人は死ぬと、川を渡るという。
それはきっと、とてつもなく広い川なんだろう。
死ななきゃ、渡れないくらい。
渡ったら、もう戻れないくらい。
あの子が残したカメラを持って、夜の散歩に出掛けた。
いつのまにか季節は回っていて、
もう風は冷たくて、小さく身震いする。
薄着で来てしまった私を笑いながら、
手を握ってくれるあの子は、もういない。
幼いころから写真を撮ることが好きだったあの子は、
おもちゃみたいなプラスチックのカメラを構えては嬉しそうにしていて、
いつしか大きくなると、黒くて重たい、本格的なカメラを手に入れていた。
そんな立派なカメラを手にしても、彼女は昔も今も、私を撮ろうとして、
私はそれをひたすら嫌がった。
「なんでそんなにうちを撮るんよ。」
そう無愛想に言う私に、
「のっちのこと撮るの、好きなんよ。」
と、無邪気に応えながら。
行きついた先は、川だった。
この辺りでは広い川だと思う。
でも、あの子が渡った川はもっと、もっと…
途方もなく…。
カメラの中に残されたフィルムの最後の写真は、
この川で撮られたものだった。
欄干にもたれる、私の横顔。
この
シャッターを切ったあと、喧嘩になったんだっけか。
何で撮るんよ!!、という私の言葉に、
しばらく黙りこくってから、
「ずっと、残しておきたいから。」
って、あの子は答えた。
…何を?
ずっとずっと一緒にいれば良いじゃんか。
こんなにそばにいるのに。
どうしてそんな曖昧なこと言うの?
あの子はどの問いかけにも応えず
ただ小さく、微笑んで、
その一ヶ月後。
見えない広い川を、ひとりきりで渡った。
何も知らなかった。
最期の最後まで、何も。
ただ、皮肉にも、
最期の瞬間にだけは、会えた。
どうして、何も言ってくれなかったの?
あの橋でケンカした時には、もう全部知っていたんでしょ?
言いたいことが喉元まで押し寄せてきて、
でも蒼白い顔を見たら何一つ言えなくて、
ただ、もう、何も出来ないまま
あの子の息が細く、弱くなって
暖かかった身体が、冷たく硬くなっていくのを
見つめることしか出来なかった。
最期の最後まで気付けなかったのに、
どうしてこの瞬間にだけ、会えてしまったんだろう。
“ごめんね”すら、言わせてもらえなかった。
欄干から、手を伸ばして
カメラを手放してしまいたかった。
でも、手を離せないまま、
そのまま腕を引っ込めた。
ねえ、川の向こうはどんな景色ですか?
このカメラ、早く君に返したいけれど、
まだのっちは、これを手放せそうにありません。
手放したら、もう、
ゆかちゃんが生きてた証まで、消えてしまいそうだから。
だから、のっちが、
川を渡るまで、もう少し待っていてください。
その時には、このカメラも持っていくから、
ゆかちゃんが見たのっちのこと、
川の向こう側から見た、川のこっち側のこと、
ちゃんと教えてよ。
それまで、待っててよ。
すぐに……とは言えないけど、
のっちも、この川を越えるから。
川は、三日月の光を反射して、
静かに流れていた。
細い月の形に、たったひとりを想いながら、
今夜は帰ろう。
最終更新:2010年11月07日 02:27