第08回トーナメント:決勝②
No.4919
【スタンド名】
フェイセズ・イン・ザ・クラウド
【本体】
寿(コトブキ)=ガブリエラ=コジョカル
【能力】
接触したものから水分を吸収して膨張する
No.6130
【スタンド名】
クリスタル・ピース
【本体】
新房 硝子(シンボウ ショウコ)
【能力】
微細なガラスを操作する
フェイセズ・イン・ザ・クラウド vs クリスタル・ピース
【STAGE:雑木林】◆/R99hGowSU
「硝子、ゴールデンウィークに海外に行ってたんだってっ!?
何で私に教えてくれなかったのよぉぉ~~。
あのさぁ、何処に行ったの?フランスの凱旋門とかイタリアのドゥオーモとか…。
あっ、お土産はあるっ?」
「お墓に行ったんだよ」
「え…?」
「…また明日」
黄金週間と呼ばれる大型連休も遂には終わり、五月に入ってから初めての登校日、待っていたのは普段と変わらない退屈な授業と賑やかな級友達、そして一人きりの下校時間。
けれど新房硝子は元来とても繊細な心を持つ少女であり、自身に向けられた感情に対しては人一倍敏感であった。
なのでその微かな『違和感』にいち早く気付き、そして 順応した。
誰も彼女を「ガラスのハートちん」なんて呼ばなくなったことに。
目を見れば、その人間が人を殺したことがあるかどうか分かる。と、二回戦の対戦相手だったG・Tさんは言っていた。
クラスメートの皆も無意識的に、私の目を見て以前とは何か雰囲気が違っていると認識しているのだろう。
それが彼等の言葉や行動の端々に現れているのを彼女は見逃さなかった。
見逃せなかった、と言う方が正しいのかもしれない。
「強さって、何なんだろう…。
私は、強くなって何がしたかったのかな…。」
自室のベッドに倒れ込み、一人自問自答してみても答えが見つかることはない。
日本に帰ってきてから既に数え切れないほど考え、涙を流し、苦しんだのだから。
一度は変幻自在の刃によって切り離された左腕と、一度は破壊的な圧力によって潰された肋骨がズキリと痛んだ。
運営の『スタンド使い』を名乗る人物が自分の気絶している間に、どれほど設備の整った病院でも数ヶ月は入院を余儀なくされるであろう負傷を綺麗さっぱり治してくれていた。
傷跡も全く残っていないし、何の問題もなく動かせる。
それなのに、
今もこうして、あの時の『痛み』が何度も何度もぶり返すのだ。
生きていれば、いくら腕が切り落とされようと、どんなに骨が折れようと充分に治すことができる。
でも、死んでしまえば何もかも終わりだ。
二人の命を私が奪ってしまった事実も、直すことは永遠に叶わない。
この痛みは、二人からのそんなメッセージに思えて仕方なかった。
「…答えは、絶対に見つけてみせる」
奪った物を返すことが出来ないのなら、せめて無駄にすることだけは無いようにしよう。
そうでなければ五百旗頭さんとG・Tさんに顔向けできない。
何時の間にか流していた大粒の涙を枕にギュッと押し付けて、新房硝子はゆっくりと顔を上げる。
視線の先には整然とした勉強机、そして無造作に置かれた黒の封筒が不気味に口を開いていた。
「あなたも、暇ですねン」
「暇じゃあないですが、どうしてもあなたに一言、ありましてね」
「なンですかねン?」
「いい加減にしろよ」
戦後、第二次世界大戦からの復興と大規模な都市開発により日本は深刻な木材不足に陥っていた。
そこで当時の農林水産省が推し進めたのが杉木や檜などの成長が比較的早い樹木を各地に植樹する拡大造林政策だった。
結果としてそれが、『花粉症』を全国に蔓延させることとなった大元の原因となる。
今、二人の男が不穏な空気を醸し出しているこの場所も、泡銭に踊らされた人間の手によって造られ、そして現在まで放置された数ある雑木林の中の一つである。
この林の中央部に腰を据える、一際大きな杉の根本に建てられたプレハブ小屋にて今回の決勝戦が見守られ、審判が下されるという訳だ。
「犬養さんが負けて、ようやく落ち着いたかと思えば、本当に懲りない人ですね。
しかも今回はあなたから『取引』を持ち掛けたそうじゃないですか。
そもそもで、あなたのようなキナ臭い男を決勝戦にまで立会させる運営の意図が全く分からない」
黒の高級スーツに身を包んだサラリーマン風の男が、幾つものモニターの前で画面を微動だにせず見つめ続けるもう一人の男---決勝戦の立会人に向かって苛立ち混じりに捲し立てる。
「本当はお願いンという形を取りたかったンですけど、思いの外犬養サンの能力ンが長続きしてるようで仕方なくン」
「でもねン、」
そこまで言うと、立会人は座ったままの体勢でくるりと男に向き直り、急拵えで張り付けたような笑みを浮かべて
「あなたンも、寿サンの味方なンでしょ?」
と憎たらしく呟いた。
まるで、今回の取引はお前が隠蔽してくれるんだろうと言わんばかりの口振りで。
「…彼女と『取引』なんてマトモに行えたとは思えないですが」
「そこンは私の手八丁ン口八丁ンですよン」
男は諦めたように立会人の隣に腰を下ろすと、彼と同じようにモニターに映し出された『少女』の姿に目を移した。
「ところで、何故そこまで犬養さんのために、運営の規定に背いてまでこんなことを?」
「んんン…。
強いて言うンなら、あなたが寿サンに肩入れするンのと同じ理由ですよン」
立会人の無機質な声による『答え』から、男は何かを感じ取ったようで、それからは決勝戦の始まりを告げる鐘が鳴り響くまで口を真一文字に閉ざしたままだった。
「さてン、どちらが勝つか見物ですねン…」
管理の行き届かない手付かずの自然、四方に巡る蜘蛛の巣と午前の雨でぬかるんだ地面に気を取られ思うように進めない。
こんなことなら長靴を履いてくれば良かった、と硝子は足元に目を落としつつ雑木林の中を歩いていく。
やがて少し拓けた場所に出ると、その中心にぽつりと残された切り株に腰掛ける少女の姿が見えた。
季節外れな冬物の衣類に身を包んだ幼気な少女だった。
一瞬、硝子の顔が強ばり、その足が止まる。
「まさか、あの子が決勝戦の…?」
願わくは、間違いであってほしかった。
もしかして彼女は運営から派遣された立会人か何かで、決勝戦の行く末を見届けるためにこの場所にいるのだと。
そう思いたかった。
「うふふ…。
はじめましてぇ、おねーさん。
私の名前はぁ『フェイセズ・コジョカル』……?
なんかちがうなぁ、『ガブリエラ・寿・クラウド』?
まぁ、なんでもいいのですぅ…ふふ」
屈託の無い笑みをこれでもかと振り撒いてくる、両脚をぱたぱたと小気味良く動かしながら。
やはり切り株の前まで来てみても、にわかには信じがたい相手だった。
まるで妖精のような可憐さを感じさせる容姿と甘ったるい声、今までの相手とは似ても似つかない。
「こんにちは、えっと『寿』さん?
私の名前は『新房 硝子』
あなたが私の対戦相手で間違いない…よね」
「ほー!私の名前は『寿』なのですねぇ。
ひじょーにさんこーになりましたぁ。
あい、そーですよぉ…うふふ。
だからショーコちゃんっ、はやくあそびましょ~~!」
「寿さん、
……この戦いがどういう意味を持つものか、分かってる?」
何気なく、本当に気付いたら自分の左腕を真っ直ぐに彼女の眼前に突き出していた。
誰かが私に取り憑いて、勝手に体を操っているみたいに。
何となく、私はこの『意思』に身を任せてみることにした。
なんだか懐かしく思う、出会いから別れまであっという間だったけど一生忘れることのできない『意思』だ。
「今から私達がすることは…」
『クリスタル・ピース』、硝子のスタンドである半透明の女性型は自らの右腕を鋭利でな水晶へと変え、
「こういうことよッ!」
主である硝子の左腕を事も無げに切断した。
幾重にもなる枯れ葉の絨毯に、白と赤のコントラストが映える左腕が落下する。
想像を絶する痛みが切断面から全身を駆け巡ると、硝子は堪らずに尖った悲鳴を漏らした。
「うっ、くううう……ッ!」
「ショーコちゃん、大丈夫?
お手々がとれちゃったよ?」
依然、ガブリエラのまっさらな笑顔は崩れぬままだった。
濁流のように迸る血液の噴出を前にしても、転がる腕をなんてこともなく拾い上げ、苦痛に顔を歪める硝子に手渡そうとしていた。
「……心配は無用だったみたいね」
「んっ? うふふふふ……。
『フェイ』ちゃん、ごはんだよ~ぉ!」
突拍子も無くガブリエラが声を上げる。
間もなく、クリスマスを想起させる少女のポンチョの間から湧き出てきたのは、入道雲に不気味な顔が幾つも浮き彫りとなったモノ。
「いっぱいたべようねぇ」
『フェイ』ちゃんと呼ばれたモノは、ものぐさな動きで少女が掴んだ硝子の左腕に纏わり付いていく。
「むーしゃ、むーしゃ、しあわせー♪」
「わ、私の左腕が、左腕が干からびて…!」
掛かった時間はものの数秒だった。
硝子は自身の左腕がミイラのように乾燥していく様を、ただ呆然と眺めているしかなかった。
「はい、ごちそうさまでしたぁ」
枯れ枝のように成り果てた腕を投げ捨てて、目を瞑りながら手を合わせるガブリエラ。
一つ言えることは、彼女に悪気はなかったということだ。
ただ硝子が腕を切り落としたのを「捨てた」と見なし、スタンドを使ったまでのこと。
水分はいくらあっても困ることはないし、それが対戦相手のものであったなら尚更だ。
「ッ…『クリスタル・ピース』!」
自身の腕を切り取った血染めの水晶刃を、そのまま無防備なガブリエラに向けて振り下ろす。
硝子は恐ろしかった。
彼女のスタンドが、ではなく。
一連の行動に於いて、少女の目は一度も曇ることがなかったのだ。
無垢だった。
それが、なによりも恐ろしく得体の知れない眼差しとして自分に注がれていたのにとても耐えきれなかった。
故の攻撃、明確な殺意を持った一振り。
「おっとぉ、危ないなあ。えへへ…。
あっ、ねぇショーコちゃん。私、ひらめいちゃった!
あのねぇ『鬼ごっこ』しましょ~?
鬼はショーコちゃんねっ!
お日様がバイバイする前に私を捕まえられたら勝ち、だよ!」
どうやったのか目も開かずに差し迫った凶刃を難なく避けると、ガブリエラは体を捩ったついでに背後に煌めく太陽を指差してけらけらと笑って見せた。
その位置から察するに、今の時刻は午後の五時半ぐらいだと思われる。
太陽が完全に沈むまで後一時間ちょっとだ。
「それじゃ、スタートぉ!」
弾けるようにその場を走り去る。
彼女は自由気ままだ。
いきなり『鬼ごっこ』なんて言い出したと思ったら、勝手に決勝戦の試合内容を決めてしまった。
私が自分を殺そうとしたことも、意に介していないようだった。
「やるしか…ないよね」
唇を強く噛み締めて、硝子は遠ざかるガブリエラの背中を見つめていた。
新房硝子は引っ込み思案で、他人よりもナイーブな性格であること以外は至って普通の女学生だ。
ガブリエラへの殺意の籠った攻撃も、一時的な発作のようなもので、出来ればあんな小さな女の子を傷付けたくはない。
同時に、負けたくもない。
命の奪い合いが『鬼ごっこ』で済むのなら私としても願ったり叶ったりだ。
「進まなければ、前に…。
ここで止まったら私の背負った『重み』が全て無駄になってしまう。
それだけは避けなくちゃ」
一歩、前へ。
ガブリエラの姿はもう見えなくなっていたが、不思議と負ける気はしなかった。
自分は一人ではないと分かっていたからか、『重み』は足枷などではなく確かな『力』として硝子の脚を動かしていた。
モニターには軽快にステップしながら楽しそうに駆け回るガブリエラと、それを必死に追い掛ける硝子の姿が映し出されていた。
二人の男は暫し沈黙の中で決勝戦の様子に見入っていたが、その内の黒スーツの男がおもむろに口を開いた。
「そういえば、今回はどういったトラップを仕掛けたんですか?」
「前回使えなかった『鋼鉄線』、再利用ンさせて頂きましたン」
「…寿さん、トラップの存在を覚えているんでしょうか。
はっきり言って彼女の頭脳は幼稚園児並です、誤って自分の首を絞めてしまうことが無いかと」
「またまたン、心配なんてしてない癖にン」
ま、そうなんですがね、と男は立会人に頷いて見せる。
彼女の生まれ持った才能、『直感』と『本能』
文明社会を生き抜くためだけに最適化された、人の姿をした獣がガブリエラだ。
そこに善悪の感情もなく、今を生きるためだけに行動するから獣なのだ。
もとより無償の愛や自己犠牲の精神など欠片も存在していない。
世間の一般的な人々はそんな彼女を「知的障害者」だとか「可哀想な子」などと呼び、からかい、蔑むだろう。
ツマラナイ常識に縛られた凡人達が、だ。
こんなにも一緒に居て楽しい、面白い人はそう居ないというのに。
実のところ、こういった“面白い”人間に出会うために男は『立会人』という職務に就いていた。
「正直に言うとね、二回戦であなたがトラップを仕掛けるのに失敗したと聞いた時、心底ホッとしました。
寿さんが助かったから、というのもありますがもう一つ理由があります」
「ほうン?」
「あなたを粛清せずに済んだことです」
「…アンタもなんか、いきなり気持ち悪いンこと言いますねン」
立会人は感情を表さずに、言葉を淡々と告げるだけ。
「あなたは“面白い”」
「……そろそろ狩場に着きますよン」
立会人から見て最も遠い場所、右端中央のモニターに二人の少女の姿が続けざまに映り込んだ。
雑木林は急に立ち込み始めた『霧』と夕暮れ時ということもあって、その不気味さを一層際立たせていた。
苦しそうに息を荒げて、 鼻唄混じりに逃げ回る少女の背中をひたすらに追っていく。
辛うじて聞き取れる透明な音色、どうやらガブリエラは「森のくまさん」を唄っているようだ。
可愛らしくもどこか妖しげなメロディが、薄暗い雑木林の中で小さく木霊する。
硝子は今、自分が置かれている状況に於いて二つの無視できない問題に直面していた。
一つは、異常な喉の渇き。
走っているから当たり前だ、と最初は考えたがそれにしてもおかしい。
汗も出ていないのに喉だけ渇くのは不自然だし、そもそもでこの霧の中。
「汗どころか、肌が湿り気すら含んでいない……。
まさか、現在進行形で水分を奪われているの?」
ガブリエラのスタンドが水分を吸い取り、パワーを増す類いの能力であることは、自らの左腕を犠牲にして理解していた。
つまり、周囲の『霧』だと思っていたものが彼女のスタンドの一端で、私の体の水分が少しずつ奪われているのだとしたら…『鬼ごっこ』は単なる遊びなんかではなくなる。
「このままじゃ、あの子になぶり殺しにされる…!
『クリスタル・ピース』!」
焦ったようにその名を叫ぶ。
傍らのスタンドを女性型から二対の巨大なガラスの豪腕へと変化させ、前方を走るガブリエラに向けて包み込むように展開した。
「ふふふふーん♪まだまだですなー!」
そして、もう一つの問題。
それは『蜘蛛の糸』
硝子が展開した鬼の腕は、ガブリエラが潜り抜けた木々の間の蜘蛛の巣に瞬く間に絡め取られていく。
勿論、それはただの蜘蛛の巣ではなく『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』の一部が糸にコーティングされたトラップだ。
元々が厳つい腕を形作っていただけのガラスの集合体であるために、その一粒一粒がいとも容易く捕まってしまう。
「早くしないとお日様が居なくなっちゃうよっ!
急げ急げぇ~~!」
「もうっ…待ちなさいッ!」
蜘蛛の巣を強引に引き千切りながら、濃霧で霞むガブリエラの姿を追う。
糸に触れる度、右腕の水分がじわじわと奪われていくのをはっきりと感じていた。
苦肉の策という奴で、蜘蛛の巣を迂回すればガブリエラを見失ってしまうし
スタンドを使えば絡め取られ、それを一旦引っ込めて再発現するのには時間と精神力が掛かりすぎる。
手遅れになる前に、一刻も早く彼女を捕まえなければ……。
「うふふふふ~~♪」
ガブリエラが、もう何個目かも分からない蜘蛛の巣をそれまでと同じように潜り抜けた。
硝子も流石に慣れた手付きで、行く手を阻む糸の網を取っ払おうと手を伸ばした。
「いっ……あ…」
簡単に取り除ける筈だった。
現に、こうして蜘蛛の巣を何個も破壊してきたのだから。
痛みよりも先に、激しく飛び散った血液の温かさで何が起こったのか把握する。
右手が見事に切断されていた。
正確にいえば、蜘蛛の巣をなぞるような形で掌がバラバラになっていた。
「嘘…なんで…?」
「あ~あ…、そのお手々じゃ私にタッチできないね?
左も右も無くなっちゃったですからぁ」
背中を向けていた筈のガブリエラがこちらに歩み寄ってきている。
その背後にはもう、太陽の姿は無い。
「ひょっとして 私の勝ちですかねー?」
硝子はガブリエラには一瞥もくれず、滲む目を凝らして蜘蛛の巣を観察する。
先の無い左腕をちょんと当ててみる。
冷たい、硬い、鋭い…。
「これは、『鉄線』?
なんで林の中にこんなものが張られているの…?」
「あぁ~それですねぇ。
『たちあいにんさん』が言ってたトラック…ストラップ?
んむ~~…。
まぁ、そんな感じのあれだと思われです」
立会人、本当に居たんだ。
それなら何で私にはこの鉄線の存在を教えてくれなかったんだろう。
「ショーコちゃん、どっちのお手々からも血が一杯だよ?
ダメですねぇイケない子ですねぇ、折角のお洋服が汚れちってる。
すっかり乾かさなきゃ…」
「………」
始めよりも一回りも二回りも大きくなった『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』から歪で禍々しい腕が次々と生えていく。
何十何百という指先が、項垂れる硝子の喉元を今か今かと嫌らしい動きをしながら幼い主人の命令を待つ。
「それじゃ、私が鬼ごっこに勝ったので… ショーコちゃんに罰ゲームっ!
今回はぁ~…『雑巾絞りのおしおき』だ!
よぉーし、はいスタートぉ……って、あれ?」
右手を上げ指を拳銃の形にし、お仕置きの合図となる硝子への『発砲』をしようとした瞬間、ガブリエラの鼻先に米粒程のキラキラと輝く『何か』がひらりと舞い落ちた。
「……………」
「……ゆき………」
「……ゆーーーきーーだーーっ!!!」
雪。
残念ながら、ガブリエラのお粗末でやれやれなおつむでは白くて小さくてキラキラしている空からの飛来物は全て、あの雪だと判断されるようだ。
普通に考えて五月に雪など降るはずがない。
ここが東北地方だったなら、まだ可能性は無いとは言い切れないが。
万事休すの硝子が取った奥の手は、スタンドを雪の結晶の形にして射程ギリギリのところから舞い降らせることだった。
霧のお陰で空が晴れているかどうかを確かめられる心配もない。
恐怖を覚えるまでに純粋無垢なガブリエラに対する、一か八かの最終手段。
「ゆーきっ!ゆーきっ!」
どんどんと量を増していく『雪』と、硝子の存在を忘れたかのようにハシャギ回り両掌を宙空に広げるガブリエラ。
(これなら、『クリスタル・ピース』を彼女の喉に詰まらせて気絶させられる…。
どうかそのまま無邪気に遊んでいて…)
「ここで負けないのが寿さんですよ」
「あなたの言うン、『直感』と『本能』て奴ですかン」
「ええ、彼女の実に“面白い”才能です。
ま、彼女はこの雪が偽物だとは永遠に気付けないでしょうがね」
「じゃあ、このまま寿サンの勝ちンで終わりでしょうかン」
立会人は相変わらずの棒読み口調で喋り続ける。
男は黙ったままだった。
やがて立会人も口を閉じてしまったので、プレハブ小屋には再び沈黙が訪れた。
どこからか響いてくるカラスの鳴き声だけが、虚しく室内に満ちていった。
「こうしたら、もっと綺麗だよねぇ~~」
殆ど神憑り的な行動としか思えなかった。
或いは彼女の『直感』と『本能』による必然の防衛反応だったのか。
(う……動かない?)
辺りを舞い散る『クリスタル・ピース』の細雪を、ガブリエラの『フェイセズ・イン・ザ・クラウド』が空中に固定したのだ。
彼女としては、こっちの方がより綺麗になるだろうと思っての何気無い行動だった。
殺伐とした林の中に突如現れた幻想的な風景に、思わず硝子も腕の痛みを忘れ見惚れてしまった。
「ふわわ~!お星様みたい…。
ねっ、ショーコちゃん綺麗だよねっ!」
「く…う……もうちょっと……」
「はぁっ!?
私としたことが、ショーコちゃんのおしおきをすっかり忘れていたのです!」
ようやっと本来の目的を思い出し、
口に手を当てて申し訳無さそうな顔をする。
スタンドの大半を『雪』の固定に割いているために、今度は雲の腕を一本だけ生やし息も絶え絶えの硝子の元へと駆け寄っていった。
「『フェイ』ちゃんを雪さんに使ってるのでぇ『雑巾絞りのおしおき』から
『抱き締めのおしおき』に変更~!
キャー、恥ずかしいですぅ女の子同士でギュッするなんて…」
もじもじと体をくねらせる。
頬を赤く染めているのを見ると、少し照れているようだ。
硝子はずっと顔を伏せたまま。
「それではぁ、うふふふ。
よーい…スタートぉ!!」
「はい…タッチ」
丸みを帯びた水晶の手を、少女の頭に優しく置いた。
「……ふぇ?」
「『鬼ごっこ』、寿さんを捕まえたら私の勝ち…。
忘れて…た?」
「にぇえええ!?
だってだって、太陽さんはもう帰っちゃったんだよ?」
『鬼ごっこ』は終わったものだとばかり思っていたために、
あり得ないほど狼狽えるガブリエラは(おそらく)太陽が沈んでいく西の方向をぶんぶんと指差した。
そして、唖然とした。
振り向いた瞬間、目映い程の日え光が自分の視界に飛び込んできたのだから。
「太陽さん、まだ居たんだ……」
「霧のせいで…光が届かなかっただけ、だよ。
固定された『クリスタル・ピース』をレンズ状に…して、霧の外側に残しておいたレンズで太陽光を誘導した…の。
はぁっ…いづ…くっ……」
朦朧とした意識を必死で繋ぎ止め、如何にして自分が勝利したか説明する。
こうすれば、彼女も納得して敗けを認めるだろうし私が気絶しても『勝ち』を盗むなんてことはしないと思った。
天賦の才能、『直感』と『本能』が発揮されるのは、ガブリエラが死の危険に晒された時だけである。
皮肉にも、彼女は自身で『鬼ごっこ』を試合内容として提案したせいで、その才能を活かしきることができなかったのが敗因となったのだ。
もしも「相手を倒した方が勝ち」なんてルールだったなら、どちらが勝利を手にしていたか。
説明の最中、何度か首を傾げる素振りを見せていたガブリエラも自分が敗北したことだけはなんとか理解したらしく、
分かったー♪私の負けねー!と、さほど落ち込む様子もなくニコニコと笑っていた。
出会った時に感じた純粋さを保ったままの笑みだったので、なんだか心底ホッとする。
「私、はは…。
勝ったんだ……。
やった、みんな…つよ…くな…」
その笑顔の記憶を最後に、新房硝子の意識はとんと深い闇の底へと崩れ落ちていった。
「あっ、『たちあいにん』さんと『あやしいひと』さんだ!」
「怪しいンとは、心外ですねン」
今度こそは本当に太陽が沈み、ざわついていた雑木林が元の静寂を取り戻した頃。
二人の立会人の片割れ、黒スーツの男が夜空に広がる星を眺めていた少女の前にまで来ると、次に地面に力無く倒れたもう一人の少女に目を移し長い溜め息を吐いた。
「寿さんなら優勝できると信じていたんですが、まぁしょうがないですね。
新房硝子には『常識人』も捨てたもんじゃないと教えられましたし、多少は楽しめましたよ」
「んん~?むぅー……」
「ん、お腹が空いたんですか?
では、そろそろ失礼しましょうか。
残念賞ということで、今夜は私の『サービス』ですよ。
あなたの好きな料理をご馳走します」
「やたー!『たちあいにん』さん、すきー!!」
「最後の晩餐すら、御前達に開く資格は無いよ」
「……やっぱり、来ましたかン」
何の違和感もなく、最初からこの場所に佇んでいたかのように長身の青年が一人、小脇の杉木に寄り掛かっていた。
落ち着いた印象を受けるが、立会人の二人を見る目は鋭い。
「『立会人の大会参加者への過度の干渉は、厳にして慎まれるべきである』
いわば不文律って奴だけど、誰もこの掟を破ることはしなかった」
青年は自らの言葉を噛み締めるように強く唇を結ぶと、己の分身となるスタンドを発現する。
「本当に、勿体無いと思うよ。
……『粛清』だ」
「『グッバイ・スーパースター』」
「あうッ……!?」
突き刺すような数多の痛みが、驚きで目を見開いた青年の背中を覆い尽くしていく。
「現刻より、お前は私の下僕として働くように。
安心しろ、安全な場所まで逃げ切ったら能力を解除するから。
この『感情』がその時まで消えてなければ、だけどね」
茂みの中からまた一人、じと目の少女が具合が悪そうにふらふらと姿を現した。
「……恩は返したぞ」
「ありがとンございます、犬養サン。
お礼と言っちゃなンですが、御食事でも如何ですか?」
「よし、じゃあな」
仏頂面の少女は、虚ろな目をした青年を引き連れて立会人には構わずさっさと歩き出した。
「いやいや、無視ンは酷くないですかン」
仏頂面の立会人は(心では)慌てて彼女の側に寄り、黙りこくる少女には構わずせっせと喋り出した。
「面白いですね、あの二人も。
『感情が半日しか続かない』少女と『感情が常人の半分しか無い』男の組み合わせ。
実に興味深い」
「ぐぅーぐぅー!」
「もう我慢できませんか。
それでは、私達も参りましょう」
「いえーい♪」
二組の影が、すっかり夜の満ちた雑木林を足早に去っていく。
……………。
「…………ん」
「気付きましたか、良かった。
立会人もせめて、貴女を介抱してから消え去れば良いものを」
目を覚ますと、いの一番に白い天井が目に入った。
ここは病院かな。
ベッドの横で見知らぬ青年が優しく微笑んでいた。
誰だろう。
「起きて早々なんですが、優勝おめでとう御座います、新房硝子さん。
貴女は見事に寿=ガブリエラ=コジョカルさんを破り、栄光を手にしました」
「栄光?」
両手の感覚が、 ある……。
治してくれたんだ、自分で切った左腕は治してくれないかと心配してたけど。
「はい、このトーナメントを制覇した者にのみ与えられる栄光です。
…あれ、あまり喜ばれないんですね」
「いや、そういう訳じゃなかったんですけど…」
「『招待状』」
「えっ?」
「貴女がこのトーナメントに参加する際に、招待状が届きましたよね。
あれを読んだ時、どう思いました?」
「どうって…『強くなりたい』と思いました。
私ってちょっとしたことで落ち込んじゃったり、体調を崩したりするのが日常茶飯事で。
そんな自分を変えたいって、招待状を読んだ時に決意したんです」
「そう、ですか。
もし。
その決意は、『僕のスタンド能力で深層心理を増幅させられた賜物』だと言ったらどうします?」
「…は?
深層心理…増幅?
何を言ってるんですか」
馬鹿らしいと思いつつも、招待状を開いた時の自分を振り返る。
どうかしていた、よく考えれば直ぐに分かることだった。
あの『ガラスのハートちん』が血生臭い戦いの場に自分から赴く筈が無いと。
「えっ……。
私が『強くなりたい』と願ったのは、貴方のせい?」
「はい」
「はい、って…」
「強くなれましたか?」
「そんなの…分からないよ」
心臓が破裂するほどに締め付けられる思いだった。
あの日、招待状を固く握り締めた時からこの日まで。
私の意思は初めから無かったのか。
「………」
「…ここからは僕の持論なので、話し半分で聞いていただいて結構です」
咳払いをして、畏まる。
「強くなるということは、前に進むということだ。
僕は招待状に細工をし、貴女の気持ちを後押しした。
そうです、僕はほんのちょっぴり後押ししただけで、ここまで進み続けたのはスタンド能力のせいなんかじゃない。
貴女の『強さ』がそうさせたんです」
「私の『強さ』?」
青年は頷く。
「僕は貴女に、これからも前へ進み続けて欲しい」
そこまで言うと、スーツの内ポケットから一通の封筒を取り出した。
招待状に似ていたが、細部の作りが微妙に異なる黒の封筒だ。
「今回のトーナメントで我々運営委員会からは二人もの立会人を失ってしまいました。
貴女がどの道を進もうが、それは個人の自由です。
でも、もし良かったら僕と同じ道を歩んで貰いたい」
胸に置かれた封筒を震える手で掴み取る。
「どうして私のためにこんな?」
「…僕も以前は極端に意思薄弱で、周りから色々と陰口やら何やら言われていました。
貴女はそんな昔の僕に似ていたから、かな 」
青年は爽やかな風を従えて硝子の病室を後にした。
一人残された硝子は、封筒を大事そうにしまうと虚空に向かって囁いた。
「…うん、まだ立ち止まれないよね」
茨の道になろうとも、彼女は歩みを止めないだろう。
他の誰でもなく、硝子自身がそれを確信していた。
五月の暖かなそよ風が、汚れない病室を駆け抜けていく。
★★★ 勝者 ★★★
No.6130
【スタンド名】
クリスタル・ピース
【本体】
新房 硝子(シンボウ ショウコ)
【能力】
微細なガラスを操作する
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最終更新:2022年04月16日 22:12