第17回トーナメント:決勝①




No.4082
【スタンド名】
クレセント・ロック
【本体】
藤島 六郎(フジシマ ロクロウ)

【能力】
殴った場所からロケットを生やす


No.6130
【スタンド名】
クリスタル・ピース
【本体】
新房 硝子(シンボウ ショウコ)

【能力】
微細なガラスを操作する




クレセント・ロック vs クリスタル・ピース

【STAGE:遊園地】◆Zb4sdv40uw





 最近よく夢を見る。
 真っ白な空間、あるのは私と、圧し掛かるような沈黙だけ。
 必ず、怖くなって私は走り出す。
 すると、思い切り何かにぶつかった。
 何かが音を立てて割れ、床に破片が広がった致命的な音とともに、私は純白の床に倒れこむ。
 ぶつかったのは水晶で出来た透明な像だ。
 腰の中ほどから折れたその像の傷口から、鮮血があふれ出す。
 逃げようとするが、倒れこんだ体は言うことを聞かない。
 血だまりが私の体を捉える。
 まるで池のように、血だまりは一定のスピードで広がっていく。
 辺りを見渡すと、水晶の像は一体ではなかった。
 背景に溶けて見えなかった水晶の像に、私は取り囲まれていたことに気付く。
 どこか見覚えのある顔ばかり。
 そして、そのどれもが、見覚えのある傷が刻まれている。
 その傷口からも、湧き出るようにゴポリゴポリと鮮血が床に垂れる。
 皆一様に苦悶の表情で私をにらんでいた。
 まるで傷一つない私を責めるように。

(違う! 私だって傷ついてる!)

 言い訳をするように欠落した左腕を上げると、その切り口からは血液など流れてはおらず。
 欠損した左腕の切り口には透明なガラスが露わになっているだけだった。
 何時しか赤色は空間を塗りつぶし、血に染まっていないのは自分だけで。
 その圧倒的な疎外感に、我を忘れて血を被ろうと血だまりを手ですくおうとすると。
 赤い池に映り込む自身の顔と目が合った。
 血の色に染まった、真っ赤な私の顔。


「ちょっと、ガラスちん、どしたの?」

「え?」

 眼の焦点を現実に合わせると、心配そうな顔で友人が顔を覗き込んでいた。
 慌てて居住まいを正そうと声をかけられた少女__新房硝子(しんぼうしょうこ)__は椅子に座りなおす。
 手に持った箸から卵焼きが机にバウンドし、床に落ちるのを見て初めて彼女はお昼ご飯を食べていたことを思い出す。

「えーと…………えへへ」

 何でもない、と言おうとして、流石にその言い分には無理があると思い直す。
 どう言おうとか照れ笑いで間を繋いでいると、友人がため息をついた。

「もー、最近ガラスちん変だよ? やっぱりあの怪しさ満点なおじさんに何か…………」

 大袈裟に青ざめてみせる友人に、そんなんじゃないよー、と笑顔を見せる。
 そっかそっかー、と笑いながら、自分の卵焼きを一つ差し出してくれる友人を見て、硝子は素直にありがたい、と思った。
 冗談めかしてはいるものの、友人の目には本物の不安の感情が浮かんでいた。
 それでもなお、深くは立ち入らずに日常の範疇に収めてくれる。そんな優しさが身に染みた。
 トーナメント…………あの一連の出来事は単純にそう呼ばれていた。
 『強くなりたい』その一心で出場した大会は、まだ成人もしていない彼女の想像をはるかに超えるものだった。
 血で血を洗う死闘。
 生き残るため、いや、ただ『強くなりたい』という己の我がままを通すためだけに、硝子は様々な人々と戦い、そして、殺した。
 その戦いの中で、少しは成長できたと、そう思った。
 でも…………。

「ねぇ…………」

 硝子は目の前の友人に恐る恐る尋ねる。

「最近よく同じ夢を見るんだけど、これっておかしいかな?」

 少し驚いた後、友人は分かり易く難しそうな顔をしてくれた。
 ようやく相談してくれたね。言外にそう聞こえる気がした。

「んー。まあ私ってば専門家じゃないからよくわからないけどさ、夢ってあれでしょ? 結局は起きてる時に考えてることが浮かんでくるものでしょ」

 あえてどんな夢かは聞かずに友人は言葉を続ける。

「だから、それってつまりガラスちんが寝ても覚めても同じことばっかり考えてるってことじゃない? だから…………」

 友人は勢い良く立ち上がると、教室中に響くほど大きな声で高らかに宣言した。

「カラオケに行こ! 余計なこと考えずに死ぬほど歌えば、なんも考えずに寝れるんじゃない?」


 終業のチャイムが鳴ると同時に、硝子は友人に手を引かれるように教室を飛び出す。
 終業のホームルームをサボることなんて硝子には考えられなかったが、今日はそれすら新鮮に感じた。
 だが、玄関で靴を履き替え、ガラス戸を引く途中に、聞き覚えのある声が校門の方から響いた。
 それは懐かしく、けれど恐ろしい記憶を想起させる恫喝。

「一ォォォォつッッッッ!!!!!!!!!!!! 日本男児たる者ォォォォォ!!!!!!!!!!!!」

 聞く者を生物的に震え上がらせ、立ちすくませるほどの圧倒的な轟音。
 大瀑布にぶち込まれたかのような威圧感と、物理的な束縛感。
 ガラス戸がビリビリと震え、その男の圧倒的な声量を伝える。

「この日ノ本に生を受けたことを感謝しッッ!!!! その髪の一筋までお国の為に捧げることを誓うが天道ゥゥッッ!!!! それを違えィッ!!!! あまつさえ白人どもと同じ色に染めるなど言語道断ンンッッ!!!!」

 硝子に戦いの心得を教えて、そして、硝子が最初に手をかけた対戦相手。
 その身を機械にやつしてなお生き延びた、正真正銘の『戦士』。
 硝子の中で、日常と戦いの境界線がぼやける。

「粛正であるッッッ!!!!!!!! 歯を食いしばれいッッッ!!!!!!!!」

 憂国の機人、五百旗頭実が硝子の先輩にあたる金髪の少年の頬に強烈な一撃を浴びせた。
 少年が放物線を描き、鮮血が尾を引きながら木端のように吹き飛ばされる光景は、硝子の精神を戦いの場へと引き戻すのに十分だった。


 玄関から駆け出そうとする硝子の肩に、友人は思わず手をかけた。
 危ない、やめて、先生を呼びに行こう、ちょっと嘘マジでアレもガラスちんの友達なの。
 かけるべき言葉幾つも見つかった、けれど。

「ごめん、でも…………」

 そういって目を伏せる硝子は、初めて見る表情をしていた。
 きっと、弱っちい友人は私の知らないところで戦ってるんだろうと思った。
 それが彼女の為になるとは到底思えないけど。

「あーあ、カラオケ。またになっちゃったね」

 そう言って彼女は硝子の肩から手を放して、肩をすくめて笑って見せた。
 硝子はきっと私には想像もつかないほど重いモノを背負っているんだろうと思った。
 だから、せめて。
 自分くらいは、彼女の重荷になってやるものかと思った。

「…………うん、ごめん」

 そういって微かに笑った硝子は、いつもの気弱な表情をしていた。


 結論から言うと、実との再開はひどくエキセントリックなものとなった。
 何しろあれだけ大音量で口上を述べた上に、未成年の少年に強烈な一撃をくれたのである。
 当然目撃した生徒の大多数が110番をプッシュしたのは言うまでもなく。
 さらにまずいことに、その暴漢の車は女子高生を乗せて発進したともなれば、事態は傷害事件ではなく誘拐事件にまで発展する。
 最も、硝子は合意の上で実の車に乗ったのだが、そんな事実は彼らの常識の前では霧散する。
 結果、硝子は実のレクサスの助手席という特等席で、警察とのカーチェイスの一部始終を目撃することとなった。
 その途中では実と『バロック・ホウダウン』の八面六臂の大活躍、技術大国日本の技術の粋を集めた『局地防衛用人型特車 ミ―500』としての面目躍如、硝子の『クリスタル・ピース』と『バロック・ホウダウン』の夢の共闘など、様々なドラマが繰り広げられたのだが、それはまた別の話である。

 そして、日も沈んだ頃、彼らはようやく実のアジトへとたどり着いたのだった。

「フンッ!! 目先の利益に群がる国賊の狗どもに、この五百旗頭実が捉えられるはずもないッッ!!!!」

「あ、あの…………スイマセン、私のせいで警察に追われることになっちゃって…………」

「ふむ、それは無用の心配というものだ。この五百旗頭、元より彼奴らに追われる身だ。その上この体を手に入れた時の諍いで防衛省とも明確な敵対関係にある。今更余罪の一つ、何の枷になろうかッ!!」

 そういうと実は畳の上に腰を下ろすと、硝子に座布団を差し出す。

「さて、吾輩がやってきたということは、大体の察しはついているのだろう?」

「…………トーナメント、ですか」

「左様、またも奴らが例の大戦を開くとのことだ…………それも、歴代の優勝者ばかりを集めてな。当然、以前よりなお戦いは苛烈なものとなることだろう。そこで、だ。今一度貴様に問う」

 そういうと、実はジロリと硝子を睨み据える。

「再び戦いの場に立つ、貴様にはその覚悟はあるか?」

「私は…………」


 震える声で、硝子は静かに語りだす。
 もう後戻りできない、心のどこかでそんな声がしたけれど。
 やり直せない選択は、多分もっと前にしていたのだと諦めた。

「私は、ずっと考えてました。強いってどういうことかって。きっとそれって、負けた人の思いや痛み、そして死と『向き合う』ってことなんだと思うんです。だから、私はもう戦いから逃げるわけにはいかない。負けた人たちの思いを、無駄にするわけにはいきませんから」

「…………」

 実は硝子の言を聞くと、何も言わずに部屋を出て、アタッシュケースを取って戻ってきた。

「それって…………」

「これが、運営が吾輩に貴様を任せた理由だ」

 実がアタッシュケースを降ろすと、畳がミシリと音を立てる。
 留め金を外し、ふたを開くと、中から見覚えのあるものが現れた。

「勘違いするなよ、これは吾輩の意向ではない、運営の意向だ。……聞けば貴様、その左腕の治癒を断ったそうだな?」

「これは…………」

 硝子は左腕の義手を守るように胸に抱く。

「私が戦った人たちが私に与えた『傷』ですから。それをなかったことには出来ません。だけど…………もしこの『傷』も『強さ』に変えることが出来るなら…………」

 うつむきがちに、けれど言葉は強く硝子はそう言った。
 その言葉に幾許かの迷いが混じっているのを感じ取った実ではあるが、むやみに問うことはしなかった。

「お願いします。五百旗頭さん。私は、もっと強く、強くならなきゃいけないんです」

 暗い熱が淀む双眸に見据えられ、実はフンと鼻を鳴らした。
 その瞳にはいつか見た、自分の道を開こうとする弱々しい少女の面影はなく。
 むしろ死地を求め彷徨う戦鬼の片鱗が見え隠れしていた。

(…………だが、この少女の覚悟。吾輩が止める道理もなし)

 自分でも意外なことに、実は無意識に少女の行く末を案じていた。
 だが、彼の生き方が、その感情を容易くねじ伏せる。
 彼女の行く末が地獄であろうと、実の為す事はただ一つ。

「よかろうッ!! 貴様の戦ッ、戦友であるこの五百旗頭実がしかと見届けよう!!!!」

 狭苦しい六畳間に猛々しい咆哮が響く。
 『優勝者トーナメント』が始まる、僅か数日前の出来事であった。


 そして、時は巻き戻り『決勝戦』当日。
 もう一方の対戦相手、藤島六郎は苦い顔をしていた。
 バイクの故障という避けられないアクシデントで遅刻してしまい、決勝戦の会場であるこの『遊園地』に辿り着いたは良いものの。
 彼の目の前には不機嫌という感情を代表するような顔をした男がいた。

「いいですか? これは綿密な準備の上組み上げられた非常に繊細な催しなんですよ? それを遅刻などと…………全く近頃の出場者からはモラルというものが…………ちょっと藤島さん、聞いてます?」

「あぁ! そんな耳元でヤイヤイ言わなくたって聞いてるっての!」

「なんですかその態度は! 決勝だというのに遅刻だなんて……前代未聞! …………では、ないですが、由々しき事態です全く…………分かっているんですかあなたは! 本来ならば棄権ですよ、棄権! はっきり言ってあなたは戦いをナメている。努々優勝できるなどとは思わないことですね!」

「はいはい、そういえばあんた……」

 何処かで会ったことなかったか……そう尋ねようとした、ちょうどその時。
 六郎は視界の端に何か光るものを捉えた。
 その『何か』に六郎の第六感が警鐘を鳴らすのと、四肢に力を込めて勢いよくその場を飛びずさるのはほぼ同時。

 ジャッッ!!!

 数瞬前まで六郎がいた場所で、石畳が焼き切れる音がした。
 その様子すら確かめず、兎にも角にもその『何か』から身を隠そうと手近の自販機の背後に転がり込む。
 逸る心を押さえつつ、六郎は立会人に向かって怒鳴る。

「オイ! ちょっと待て、今話し中だったろ!!」

「当然でしょう。なぜ待ってくれるなどと思っていたんですか? 戦いは既に『始まっている』というのに。そんな甘えた考えで、よくもまあここまで勝ち上がってこれたものですね。それでは一応、形式上、健闘だけは祈っておきましょう」

 そういうと果たしてどうやったのか、立会人の気配は完全に途絶え、後に残るは見晴らしのいい空間に申し訳程度に並ぶ自販機と六郎だけだった。


 ジャッッ!!!

 六郎の一つ隣の自販機に一瞬で穴が開く。
 少し遅れてその孔の周囲が黒ずみ、嫌な臭いのする煙が上がる。

(冗談じゃねーぜっ! お相手の能力はどうやらこのとんでもない威力の『熱線』攻撃! その上遮蔽物はこの三つ並んだ自販機のみと来た!)

 考えながらも、六郎は無意識に先ほど撃ち抜かれた自販機の真後ろに移動する。
 一度打ち抜いた遮蔽物を再度打ち抜く確立は低いという人間心理を、戦いの中で反射的に選択していく。

 ジャッッ!!!

 案の定、先ほどまで六郎のもたれ掛っていた自販機に硬貨ほどの穴が開く。

(こんなところに隠れていたところで、何時までも持つとは思えねぇ……おまけに馬鹿みたいに狙いは正確と来た! だが…………状況としちゃあ『悪くない』)

 ジャッッ!!!

 今度は六郎の反対側の端、まだ穴の開いていない自販機を熱線が貫通する。
 その様子を見て、六郎は微かに口角を上げた。

(やはり、この『熱線』攻撃、次弾装填までにきっかり五秒のラグがある。つまり、ここを掻い潜って近間に潜りゃあ俺の方に勝機があるってことだ。問題は、どうやってここを掻い潜るかだが……他の方法を考えてる暇はねぇ!)

 ジャッッ!!!

 再度熱線が自販機を貫いたが、幸いにも熱線は中央の自販機を打ち抜く。
 これ以上圧倒的に不利な三択を続けていても埒が明かないと決め打ち、六郎は素早く自販機から転がり出る。
 そして、自販機正面の三つの射入口から敵の居る方向の目算を即座に立て、振り向く。
 遊園地の人口の池を挟んで向こう側、メリーゴーランドの屋根の上に日光を照らして光る大きなレンズの群れが見えた。


(居た! 『群生型のレンズ』これが奴のスタンドの正体か! なら簡単だ!)

「クレセント・ロックッ!!!」
『ウォォォオオオオーーーーーッ!!』

 ロケットを模したかのような彼のスタンド『クレセント・ロック』が発現し、雄たけびとともに背後の自販機に目にもとまらぬ連撃を浴びせる。
 穿たれた自販機から次々に突き出すのは『クレセント・ロック』により生み出された数十のロケットだ。
 だが、それらは攻撃のための手段ではない。
 ネズミ花火のように飛び回るロケットの噴出口からモクモクと白煙が立ち込める。

 ジャッッ!!

 そのうちの一つに熱線が命中するも、爆発とともにさらに多くの白煙が周囲を覆い隠す。
 その白煙の中からも次々と、対岸のレンズに向かって白煙を撒くロケットが突撃する。

「幾ら破壊力がご自慢と言えど、日光を掻き集めたレーザーじゃあこの煙の中まで届かねぇだろ!」

 自分を鼓舞するようにそう叫ぶと、六郎は足元の地面を殴りつけ、大型のロケットを発現させる。
 最初は謎の熱線攻撃の中を、視界を奪って特攻する博打のような作戦の算段を立てていた六郎だったが、相手の攻撃手段がレンズによるレーザーなら話は別である。
 集積する光による攻撃であれば、煙の中では乱反射して意味をなさない。
 六郎は足元のロケットに跨り、限界まで姿勢を低くする。

「速さならまけねぇ! 逃げる間もなくぶっ飛んでやるぜ!」

 白煙を吐くロケットを従え、六郎の乗るロケットは猛スピードで池を飛び越えた。


(失敗……早くこの場を離れなきゃ…………)

 対岸で白煙を撒くロケットが自販機から発現したのを『クリスタル・ピース』で生み出した望遠レンズで視認すると、作戦の失敗を悟った硝子はいち早く左腕の『ロッド』と背後に浮かぶ『レンズ』を解除した。
 本来近距離系のスタンドである『クリスタル・ピース』の応用編。
 あらゆる距離で絶大な威力を持つこの『レーザー』には組み立て、解除と充填に時間を必要とするという弱点があるため、中距離、近距離ではあまり効果的とは言えない。
 恐らく相手の次の一手はあの『ロケット』で間合いを詰めて一気に畳み掛ける、そんな所だろう。
 幸いにも相手にばれているのは『クリスタル・ピース』の能力のほんの片鱗に過ぎない。
 メリーゴーランドの屋根からスタンドを利用し降りると、今度はそのスタンドで構成させた微細なガラスを身に纏う。
 リン、とガラス同士が触れ合う軽い音がしばらく響いたかと思えば、硝子の姿は完全に掻き消えた。


 白煙とともに飛来した六郎は、あいさつ代わりにメリーゴーランドの屋根へとロケットを乗り捨てる。
 派手な爆発音が響き、メリーゴーランドの屋根が吹っ飛ぶ。
 もちろん、生死が確認できないレベルの爆発力を込めたわけではなく、せいぜい着弾点の近く人間がいれば吹っ飛ばされて全身骨折するレベルの威力だ。

(もちろん、相手のスタンドは恐らく遠距離に特化したもの…………いつまでもこの場にとどまっているとは考えにくいが…………)

 六郎がここまでたどり着くのに十秒もかかっていない。
 故に、メリーゴーランドを吹っ飛ばしてやれば目視できる範囲にはいるはずと踏んだ六郎だったが……。

「マズイ…………見失ったか……いや、そんなはずは…………!」

 周囲には屋外のゴーカートに、コインを入れて動く類の巨大なぬいぐるみしかなく、短時間で身を隠せる場所などないと踏んだのだが…………。
 素早く周囲を見回し、レンズが展開されていないかと警戒した六郎。
 そして、その違和感に気付いたのは六郎の観察力が故か、それとも単なる幸運か。

(ん? 爆発で飛んだあの『粉塵』、なんであんなところで途切れてるんだ?)

 だが、六郎の違和感を『異常』と断じるだけの時間を、硝子は与えなかった。

 ゾプ…………
 六郎はわき腹に嫌な感覚を覚えた。
 次いで、背骨を突き抜ける凍りつくような悪寒。


「~~~~~~ッッッ!!!」

 反射的に飛びずさるも、すでにその刃は中ほどまで突き刺さった後だった。
 飛び散る鮮血を浴びて空間に浮かんだのは、赤に染まった傘のようなシルエット。
 そのシルエットも、勢いよく回転し血を振り飛ばすと再び風景に姿を消した。
 六郎は冷や汗を拭い、その顔に微かに自嘲の笑みを浮かべる。

(くくく…………仮にも相手はこのトーナメントを勝ち上がった猛者だぜ? それを『レーザー』みたいな一芸に秀でた特化型スタンドだと断じた代償は、どうやら相当高くついたみてぇだな……)

 六郎は『クレセント・ロック』を傍らに発現させると、手元に小さなロケットを生み出す。
 その噴出口から出る炎で傷口を焼き潰す間、必死で思考を巡らす。

(だが、払った代償に見合う情報は得た。恐らく敵の能力は『ガラスを操る』こと。だったらこの不可解な現象も説明できる……敵は何も『透明人間』ってわけじゃあない……)

「さて、応急処置も終わりだ……『クレセント・ロック』!!!」
『ウォォォオオオオーーーーーッ!!』

 雄たけびを上げながら『クレセント・ロック』は足元の地面に万遍なく連撃を加える。
 一見すればこの攻撃は、見えない敵を恐れてのがむしゃらな悪あがきとも取れる。
 確かに本体への直接攻撃は牽制できるかもしれないが、攻撃を加え続けているスタンドの腕は無防備である。
 案の定、大地を叩く『クレセント・ロック』の右の拳に巨大なガラスの破片が突き刺さり、その中心に立つ六郎の右手がザックリと裂けたが、六郎はむしろありがたいとさえ思った。

(この状況……一番まずいのはあの『不可視化』のトリックで遠くに逃げられることだ…………)

(もう一度あの遠距離レーザーで仕切りなおされると、今度は初弾を避けられるとも限らないからな……だからこそ!)

「ここで仕留めるッッ!!」


 六郎の足元から、ようやく姿を現した六機のロケット。
 それは自爆による道ずれを警戒していた硝子の予想に反して空高くに打ちあがる。
 そして、それぞれ別々の方向に飛び立つと、爆発とともに光をまき散らす。
 それは六方向から同時に朝日が昇ったかと錯覚するほどの、暴力的な光。

(しまった…………!!)

 硝子が六郎の意図に気付き、防御の為に素早く全身を覆う『クリスタル・ピース』を解除するが。

「みぃつけたっ!!」

 六郎は複数の異なる光源により、不自然な光の屈折が起こる場所を炙り出したのだ。
 相手が『ガラスを操る』以上相手は『透明人間』にはなりえない。
 ただ『光の屈折』を応用して、姿を隠しているだけだ。
 六郎と『クレセント・ロック』のヴィジョンが重なるように、硝子へと振りかぶる。
 六郎の拳から放たれたロケットが一直線に硝子へと向かう。

「『クリスタル・ピース』……!!」

 硝子から初めて焦ったような声が漏れたが、全身を覆う『クリスタル・ピース』がすさまじいスピードで向かうロケットの爆風から硝子を守るには間に合わない。
 爆風はもろに硝子を襲い、防ぎきれなかった『クリスタル・ピース』の破片が硝子の頬を切り裂く。
 荒い息とともに立ち上がると、不敵に笑う六郎と目が合った。

「さて…………これでようやく初めまして……だな。俺の名は藤島六郎、スタンド名は『クレセント・ロック』。あんたを倒すスタンドの名だ」

「…………新房硝子…………『クリスタル・ピース』…………負けるわけにはいきません!!」

 六郎の名乗りに同調するように、硝子も自身の名を告げる。
 幾度の攻防の後、ようやく歴戦の戦士たちはお互いの瞳を睨み据える。
 それ以上、二人の間に言葉は不要だった。


「クレセント・ロック!!」

「クリスタル・ピース!!」

 互いがスタンドの名を叫ぶ。
 先に動いたのは『クレセント・ロック』。
 その拳が地面を叩くと、石畳が地中から巻き上がった。
 岩盤掘削ロケットにより中空に巻き上がった瓦礫の群れを『クレセント・ロック』の拳が手当たり次第にぶん殴る。

『ゥウォォォォオアアアアアアァァァァァーーーーーッッッッ!!』

 大小さまざまなロケットが所狭しと硝子に向かい射出される。
 その攻撃には『精密さ』などないが、その『乱雑さ』は防御の困難さを格段に上昇させる。
 対する硝子のスタンド『クリスタル・ピース』は攻撃こそ薄い刃で敵を切り裂けるが、守勢に回ればガラス特有の『脆さ』があだとなる。
 遠距離も近距離もこなす無類の汎用性を誇る『クリスタル・ピース』の致命的弱点。
 中距離の飛び道具の打ち合いでは為す術がないというこの弱点を『クレセント・ロック』は見事に突いた。


 怒涛のように押し寄せるロケットに次第に『クリスタル・ピース』の防御が追い付かなくなっていく。
 自身のスタンドの破片が硝子の体を切り裂く。
 両手で自身を庇わなければ、マフラーが無ければ、たちまちその破片は硝子の喉を、眼を、致命傷に足る部分を捉えるだろう。

(…………痛い…………辛い…………苦しい………………)

 「私は、自分の気持ちや痛みや、相手……いや、他人の思いや痛みも、ちゃんと向きあえたり考えたり出来る人になれたら、って。ずっと逃げていたから」

(………………でも…………負けられない)

 奥歯を強く噛み締める。
 視界が赤く滲む。
 目の前に広がる血の海の中。
 その中に飛び込むには、自分には何が足りないのだろう。

「割り切れ」

 割り切れないから、傷つく。
 その傷を背負って、また私は一歩彼らに近づく。

「形ないものは割れない……? 誰が決めたんや、そんなこと……」

 心には形がないから、傷ついていないと思っていた。
 あるいは、もう十分傷ついたと思っていた。
 けれど、まだ足りない。

「世の中には最初からなんの躊躇も無く命を刈り取れる人間もいるが、
そういう奴らは心から『何か』が抜け落ちた破綻者どもだ」

 割り切れないから、虚空を望む。
 だから、向き合えなかった。
 戦いに望む意味なんて、最初から考えるべくもなかったのだ。
 ただ、無心に、戦いに向き合う。
 そうして初めて、死の淵で分かり合えるのだろう。
 余計な『形』なんて、最初から必要なかったんだ。
 さらに細かく、小さく、さながら流れる水のように。
 『心の形』を失って初めて、人は死へと向き合える。

「………………ふふっ」

 苦痛に歪む少女の顔が、歪に変質した。
 それは泣き顔と称するには、あまりに禍々しく。
 笑顔と称するには、あまりに哀しく。


 絶え間ない攻撃を続ける六郎だったが、ふと違和感を覚えた。
 先ほどまで確かな感触があったロケットの攻撃に、急に手ごたえがなくなったのだ。

(まさか、もうとっくに…………!?)

 最悪の事態が胸をよぎり、六郎は攻撃をやめた。
 爆風が途切れ、躊躇いとともに放った最後のロケットが弱々しく飛んでいくのが見えた。
 そして、六郎は自身の予想が大きく外れたことに気付いた。
 そう、そんな想定など、決して最悪などではないということに。

「………………もう終わりですか?」

 氷のように冷たい微笑を浮かべた彼女の周りを取り囲むのは、もはやガラス片などではなかった。
 彼女を取り囲むのは、水槽を失った水のように、風に震える奇妙な液体。
 その輪郭の端にロケットが触れると、その部分に水晶で出来た花が咲く。
 爆風も、爆音もなく。
 静寂に飲み込まれるように、それでお終い。

「『クリスタル・ピース スノウ・ドーム』 これが、私の選んだ『強さ』です」

 ガラスとは、極めて奇妙な物質である。
 個体のような性質を持ちながら、液体のような構造を持つ。
 我々が普段目にしているガラスが結晶であるのは、単にそれが安定状態にあるからに過ぎない。
 故に、もし、ガラスのようなスタンドを操る少女がいたとして。
 そのスタンドが個体のような形質を保っていたとしても。
 それは単に、彼女の『精神』が安定しているからに過ぎないのかもしれない。


「…………いや、まだだ」

 硝子のあまりの変貌に、六郎は僅かにそう返すことしかできなかった。
 確かに『クレセント・ロック』の攻撃は硝子にダメージを与えていたのだろう。
 それは彼女の衣服が裂け、あちらこちらから血の赤が覗いていることが示している。
 そう『最初の方は』。
 あの爆風の中、硝子のスタンドに何らかの変化が起こり、その結果あの液体のような姿へと変貌を遂げた。
 だが、少なくとも距離を取るのが得策ではない以上、六郎には後退の選択肢はない。
 それが例えどれほど愚策であろうとも。

「…………クレセント・ロック!!」

 スタンドの名を叫び『クレセント・ロック』は再び攻撃を開始する。
 大小さまざまなロケット攻撃は、ガラスのような彼女のスタンドでは防御しきれない……はずだった。
 だが、彼女の周囲を覆う液体に飲み込まれると、炸裂のタイミングと同時に液体の中で途端に結晶が放射線状に顕現し、その爆発を飲み込む。
 液体に触れる前に爆発させても、表面がわずかに結晶化するだけで彼女に届く気配はなかった。

(…………あれほどの耐久性、原理は何処かで聞いたことがある。衝撃を与えた瞬間だけ固体化する液体は、薄く防弾チョッキの上に塗っただけでも異様な頑強さを持つという……まさか、あの少女…………戦いの中で自身のスタンドを『液状化』する術を身に着けたっていうのか!?)

 だとすれば、爆風による攻撃では彼女に傷一つつけることは出来ない。
 冷や汗が頬を伝い、地面を黒く湿らす。
 ロケットの雨が止んだのを見て、硝子がゆっくりと左手を持ち上げた。

「降参しますか?」

 薄く微笑んで首をかしげる硝子に、六郎は答えとばかりにロケットを打ち込んだ。
 相手に攻撃が通らないからと言って、何もそれで敗北というわけではない。
 彼女のあのスタンド形態は、恐らく防御に特化した物だろう。
 それに、あれだけ大規模な形質変化だ。
 お互いの精神エネルギーをすり減らす消耗戦を挑めば、まだ勝算はある。
 そう見込んでの一撃だった。
 が、しかし。

 ため息とともに、硝子の左腕が射出された。


「なっ…………」

 全く想定外の攻撃に、六郎の反応が一瞬遅れた。
 横っ飛びに回避しようとするも、左腕に纏う液状化された『クリスタル・ピース』がわずかに右のかかとに引っかかる。
 たったそれだけで、六郎の右足に激痛が走った。
 立ち上がろうとするも、右足の後ろ半分に重心が乗せられない。
 見ると『クリスタル・ピース』が掠ったその部分だけが、綺麗に切断されていた。

「マジ…………かよ…………」

 触れた瞬間だけ固体となるということは、つまり。
 触れた瞬間だけ、盾にも刃にもなるということなのだと気付いた。
 六郎の背後から、再びスライムのような硝子の左腕が、野生動物のような俊敏な動きで迫りくる。

「くそっ、射出しろ! 『クレセント・ロック』!!」

 たまらず六郎は、横っ飛びに回避した隙に足元に仕込んでおいたロケットに跨り、その場を離脱する。
 だが、ロケットのスピードの真骨頂は『最高速』のスピードである。
 故に、その『初速』に限れば『クリスタル・ピース』でも十分に捉えることが可能だ。
 スライム上の硝子の左腕が獣のように伸びあがり、発現したロケットのエンジンを抉り取る。

「うおぉぉおおっっ!?」

 制御を失ったロケットは、そのまま力なく上空へと打ちあがると、射出地点からほど近く、遊園地の池と浮島を繋ぐ橋へと落下した。
 その爆発音の方へと『クリスタル・ピース』に包まれた硝子が滑るように移動する。
 スタンドが全身を包むこの形態であれば、スタンドのスピードがそのまま本体の移動速度となる。
 その双眸はまるでガラスのように透き通り、硝子の感情を押し隠す。
 彼女の纏うスタンドは、彼女を守る砦のようにも、閉じ込める檻のようにも見えた。


 頭からコンクリートに叩き付けられ、朦朧とする意識の中。
 六郎の脳裏によぎるのは、一つの言葉。
 ずっと胸に引っかかっていた、ある少女の願い。

「だから私は藤島さんを激励するんです。藤島さんが、自分が欲しいものを見つけられるように」

 どれだけ考えても、悩んでも、答えが出なかった。
 ただがむしゃらに戦った先に、答えがあるかと期待した。
 そして、死の淵で初めて気付いた。

(本当に…………馬鹿みてぇな話じゃねえかよ……)

 ロケットのように突き進んでも、欲しいものが見つからないはずだ。
 本当に欲しいものは、前になどなかった。
 死の淵で振り返れば、失いたくないものばかりだった。
 本当に欲しいものは、気付けば増えるガラクタのような日常だったのだ。

(たった…………それだけに気付くために…………俺は…………)

 何度も戦い、血を流し。
 後悔の滲むような戦いを繰り返し。
 彼らの苦い敗北を踏み越えて。

(だったら…………なおさら…………)

 視界の端に、滑るように近づく硝子の姿が見えた。
 本当に、ガラスのような少女だ。
 朦朧とする意識の中、ふとそんなことを考えた。
 どこまでも透き通っているからこそ曇り易く。
 傷つけば傷つくほどその切っ先は鋭利に研ぎ澄まされる。
 確かに、彼女には戦いの素養があるだろう。
 だが、だからこそ。
 六郎は思わず、不幸な敗北、或いは勝利を重ねて、人間性を喪失した少年と彼女を重ねた。
 もし、誰かが彼の戦いに終止符を打てたら、あんな結末はなかったかもしれない。

(せめて…………最後くらいは…………!!)

 天性の才と不幸な幸運によってこんなところまでたどり着いた彼女に、誰かが終止符を打ってやらなきゃいけないと思った。
 この壮絶な戦いの果てに、彼女自身の幸福があるとは思えないから。
 動かない体を奮い立たせて、藤島六郎は立ち上がる。
 大きく息を吸い込み、ゆっくりとスタンドを構える。
 満身創痍の彼の瞳に、溢れんばかりの闘志を察したのか、新房硝子はその歩みを止めた。

「まだ戦うんですか?」

 本当に不思議そうに、硝子は六郎に尋ねた。
 勝ち目があるとは思えない。言外に六郎にそう伝えたつもりだった。

「あれ、硝子ちゃんはもう降参するかのい?」

 六郎が不敵に笑いかけると、硝子の眉間に微かにしわが寄る。
 そうだ、それでいい。
 六郎は威嚇するように力強く、笑う。

「来いよ、硝子ちゃん。君に社会の基本を教えてやるよ」

「えーと…………なんですか、それ」

 硝子は微かに苛立ちを覗かせて、六郎に問いかける。
 六郎は笑顔のまま、首をゆっくりと回す。
 左足に重心をかける。
 傷ついた右手を前に、拳は柔らかく握る。
 ポケットから一枚の硬貨を取り出し、左手で空中にはじいた。
 一発勝負だ。六郎は自分に言い聞かせた。

「生意気なガキには、大人の拳骨が必要だってな」


 その言葉を合図に、六郎の傍らに『クレセント・ロック』が発現する。
 口を一文字に引き結び、ゆっくりと右腕を振りかぶる。
 硬貨に拳が触れる。

「クレセント・ロォォォォォックッッッッ!!!!!!」
『ゥウォォォォオララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララアアァァァァァーーーーーッッッッ!!』

 その衝撃で硬貨がぶっ飛ぶより速く左の拳を叩き込む。
 左の拳が離れる瞬間に右の拳も叩き込む。

 クレセント・ロックの能力は『殴った場所からロケットを生やす能力』。
 その拳を叩き込めば込むほど、生み出されるロケットは大きく、強く、速くなる。
 だが、硬貨のような小さなものを殴り続けた場合。
 込められた『大きさ』のエネルギーは、果たしてどこに行くのだろうか。

 小さな硬貨がひしゃげて、その原形をとどめなくなるまで徹底的に、渾身の力を込めてぶん殴る。
 硝子がスタンドごと走りこむ。
 普段の彼女からは考えられないスピードで、一気に橋の中ほどまで詰め寄る。
 クレセント・ロックの右の拳が、ひしゃげた硬貨の端を撫でて、弾丸の如きスピードで飛来する。
 その硬貨を見据え、硝子はいつミサイルが飛んで来るのかと構えた。
 そして、硬貨が液状のスタンドの端に触れ、外部からの異物を感知したスタンドは、その本能のまま硬貨を切り刻む。
 微細な粒子ほどの刃に捉えられ、硬貨は目視出来ないほどに裁断され…………。

 そして、もしミサイルの射出口が。
 『目視出来ないレベルの微粒子にまで細断されたなら』

「ぶっ飛ばせ…………クレセント・ロック」


 最初は、強烈な光だった。
 次いで、巨大な腕が海洋を叩きのめす様な全身に響く重低音。
 硝子のスタンド『クリスタル・ピース』のシルエットが大きくゆがむ。
 吸収しきれない衝撃が、水晶の切っ先となって硝子を襲う。
 留めきれないと判断したのか、スタンドが硝子を守るために硝子自身を外へと打ち出した。
 内側で放射状に膨れ上がる真っ白な水晶柱を、透明な液体が押しとどめる。
 スタンド全体がブルブルと震えだし、おびただしい湯気がスタンドから上がる。
 そして、内側の水晶柱が今度はドロドロに溶けだしたころ、スタンドの内側から大きな泡がゴポリと音を立てて吹き出し、ようやくシルエットが安定した。

「はぁ…………はぁ………………」

 触れただけで焼けただれる様な高温の蒸気の向こうで、硝子はゆっくりと身を起こす。
 『クリスタル・ピース』も若干動きはぎこちなくはあるが、まだ十分に戦える。
 『クレセント・ロック』の最後の一撃、極限まで射出口を小さくする代わりに膨大な熱量を持つロケットを生み出す攻撃でさえも、硝子の『クリスタル・ピース スノウ・ドーム』を破るには至らなかった。
 苦労してもぎ取った勝利に、しかし喜びなどは欠片もなかった。
 ただ、次の戦いに対する飢餓感があるだけだ。

(何で、あそこまで戦えるんだろう……?)

 どれだけ戦っても、硝子にはわからない。
 戦いに賭ける誇りや、強いってことの意味さえも。
 硝子の胸を占めるのは、自分が奪った命の重さと、私が与えた敗北という結果だけ。
 だけど、だからこそ。
 終わらせるわけにはいかないと思った。
 きっと今まで戦ってきた人たちは、私よりも何倍も戦いの価値を知っていて。
 得られなかった勝利を渇望していたと思うから。
 ここで自分の弱さを認めてしまったら本当に、私には何も残らない。
 彼らの中でだけは、きっと。
 私は強い私でいられると思うから。

「良かった…………」

 無垢な少女はため息をつく。
 少女を動かしていたのは、せっかく手に入れた強さを失うことへの恐れと、敗者に対する過剰なまでの責任感。
 弱い自分に敗北するということが、敗者を傷つけることになるかもしれないという臆病なまでの優しさだった。

「私はまだ『強い』ままでいられる…………」

 得られた勝利に意味などなくとも、少なくとも勝ち続けてさえいれば。
 自分は誰かの認めた『強さ』の中で生きていられると思った。
 自分にどこまでも自身の無い少女は、その見出した『強さ』すら。
 敗者や死者の『弱さ』に依存するものであり。
 その歪さを、指摘できるものなどいなかった。
 そう、今までは。


 硝子はおびただしい蒸気に紛れて空高く飛び立った二つのロケットに気が付かなかった。
 戦いを理解できない少女、新房硝子は確かに天性の才を持つが。
 ただ一つ弱点があるとすれば、それは『姑息さ』に触れてこなかったというものだろう。
 少女には予測できなかったのだ。
 藤島六郎が放った全力の一撃が『クリスタル・ピースが防御することを前提にして』放たれたということに。
 そして、上空から飛来する六郎の真の勝利への切り札、重力の助けも借りて高速で飛来する『弾道ミサイル』の存在に気付いたのは、すでに手遅れになってからだった。

 硝子が六郎に近づこうと、橋を歩き出したちょうどその時。
 硝子は聞こえるはずのない音に気付いた。
 噴射口から、推進剤の炎が放つ特徴的な音。
 そして、その音は、硝子の背後で大きくなり。
 未だに灼けるほどの熱を帯びた自身のスタンドを使い背後からのミサイルに備える。
 あれだけの攻撃を受けてなお『クリスタル・ピース』は本体を守るために素早く動いたが、ミサイルが狙いを定めていたのは硝子ではなく、岸と橋とを繋ぐ、その根元だった。
 ほぼ同じタイミングで、浮島と橋とを繋ぐ部分にもミサイルが着弾し、支えを失った橋は内側へと崩落する。

(問題ない…………水の中でも『クリスタル・ピース』は変わりなく動け…………あっ!?)

 硝子が致命的な事実に気付くと同時に、彼女のスタンド『クリスタル・ピース』が着水し、爆発するような水蒸気が辺りを埋め尽くす。
 硝子のスタンド『クリスタル・ピース』はガラスの性質を持つスタンドであり、その性質に違えなければ液状にもなれる点が大きな強みである。
 しかし、だからこそ。
 ガラスの性質から逃れられない以上、極限まで熱された『クリスタル・ピース』がいきなり冷水に晒されれば、その体はガラス同様、一瞬で固まってしまう。
 水の中で完全に無防備となった硝子の上空から、ロケットに跨った六郎が垂直に突っ込んでくる。

「拳骨って言ったろ硝子ちゃん! これで終いだ!」


 これで終い? と硝子は短く息を吐く。
 左腕から義手を引き抜き、その最新鋭の凶器を外気にさらす。
 負けるわけにはいかない。
 凶器に頼って、狂気に頼って。
 ただ『強さ』だけにすがってここまで来たんだ。
 だから、ここで負けたら本当に。

「まだ…………負けるわけにはいきません!!」 

 硝子が心から絞り出した言葉に涙が混じる。
 自分の中の特別な力に気付いて、強くなろうと戦いに身を投げて、初めて流した涙だった。
 そして、水中という不安定な状況で、寸分の狂いなく六郎の額を射程に収めて。
 こんなことって、以前にもあったな。なんて思って。

「ほんと、私って弱虫だ…………」

 その小さな独白が硝子の耳に届いて、気付けば左手は水に力なく浮かんでいた。
 そして、跨ったロケットを蹴りとばし、渾身の勢いとともに振り下ろされた六郎の拳は、一分の容赦さえなく硝子の頬へと突き刺さったのだった。


「………………ん、硝…………ちゃん、硝子ちゃん!!」

 薄く目を開けた時、硝子は自分がまだ水の中にいるのだと思った。
 周りの風景が淡く滲んでいる。
 どちらが下かわからず、立ち上がるのに苦労していることに気付いて、自分がもう水中にいないと知った。

「よかった、眼が覚めたか。結構必死になってぶん殴っちゃったから、やりすぎたかと心配したよ」

 心配そうにのぞきこんでいるのが、自分が倒すべき相手だと気付いた。
 敗北の事実が初めて現実感を持って硝子を襲い、胸へと重くのしかかる。
 喪失感がこれほどまでに圧迫感を伴うものだとは思わなかった。
 体を小さく丸めて、嗚咽混じりに乾いた笑い声をあげる硝子に気付きながらも、六郎は彼女に声をかけなかった。
 勝者が敗者にかける言葉など、何一つないことを知っていたからだ。
 しばらくして、震えながら硝子が誰へともなく喋りだす。

「負けたくなかったんです」

「知ってる」

「負けっちゃったら、全てが否定される気がして」

「それも知ってる」

「私はせっかく手に入れた『強さ』を失いたくなかった」

「それは知らなかったなぁ」

「だってそうでしょう? 一度でも負けちゃったら、それで終わりじゃないですか!」

 無責任とも無関心とも取れる相槌に、硝子は思わず顔を上げる。
 それでもなお、六郎はへらへらと、全く深刻ではない顔でこう続けた。

「それで、硝子ちゃんの何が終わったんだ?」

「それは………………」

 感情のままに叫びたいけれど、ふさわしい言葉が出てこずに、硝子は口をパクパクさせるばかりだった。
 そんな彼女の様子を見て、本当に楽しそうに笑った六郎は、ポケットからずぶ濡れになった一枚の紙を取り出した。

「まぁ、悩める若人に俺ができることつったら、これくらいだよ」

 その無造作さに思わずつられて、硝子が紙を覗き込むと、それはところどころインクが滲んだ一枚の名刺だった。

「俺、美容師やってんだ。よかったら髪でも切りに来な」

 唖然とする硝子をしり目に、六郎は右足を庇いながら立ち上がる。

「それじゃ、またな」

 あくまで飄々と去っていく六郎の背中を見ながら、硝子は乾いた笑い声しか出てこなかった。
 どこか気に食わないけれど、どこが気に食わないのかわからない。
 そんな正体不明の苛立ちを覚えながら、硝子はすでに敗北を受け入れ始めている自分に気付いた。


 そして、しばらく呆然としていると、背後から声をかけられた。

「フム…………まさか敗北するとはな、試製・義手型荷電粒子砲を手にしたお主に勝る武人などおらぬと思ったが……しかし、歴戦の武人が集う今大戦で準優勝との戦歴は実に見事であるッッ!! 敗北こそすれ、立派に胸を張ってよいッッ!!」

 そういって鷹揚に肩を掴む五百旗頭。
 しかしそれとは正反対に、硝子の顔は憂鬱だった。

「あ、あの…………ごめんなさい」

「ム……唐突に謝罪とは何事だ? …………クク、その義手が破損したなどという程度の事なら心配無用だ。名刀とは茶の間で愛でるものではなく、戦場でこそ輝くものだからな」

「そうじゃなくて…………その…………せっかく五百旗頭さんに勝ったのに、その私が負けちゃって……」

「…………フム、話が見えぬな」

「ええと、だから、あの…………負けちゃったから、結局私『弱い』ままで…………五百旗頭さんに勝った私が弱いままじゃ、五百旗頭さんに申し訳ないかな……って」

 硝子が自分の気持ちを伝えようと必死に言葉を紡ぐ。
 その言葉を聞いているうちに、五百旗頭の心にはふつふつと、ある感情が湧いてきていた。

「…………つまりだ。お主は吾輩に勝ったからこそ…………吾輩の為に強者であろうと…………そう思い戦ってきた………………そう言っているわけだな…………」

「あ、あの……はい…………」

 この段になってようやく、硝子も五百旗頭の様子がおかしいことに気付いた。
 噛みしめるように一言一句吐き出していく五百旗頭は、紛れもなく怒り狂っていた。

「貴様ァァァァッッッッ!!!!!!!!! この五百旗頭実を馬鹿にするかァァァァッッッッ!!!!!!!!」

「ふえぇっ!?」


「この五百旗頭実がッッッッ!!!! 女子供に自らの敗北の尻拭いをさせることを望んでいるなどとォォォォッッッッ!!!! よくもそんな妄言が吐けたものよッッッッ!!!!」

 五百旗頭が全身を戦慄かせて怒鳴り散らす。
 幾度か見た、「粛正ーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!」 が飛んで来るものと思い、硝子は思わず歯を食いしばる。
 だが、実は振り上げた拳を渾身の力を込めて石畳へと打ち付ける。
 轟音が響く、空薬莢が飛ぶ、全身全霊を込めて打ち込められた拳は、石畳を粉々にした。
 なおも興奮冷めやらぬ五百旗頭は息継ぎすることすらなく大音量でまくしたてる。

「貴様が先の大戦で見事優勝した時分にはッッ、この小娘め大言を吐くようになったと関心もしたがッッッッ、貴様が理解した『強さ』とやらもッ、所詮は仮初の鎧で身を固める臆病者の戯言だったとはなァァッッ!!! よく聞けェェエイィィ!!!!!」

 高らかにそう叫ぶと五百旗頭は、万感の思いを込めてその言葉を硝子にぶつけた。

「真の強さとはァァッッ!!!! それすなわち我が道を行くことに他ならんッッッッ!!!!!!!!! それを理解しようともせずッッッッ!!!! ただ漫然と生きるからこそォォッッ!!!! お互いが分かり合えんことすら理解できんのだァァァァッッッッ!!!!!!!!」


 その生涯を信念に捧げることを天に誓った男は、思想さえ脱ぎ捨てて目の前の少女に信念を語った。
 何が五百旗頭を熱くさせたのかは、本人すら理解できないだろう。
 あるいは、このような迷える者に道を示すことから、彼の思想は始まったのだということかもしれない。
 その慟哭にも似た彼の叫びの全てが、硝子に理解できたとは思えない。
 けれど、硝子にはなぜか、笑いと涙があふれ出して止まらなかった。
 ただ、その恫喝に彼女は、ずっと胸の中にあった凍りついた何かが溶けていくのを感じた。
 きっと、硝子は、誰かにこういってほしかっただけなのだろう。
 弱いままでも良いと。
 『強くなりたい』彼女の希望は、何時しか彼女自身を縛る鎖となっていた。
 『弱い』自分のまま勝利した少女は、手にした勝利が『強さ』だと誤解した。
 それを手放すということはすなわち以前の自分に戻ることだと。
 『強くなりたい』はいつの間にか『弱くなりたくない』へと変わり『強くある』という強迫観念へと歪んでいった。
 歪なままで勝ち続けた少女は、なんてことはない。
 ただの気弱な、心優しい女の子に過ぎなかった。
 その優しさを罪とした『戦い』を理解できなかった少女は、必死に誰かを真似るしかなかった。
 時には敗者を、時には死者を。
 純粋であるからこそ、無理に向き合おうとした。
 間違っているとしたら、初めから間違っていたのだ。
 だから、硝子は。
 五百旗頭の言葉に救われた気がしたのだ。
 理解できないことを無理に理解しようとすることじゃなく。
 理解できないということを理解することが、本当に必要な事なんだと、そう言ってくれたことに。
 突き抜けるような青空の下、硝子はただそれだけのことで、もっと自由に生きられる気がした。

★★★ 勝者 ★★★

No.4082
【スタンド名】
クレセント・ロック
【本体】
藤島 六郎(フジシマ ロクロウ)

【能力】
殴った場所からロケットを生やす








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最終更新:2022年04月17日 16:32