最後のお願い
とぼとぼと頼りない足取りで家路へと歩く。足が前へ出ない。歩幅は小さく、全身が歩くことを拒否しているかのようだ。
狂ったように叫んだ。のっちがゆかちゃんのものになっていたなんて、あ〜ちゃんは未だに信じられなかった。いつだって、のっちは自分のものだと思っていた。それは、ただのあ〜ちゃんの自惚れだった。
ぼろぼろになったあ〜ちゃんは、瞼を腫らして目は真っ赤に充血していた。泣きすぎて崩れた化粧は取れてしまっていてほぼノーメイクに近い。みっともない、あ〜ちゃんは思った。
のっちは送ってくれると鼻を紅くしてそれでも尚、鼻を啜るあ〜ちゃんに言った。そんな優しいのっちをいつもなら素直に受け入れるくせに、今日はどうしてものっちの優しさに甘えることなんて出来なかった。あ〜ちゃんの中で、意地悪な自分が囁くのだ、どうせゆかちゃんにも同じことしてるんだよ、って。目を伏せたあ〜ちゃんは、「優しくなんかせんといて。」そうのっちに言った。のっちは悲しそうに眉を垂らした。
街灯がジリリと今にも消えそうな音を出す。どこかで猫がにゃあにゃあと馴れ合う声がする。今のあ〜ちゃんの耳は音を何も受け付けない。赤信号で立ち止まると、開放感を感じた。その場に座り込んで頭を抱えていると、頭上から「あの子どしたの。」と冷ややかな声がした。そういう声だけ聞き入れる都合のいい耳。都合がいいだけの耳なら、のっちの言葉を全部消してほしかったな、とあ〜ちゃんは願った。
(……やっぱり、あ〜ちゃんは、のっちが欲しい。)
この突如現れた独占欲が何なのかあ〜ちゃん自身も判断出来ない。けれどもう逃げないと決めたから、のっちとかしゆかが付き合っていたという事実も全て受け入れなければ、のっちのことを好きでいてはいけないんだ、そう思った。
「お姉ちゃん、青ですよー。」
「あ、はい。」
酔っ払いのおじさんが茶化すように座り込んでいたあ〜ちゃんに話しかけた、かと思えば、あ〜ちゃんが顔を上げた瞬間酔っ払いはあ〜ちゃんの腕を取った。体制を崩したあ〜ちゃんは、そのまま前に倒れるような形で膝を地面に打ち付けた。冷える秋の夜のコンクリートで固められた地面に、冷えたむき出しの膝は顔を顰めるほど痛かった。酔っ払いは、あ〜ちゃんの腕を離すことはなく、呂律が回らない口で喋り出す。
「ねえちゃあん、もう、いっぴゃい、いこで。」
「ちょっと、」
「えへへ、ねえちゃん、かわえーなーおい!」
とてもご機嫌な様子の酔っ払いは口調ははっきりしなくても、腕の力だけは弱めることはない。縋るような気持ちで通行人を見ても、誰もあ〜ちゃんと目を合わせようとはしなかった。東京って冷たいな、あ〜ちゃんの目にまたじわりと涙が浮かぶ。のっちに情けないところを見せてもいいから送ってもらったらよかったな、後悔してももう遅い。酒臭い口が近づく、あ〜ちゃんは目を瞑った。
「おい、腕、離せよ。」
目を瞑ったあ〜ちゃんが目を開けた。あ〜ちゃんの想いは届いたのだと。
期待はある意味外れた、酔っ払いの腕を掴んでいたのは、彼だった。あ〜ちゃんの彼氏だった。目を真ん丸くして彼を見た。いろんな言葉が浮かんで来たけれど、あ〜ちゃんはどれも口にすることが出来なかった。
結局、彼が酔っ払いを追い払ってくれて一件落着した。そのままあ〜ちゃんは肩を抱かれて近くの喫茶店へと足を運んだ。そこは、この間かしゆかと来た喫茶店だった。彼が自分のホットコーヒーとあ〜ちゃんのホットミルクティーを注文して席に着く。すぐに運ばれてきた飲み物を口に含むと、冷え切った身体が心から温まった。
「どうしたの、そのかっこ悪い顔。」
彼は優しい眼と口調で言った。それはけしてあ〜ちゃんを責めるような感じではなく、表情も柔らかかった。あ〜ちゃんもつられて、へへ、って笑った。
「泣いたの? 怖くて?」
「うーん…。」
「何かあった?」
「…のっちと喧嘩した。」
のっちと喧嘩、したことを素直に言えてしまった。口にしたあとにあ〜ちゃんはまた自分が彼に甘えていることに気がついた。また罪悪感に襲われた。
「そっか。」
それでも彼はあ〜ちゃんのことを目を細めて見守ってくれる。伸ばされた長い腕と大きな掌があ〜ちゃんの小さい頭にすっぽりフィットしてそのまま大きな掌で撫でられた。どこまでも優しいこの掌に何度癒されたことだろうか。
「ねえ、あのね。」
「ん?」
「…あ〜ちゃん、好きなひとが出来たんだ。」
どこまでも優しい彼は。
最近、うまくいっていたようでうまくいってなかったよね、あ〜ちゃん何回か別れたいって言っちゃったもんね、そんな我儘なあ〜ちゃんを優しく甘やかしてくれたよね、そんなあなたがだいすきだったよ、なんて言っても嘘になるの?
ただ、頷いて。
「わかった。」
そう、寂しく言う。寂しく承諾するところがどこか似ていた。
沈黙が流れた。何か言わなきゃ、と、焦りつつも言葉が出てこないでいると彼が先に口を開いた。
「…最後にお願いがあるんだ。」
最終更新:2009年11月01日 03:51