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『ソノヒノキ』は、estoさんという方がお書きになった短編小説です。
ここではその対訳を掲載しています。徐々に更新します。
こちらでは、様々な人工言語での翻訳を比較できます。(作成:Ziphil氏)


白は青へ、青は赤へ、赤は黒へ変わり、そして闇が世界を覆った。


1日はいつもと同じように終わろうとしていた。


しかし世界にとって何でもないその日は、この少年にとっては非常に重要なものだった。


テラスにて、日没を見ながら私は悩んでいた。いや、憂えていた。
心の中でここにいる私の体を眺めてみた。人形のように立っている自分が見て感じられた。この目は死人の目のように赤い光を映していた。そうか、これが今の私の顔か。不気味だな、私ではないかのようだ。
テラスを離れ、私は部屋に入った。椅子に座り、カレンダーを見る。
「ああ…」
そう呟くと私は椅子から立ち上がってベッドで仰向けに寝転んだ。
「ああ、腐ってるねぇ、私の心は」
天井には鏡が付いている。私はこれが好きだ。だが、もしこれが落ちてきて首を切られたらと考えると…怖い。いや、首が切られるのが怖いというより、頚動脈が切れるのが怖いのだ。鮮血が飛び散る様を見るのは嫌だ
「私は生きてるのかねぇ…」
自分に再度呟いた。私以外は誰も居ないこの部屋で。
目を閉じた。私が感じている赤い光は黒い光へと変わっていく。闇のせいで怖くなった。が、同時に安心も感じ始めていた
赤い光が消えると私は目を開けた。すると、鏡の向こうに一瞬彼女の顔が見えた。
あれ?
ということはあの美しい顔が私の隣にいるのではないか?しかし隣を見るが、いるはずもなく、ただ蚊が居ただけだった。
「やあ」と声をかけると蚊は逃げ出した。途端に殺意が沸いた。が、逃げられてしまった。
「クソッ!」
私はもう一度椅子に座ると、カレンダーに目をやった。
「今日だ…」
またこの日がやってきた。とても嬉しくて踊りたくなるほどだ。
拳を見ると、手首に傷があった。また切ったらどうなるんだろうな。痛いだろうね。泣くかもしれないなぁ。そもそも、何でこんなことしたんだろうなぁ。この自問によって私は今まで生き続けてきたのだ。
劣等でもないのに何も上手くできない。何でもある程度はできてしまうので、情熱を注ぐということができないのだ。力ある無能力者だな、私は。そしてそれは矛盾的だ…。
もし私が他人だったら、こんな男、殴っているだろうな。だって私はただの怠け者なのだから。こんな自分は愛せない。
何にも上手くいかないのは私が怠けているからだ。なのに怠惰を直すことができない。怠け者は怠惰だから怠惰をも直そうとしない。始末におえないものだ。
拳を見るのをやめると、私は再び目を閉じた。現在を閉じ、未来を開いた。
「もう何年になるかな」と小声で呟いた。「あの美しい姫と会ったのはいつのことだったか。いずれにせよ、私は始めてあったときに彼女のことを愛してしまったのだよ」
あの日、私は何を考えていたのだろう。彼女に出会うなどとは予想だにしていなかっただろう。似合わないジャケットを着て、何とはなしに外へ出たのだ。
そして家の近くの暗がりに人が居るのに気が付いた。もし彼女を無視していたら私は今の私でなかっただろう。
暗がりを覗き込んだ私は驚いてしまった。というのも、とてつもなく美しい小さな少女がそこにいたからだ。彼女も私と同じで子供だったが、美しく華麗で魅力的だった。
姫――と私は呼んでいるのだが――は私を見ると美しく微笑みかけてきた。天使の微笑みは美しいが天使でさえこのようには微笑めないだろう。
「嬢ちゃん」と呼ぼうとしたが、彼女があまりにも美しいので姫と呼ぶことにした。戸惑いながら彼女をそう呼ぶと、彼女はゆっくりと私に近づいてきた。
彼女は髪を長く伸ばしていた。桃色のシャツに薄青い色のセーター、フリルの付いたベージュのスカート、頭につけた白玉のアクセサリー、とりわけスカートの大きなリボンが変わっていた。リボンには2本の紐が垂れており、彼女の膕まで届いていた。
姫が私に近づいてきたが、私は身動きを取れなかった。
「やっと見つけた、あなたを」
姫は始めに小声でそういった。全くわけがわからなかった。面倒なことになるのではと、不安な気持ちがよぎった。が、結局、姫は私に何も望まなかった。姫に一目惚れしてしまった私は彼女を助けてあげようと思ったが、姫は何も望まず、ただ私の隣に佇んでいただけだった。互いに名前さえ知らなかったが、私達は幸せだった。ただ一緒に居るだけで。
12 時を過ぎると彼女は立ち上がった。私は別れを悟ると共に、再会をも悟った。
私は目を開けた。
彼女にあって以来、私は毎年この日になると姫に会いに行く。彼女はいつも私を待ってくれている。私達は会ってその年の出来事を語り合うのだ。そして彼女に会って自分と彼女の存在を確認するのだ。
今日も彼女に会うと考えると少し緊張する。緊張の半分は幸福で、残りの半分はしかし死の恐怖である。私は毎年彼女に会って、生きるべきか死ぬべきかを決めてきた。
初めて出会ったとき、別れ際に彼女はこういった。
「貴方が生きるべきでないなら、次に会った時に私は静寂な死を貴方に与えるでしょう」
今日までこの言葉を恐れたことはなかったが、今は恐ろしく怖い。今年こそあの美しい緑の瞳に殺されるかもしれないのだから。私は始めてそう感じた。
それにしても自殺を図ったものが死を恐れる?――私は自嘲した。
いつものように彼女に、姫に会いたい。そして幸せを感じたい。だが、姫の目は私に微笑みかけてくれるだろうか。私は顔を手で覆った。姫と死とが天秤にかけられていた。
すると私の中のもう一人の私が囁きかけてきた。姫は死と等価なのか。お前は姫を自分以上に愛することはできないのか――と。
否、断じて否。私はもう一人の私を追い払おうとしたが、奴は続ける。
ならばなぜ姫に会うかどうかを決めあぐねているのか――と。
「私は死が怖くて迷っているのではない。姫に生きる必要の無いくだらない人間だと定められるのが恐ろしいのだ!」私は声に出して奴に答えた。
そうか、私は死が怖いのではなく、それが怖かったのだな。そのことで私は悩んでいたのだな。私はゆっくりと長く息をついた。顔から手を離す。左手だ。この左手だけは姫に触れたことがある。以前、左手が姫の髪の毛に触れたことがあるのだ。私はそのことをよく覚えている。尤も、姫はそんなこと知る由もなかったろうが。
私は左手を頬にあてた。私が姫の髪に触れたことなど知らないのと同じで、姫は私が悩んでいることも知らないだろう。姫は何ひとつ知らないのだろう。だが、私は彼女を愛している。そしてそのことが私を悩ませているのだ。姫を愛せば愛すほど姫に殺されることが怖い、姫に否定されることが怖い。私ともう一人の私との言い合いが終わると、奴はいつのまにか消えていた。
奴は忠告に疲れたのか、その必要がなくなったのか、はたまたそれ以外か、いずれにせよ奴はもういない。いや、私が奴を必要としなくなったから奴は消えたのだ。なぜなら、私はもう行くかどうかを決めたからだ。
彼はいつも8時すぎに来る。毎年、この日の8時すぎに…。彼は私を見つけるとすぐに微笑みかけてくれる。そして私の好きなあの瞳でもって私の心を魅了してくれる。
私は彼と初めて会ったときに、この世界が彼にとってなんら魅力的でないものだということを知った。彼の目を見て、私は彼がこの世界や他者を破滅させかねないと感じた。そして彼は寂しそうだった。だから私は言ったのだ。
「貴方が生きるべきでないなら、次に会った時に私は静寂な死を貴方に与えるでしょう」
――と。
彼は死を恐れないだろう。だから私は彼を殺すことができるのだ。私が彼を殺せる理由というのを彼は知っているのだろうか。彼が自分より私のことを愛してくれるからこそ私は彼を殺せるのだ。私に殺されるかもしれないと思いながらも私に会いに来てくれる。それは彼が自分より私を愛してくれるということ。だからもし彼が愛して
くれれば彼をもっと愛し、彼を殺して彼の魂を得るだろう。今年の彼の瞳はどのようなものだろう。そもそも来てくれるだろうか。
日が暮れていく。早く来すぎたのかもしれない。
彼を待ちながら、彼と私の思い出を思い出し始めた。
左手を頬から離すと、私は目を閉じた。
姫に会いたい。
姫に否定されたくない。
悩みを断ち切り、行くか否かを決めた私は平静さを感じていた。
私は毎年するように、彼女と私との思い出を思い出していた。
――その日に会うことができる姫
私は手で、左手で目頭の涙を拭った。
私の頭の中で、美しく微笑みかけてくれていた――私の愛するソノヒノキが。
最終更新:2012年11月05日 21:54