この瞬間だけでいい、君が欲しい。
「のっち、今日どこ行くん?」
取材が終わってスタジオから暫く並んで歩いていたが、かしゆかは耐えられなくなってのっちの腕に自らの腕を絡ませた。嬉しそうにのっちを見ると、のっちも頬を少し染めていた。
昨晩、かしゆかはずっとのっちに慰められながら寝た。子どものように泣きじゃくるかしゆかをベッドに寝かして、のっちも隣に寝転がってかしゆかの腹部をとんとん、と優しく撫でていた。それはまるで赤ん坊をあやすかのようだった。
目が覚めて夢だと思った。のっちがゆかの家にいる。恐る恐るかしゆかの部屋でテレビをつけて朝のニュースを見ているのっちの背中に訊いた、「夢じゃないの?」と。そしたら「夢じゃないよ。」とテレビを見ながらだけれど、返してくれた。
現実は嬉しいようで、残酷だ。だって、のっちはまだあ〜ちゃんが好きだから。そう思うとかしゆかは、また泣きそうになるけれど、それでものっちがかしゆかの傍にいたいと言ってくれる、それだけで、満足だった。
ただ、覚悟だけはいつでもしておこう、と。そう胸に誓った。
「ゆかちゃんさあー。」
「ん?」
「のっちのこと騙してないよね?」
突拍子もないのっちの言葉に思わずかしゆかは、吹き出した。吹き出すかしゆかを見てのっちは照れながらも可愛く怒った。
「なにいよん、のっち。」
「だってゆかちゃんがのっちのこと…全然、気づかんかったし、さ…。からかわれとんじゃないかと…。」
「気付かんかったん?」
何度もこくこくと頷くのっちが可愛くてかしゆかは絡めていない方の腕を伸ばして、のっちの艶っぽい髪の毛を撫でた。よしよし、と犬のようなのっちにくすくす笑いを零しながら。
「そんなに笑わんでいいじゃろ。」
拗ねたようにぼそりと唇を尖がらしてぶつぶつ言うのっちがかしゆかは愛おしくて堪らなくなった。衝動が、かしゆかの胸をドクドク鳴らす。ああ、何だか我慢出来ない、
「……のっち、」
「もう、なんなん、」
ビルとビルの間の路地。一歩入れば暗闇が2人を隠してくれる。通りは先ほどよりかは人通りが減り、路地に目をやる人もいなかった。かしゆかは、自分の中が何か熱くなるのを感じて思わずのっちを路地へと押しやった。
「ちょ、ゆかちゃん、どしたっ、」
のっちを手首をしっかり握って壁に縫い付けると、力強い手首への締め付けと押し付けられたときの衝撃で、のっちは顔を歪めた。かしゆかは、それどころではない。
ただ、のっちを自分のものだと思いたかった。ただ、それだけ。
驚いた顔でかしゆかを見下ろすのっちの唇目掛けて、押し付けるようなキスをした。薄目で挑発するかのようにのっちの顔を見ていると、驚いて見開かれた大きな目は次第に諦めるかのように目を閉じてかしゆかのキスを受け入れた。角度を変えて、息を吐いて、また口付ける。もう、のっちしか、見えない。
やっとのことで唇を離せば、のっちは息をはあはあさせながら、とろんとした目でかしゆかを見る。掴まれていた手首を離した代わりに、今度はのっちがかしゆかの手首を捉えた。
「…んっ、はぁ、ゆかちゃ、…くるし、かった…。」
(ああ、ゆかは、のっちを自分のものにしたい。のっちの笑った顔も、怒った顔も、こういう顔も、もっちもっと見たい。足りない、)
「…いきなり、キスしてごめんね。」
かしゆかは捕まれていない左手でのっちに抱きついた。するとのっちもじんわりかしゆかの身体を受け止めた。
「ゆかちゃん。」
「ん?」
「おうち、帰ろうか。」
光もろくに当たらないこの場所に未来なんてなかったけれど、それでもいいから、今この瞬間だけでもいいから繋ぎとめていたかった。
最終更新:2009年10月22日 20:32