あ〜ちゃんの待つ公園にゆかちゃんを送り出してから、小一時間。
薄暗くなった川辺に座って、ひとりでぼんやりしていると、ゆかちゃんからメールが届いた。
「あ〜ちゃんに、ちゃんと『好き』って言えたよ。ありがとうのっち。 ゆか」
いつものゆかちゃんらしくない、短い文面。
多分、あ〜ちゃんの目を盗んでメールを打ってきたのだろう。文字どおり取り急ぎって感じだった。
「よかったね、ゆかちゃん。あ〜ちゃんを大事にしてあげてね!」
メールを送信しようとしたとき、あ〜ちゃんから電話が来た。
「ぁ、もしもし、のっち?あのぅ、えっと、今日ね…、」
「あ〜ちゃん?今、ゆかちゃんと一緒なんじゃろ?ちゃんと仲直りできた?」
「…ぅ、うん。」
「ゆかちゃんに伝えて。もう、あ〜ちゃんを離しちゃだめだよって。」
「のっち…。ゆかちゃんを呼んでくれて、ありがとう。…ごめんね、あ〜ちゃんはのっちのこと、」
「いいよいいよ、気にせんで。それよりもこれからは、ゆかちゃんをもっと信じてあげんさいや。…じゃあね!」
あ〜ちゃんの返事を聞く前に、電話を切った。
「ふぅ。これで、よしっ、と…!」
ひとり呟くと大きく伸びをして、天を仰いだ。
満天の星空を眺めていると、感謝とも諦めともつかない深いため息が、ひとつだけこぼれた。
「…さて、帰るか。」
携帯をバックにしまって、とぼとぼと家路につく。部屋に帰ると電気をつけることもなく、ベットに潜り込んだ。
その夜から、星空だけを味方にして日々を過ごすことにした。
心に波風を立てないよう、静かに、何も考えないで。
また不思議なことに、仕事をしている時は、ふたりのそばにいても平気だったから。
積み重ねとか習慣とか、そういうものの偉大さを実感する。
だからいつものように、さんにんで一緒にいて、表面的には何も変わらない毎日をやり過ごす。
けれど、同じように見えて、決定的に違うこともある。
つまり、どんなにあ〜ちゃんの近くにいてもあ〜ちゃんとふたりには、なれないってこと。
例えば、あ〜ちゃんの髪から甘い香りが漂う時。例えば、あ〜ちゃんのスカートがふわふわと揺れる時。
気を抜くと、重くて暗い何かに心を奪われそうになる。
…本当は最初からわかってたのに。あ〜ちゃんが欲しかったのは、のっちじゃないって…。
一度は手に入れかけた、記憶に刻む間もなく薄れ消えていった柔らかい体温も。
唇に指を当てても、もう思い出せない甘い感覚も。それは今、全部、…ゆかちゃんのもの。
時々、胸の奥が嵐のように荒れ狂って、叫び出しそうなほど苦しくなる。
何度もこぼれそうになる言葉は、心の中で粉々に砕いて、風にのせて星空に散らす。
…ねぇ、あ〜ちゃん、…どうして、なの…。
…こんなに好きなのに、なんでのっちじゃダメなの?…ゆかちゃんとのっちは、どこが違うの…?
残念ながら、言葉は消せても気持ちまでも消せるわけじゃない。
口にできない想いを抱えたまま、なんとなく、ゆかちゃんを眺めている時間が増えた。
最初は悔し紛れに、けれど次第に、…気がついたら、ゆかちゃんを見ている自分がいた。
だって、ゆかちゃんは、
見れば見るほど、…どこがどころか、違う生き物なんじゃないかと思うくらい、のっちと違っていたから。
その舌っ足らずなしゃべり方とか、すぐ伏し目になる瞳とか、照れると頬を押さえる癖とか、
そういうところだけじゃなくて、
お人形さんみたいに細い体も、綺麗に整えられた指先も、長いサラサラの髪も全部、のっちにはないもの。
ゆかちゃんを見つめるあ〜ちゃんは可愛いけど、確かにずっと見つめていたくなるほどに、
ゆかちゃんは、…———本当に、可愛い。
よく見てるせいか、ゆかちゃんとたまに目が合うようになった。
そんな時、あわてて目をそらす。あ〜ちゃんを見ていたふりをする。
あ〜ちゃんはゆかちゃんと目が合うと、嬉しそうに微笑みあう。ダンスをしている時も、話をしている時も。
ゆかちゃんが自然に手をのばして、あ〜ちゃんの髪飾りを直す。あ〜ちゃんが、ゆかちゃんの頬に落ちたまつげをぬぐう。
頭がカッとなる。そんなわけないのに、…なんか、見せつけられてる気がしたから。
どうしても気持ちが沈んで仕方ない時は、ベランダから夜空を飽きるまで眺めた。
…そういえば、しばらく川辺に行ってない。
一番星に願い事もしていない。
だって、願いはかなったから。のっちの願いは、あ〜ちゃんの幸せ。それだけ。
…だから、もう、何も望むことはない。
そう、…そのはず、だったのに…。
ある日のことだった。
お手洗いから楽屋に戻ろうとしたその時、部屋の奥でゆかちゃんとあ〜ちゃんが抱き合っているのを発見した。
(あわわわっ…!)
慌てて扉から手を離して、壁際に体を押しつけた。心臓が、バクバクしている。
(いかんいかんっ、…み、見ちゃいかんって…!)
と思いつつも、湧き上がる好奇心を抑えきれず、…ほんの、ちょ、ちょっとだけ…、覗いてみることにした。
扉の影からこっそり頭を出してみると、
…ゆかちゃんが鏡台にあ〜ちゃんをおしつけて、キスをしているのが見えた。
おそろいのマニキュアを施した指先を、ぎゅっと握り合っている。唇が離れると、あ〜ちゃんがゆかちゃんに抱きついた。
ゆかちゃんが髪を優しく撫でて、耳元で何か囁いてる、あ〜ちゃんが頬を赤らめて頷いた。
あ〜ちゃんは両手を解いて、瞳を閉じる。ゆかちゃんはあ〜ちゃんの首筋に顔を埋めると、音を立ててキスをした。
…首に赤いシルシをつけられたあ〜ちゃんがこぼす、とけそうなほど甘い溜息…。
(…———これは、見んほうがよかったな…。)
ふたりは、お互いを心の底から思いあってる。のっちがつけいる隙は、…これっぽっちもない。
しょんぼりして顔を引っ込めようとしたその瞬間、———ゆかちゃんと、目があった———。
(ヤバッ!)
急いで扉から体を離すと、足が勝手に動いて、廊下を駈けだしていた。
「…っ、はぁ…、はぁ…っ!」
とにかく全速力で楽屋から遠ざかる。走って走って、…気がついたら、屋上についていた。
深呼吸を繰り返しても、破裂しそうな心臓音がなかなか収まらない。
目を閉じると、くらくらする意識の中で、さっきの映像が何度もループした。
照りつける太陽が、体の熱を冷ますどころかさらに押し上げていく。フェンスを強く握りしめて、俯いて頭を押し付ける。
(…忘れなくちゃ。見なかったことに、しなくっちゃ…。)
自分に何度も言い聞かせて、深呼吸を繰り返しているうちに、少しずつ視界が掠れぼやけ始めた。
…そうだ、埋めてしまおう、意識の底に。決して思いださないように、固く封をして記憶の彼方に沈めてしまおう。
涙が滲む瞳も、苦しい吐息も、すべて一緒に隠してしまえばいい。
段々と薄れゆく風景の中で、一瞬見えたゆかちゃんの熱い眼差しだけが、…消えない。
(…————あぁ…、……いいなぁ、あ〜ちゃんは…。)
…ん?ちょっと待って。…今、自分なんて…?
あ〜ちゃんのことが、うらやましいと思って、…あれ、……なんで?…ゆかちゃんじゃなくて…?
待って、何かがおかしい。…でも、何度考えても、いいなって思ったのは、…やっぱり、あ〜ちゃんだった。
……えっ。
急に体の力が抜けて、フェンスの前にずるずるとへたり込んだ。鼓動が鳴りやまない。さっきより、もっと激しく動揺してる。
確かに最近は、ゆかちゃんのことばかり見ていたような気もするけど、
だけど、のっちはあ〜ちゃんが好きで、あ〜ちゃん以外は何もいらない、はずだったのに。
それなのに、今どうしても頭から消し去れないのは、ゆかちゃんの瞳だなんて。
…ゆかちゃん…。
…のっち、…———ゆかちゃんの、こと………?
思わず空を仰いだ。声にならない声が、漏れる。涙が頬を伝っていく。
きっと自分は、狂ってしまったんだろう。真っ白に歪んだ視界の中で、ぼんやりと考える。
…ぁ、いいんだ、別に。どっちを想っていたって。よく考えれば、どっちだって同じことだから。
…どれだけ想っても、
…———もう、届かない。
涙が収まるのを待って、楽屋に戻った。
心配したふたりに何か話しかけられたけど、…何を言ってるのか、よくわからなかった。
「…ぅん。」
「大丈夫。」
ふたりに返せる言葉は、それだけだった。
一度自分の気持ちに気がついてしまうと、さすがに動揺を隠すのが難しくなった。
仕事をしている間はなんとか堪えられても、さんにんだけになると妙にそわそわしてしまう。
ところが、挙動不審でも、言葉を噛んでも、一人遊びをしていても、全部いつものことだったから、
全く気が付かれなかった。…習慣って、恐ろしい。そうこうしてるうちに、この状況にもなんとか慣れてしまった。
でも、夜ひとりになると…、ベットの中で体を丸めて、シーツの端を握りしめたまま朝を迎えていることが増えた。
…寂しくて、あんまり眠れんようになっていた。誰にも言えんくて…、ひとり、だったから…。
苦しくなると、いつものようにベランダに出た。今夜は曇って星が見えない。
だけど、都会の空は大抵曇り空だ。きっとこの厚い雲の向こう側で、たくさんの星が瞬いているのだろう。
黙ってうつむく両手に、お星さまの欠片が落ちる。キラキラ光って溢れて零れて、…そのうち何も、見えんくなった。
部屋に戻ってしばらくすると、ぽつぽつと雨が降り始めた。…ほっとした。雨の日はよく眠れる。
あたしの代わりに星が泣いてくれてるみたいで、安心することができたから。
次第に強くなる雨の中、誰かがドアをノックする音が聞こえてはじめていた…。
㈰ひとり おしまい
最終更新:2008年10月17日 17:05