side.K
太陽の下で、自分を輝かせて存在を誇示するのは難しい。
じゃあ暗闇の中だったら?
乾電池数本と豆電球でいい。十分すぎる主張だ。きっとその小さな世界の全ては、そのちっぽけな光だ。
月だって綺麗だと言われる。月を見れば、人はそれが綺麗だと感じるんだ。
太陽が見えなくなった暗闇で、ただその輝きを反射してるだけの、あの月が。
太陽と同じ空に共存する月は、その輪郭さえも曖昧で。それを奇麗だと言う人もいるけれど、与える印象は妖しい。
もう太陽に一番近い位置にいるなんてことだけで、満足できる自分はどこにもいない。
重たい扉を開けると、店内は真っ暗だった。奥の方に見える仄かな光。その光の安心感とそこに彼女がいるという緊張感。
ゆっくりと歩を進める。さっきまであんなに熱かったのに、どうやら足の先から簡単に冷えきってしまったみたい。
バーに入る為のガラス製のドア。近付く途中で彼女はあたしに気付いた。上手に笑顔を作って見せると、そのまま置物みたいに固まった。
笑ってる。良かった。久しぶりに見る顔が冷たいものじゃなくて。
最初くらい、笑ってて欲しかったんだ。そういうところ、器用になったよね。昔の姿からは想像もつかないよ。らしくないのに……
ごめんね、笑顔で返す余裕はないよ。
「ゆかちゃん」
「……久しぶり」
「あ、あけましておめでとう」
「……は?」
「あ……ほら。年、あけたからさ」
話してみたら相変わらず。
その方が安心するけど。
あたしを迎える為に一度立ち上がった彼女は、でたらめに不器用な挨拶を済ますと、困った顔でまた一番奥のスツールに腰を掛けた。
どこに座ろうか。きっとその隣には、さっきまであの子がいたんでしょ?
「いらっしゃいませ」
「……こんばんは」
「今年初めてのお客様です。一杯サービスさせて下さい」
「あ、でもあたしお酒は……」
「大丈夫だよゆかちゃん。どうせココアだから」
「気に入らない言い方しますね」
「最初の客はあたしじゃないの?」
「あなたはお客様ではありません」
「ひどっ」
緩い空気。会わなくなる前の彼女とは比べようもない。
本来の彼女はこうだけど。そうした相手はあたしじゃない。
あたしがしたかったのに。あたしの方がずっとたくさん一緒にいたのに。
気に入らない。
「どうぞ。どうせココアです」
「あ、気に入らない言い方しますね」
笑い合う二人を見て、体温が上がったのが分かった。じわっと背中が熱くなる感じ。
ボーッと立ち尽くしていたあたしに促す様に、バーテンダーの彼は彼女の隣の席にカップを置いた。
side.N
「出よう」
「え?」
「どっか行こう。二人きりで、静かで、ゆっくり話ができるとこ」
「でも……あ、ココア。じゃあこれだけ飲んで行こうよ」
「いらない」
「ゆかちゃんのだよ。外寒かったでしょ。あったかいよ、甘いし……」
「いらないってば! ……そんな和やかに話す様な話題じゃないじゃん」
手に力を目一杯込めて。表情は崩れない様に、それでもやっぱり強張って。瞳からは今にも涙が溢れそうになる。
たまに癇癪を起こす彼女はいつもそうで、でもホントは心の中でたくさん謝ってるの知ってる。
後で必ずごめんがあるんだ。カッとなってごめん。最低なこと言ってごめん。我が侭でごめん。
一生懸命我慢して。それでも堪らなくなるときは誰にでもある。
我慢させてたのはあたしだし。それで彼にまでとばっちりがいくのは申し訳ないけど、理由知っててこんなことに目くじら立てる人じゃない。
後で必ず謝るから。せっかくココア淹れてくれたのに、ごめんね。
「わかった。じゃあ渡したいものだけあるから、ちょっと待ってて」
ずっと彼女から離せなかった視線をカウンターに向けてみると、いつの間にか彼はもういなかった。
きっと、本当になにも聞いてないだろうな。大人だな、あたしには無理だ。
店の奥へ進もうとカウンターに入ると、すぐに綺麗にラッピングされた赤い薔薇。
そうかなるほど。仕事は準備で決まります、なんて二言目にはいつも言うのはそういうことか。
習うことは多そうだよ。ちょっと、尊敬もしてるんだよ。なんてスマートな男だろう。
「ゆかちゃんはさ……」
「…………なに」
「どう思うかわかんないけど」
「なにが」
「あたしはさ、もういまさら勝手だって言われるのわかってるけど」
「…………」
「ゆかちゃんとずっといたいって思ってるんだよ。ホントはずっと」
またひとつ彼女の心境を乱してしまうのを覚悟して、それでも自分で決めた手前投げ出す訳にもいかず差し出した薔薇の花。
なにを言われるかと構えてみたけど、恐る恐る窺った彼女の顔には、然したる変化はみられなかった。
「ゆかちゃん?」
「…………」
「あの、あ、これね。なんだろ……なんか、なんとなくゆかちゃんにあげようと思って」
無言でそれを受け取ったゆかちゃんは、静かに赤い薔薇をみつめる。
あたしも倣って黙り込む。
暫くして微かに聞こえたゆかちゃんの声。
「ちょっと時間を頂戴」
side.K
休業日のカウンターバー。バーテンダーは不在。
二人きりで、静かで、ゆっくり話ができるとこ。
その所望にこれ以上に適した場所があるなら教えて欲しいくらいだ。
怒りは無謀を以て始まり、後悔を以て終わる。
更に言わせて貰えれば、頭に血が昇ると訳分からない思考がそのまま口を吐いて出るからいけない。
慎重に慎重に。思えば思う程必要な言葉すら出なくなる。
白いカップから白い湯気が昇る。暗い店内に在って、ぼんやりとあたたかく灯る照明。
フロアの赤い絨毯をほんの数メートル先から暗闇が隠す。ステージも、そこに置かれたグランドピアノも見えない。
ただ、温もりを感じさせる木製のバーカウンターの上に置かれた白いカップは、その存在がより際立って見える。
視線をあげる。ただボーッと立ち尽くす彼女が見える。今なんも考えてねぇな、こいつ。
ガードレールにリードを繋がれた犬みたいに、きっとあたしからなんらかのアクションがない限りこの子は黙って立ってるんだろうな。
一呼吸置いて、自身の次に行う行動を考えてみる。途端に相手の反応が恐くなる。
顔を見てみる。そして安心感に包まれる。あたしの知ってる本当の貴方は、人を傷付けるようなことは絶対にしない。
ゆっくりとスツールに腰を掛けた。あたしが白いカップの柄に指先を引っ掛ける頃には、驚いた顔があたしの横にドスンと続いた。
ホットココアを口に含む。あたたかくて、あまったるい。
「ずるいんだよなぁ」
「……? なにが?」
「いろいろ」
あたしの顔を覗いた彼女は、安心した様な表情にかわった。
もういいや。好きだし。この顔に弱いんだ。
怒る理由を無くした。先に一番欲しい答えを貰っちゃったから。
結果が分かった後で、わざわざ経緯に文句たれるのも馬鹿馬鹿しい。
買ってもらえるのが分かってるのに、駄々をこねる子供はいない。
きっと何を聞いたって答えてくれるだろうけど、もうなにも聞かないって決めた。
「ねぇのっち」
「ん?」
「いろいろと気にくわねぇ」
「あ、だよね」
「だからゆかは今からわがままを言うよ」
そんで、その顔。いいよって言った後の、優しい顔。
目をうんと細めて、あたしを愛しさで満たす彼女の笑顔。
相変わらず、綺麗な顔してる。
「今からのっちの家に行くよ」
「あ、はい。りょうかいです」
「バーテンダーさんを呼んで」
「うん」
きっと外に出れば、恋人達で溢れてるよ。
〜続く〜
最終更新:2010年11月06日 18:14