覚める夢なら見ないほうがいい。
コツコツと鳴るのはショートブーツがコンクリートを叩く音。ポケットに無造作に突っ込んだ両手。耳を塞ぐのは少しいかつめの黒いヘッドホン。音をシャットダウンして自分の世界に入り浸る。
かしゆかと別れてからのっちは、駅へと早歩きで歩いていた。その背中は何かを忘れようとしているかのように哀愁漂っている。
どうしようもない想いが、胸を締め付ける。空に輝いていた太陽はもうすっかり沈んでしまっていた。
のっちは、朝からかしゆかにしつこく電話をかけながらも迷っていた。この事実をかしゆかに伝えるかどうか、迷っていた。
(…ごめんね、ゆかちゃん。)
告げるときに滲んだ涙は、あ〜ちゃんと付き合えたことが嬉しくて、ではない。かしゆかの目にのっちはどのように映ったのだろうか。最悪、最低、もうゆかの前に現れないでよ! なんて罵倒されれば本望かもしれない、とのっちは思った。のっちがかしゆかを傷つけたのであれば、これくらい痛くも痒くもないと思った。かしゆかが、のっちに「別れて。」と言ったことが、のっちの幸せを考えてのことならかしゆかの想いを尊重したい。のっちがかしゆかにもらったしあわせの数々はかけがえの無いものだから。
待ち合わせ場所に急ぎ足で向かうのっちは、相変わらずかしゆかのことばかり考えていた。きっとこれからのっちを癒し愛し愛されるであろうあ〜ちゃんを待たせていると思うと、心が痛んだが今日でこの道を歩くのも最後にするから、かしゆかの家まで続くこの道を最後までかしゆかで埋めたいと願うのは罪だろうか。
「あ〜ちゃん!」
それでも。
あ〜ちゃんがのっちの声に反応してその表情をぱあっと輝かせて手を振る。のっちも急ぎ足を駆け足にしてあ〜ちゃんの元に駆け寄ると、あ〜ちゃんはにこりと微笑んで「いこっか。」とスッと手を伸ばして来た。のっちはどうしていいのかわからなくなって、じっとその白い掌を見つめているとあ〜ちゃんが拗ねたような口調で言う。
「はよ、伸ばしとんやから繋ぎんさいや。」
「えっ…でも。」
「もう、しゃんしゃんしなさいや。」
のっちが躊躇っていると少し頬を朱に染めたあ〜ちゃんが、強引にのっちの手を取りふたつは繋がった。今日は11月の初旬なのに、コートが必要なほど風も冷たく気温も低い。東北では雪もちらつくらしい。2人の繋がった冷えた手は、あ〜ちゃんの白いコートのポケットにすっぽり収まった。
「これで文句ないじゃろ?」
得意げにあ〜ちゃんが笑うものだからのっちもつられて「そうだね。」と照れた笑いを返した。
「…もう帰るん?」
あ〜ちゃんを家まで送ると、玄関口であ〜ちゃんがのっちの服の裾を摘んで呟いたものだから、のっちの思考は一瞬で停止した。のっちが望みに望んだ展開が今目の前で起きている。頭は破裂しそうだ。思考が完全にストップした。身動きが取れない。
「えっと…もう遅いし。」
「泊まってけばいいじゃろ。」
あ〜ちゃんは真っ直ぐのっちを見ていた視線を逸らして呟いた。思わずその少し照れた表情にのっちの心臓が大きく跳ねた。お泊りなんて、あ〜ちゃんに恋をしてから避けるに避けてきたというのに急な展開にのっちは対応しきれないでいる。
けれど。いつかは自然なことになる。のっちとかしゆかが一緒のベッドで寝て身体を重ねたように、いつかあ〜ちゃんともそういう関係になる日がくるのだろうか。のっちは、そうなりたいようでそうなりたくないと思った。かしゆかがどうだとか、あ〜ちゃんがどうだとか関係なく、憧れで見つめてきた存在を簡単に汚していいものかと思った。その瞬間、鮮明にあ〜ちゃんの元彼の顔がのっちの脳裏に浮かんだ。あの男は、あ〜ちゃんの全てを知っているんだ、と思うとのっちは嫉妬した。それがのっちを突き動かしたかのように、のっちはあ〜ちゃんの部屋に上がった。
ピンクだらけの部屋は何だか居心地が悪い。女の子らしい可愛い部屋は、何だかのっちにはむず痒かった。「適当に座って。」と言われたので、のっちはちょこんとベッドの縁に腰掛ける。あ〜ちゃんは大好きなaikoの曲を音楽プレイヤーで流し始めると当たり前のようにのっちの隣に座った。隣にあ〜ちゃんがいると思うだけで緊張するのは、もう慣れたはずなのにこうもドキドキするのは付き合っているという事実のせいだろうか。ろくな会話はないし、視線は泳ぐばかりでどうしようもない空気を察したのか、あ〜ちゃんは先にお風呂に入った。あ〜ちゃんが濡れた髪を拭きながら部屋に戻って来て、入れ替わりでのっちはお風呂に入る。浴室内はあ〜ちゃんのシャンプーやらリンスやらの匂いでいっぱいで息苦しかった。
服はあ〜ちゃんのものを貸してもらった。これもまたあ〜ちゃんの匂いがして、胸を詰まらせる原因になる。また同じように並んでベッドに腰かけるとあ〜ちゃんが喋り出す。
「こうやってのっちと2人って久しぶりじゃね。」
「あー、最近お泊りとかしてなかったもんね。」
「あ〜ちゃんは何回かのっちお泊り誘ったのに、のっちが断ったんじゃけえ。」
「そうだった?」
「そうでしたあー。」
付き合っているのに、友達のような感覚。しあわせだ。のっちをしあわせへと導いてくれる。天使のような存在だとのっちは思う。
「のっち。」
名前を呼ばれてあ〜ちゃんを見れば、近づく顔で視界がぼやけて「あ、」と思った瞬間に唇が触れた。目を閉じて軽く触れた唇が離れる。
「好き。」
桃色に染まったその頬はお風呂上りのせいなのか。それとも別の何かなのだろうか。
細くて白い腕が首筋に絡まってきたかと思うと、どちらからでもなくベッドに雪崩れ込んだ。
その瞬間、のっちはあ〜ちゃんと未来を歩いていくと誓った。
最終更新:2009年11月11日 03:45