秋の深まった海辺は、さすがにもの寂しかった。
冷たい潮風が、あたしとあ~ちゃんの髪をなぶる。
人影が見当たらないのは、季節のせいもあるだろうけど、平日の真っ昼間ってのもあるんだろう。
あたしが思わずくすりと笑うと、あ~ちゃんがきょとんとして、
「どしたん、急に?」
「いやあ、のっち今頃泣きべそかいとるか、はぶてとんかなあと思って」
「置いてけぼりくらった、のっちの八の字眉が目に浮かぶわ」
あ~ちゃんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「…まさかゆかちゃんが、いきなり学校サボろうと言ってくるとは思わんかったわ」
「一緒に逃げよう、って感じもたまにはいいじゃろ?」
今日の朝、あたしは登校中のあ~ちゃんの腕をひっつかんで、強引に学校とは反対方向の電車に乗った。
完璧な、衝動。どうしようもないほどの。
あ~ちゃんいわく「真面目すぎて堅いくらい」のあたしが衝動に突き動かされると、季節外れの海にたどり着くのか。
なんか可笑しい。秋晴れの澄んだ空を映して、海は清々しくうららかだけど、やっぱり何か外れてる。そんな感じ。
…でも。目の前にあるのは、あたしとあ~ちゃん2人きりの海だ。2人だけの、景色だ。
…もう、手に入らないかもしれない景色。
「…あ~ちゃん」
「ん~?」
「…志望大学、変えたじゃろ?」
あたしは努めてさりげなくきいた。
こんな時は自分のふにゃふにゃした声がありがたく思える。声が震えても、気付かれない。
「…うん、変えた」
あ~ちゃんの髪がふわり、と舞う。
遠くに、波の音。寄せては返す、ざわめき。
「…ふうん、そっか」
あたしは頬杖をつく。
言葉が出て来なくて、ごまかすみたいに制服の上に重ねたカーディガンをぎゅっと巻きつけると、
「ゆかちゃん、寒いん?」
なんてあ~ちゃんがきいてくるから。
あたしは泣きたい気持ちで、
「…ちょっとね。海はさすがに季節外れじゃわ」
と笑った。
…ああそっか。寒いのと寂しいのって似てるんだ。
心が冷えきって、凍りつきそう。
だって。
あ~ちゃんがいなくなる。あたし達の風景から、あ~ちゃんが消える。朝起きて数時間後にはあ~ちゃんがそばにいる、それが当たり前の日常だったのに。
ずっとそこにあると信じて疑わなかった世界が、もうすぐ消えるんだ。
あ~ちゃんとのっちとあたしの、3人だけのきらきらした世界。それが、光を失う。解体される。
スイッチを押すのは、始まりも終わりもあ~ちゃん。言い出しっぺはいつもあ~ちゃん。
ほんとに。何て、残酷なお姫様。
「でも何でゆかちゃんが知っとん?もっさんに最終進路希望出したん、昨日なんじゃけど」
「放課後、職員室に呼び出されたじゃろ?あれでピンと来たけえ」
「ゆかちゃん、何でもお見通しじゃね」
…うん。ずっと、見とったけえ。
あ~ちゃんが考え込んでるとこを。あ~ちゃんは、うちに負けず劣らず真面目じゃけえ、ぎりぎりまで自分のしたいことにこだわってたのも知ってた。
最近のっちに優しくなったのも。何か言いたげにのっちを見る目が揺れてたのも。
全部全部、見てたから。
だから。ゆかにはあ~ちゃんを責めることが出来ない。
うちが寂しいのは、うちのわがままじゃけえ。
「…のっちには、いつ言うん?」
「…そのうち」
「のっち、怒ったらあれで結構こわいよ」
「…知っとる」
あ~ちゃんは海を眺めたまま、笑った。
柔らかい髪を風がさらうように舞い上げて、あ~ちゃんの表情が見えない。
とっさにあたしの手が伸びて、あ~ちゃんの髪を押さえて。
そのまま、唇を軽く重ねた。
これも、完璧な、衝動。
唇を離すと、耳に波の音が戻ってきて。目の前には、あ~ちゃんの笑顔。
…こんな時まで、そんな無邪気に笑わんといてよ。
それでもあたしも笑う。いつもみたく、額をこつんとくっつけて。ゆらゆらと、包むみたいに。
「ゆかちゃんがおるけえ、大丈夫じゃね」
「…?何が?」
「のっちのこと。ゆかちゃんが同じ大学なら、一安心じゃ」
…分かってないなあ、あ~ちゃん。
あ~ちゃんがいない時に、あたしとのっちが話すことといったら。
さっきのあ~ちゃん見たら大ウケじゃろとか、これ絶対あ~ちゃんっぽいとか、あ~ちゃんも来れば良かったのにとか。
いつもいつも、話はそこにいないたった一人の話題になる。あ~ちゃんの不在を、あたし達は語り合うんだ。
…そんな寂しいこと、させんといてや。
でもそんなことあたしは言えない。寂しいのは、あたしのわがまま。
…あ~ちゃんは、ゆかのものじゃない。
つかめない風のように。あ~ちゃんを、ゆかのものには出来なかった。
「…あ~ちゃん」
ゆっくりと、額を離す。あ~ちゃんの体温が遠ざかる。
「写真、撮っていい?フィルム、少し残っとんよ」
あたしはカバンから、中古のニコンを取り出した。ポジフィルムが、あと数枚分、残ってる。
ポジフィルムは光の調整が大事だ。あたしは慎重に絞りや露出を補正する。
使い慣れてるデジカメとは違って、撮り直しがきかない。
シャッターを押したら、それっきり。残酷に切り取られる時間。
二度と手の届かない瞬間。
…どうか。この一瞬を。あたしの手につかませて下さい。
祈るようにファインダーを覗く。
レンズ越しに、海を背景にしたあ~ちゃんが真っ直ぐに笑いかけた。
こんなに真正面からあ~ちゃんを見つめたことって、あったっけ?あたしはいつもななめから見つめてた気がする。
シャッターを押す指先が震えた。
「あ~ちゃん」
感情の波が押し寄せ、ぽろりと言葉がこぼれる。…これも、衝動。
「好きだよ」
あ~ちゃんは海風に舞う制服のスカートをおさえながら、きらきらの笑顔を向けた。
「うちも、ゆかちゃん大好きじゃけえ!」
あたしは、笑った。
カシャ、と音を立てて、その一瞬が切り取られた。
図書資料室に鍵をかけて、あたしは一人こもった。
借りて来たプロジェクターに、切り取ったフィルムのスライドをゆっくりとセットする。
副業の関係で、のっちの写真はほんと腐るほどあるのに、あ~ちゃんの写真は少なかった。
…こわかったのかもしれない。余計な気持ちが、写りこんでしまわないか、って。
でも、写真部の課題の、ポジフィルムの練習にはよくあ~ちゃんを撮っていた。何でだろ。
無意識にカタチに残したかったのかもしれない。切り取って閉じ込めれる、小さな色鮮やかな世界を。
電気を消して、図書資料室の白い壁にスライドを映してゆく。
カシャ、カシャと静かな音を立てて、一枚一枚、あ~ちゃんの瞬間瞬間が映し出される。
頬杖をつくあ~ちゃん。教科書で顔を隠すあ~ちゃん。上目づかいのあ~ちゃん。眼鏡をかけてるあ~ちゃん、ぷくーっと頬をふくらませたあ~ちゃん。
どの瞬間のあ~ちゃんも、あたしの記憶にあった。どの瞬間も、あたしは忘れてなかった。
どの一瞬にも、あたしの想いが写りこんでて。あたしは思わず笑った。
まるで今そこに在るかのように、色鮮やかに凍結された瞬間瞬間。
でも。
それのどれ一つとして。もう、手を伸ばしても届かない。
最後の海の写真になった。
斜めからの光線で、ふんわりと柔らかくあ~ちゃんが映っていた。
真っ直ぐな明るい笑顔も、潮風に舞う柔らかい髪も、生き生きと鮮明だけど。何となく、遠くに感じる。
ついこの間のことなのに。あっという間に過去になっちゃうんだ。
あたしは思わず衝動的に、手を伸ばした。
あたしの手は空をつかんだだけで。風のように笑うあ~ちゃんは映し出されたままで。
…あたしは、目を閉じた。
目を閉じても、あ~ちゃんは消えなかった。
静かに涙が溢れても。あたしの中のあ~ちゃんは消えなくて。
あたしはただ声も無く泣きながら。
この瞬間の記憶も。
いつかあたしの大切なファイルとして保存されるんだろう、と思った。
凍りついた結晶みたく、キラキラと輝く。パーフェクトな、記憶。
永遠に、パーフェクトな、片思い。
終わり
最終更新:2008年10月17日 20:07