まもなく3番線に、都滑行きの最終電車が参ります。危ないですから黄色い線の内側に―――
「はあああぁぁーーー……」
大きく吐き出されたその息は、大混雑の駅の空気に混ざって消えた。
ため息の行く宛は、これから予想される乗車率300%に対してか、
毎日毎日終電間際まで帰ることの出来ない職場に対してか。
それとも、今からおよそ2時間後に行われる『ある戦い』に対してか。
彼女の名前は大村マリカ。今年四年制大学を卒業し、今は都内の某電器メーカーで販売兼営業をしている。
マリカは自身の長い髪を掻き揚げると バッグからスマートフォンを取り出し、Twitterのアプリを立ち上げた。
画面に並んだアイコンは大学時代の友人達。その殆どは互いに一日の疲れを労い合い 既に床に着いた様子だった。
4月、5月のうちは定時に帰ることのできる友人達を羨ましく思い、寝静まった各々に対して
『おやすみ、わたし、今から帰るとこ(笑)』
『おやす…あ、おはようか。今日終電逃して帰れなかった(笑)』
等と、ほぼ一方的なコミュニケーションを続けていたが、ある日急に涙が零れ落ちてからは ただ眺めるだけとなっていた。
「はあ……」
またひとつ、今度は小さくため息を漏らすと、同時に文字を入力し始める。
『黄色い線の内側に、って言うけど、あれ"線"ではないだろ』
と、ただなんとなく思ったことを、ただなんとなく適当に"つぶやいた"。
コミュニケーションツールとしての機能を果たさない今、マリカのTwitterはひたすら無意味な事を発信し続けている。
もしかしたら 自分を気に掛けてくれる人がいるかもしれない。その無意味を必要としている誰かがいるかもしれない。
マリカ自身はそんな事は考えていないつもりだが、そういった些細な 自分以外との繋がりを必要としていた。
今、大村マリカは孤独だった。
ある書店の児童書コーナーに、とても児童とは似つかない大柄な男が本にかじりついていた。
その書店は深夜1時閉店で、店内ではちょうど『蛍の光』が流れ始めた頃だった。
「あ、あのォ……お客さま?」
夜の8時過ぎからずっとその場で『せいざのほん』を見ていた男に、店員は恐る恐る声をかける。
男は振り向いてすぐに、あっ と小さく声を漏らし
「これ、プレゼント用に……妹の誕生日で」
と、慌てた様子で応えた。
その意外な反応に、店員は一瞬呆気にとられたが 同時に男に対しての警戒心もなくなった。
レジに案内され、プレゼント用の包装をしている店員の様子をぼーっと見ていると
「何歳になるんですか?」
と、不意に店員が聞いてきた。
「えっ……と、23歳です」
急な質問に戸惑いつつも答えると、店員はふふっ と笑いを含みながら
「違いますよ、妹さんです」
ああ、と 質問の意図を理解し、恥ずかしさに笑って誤魔化してしまった。
なんだか少し気まずくなって、今度は自分から話しかけてみる。
「あの、メッセージとかって書いてもらえますか?"たんじょうびおめでとう"って」
「ええ、いいですよ。お名前は?」
「西獅子 星司郎です」
店員は今度こそ堪えきれずに、あはは と声を漏らして笑った。
妹の名前をメッセージカードに書いてもらった後、星司郎は閉店と同時に書店を出て夜空を見上げる。
そして袋から今買ったばかりの本を取り出し、包装紙を丁寧に畳んでから空に向かって 広げた。
「やっぱり買って正解だった。東京ならこっちのほうが見やすい」
満足気な表情で『せいざのほん』を見ながら歩き始める。
東京の夜の明かりは 空の星をかき消してしまうが、本の星を見るには十分な明るさがあった。
しばらくして何かに躓いた星司郎は、渋々本を閉じ 目的の場所へ足を運んだ。
「1、2、3、45、6、789……おぉー結構いった」
繁華街から少し外れたところにある河川敷で、男が一人"水切り"をして遊んでいた。
時計の針はもうすぐ深夜の3時を指す。
予定よりも早く着いた星司郎は、さすがに暗くて読めなくなった本を閉じ、
足元に落ちていた丁度いい石を拾っては 川に投げ入れて、水のはねる音を聞いていた。
10個目にして本日一番いい形をした石を拾い、意気揚々と川に向かって振りかぶると対岸に人影が見えた。
星司郎の方から橋を渡り、その人影に会いに行ってみると 予想通り対戦相手のようだった。
「私、明日も朝から仕事があるから早く済ませたいんだけど」
「そうですね、自分もできれば"つくばエクスプレス"の始発に乗って帰りたい」
軽い挨拶と会話を済ませたあと、お互いが短期決戦を望んでるという意見で合致した。
開戦の合図こそないものの、双方一定の距離を取り合って相手の出方を見ているという点で、戦いは既に始まっている。
望むは短期決戦とはいえ、どちらも簡単に負けるわけにはいかないという意思で 結局手を出せないでいる。
「……『アストロブライト』ッ!」
最初に動きを見せたのは星司郎だった。
「……ッ!『ロニー・ダイソン』ッ!」
追って、マリカが声を上げる。
マリカが一手遅れを取った隙に、星司郎は"空を飛んでいた"。
「『アストロブライト―――Cygnus(はくちょう座)』」
星司郎は数時間前に購入した『せいざのほん』を手の上で開き、見るも美しい白鳥につかまっていた。
しかし、それだけで状況は変わらない。星司郎はマリカを俯瞰で見下ろしているだけでまだ様子を伺っている。
むしろ少しずつ後退しているようで、まるで時間稼ぎをしているようだった。
「はあぁ~……面倒くさいなあ」
相手はこっちの時間切れを狙う姑息な手段に出た、と判断し マリカはため息をつきつつ少し距離をつめる。
そして『ロニー・ダイソン』の砲身を星司郎に向けた。
『ガンダムみたい。』アニメや漫画にはさほど詳しくない星司郎だったが、マリカのスタンドを見てそう思った。
その右腕に装着されている、大砲というには少し小さい砲口がこちらを向いている。
「避ける方法も、防ぐ方法も いくらでもある……さあ撃ってくるんだ」
星司郎の狙うは時間稼ぎか、それとも攻撃の隙を突いたカウンターか。
次の一手に集中するために 星司郎は『ロニー・ダイソン』の右腕を見つめていた。
しかしスタンド能力というものは常識を逸している。
砲口から出てくるものが、砲弾とは限らない。
そんな事は知った上でのつもりだったが、体が空中に投げ出されると 頭は一瞬真っ白になった。
「な、何!?」
さっきまで空中に留まっていた星司郎は、次の瞬間地面に向かって落ち始める。
つかまっていた筈の白鳥の姿が消えたからである。
まばたきも躊躇うほどに見つめていた『ロニー・ダイソン』の砲口からは、何も発射されなかった。
星司郎の目に映ったのは、はくちょう座のページを開いて持っていた筈の『せいざのほん』だ。
それが、マリカの方に向かって吹き飛んでいく様子だった。
「このくらいの距離、『ロニー・ダイソン』の吸引力なら十分……
そして やっぱりこの本、狙いは正しかったみたいね」
本が右腕に吸い込まれてすぐに白鳥が消えるのを見て、マリカは少し誇らしげに言う。
能力の発現元となるものが形を崩すと、具現化した星座も体を保てなくなって消えてしまう。
これは『アストロブライト』の弱点であったが、まさかこの時点で本が奪われるとは思いもしなかった。
マリカは地面に落ちる星司郎に追い討ちを掛けようと駆け出した。
それほど高い位置を飛んでいたわけではなかったが、それでもこのまま地面に激突しては絶対に不利になってしまう。
そう思って星司郎は、決め手として使おうと隠していた一手を 前倒しに繰り出す。
「少し、狙っていた状況とは違うが……いやむしろ、今が使い時なのかもしれない」
「『アストロブライト――― Taurus(おうし座)』ッ!」
そう声を張り上げると、ちょうど星司郎が落ちていく真下に 体長3mはあるであろう、雄々しい牛の姿が発現した。
その背中に ぼふ、と体を預けると、牛は充血させた目をまっすぐにマリカへ向けた。
『ヴモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』
当然、本を奪ったことで相手の策を封じたと思っていたマリカは、駆け出した足に急ブレーキをかける。
「なっ……でかっ!」
その圧倒的な質量感に気圧され、怯む。
すぐにイメージできたことは、あのとてつもなくでかい牛は 自分に向かって突進するだろう。ということ。
そして次の瞬間、牛は皮肉にもマリカのイメージ通りとなって襲い掛かってくる。
「『ロニー・ダイソン』ッッ!! あの橋に向かって吸い込めェーーー!!」
そう叫んだと同時に、マリカは牛とギリギリの所で交差し、その突進をかわした。
『ロニー・ダイソン』の左腕に捕まり、星司郎を挟んで奥に見えた橋(星司郎が先ほど渡ってきた橋)を
吸引して、自分の体を橋の方に引き寄せて 移動したのだ。
「危ないところだった……」
星司郎を乗せた牛は、あっという間に点のように小さくなった。
その事からも相当のスピードが出ている事がわかる。もしもあんなものに体当たりされたら……
大きな弧を描いてこちらに戻ってくる星司郎に、どのような対策を講じようかと考えていると、
あるものがマリカの目に留まった。
一方の星司郎も少し、焦りを見せていた。
「まずいな……切り札として用意していたのに、避けられてしまった」
当たれば大技、故にこの攻撃は最後の決め手として確実に当てられる時に発動したかったが
そのタイミングを狂わされてしまったせいで、決め手にはなりかねてしまった。
そして一度避けられてしまうと、あとは突進を繰り返すだけという一本調子になってしまう。
しばらくは、相手も簡単に手を出してくることは無いだろうと考えられるが
必ずどこかでこの攻撃を打ち破ってくるに違いない。こちらも次の一手を考える必要がある。
『アストロブライト』は星座を具現化するために準備が必要である。
それは、「星座の描かれた本」であったり、「星座の形に並べた石」であったり。
おうし座を発現するために、星司郎は数十分前まで水切り用に集めていた石を綺麗に並べておいていた。
できるだけ形が歪まないように 平らな地面を見つけて綺麗に、綺麗に並べておいたのだ。
星司郎は 次に発現させるための星座の"元"となるものを考えていると、再び体が宙に投げ出される。
「う、うわあああああああああああああああああ!!!!!!」
今度は自分を受け止めてくれる星座を発現することのできない内に、地面に激突した。
しかも 高速で移動しているモノの上から落ちたとなれば、その衝撃は凄まじいものである。
星司郎体中から血が噴出し、飛び散った血がマリカの足元まで届いた。
「あまりに不自然に、綺麗に並んでいる石があるから怪しいと思ったら……」
整列された石の最後の一つを吸引して、マリカが言う。
星司郎は忘れていた。
元々最後の決め手、『一発』しか使う予定の無いものだったから、石は完全に無防備だったのだ。
遠のく意識の中 カチリ、と『ロニー・ダイソン』の砲身がこちらに向けられたのが見えた。
「負けを認めなさい。これ以上は後味が悪くなる」
幸い、体中傷だらけではあったが骨が折れたりはしていないらしい。動こうと思えば動けそうだった。
しかしこの状況では、体に鞭を打って無理矢理動いたところで結果は目に見えていた。
ここまでか……と思ったその時、星司郎の目に何かが映った。
「声を出すことくらいできるでしょ、早くしないと……」
「君は……」
マリカの声を遮るようにして、星司郎が話し出す。
「君は、6月22日が何の日か。知ってるかな」
急に何を言い出したかと思えば、今日、6月22日が何の日かと聞いてきた。
6月といえば 一年のうちで唯一祝日の無い月である。
(マリカにとって祝日とは3連休のことを示すため、お盆休みのある8月は除かれる)
そんな6月に、特別な日があったなんて記憶はどこにも無い。むしろ梅雨も重なって最悪だと思っていた。
「何を意味のわからないことを。降参しないなら、その口を聞けなくする」
ドム!と『ロニー・ダイソン』の右腕から何かが発射され、星司郎の胴に深くめり込んだ。
「がっ……あ」
「さっき回収した石、まだだくさんある。これ以上苦しみたくなければ早く……」
「……今日はッ!」
またもマリカが全部言い終わらないうちに、星司郎が口を挟む。
「今日は6月22日。今日生まれた人間は12宮の元で分類し、『かに座』生まれとされるんだ」
「今日から7月23日までに生まれた人間は、その間 かに座のパワーを最も強く受ける」
「実は今日は自分の誕生日でね、妹に買ってあげた体(てい)で自分にプレゼントを買ったんだ」
「それもさっき、君に取られてしまったんだけどね」
何を話し出したかと思えば、今日は自分の誕生日だという内容だった。
それを答えに今日は何の日か、と聞いてきたのか と思うと馬鹿馬鹿しすぎて声も出なかった。
「もう死ね」
マリカは冷え切った目で星司郎を見下ろし、残りの弾丸を撃ち出そうと 今度は頭に向けて構える。
その時、マリカの首筋に ヒヤッ、と何か冷たい感覚が走った。
「……運命を感じた。『かに座』のパワーを、確かに感じた」
マリカが振り返ると、そこには大きくて まるで血の色のように真っ赤に染まったハサミが二つ。
自分の体と距離も無いところに迫っていた。
「『アストロブライト――― Cancer(かに座)』」
本も、石も封じたはずなのに。
辺りをちらっと見回しても、今度は怪しいものが見当たらない。
このハサミが少しでも閉じれば、自分の頭は体と切り離されてしまう。
それほど、マリカの身に死が迫っていた。
そして……
ジ ョ ギ ン ッ
マリカは二つに切り離された。
「女性は髪が命、と聞いたことがある。その長い髪も何かポリシーがあって伸ばしていたのだろうが……
今回はその"命を断った"、という事で決着とさせてもらえないだろうか」
星司郎は、戦意を失ったマリカに対して確認を取る。
「…………。」
気まずい沈黙が、星司郎を襲う。
「あー……自分は、そっちの方がいいと思うけど……切っておいて言うのは無責任か」
「…………。」
何を言っても黙ったままのマリカに、星司郎は困り果てた顔をしていた。
いつしか降り出した雨が、マリカの足元に散っていた血を流すと、星司郎の『かに座』も姿を消した。
「雨も降ってきたし 川が増水すると危ない。早めに帰るといい」
そう言って星司郎は、その場を後にした。
マリカはその後姿が見えなくなるまで、ぼおっと見送って
「……はは、だから今日は仕事チョッコーだって」
そう皮肉めいた事を零したが、久しぶりに人のやさしさに触れた気がして、素直にはなれなかったが嬉しかった。
服についた土やホコリを手で払いながら、スマートフォンを取り出し またtwitterのアプリを起動する。
その画面には
『@marica001 確かに。あれは黄色い点字ブロックだよね。でも点も結べば線になるし、まあいいんじゃない?(笑)』
何かと思えば 数時間前にただなんとなく"つぶやいた"事に対して、大学時代の友人が返信をくれていた。
珍しくコミュニケーションツールとしての機能を果たしているマリカのtwitterであった。
他人が見れば本当にどうでもいい内容の会話だし、本人達にとっても本当に無意味な内容のものである。
それでも、マリカは溢れる涙を止める事ができなかった。
大村マリカは孤独ではなかった。
自分が孤独であると、そう決め付けていただけだった。
「星座の無理やりさに比べれば、駅の点字ブロックは黄色い線にしか見えないな……」
泣きながら、上擦った声で 一人つぶやいた。
そしてまた文字を入力しはじめ、一枚写真を撮ると、誰に宛てるわけでもなく発信した。
『髪、今までずっと伸ばしてたけど、バッサリ切った。イメチェン [画像.jpg]』
マリカは、まだ明けない梅雨の空とは対照的に、とても晴れた顔をしていた。