だけじゃなく痛覚も揺さぶる。私が能力を解かない限り、エレベーターには乗れない」
璃乃は、自販機で買ったプルーンジュースにストローを刺して、一口すすった。
「階段はもう最上階へはつながってない。あなたが消しちゃったからね。
つまり最上階へ行って装置のカウントを止めるには、【私と一緒にエレベーターに乗る以外にない】ってこと。
私のタイミングでね……これでわかったでしょ? 追いつめられたのは私じゃない。あなたなの」
一人は、カウントが止まっているため、いつ最上階へいくのでもよい。
もう一人は、カウントが継続中で、相手のタイミングでしか最上階へ上がれない。
事態を理解して、自分が置かれている状況を把握して、阿須名の顔が絶望に染まる。
「……あなたの負け」
璃乃に告げられるまでもなく、彼女は理解していた。
阿須名は、その場に膝から崩れ落ちた。
その後、二人が一緒にエレベーターに乗って、最上階へたどり着いたのは、ゲーム開始から40分が経過したころだった。
**
その昔、とある町に、仲の良い二人の少女が暮らしていた。
共に同じ地にうまれ、同じように育ち、どこへいくのも、なにをするにも常に一緒の二人だった。
二人は姉妹だった。
姉のほうは、名を美紗(みさ)といった。
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼう!」
「いいよ。なにしてあそぶ?」
「ろぼっとーーー!」
美紗は妹が好きだったし、妹も美紗を慕っていた。
けれど、二人は両親の離婚で離ればなれになった。
それは、仲の良い二人には、耐えがたい苦痛だった。
「また、お姉ちゃんに会いたい」
幼い妹は、姉に再び会う方法を考えた。
いまは遠く離れてしまった姉。彼女が将来自分を見つけてくれるように、有名な人間になろう、と。
自分が何かに成功して、有名になれば、姉が会いに来てくれる。また姉に会える。
幼き妹が目指したのは、とにかく大きな存在。
真っ先に思いついたのは、大きな会社の社長になることだった。
なんの会社の社長になるのがいいか。どうせなら、自分が好きなものを作る会社の社長がいい。
だとすれば、彼女が目指すのは一つしかなかった。
「ロボットメーカーを立ち上げて、社長になるんさ!」
妹の名は、慧(けい)。
姉の美紗に再会するその日のために、阿須名 慧は今、命を懸けて戦っている。
オリスタトーナメントという名の舞台で。
『ロイヤル・スターズ・タワー』、最上階。
展望台は、阿須名がガラスを消した壁面から、風がびゅうびゅうと吹き荒れている。
肌を凍てつかせるような風だった。
第3ゲーム。璃乃と阿須名はともに最上階へ到達し、阿須名は【採血量】確定のボタンを押した。
『採血くんver3』に、二人のカウントが表示される。
○第3ゲーム
プレーヤー1(阿須名 彗)……752mL
プレーヤー2(奏 璃乃)……1mL
阿須名の【採血量】は、40分の時間経過と、30階分のエレベーター利用分を合わせた数値だった。
対して璃乃のカウントは、彼女の読み通り1mLで止まっている。その差は決定的だ。
この採血を行えば、現状の優劣は一気にひっくり返る。それどころか、そのまま失血死する可能性も高い。
採血を行う必要は、もうなかった。
「……奏 璃乃さん、だっけ」
「?」
「正直、悔しいよ。アンタを甘くみてた……。出し抜かれたって、こういうことを言うんだね。認めるよ」
しかし、阿須名はそうは考えていなかった。
彼女は椅子に座り、『採血くんver3』に腕を通す。
「でも、降伏は死んでもしないんさ。文字通りね」
「ダメだよ! やめて!!」
璃乃の制止は、彼女の耳には届かない。
もう、何の音も聞こえなかった。彼女は自分の世界を閉じてしまった。
『採血くんver3』が、阿須名の血管を見つけ、採血を開始する。
752mL。第1・第2ゲームで失った血液量と合わせれば、総血液量のほぼ半分を装置に吐き出すことになる。
「……うっ」
阿須名は賭けた。合計1352mLの採血で、ギリギリ命を拾う可能性に。
常人なら絶対に賭けない一縷の望みに、身を預けたのだ。降伏という梯子を外して。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!!」
のどが破けるほどの絶叫が、展望台に響き渡る。
採血の途中で、阿須名の身体が突然ガタガタと震えだした。
尋常ではない震えだった。採血が完了し、腕が装置から解放されると、阿須名はそのまま床へ倒れこんだ。
彼女が、死の間際にいることは、素人目に見ても一目瞭然だった。
「まずい、すぐに血を戻さないと……! 立会人さん!」
「ダメだ。ゲームはまだ終わってない。彼女に血を戻すことは許さない」
倒れた阿須名に、璃乃が駆け寄った。谷口立会人を呼んだが、彼はそばには来なかった。
彼は、傍観者の立場を、決して崩そうとはしなかった。
「何言ってるんですか!? 早くしないと死んでしまう!」
「君こそ今さら何言ってる!? 奏 璃乃! そういうルールだったろ! 君か彼女か、どちらかは必ず死ぬんだ!」
立会人の怒号に一瞬身を竦ませたが、璃乃はそれで納得しなかった。
氷のように冷たい阿須名のほほに触れ、命の熱が引いていくのを感じた。どうにかしなければと、璃乃は必死に考えた。
そしてすぐさま、璃乃は『採血くんver3』から、針を二本と、管を取り外した。
『採血くんver3』の分解はルール違反だが、迷っている余裕はなかった。璃乃は片方の針を自分の腕に刺し、そこから管を伸ばした。
そして管の先端にもう一本の針を差し込み、それを阿須名の腕に刺した。
谷口立会人は、予想だにしない璃乃の行動に絶句した。
「なにしてる!?」
「私の血はO型です。誰にでも輸血できる……」
「バカな! 輸血する気か!?」
「私の血を彼女に入れることは、ルール違反にならないはずです!」
管を通り、璃乃の血液が阿須名の血管に注がれていく。
見ていられなくなって、谷口立会人が駆け寄った。
「人にやれるほど血が残ってると思うのか!? 死ぬぞ! やめろ!」
「死ねないんです……私も、この子も……! 志保の……美紗のために……!」
もともと危険状態の身体から、血が更に抜けていく。
こうするしかなかったと言え、許容量を超える採血に、璃乃の身体が耐えられるわけがなかった。
視界がかすみ、感覚がぼやけ、璃乃の意識がうっすらと消えゆく。
それでも璃乃は、輸血を止めなかった。そして力の入らない腕で、阿須名の身体を抱き寄せた。
『フローレンス・アンド・ザ・マシーン』の能力を使い、自分の身体に、ある【匂い】をまとわせて。
「……おねえ、ちゃん……?」
璃乃に抱かれながら、阿須名が声にならない声でつぶやいた。
阿須名は、璃乃が自分の身体に輸血していることに気が付いたが、互いの身体はもう限界だった。
そして、二人のおぼろげな意識は、同時に消えた。
――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
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真木野 美紗(まきの みさ)に妹がいることは、何度か聞かされていた。
彼女がはじめて妹の話をしてくれたのは、高校3年のときだった。
ロボットが大好きなこと、両親の離婚で離ればなれになってしまったこと、今でも彼女のことをずっと想っていること。
美紗はあまり身の上話はしなかったが、妹のことはよく話した。
奏 璃乃は、そんな彼女の話を聞くのが好きだった。
璃乃と美紗は高校で知り合い、そこからずっと親友である。卒業後も同じ大学に進み、就職も同じところにした。
オリスタトーナメントの運営とかいううさんくさい仕事だったが、それでも楽しかった。
互いがいればそれで充分だったし、それ以上のことはなかった。
ある日、美紗は璃乃に言った。
妹を見つけた、と。
璃乃は喜んだが、美紗の表情は暗かった。
美紗の妹、阿須名 彗は、あろうことかオリスタトーナメントの参加者に選ばれてしまっていた。美紗はひどく落ち込んだ。
愛する妹が、誰かをキズつけたり、誰かにキズつけられたりするかもしれない。
勝ち進んでいけばそれだけ危険も増していく。うっかり優勝なんかすれば、優勝者トーナメントなんていう大会にも参加させられてしまう。
そうなったら、無傷で帰ってくるのはほぼ不可能だ。後戻りできない深みまで、彼女はハマっていってしまう。
美紗は考えて、考えて、考え抜いた。そして、決めた。
運営という立場を利用して、超えてはならない一線を超えようと決めたのだ。
自分の命すら失いかねないことも、十分に検討した上の結論だった。
苦しい決断だとは、璃乃もわかっていた。彼女にとって妹が、どれほど大切な存在なのかも知っていた。
だから、璃乃は美紗に協力することにした。
真木野 美紗は、菊谷 志保(きくや しほ)と名前を変えた。
身分を偽ることに、どれほど効果があるかはわからなかった。それでも、少しばかり運営の目を欺ければよかった。
志保は、架空の人物になりすまして、妹と同じトーナメントに参加した。
出場者の立場から、彼女を守るために。
――結果として、志保が試合に参加することはなかった。
そして、彼女が妹と、もう一度言葉を交わすこともなかった。
彼女の願いは叶わなかった。
璃乃は、志保が果たそうとした悲願を、受け継いだ。
「阿須名 彗をトーナメントから守る」
そのために、璃乃は志保が遺した参加枠を使い、トーナメント参加者となった。
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「――ん、ここは……」
璃乃が瞼を開くと、視界一面に真っ白な天井が広がっていた。
清潔なベッドの匂いと、頭の下に枕の感覚があった。服も、茜色のワンピースではなく白い病衣に着替えさせられていた。
璃乃は、そこが病室であることを知った。
「あっ! 目を覚ました!」
璃乃の顔を覗き込み、前田 魅威斗(まえだ みいと)が嬉しそうに声を上げた。
ちょっとぽっちゃりの彼は、一回戦目で璃乃の試合の立会人を務めた青年だった。
なぜここに、と考えていると、魅威斗の後ろにもう一人いることに気づいた。
青白い肌が特徴的な長身の男だった。彼のことも知っていた。
璃乃の二回戦目を担当した、宇喜田(うきた)立会人だ。
「命があってよかったな、奏 璃乃よ」
「魅威斗さんと、宇喜田立会人……? どうしてここに……
……あッ! あの子は、阿須名 彗はどうなりました!?」
「彼女なら心配ない、無事だ」
病室の戸が開いて、入ってきた谷口立会人が言った。
本仮 ユイも一緒だった。ユイは、フルーツを詰め込んだバスケットを抱え、にこにこと笑っていた。
璃乃はゆっくり身体を起こし、谷口立会人を真っ直ぐ見据えた。
「本当に? 無事なんですね?」
「ああ。彼女もこの病院にいる。君よりも早く意識を取り戻したよ。
しかし、勝負の結果よりも、対戦相手の容体のほうが気になるとは。つくづく変わった子だ、君は」
「……よかった……」
その瞳に安堵の色が浮かび、じわりと涙が滲む。
うるんだ瞳を右手で拭い、璃乃は「勝負はどうなりました?」と訊いた。
「さっき、阿須名 彗が正式に負けを認めたよ。この勝負は君の勝ちだ」
「……って、ことは……」
「ああ。今大会は、君の優勝だ。奏 璃乃」
璃乃の表情が、喜びにほぐれるのよりも先に、魅威斗とユイが歓声を上げた。
「うおーーっ!! 俺が立会した参加者が、優勝するとはーーーーっ! うおーーーすげええええ!!!」
「きゃーーーっ! すごいすごーーい! おめでとうございます、璃乃さん♪」
「やかましいぞ。本人より喜んでどうするのだ、アホどもめ」
宇喜田立会人は、はしゃぎまくる二人を冷ややかな目で見ていた。
「……まぁ、めでたいことではあるな。右近」
「ああ、左近。優勝者の誕生に立ち会えたことは、立会人として喜ばしいことだ」
ふん、と鼻を鳴らして、宇喜田立会人は誰かと会話を交わすようにつぶやいた。
悪態をついた彼も、どことなく柔らかい表情を浮かべていた。
「さて、優勝者は【願い】をひとつ、運営に申し出る権利がある。
どんな願いでも、できる限り協力しよう。さぁ、君の願いを聞かせてくれ」
周囲が歓喜に沸く中で、谷口立会人は冷静に言った。
璃乃は谷口立会人の言葉を受けて、「わかりました」と答えた。彼女の願いは、もう決まっていた。
「それじゃあ……」と決心を口にしつつ、璃乃は、宇喜田立会人を見上げていた。
「?? な、なんだ?」
彼女の真っ直ぐな瞳にとらえられ、宇喜田立会人が、すこしだけたじろいだ。
**
璃乃は病室を出て、階段をのぼっていくと、病院の屋上に出た。
雲ひとつない晴天が、頭上に広がっていた。
フェンスのところに、同じ病衣を着た阿須名 彗の姿があった。
彼女は策に両腕をのっけて、ぼんやりと、地上を往来する人々を眺めていた。
璃乃は阿須名の側まで近づいて、同じようにフェンスの向こう側を眺めてみた。
ほほをなでる風が、気持ちよかった。
「……アンタに抱きよせられたとき、お姉ちゃんの匂いがしたんだ」
阿須名が、遠くの景色を眺めながら言った。
「あれは、『フローレンス・アンド・ザ・マシーン』でやったの?」
「……そうだよ。あなたに意識を保ってほしくて、あなたが懐かしい匂いを纏ったの」
「なんでお姉ちゃんの匂いを知ってるの? お姉ちゃんの知り合いなの?」
「うん。私と美紗は、友達だったんだ」
そう答えて、それから璃乃は少しずつ話はじめた。
自分と美紗が親友だったこと。
美紗がトーナメントの運営として働いていたこと。
たった一人の妹を守ろうとしたこと。
そして美紗が、命を落としてしまったこと。
包み隠さず、璃乃はすべてを話した。一通り伝え終えると、阿須名は「そっか……」と小さくつぶやいた。
「お姉ちゃん、もう、死んじゃってたんだね……」
「……」
「……なんとなく、そんな気はしてた……」
涙こそ見せなかったが、阿須名の声は本当に悲しみに満ちていた。
璃乃は、胸が締め付けられるような思いだった。阿須名に代わって、自分が泣いてしまいそうなほど、苦しかった。
しばらく、二人は言葉を発しなかった。風の音がよく聞こえた。
やがて、阿須名が璃乃にむかってぺこりと頭を下げた。
「……ありがとう。私は、お姉ちゃんと、あなたに守られていたんだね」
阿須名は璃乃に、トーナメントの中では決して見せなかった笑顔を浮かべた。
心の中にかかった靄が、すっと晴れた瞬間だった。
その笑顔に、璃乃も心からの笑顔で応えた。
それからしばらく、二人は病衣のまま、いろいろな話をした。
璃乃は阿須名の話が面白かったし、阿須名は璃乃が楽しそうにきいてくれるので、もっともっと話がしたくなった。
阿須名は、誰かとこれほど言葉を交わしたのも、これほど楽しいと思ったのも久々だと感じた。
「あ、そういえば」
「?」
「璃乃ちゃん、優勝したんだよね。お姉ちゃんの願いは、私に勝った時点で叶ったわけだから……
自分の願い事、一個叶えてもらえるんじゃないの?」
「……うん。実はもう、お願いしてきた」
そう言って、璃乃は空を見上げた。
「二回戦で闘った女の子がね、その後もずっと苦しんでたんだ。だから、その子を助けてくれるように、お願いしたの」
「はぁ……」
まさか、せっかく手にした優勝者特権を、敗者のフォローにつかうとは。
度の超えたお人よしぶりに、呆れ半分、感心半分の嘆息が洩れる。
いや、もうこれは単なるお人よしとは違う何かかもしれない。
慈悲とか思いやりとか、そういう次元を超越した新しい何かの気がする。
彼女が姉の親友だった理由が、はっきりとわかった。
姉は、奏 璃乃に惹かれていたんだ。彼女の、慈愛に満ちたその性格に。
そして阿須名は、自分自身もすでに彼女に惹かれていることに気が付いた。
お姉ちゃんだってそうだったんだから、当然だ。
「あーあ……もー、ずるいよなぁ。好きになるに決まってんじゃん、こんなの……」
「うん?」
思わず口走ってしまったが、彼女は言葉を撤回する気はなかった。
照れくささをごまかすように、阿須名はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ねぇ、私性転換するからさ、そしたら私のお嫁さんになってよ」
「!? え、え、え? ちょっ……なんて!?」
「あは。冗談だよ。半分だけど」
耳まで赤くしてうろたえる璃乃がおかしくて、阿須名はけらけらと笑った。
こんなに、心の底から笑うことができたのは、いつぐらいぶりだろう。
小さくて狭いあの町で、姉と二人、日が暮れるまで遊んだあの頃。
心の奥底に眠っていた、幼きあの日々を、阿須名は思い返していた。
★★★ 勝者 ★★★
No.5405
【スタンド名】
フローレンス・アンド・ザマシーン
【本体】
奏 璃乃(カナデ リノ)
【能力】
様々な「香り」を生み出す
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最終更新:2022年04月17日 16:02