——何でもかんでも、初めてはあ〜ちゃんだった。
初めてまともに出来た友達は、あ〜ちゃんだった。あのとき
あの場所で見上げた視線の先にいたのが、あ〜ちゃん以外だったら、なんて今ののっちには考えることは出来ない。初めて家族以外と過ごした誕生日もクリスマスも、あ〜ちゃんが初めてだ。“のっち”というあだ名は、仲良く成り立ての頃にあ〜ちゃんがつけてくれた。何もかもあ〜ちゃんしかいない。これからものっちはそう願う。
「せんせー、のっちはもう嫌です…。」
嘆くように呟いたのっちの目の前には、溜まりに溜まった課題。数学やら作文やら種類豊富な課題を前にして、どれから手をつけていいのかわからなかった。ここ最近委員会があってもあ〜ちゃんと一緒に帰ることが当たり前になりつつあったのっちは、浮かれていた。そのせいか課題を溜めきっていた。ホームルームが終わった後に、担任に名前を呼ばれたので行ってみると、各教科の先生から課題が出てないと言われている、ということを告げられ差し出されたのがこの課題の山である。期限は1週間後。とても1週間で終わらせる量ではない。
まず初めにあ〜ちゃんに嘆いた。するとあ〜ちゃんは、「じゃあ今週は一緒に帰れんね。」と言った。眉を垂らしてあ〜ちゃんを見つめても「そんな顔しても駄目じゃけえ、ちゃんと課題くらい終わらしなさいや。」と冷たい視線をくらった。
今日もまた夕日が差し込む教室の壁は橙に染まっている。あ〜ちゃんを待つ放課後の教室はあんなにも楽しくてわくわくが止まらなかったのに、今現在のこの時間はちっとも楽しくはない。それどころか、気分は落ちる一方である。
頭を働かせていたら、お腹が減った。購買にパンでも買いに行こうかと、鞄から財布だけ手にとり、席を立つ。この時間廊下にはいつも人気がない。上の階では吹奏楽部が練習をしているらしいが、のっちの教室があるこの階には音楽室がないからと練習はしていない。課題をしている最中、聞こえる楽器の音色が心地よくて何度も寝そうになった。
階段を降りていると、下から誰か登ってきた。目があった。
「あ、」
「あ。」
よく会いますね、心の中でそう呟いた。出くわした相手は黒髪ストレートヘアの女の子だった。
彼女ものっちのことを認識していたのか、同じように声を出した。のっちがぺこっと頭を下げると、彼女はのっちを「ねえ、」と呼び止める。普段無愛想なのっちも何故か彼女には愛想良く挨拶をしてしまう。
「名前、何ていうん?」
「え?」
「名前。」
のっちがとぼけた顔をして彼女を見つめていると、彼女はもう一度言った。どうやら彼女は、のっちの名前を知りたいようだ。慌ててのっちは答える。
「あ、大本、彩乃。」
「彩乃?」
「あー…えっと、のっち。」
「のっち?」
「彩乃、あやのっち、のっち、みたいな。」
情けなく眉を垂らして笑うのっちに対して、彼女は甘い高い声を出して「そうなんじゃあー。」と納得をした。
「ゆか。」
「へ?」
「ゆか、って言うけえ。」
咄嗟に判断が遅れて聞き返すと、もう一度答えた。黒髪ストレートロングの美女は、“ゆか”という名前だと言った。
「ゆか、ちゃん?」
「うんっ! じゃあねえ、のっち。」
ゆかがくるりとのっちに背を向けると、短いスカートがひらひらと揺れた。黒い長い髪の毛は風になびいてきれいだった。のっちは、自分の顎までしかない髪の毛を人差し指と親指で摘んだ、髪の毛、のばそっかなあー、なんて冗談を思いながら。
のっちの足取りは軽かった。とても美人な女の子と友達になれた、それだけで自信になった。いつもは名前なんていうの? と問われても、無愛想に「大本彩乃。」とフルネームでさっぱり答えるだけなのに、“のっち”と言ったのは何故だろうか。のっちは思う、あ〜ちゃんにつけてもらった大事な“のっち”、ちょっとだけあ〜ちゃん以外の女の子に自慢したかった。
購買に行ってパンを買って帰ったのっちは、ぺろりとパンを胃袋に仕舞い込むと普段の倍以上のスピードで課題をやってのけた。気がつけば窓から覗く空は真っ暗で、見回りの先生の声で現在の時刻に気がついたのっちは、慌てて宿題をリュックサックの中に突っ込んだ。「先生、さよーなら!」普段、授業中寝てばかりののっちの元気の良さに驚いた先生が、「ああ、気をつけて帰るんだぞ。」と答えた頃には、のっちの背中は先生の視界からは消えていた。
荷台が軽いのなんて、いつ振りだろうか。
自転車を漕ぐスピードはいつもと変わらないはずなのに、明らかに時間の割に距離を走っていた。ああ、そうか、あ〜ちゃんがいないんだ。そう気付くとのっちは何だか寂しくなった。
家に着いて制服をブレザーだけ脱ぎさってポケットから携帯電話と取り出すとメールが1件。どうせメルマガだろう、と半ば諦めてメールを開くと送り主は、あ〜ちゃんだった。驚いて目を大きく見開くと、
『課題お疲れ様。明日は一緒に帰れる〜?』
思わず飛び跳ねそうになった身体を必死に制御して、高鳴る鼓動の収拾がつかなくなったのっちは、そのままベッドにダイブした。ごろごろベッドの上で転がっては、携帯電話のディスプレイを見る。にやける顔は、だらしなくてとてもあ〜ちゃん本人には見せられそうにもない。
のっちが初めて恋した相手も、勿論、あ〜ちゃんだった。
最終更新:2009年12月09日 15:51