思ったよりも冷え込んだ朝の空気に、あたしは小さくくしゃみした。
学園へと続く通学路をゆく生徒たちの吐く息は白くて。耳がちぎれそうに痛い。
…今日あたり、雪が降るかも。
雪が降ったら小躍りして喜びそうな子の顔を思い浮かべて、思わず笑いそうになる。
…今日持ってきて良かった。あたしはカバンとは別に持ってきた紙袋の中味を思って、ちょっと口元が緩む。
「あ~ちゃん、おはよー!」
思い浮かべたちょうどその子の声に、あたしは嬉しくなって振り返って…、目が一点に止まった。
「のっち…、それ…」
「ん?」
「そのマフラー…」
「ああ、昨日買ったんよ。前のマフラー、やっぱり無くしたみたいで見つからんし、寒いし」
「…ふう~ん」
あたしはその濃いグレーのざっくりしたマフラーをじっと見た。
「…なんか、おっさんくさっ」
あたしはくるっと背を向けて、足早に歩き出す。
「えっ、ちょぉっ、あ~ちゃん!?」
背中にのっちのマヌケな声。
…ううん、マヌケなのはあたしだ。
紙袋ががさがさして、あたしはイライラして唇をかんだ。
「えっ、のっちマフラー買っとったん!?」
ゆかちゃんの声に、あたしはべろ~んて机に突っ伏したまま頷いた。
「ありゃりゃ…。せっかく昨日買いに行ったのに」
「のっちはほんま気がきかんけえ。マヌケもいいとこじゃ」
のっちがマフラーをどこにやったか分からんと大騒ぎしたのは1週間前。(落とし物忘れ物はのっちのいつものことだけど)
ショートカットの首筋が寒そうだから、あたしは何かのっちにしてあげたくなって。昨日、ゆかちゃんと買い物行ったついでに、のっちにマフラーを買った。
…でも。あたしときたら。
…あたしの趣味で買っちゃったよ。ピンクのもこもこのロングマフラー。
今朝の濃いグレーのマフラー。のっちっぽかった。似合ってたし、なんか高そうだった。
「でもマフラーって何個あってもいいじゃろ?」
「…ピンクは似合わんじゃろ…」
「…いやあ(まあ、似合わんかも)」
「…こんなんいらんじゃろ…」
「それはないよ(あ~ちゃんからなら、のっちはホイホイ貰うけえ)」
机にめり込みそうなくらい沈没してるあたしを、ゆかちゃんは優しく撫でながら、
「何をあげたかより、してあげたいって気持ちが大事だし、嬉しいんだとゆかは思うよ」
なんて泣きそうなことを言ってくれるけど。
突っ伏したままのあたしの耳に脳天気な声が響いた。
「あ~ちゃん、ゆかちゃん!外!初雪、初雪!」
顔を上げると、窓の外に細やかな雪が舞っていた。
のっちは、ゆーき♪ゆーき♪と変な歌を歌いながら満面の笑顔。…あんたは雪やこんこんの犬ころかっ。
ついイラっとしてあたしは不機嫌に立ち上がり、
「のっち邪魔。あ~ちゃん
考え事あるけえ」
のっちの側をすり抜ける時、のっちの目が揺らいでるのが見えた。
「のっち、気にしんさんな。あ~ちゃん、ちょっと嫌なことあったんよ」
教室を出る時、背後にゆかちゃんのフォローの声が聞こえた。ゆかちゃんは大人だ。
…あたしは。
何やっとんじゃろ。喜ばせたかった人を傷つけて。
のっちのしおれた、何か言いたげな目。しょぼんと落ちた肩。思い出しただけで、泣きそうにみじめな気分。あたしが泣きそうになるのはおかしいと言われそうだけど。
…でもほんとは。
あたしは廊下の窓から冬の空を見上げた。めまいのするような雪の乱舞。
ほんとは、あたしはのっちを優しい羽毛のような言葉で包んであげたいのに。柔らかく降り積もるような言葉を。果てしなく舞い落ちる雪のように、届けたいのに。
…なのに。何でかあたしは意地悪してばかりで。
天上から降り続く雪を目で追ってたら、途方に暮れた気分になって、あたしはため息をついた。
放課後、帰り支度を整えてると、
「あ~ちゃん」
のっちがぽつんと教室の入り口からあたしを見てる。
…なんかほんとわんこみたい。あたしが微笑むと、のっちはほっとした顔で、とことこ近づいて来て、
「ホットココア買ってきた」
と缶を差し出した。
両手に包むと、それはじんわりとして。
「…あったかい」
小さく呟くと、のっちは嬉しそうに笑った。
…そっか。あたしものっちも。きっと同じことを望んでる。
あっためてあげたいんだ。自分のことなんかより。優しくてあたたかい光で包んであげたいと、願ってる。切ないくらいに。
「…のっちのココアは?」
「あ~ちゃん待ってる間に飲んじゃった」
「ほんまに?」
あたしはのっちの肩に手を置いて、素早く口づけた。
ほのかな、ココアの香り。舌に甘い味が伝わる。言葉どおりの、甘ったるいキス。
「…ココアの味がした」
「ほんま?」
「うん。のっちの下手くそなキスにしては、甘かったけえ」
「も~、あ~ちゃん!」
のっちが暴れた拍子に机がガタンとなって、紙袋から包みが転がった。
「何これ何これ!?のっちへ、って書いてあるよ!」
いつもはマヌケなくせに、何でこういう時だけ目ざといんよ!?
「違うけえ、えっと、『のっちへ』の後に『と見せかけてちゃあぽんへ』って続くんよ」
…我ながら苦しすぎる。当然のっちに通じるわけもなく。
「のっちへ、って書いとるもん!のっちにくれるんじゃろ?」
「ちゃあぽんのじゃけえ!!」
のっちはBダッシュのような高速移動で、包みを抱えたまま後ずさって、
「のっちが貰ったけえ!」
と笑った。
その笑顔にあたしは言葉を失くして。
ねえ。あたしばかり喜んでる気がする。あたしばかり、わがままを聞いてもらってる気がする。
なんかそれが。…負けたみたいで、悔しくて気にくわなくて、意地悪したくなるんよ。
今日も言いそびれた言葉。ひらひらと行き場を失ってる。叶うならば、雪のように音も無く。
のっちの髪に、肩に、唇に、舞い落ちればいい。
翌日、ピンクのマフラーをぐるぐる巻きにして現れたのっちの姿に、樫野有香は笑いをこらえるのに必死であった。
終わり
最終更新:2008年10月10日 02:39