土曜日の午後。あたしは何かやたらあ〜ちゃんに会いたくなって、いきなりあ〜ちゃん家に遊びに行った。
いわゆる、ピンポーン来ちゃった作戦ってやつ。
インターホンを鳴らすと、あ〜ちゃんが甘い声で「は〜い、西脇です」なんて言うから、思わず顔がゆるむ(よく考えれば別にどってことない単なる応答だけど)。
「あ、あ〜ちゃん?あたしー」
「えっ、のっち?どしたん、何か用?」
…軽くへこむ返事だなあ…。
「あ、えっと…会いた…あ、いや、スケジュールが空いたから」
「のっち年中空いとるじゃん。まあええわ。…ごめん、今手が離せんけえ、勝手に入って来て。鍵は開いとるけえ」
熱烈歓迎を期待してたあたしはしょぼんとしたけど、まああ〜ちゃんお得意のツンデレだろうと解釈して(ポジティブシンキングってやつさ)、のこのことリビングに向かった。


リビングのドアを開けて、あたしはギクリと立ち止まった。
見慣れない子供がちょこんとソファに座っていた。
5、6歳くらいの男の子。色が病的に白くて、整った顔立ちだけど妙に覚めた目をしてる。無表情にノートパソコンをいじっていて、なんか得体が知れない。
「たかしげ君…ってこんなんだったっけ…?」
「…それってマジぼけ?えっとお、近所のヤスタカ君、5歳。お家の方が留守の間、預かってって頼まれたんよ。ねっ?」
あ〜ちゃんが天使の笑顔を向けたのに、ヤスタカ君はパソコンから目をちょっと上げただけ。憮然とした無表情に変わりはない。
元々三度の飯より子供好きなあ〜ちゃんは一向に気にしない感じで、
「ヤスタカ君、このお姉ちゃんが彩乃ちゃん」
「…あっ、彩乃でーす。どうも…」
「綾香お姉ちゃんと、彩乃お姉ちゃんだよ」
元々一人っ子で年下の子の扱いに慣れていないあたしのぎこちない挨拶はいいとして、満面の笑顔を近づけて優しく話しかけるあ〜ちゃんに対しても、ヤスタカ君はにこりともしない。


何か…不気味な子供…。
あ〜ちゃんは笑いながら、
「多分うちの名前も覚えてくれとらんと思うわ」
と何だかとても楽しそう。保母さんに憧れてただけあって、子供が無条件に可愛いんかもしれん。
あたしは超然とした神の子めいたヤスタカ君から出来るだけ距離を置いてソファに座る。
その時、ぼそっとした小声で、
「…あ〜ちゃん」
ヤ、ヤスタカ君が喋った…(名前覚えてるんだ…。しかもあだ名の方)。
「お腹すいた」
「あ、お姉ちゃんがすぐ作ったげるけえ。何が食べたい?」
「ロコモコ丼」
なんちゅうマニアックな。
でもあ〜ちゃんはぱあっと明るい笑顔になって、
「ヤスタカ君のお母さんから、ロコモコ丼が好きって聞いとったけえ、用意しとるんよ。待っといてね!」


あ〜ちゃんはいそいそとエプロンをつけ、きゅっと髪を束ねてキッチンに向かった。
リビングには奇妙な5歳児とあたし…。
一心不乱にパソコンをいじるヤスタカ君との無言の2ショット。
キッチンに目をやると、新妻のようにウキウキと手際よく料理をするあ〜ちゃんの後ろ姿。エプロンの蝶々結びが羽のように揺れる。
綺麗なうなじをぼーっとガン見してたら、気付くとヤスタカ君がそんなあたしを見ていた。
しまった、と焦るとヤスタカ君はにたりと見透かしたような、温度の低い笑顔を一瞬浮かべてまたすぐにパソコンに目を落とした。
な、何なんよ…。
「ハイ、ロコモコ丼お待たせ〜」
あ〜ちゃんの明るい声に気まずい空気が変わってホッ。
ロコモコ丼もすごく美味しそう。さすがあ〜ちゃん。
ヤスタカ君はもごもごと「いただきます」らしきことを不明瞭に呟き、黙々と食べ始めた。
やや病的な雰囲気を裏切って、意外とがっつりと食べる。


あ〜ちゃんはその間、食べこぼしを拾ってあげたり、お茶を入れてあげたり、お母さんみたく甲斐甲斐しく世話をしてあげてて。
…のっちは放置。
ヤスタカ君のほっぺについたご飯粒を「おべんとついとる」とふにゃっと笑って、パクっと食べたあ〜ちゃんに。
さすがに、のっちもいい子して我慢出来なくなって。
「あ〜ちゃん!」
「何ね、のっち」
あ〜ちゃんは目も向けてくれない。
「のっちも、お腹減った」
「えっ、そんなんいきなり言われても…う〜んと…おにぎりくらいなら作れるけど」
「全然大丈夫!」
わーい、あ〜ちゃんのおててでぎゅーっとしたおにぎりだあ。
「んー、じゃあ、炊飯器のご飯、好きに使っていいけえ」
「…へ?」
「塩は、流し台の上の棚で、あ、梅干しが冷蔵庫に…」
「…つまり、のっちに自分で作れ、と…」
「うん」
何その即答…。何が悲しゅうてあ〜ちゃんがおるのに自分で作らんといけんのんよ。
あ〜ちゃんの、手料理が食べたいんだよー。
あたしがムスっとへの字口にしてるのに。あ〜ちゃんはヤスタカ君に夢中。デザートのリンゴをウサギさんにむいてあげてる。
あんな無表情な子供より、のっちんが可愛いじゃん!ほら見てあ〜ちゃん、のっちの八の字眉!


ロコモコ丼からウサギりんごまですっかりキレイに食べつくしたヤスタカ君は、「ごちそうさま」っぽいことをぼそぼそ言って、再びパソコンに向かう。
「ヤスタカ君、机高くてパソコン使いにくいじゃろ?」
あ〜ちゃんはヤスタカ君の顔を覗き込んで、
「あ〜ちゃんのお膝にのせたげるけえ」
…何ですと!?
あ〜ちゃんはうんせっとヤスタカ君を膝の上に抱っこした。両手で抱きかかえて、ぴったりくっついてる(あれ絶対当たっとるよ!)。
あ〜ちゃんの満足そうな天使の笑顔と。ヤスタカ君の、何考えてんのかさっぱり分からない、子供らしからぬ無表情。
そして、放置されっぱなしのあたし。
子供にヤキモチやくのもバカらしいけどさ…分かってるけどさ…。
でもでも。あ〜ちゃあん…、のっちもちょっとはかまってよ…。
子供から見えない角度で手をつなぐくらいしてもいいじゃん。
あたしがいじいじとソファの片隅で、のち眉全開で座ってると、ピンポンが鳴って、
「ごめんね、綾香ちゃん、迷惑かけて〜。ヤスタカ、いい子にしてた〜?」
玄関口からの呼び声に、あ〜ちゃんは残念そうな顔になって、
「ヤスタカ君、ママが迎えに来ちゃったね」
と少ししょぼんとしながら、ヤスタカ君を膝から下ろした。


あ〜ちゃんに手を引かれて玄関に向かいながら、ヤスタカ君がちらりとあたしに目を向け、ふっ、と口の端を上げて超然とした笑いを浮かべた。
み、見抜かれとる…。
ヤスタカ君をママに引き渡して、あ〜ちゃんはつまんなさそうにリビングに戻って来た。
「もうちょっと遊びたかったな…」
ぽそっと呟いて、ヤスタカ君の使った食器やランチョンマットを片付け始めた。
「あ〜ちゃん」
「ん?」
「抱っこして」
「はああっ!?」
あ〜ちゃんはびっくりして、ぽかんとあたしの方を振り返った。
「…抱っこ」
あたしはあ〜ちゃんをじっと見つめる。
あ〜ちゃんはあたしがすねてるのに気付いて、ちょっと呆れた顔をして、
「何言っとるんよ、子供じゃないんじゃけえ」
とあたしに背を向けて、机をふきんで拭きはじめた。
「あ〜ちゃんが抱っこしてくれんのんなら」
手を伸ばしてあ〜ちゃんの腕をつかむ。
「…のっちが、抱っこする」
「…え、のっち!?」
そのままあ〜ちゃんを引っ張って、後ろから抱きかかえるように膝にのせる。脇から腕を回して、しっかりと抱きしめる。


あ〜ちゃんの香水がほのかに鼻をくすぐる。束ねた髪を撫でるように唇をはわせて。
そのまま、うなじに唇を寄せた。
「のっ、…ち」
あ〜ちゃんの甘い声。あたしは両腕に力をこめて、ぎゅうっとする。
あ〜ちゃんの柔らかい髪を撫でながら、うなじから首筋、肩へとキスを繰り返すと。
あ〜ちゃんが体をねじって、あたしの目を覗きこむように見る。
「…ヤキモチ、やいとったん?」
「…うん」
「バッカみたい」
「…うん」
「子供じゃ」
「…子供じゃないよ」
目を合わせたまま、唇を寄せる。
「子供じゃ、こんなことせんじゃろ?」
ゆっくりとまぶたを閉じながら、甘えるように、キス。
抱っこされたあ〜ちゃんは、あたしにぴたりと体を寄せて。あたしは膝の上のあ〜ちゃんを、二度と手放さない大事な宝物みたくぎゅうっ、と羽交い締めにする。


「…のっち、機嫌直った?」
笑いを含んだあ〜ちゃんのささやき。情けないけど。ばっちりご機嫌になりました、ハイ。
あ〜ちゃんはよしよし、とあたしの頭をいい子いい子する。なんかね。あたしが抱っこしてるのに、抱っこされてる気分。
どんなにあ〜ちゃんを腕の中に閉じ込めても。結局のっちはあ〜ちゃんの手のひらの上。
「じゃあ、あ〜ちゃんが今から特製玉子かけご飯でも作ってあげるけえ、いい子しといて」
…おかしいな。あたしとしては新婚さんのイメージなのに。何だか子供扱い…下手すると犬のような。
まあいいか。
キッチンからあ〜ちゃんの鼻歌。ぐつぐつとだしを温めるいい匂いが漂ってきて、あたしはほんわか幸せな気分になった。


終わり






最終更新:2008年10月17日 16:34