秘密の、恋の話をします。
多分一生、あたしだけの秘密にしておく話。
もうあの先輩達は卒業していなくなっちゃうけど。
あたしは絶対、誰にも言うつもりはないんです。
あの先輩達が学園内で有名だったのは、3人のうちの一人、大本先輩があたし達下級生に絶大な人気があったから。
すらっとしてボーイッシュで。寡黙なとこがクールで。でも笑うと少年みたくあどけなくて。
制服の上に重ねたパーカとかモッズコートとか、くたくたのカバンとかハードなスニーカーとか。
女の子女の子した生徒の多いあたしの学園では、大本先輩は何か異質で目を引いて。そして格好良かった。
ファンクラブなんてものもあって、みんな写真とか集めたり、小説なんか出回ってたり。
大本先輩のしてきた、明らかに趣味と違うピンクのマフラーひとつで、誰かが抜けがけしたなんて大騒ぎになっちゃうような。
そんな人気を、あたしはどっか覚めた目で見てた。
だって。答えは、明白で。
大本先輩の視線の先には、いつもあ〜ちゃん先輩がいた。
大本先輩が駆け出すと、その先にあ〜ちゃん先輩が「のーっち!」ってわんこを呼ぶ要領で手招きしてて。
整ったクールな顔を崩して大笑いしてる時は、いつも隣りにあ〜ちゃん先輩のおっきな笑顔があった。
ぼーっと一人いる時も。大本先輩の大きくて澄んだ目は、学園の人波をすいすいと泳ぎながら。たった一人の影を追っていた。
それは、なんか胸がキュンとなるような、いたいけでひたむきに憧れる瞳だった。
大本先輩が頻繁に「あ〜ちゃん、あ〜ちゃん」って口にするし、あ〜ちゃん先輩自体が下級生の面倒見が良かったから、あたし達は西脇先輩じゃなくあ〜ちゃん先輩って呼んでた。
あ〜ちゃん先輩を悪く言う人もいたけど、あたしは好き嫌いが分かりやすくて裏表の無い、あ〜ちゃん先輩の純粋な子供っぽさは嫌いじゃなかった。
なんか、まぶしいなあって思ってた。年下のあたしから見ても可愛い人だな、って感じ。
それにあたしはムダな片思いなんてしない主義だから、大本先輩には憧れなかった。
あたしは樫野先輩に、こっそり憧れていた。
あたし達下級生はいつも、大本先輩達3人の関係をあれこれ噂したけど、樫野先輩はよく分からなかった。
大本先輩とこっそりつき合ってるとか(これはあたし的には無いと予想)、あ〜ちゃん先輩とキスしてたとか(この目撃談は多いけど、ふざけ合いっぽかった)。
犬と猫のじゃれあいみたいな二人を、保護者みたく見つめてる樫野先輩のスタンスは、何か大人に見えた。
サラサラの黒髪や直線的な体のラインがストイックな感じで。
その体温を感じさせない人形的な雰囲気は、きゃあきゃあと無駄に甘酸っぱい感情を発散させてるあたし達の中で、クールに見えて憧れた。
それは、冬の出来事でした。
一週間前に初雪が降ってからめっきり寒くなって。
あたしは学園の、古い木造建築の隙間風にぶつぶつ文句を言いながら、視聴覚室に忘れたノートを取りに行った。
冬の放課後は、すぐ暗くなるから嫌い。吐く息が白く薄闇に浮かぶと、余計寒く感じる。
階段を上って、左に曲がると。
廊下の端の、視聴覚室がぼおっと明るい。
…誰か、いる?消し忘れ、かな?
何にせよほっとした気分になって、あたしは視聴覚室のドアを開けた。
…あ。
ストーブの余熱でまだあたたかい教室の真ん中に。
あ〜ちゃん先輩が眠ってた。
すうすうと、規則正しい寝息。…熟睡しとる。
あたしはそうっとあ〜ちゃん先輩に近づいた。
柔らかくウェーブがかかった髪が肩に広がって。髪の間からのぞく頬。赤ちゃんみたいに、白くてすべすべ。…うわ。まつげ、長い。
なんか、どきどきする。無防備なものを見るのって、なんかやばい。
…でも何であ〜ちゃん先輩がこんなとこに?
もしかして。
大本先輩と、待ち合わせかな。大本先輩は、こんなあ〜ちゃん先輩の寝顔を見たらどうするのかな。
あたしは想像だけでどきどきしてきて。
視聴覚室に近づいてくる足音が聞こえた時には、反射的に、掃除ロッカーと窓際のカーテンの間に、身をひそめていた。
…ほんと、乙女の純粋な好奇心というより。ふらちな下心ってゆうかスケベ心だよね。
大本先輩、あ〜ちゃん先輩ごめんなさい。見た事は、決して口外致しませんから。
あたしが息を詰めてると。視聴覚室のドアが開いて。
「あ〜ちゃん、ゴメン。生徒会が長引いたんよ」
…なんだ。樫野先輩、かあ。
あたしは期待感と緊張感が一気にはじけとんで、途端に恥ずかしくなった。
覗き見しようとしてたこと、樫野先輩には知られたくない。あたしはいっそう息を殺す。
「…あ〜ちゃん?寝とん?」
ゆっくりと、樫野先輩があ〜ちゃん先輩に近づいて。
ぴたり、と立ち止まった。
黙って、身じろぎもせず。ぐっすり眠ってるあ〜ちゃん先輩を、樫野先輩は見下ろしていた。
あ〜ちゃん先輩の寝息が、しんと静まり返った教室に時限爆弾みたく響く。それくらい、静寂が張りつめていて。
うつむいた樫野先輩の髪が、肩をすべるサラサラという音さえ、聞こえそうだった。
静かに、痛みをこらえるような樫野先輩の視線。でもそれは、切ないほど優しくあ〜ちゃん先輩にそそがれていて。
樫野先輩は、巻いていた自分の大判のストールみたいなマフラーを外した。
優しく、ゆっくりと。ほんとに真綿で包み込むように。
あ〜ちゃん先輩に、ふんわりとマフラーをかけて。
一瞬、迷った後。
樫野先輩は、マフラーの上からそっと、触れるか触れないかの。キスをした。
もう教室に、音は無かった。
静かに時は止められていた。
樫野先輩は、ふっと小さく笑って、
「…あ〜ちゃん、起きんさい。風邪ひくよ」
「…ん〜、ゆかちゃぁん…?ありゃ、あ〜ちゃん…」
「寝とったよ、いびきかいて」
「えっ、ほんま!?」
「うそうそ。お待たせ、あ〜ちゃん」
何事も無かったように、空気が動き出していた。
いつものあの二人。気心の知れた親友のよいな、腐れ縁の悪友のような、甘えっこと保護者のような。
秘密を共有する、
共犯者のような。
「…あれ、このマフラー、ゆかちゃんの?」
「寒い中待たせとったけえ、おわび」
「ふふ、あったかいのう」
あ〜ちゃん先輩はにひゃって笑って、みの虫みたくマフラーにくるまった。
「…のっち、あ〜ちゃんのあげたマフラー、して来とるね」
「う、う〜ん…でもやっぱりピンクは失敗じゃった…」
「うん、見る度笑けるわ」
「次はちゃんと、のっちの趣味で選ぶけえ!」
「…ええんよ」
樫野先輩は、小首をかしげて微笑んだ。
「あ〜ちゃんのあげる物なら、のっちは何でも喜ぶんじゃけえ」
「…でもそういうの、うちがくやしくて嫌なんよ」
あ〜ちゃん先輩はぷくっとふくれた後、
「ね、ゆかちゃん、げた箱まで競争しようや!負けたらケーキおごり!」
「えっ、無理じゃけえ、…って、あ〜ちゃん!?足早いくせにずるいんよ〜!」
二人の騒々しい足音と、弾けるような笑い声が放課後の校舎に響きながら、遠ざかっていって。
…また、静寂が訪れた。
あたしは一人、カーテンの影に隠れたまま。
冬の冷たい窓ガラスに額をつけた。
目をつぶって、ぎゅっと唇を噛み締めた。
…ムダなんかじゃない。ムダな片思いなんかじゃ、ない。
あの時樫野先輩は一瞬迷った。マフラー越しで軽く口づけるのさえ、ためらうような。
そんな息を殺すような密やかな感情が。
ムダでなんか、あるはずがない。
あたしが今流してる涙も。誰も知らなくても。…ムダなんかじゃない。
誰かをただひたすら想うことは。静かな痛みに満ちた秘密であっても。
それはきらきらと輝くんだ。淡い雪のように。
窓の外、冬空の下を。はしゃぎながら校門を目指す、二人の姿が見えた。
踊るように弾む二人の髪に、ひらひらと粉雪が舞う。
どうか。樫野先輩のマフラーが、あ〜ちゃん先輩を暖かく包みますように。
樫野先輩の髪に降る雪が、優しくひそやかに。彼女の想いを隠してくれますように。
遠ざかっていく彼女達の姿は、初雪のように白く柔らかい光に包まれているように見えた。
完
※「冬の華」という前に書いた短編と一部リンクしています。
最終更新:2008年10月27日 16:00