執事

磯城英一郎は生まれながらにして、失語症だった。
農家を営む親の手伝いをしているころもそうだし、戦争に駆り出された時もそう。彼はずっと話すことはできなかった。
話すことができないから、激戦区ばかりに放りだされていたのだが――――それ故に、かの永全不動の桜花一族と知り合う事もできたのだけれど――――それでも生き残って、英一郎が全てを注ぐ“牧野渚”に過去の笑い話として、今は話せる。

昔とは違い、今の彼は話せる。
先刻まで話していたように、今の英一郎は話している。回復している。
決して戦時中に魂魄励起を封じるための特異な術を浴びて、それが元で快復に向かったとかそういうわけではなく、話すことができている。

今は何故話せるか?

――――それは、彼の些細な夢を叶えてくれた彼女に対して、永遠の忠義を尽くす理由でもある。



磯城英一郎。
もうすぐ米寿を迎えるというのにもかかわらず、未だ現役で渚を仕え支え、護り続ける屈強の老人。とはいえ流石に全盛期の実力の半分程度しか出せないのが現実ではあるが、それでも磯城という男の強さは揺るがない。
魄啓という、心器という、異能力が覚醒してから(タマシイの力に目覚めても)も決してその能力に頼らず、頼る事をよしとしなかった稀有なる存在。ひたすらに己の身体を虐め続け、戦う術を学んでいった兵士。必然と殺す術を学び覚えていった戦争の被害者にして加害者。

故に、彼は揺るがない。
例え、敵が圧倒的暴力を有していたとしても。



話を戻すが、磯城英一郎は失語症だった。
しかしそれでも、魂魄励起ができないわけではなかった。

言葉にすることができないだけで、心の中で呟けばいいだけの話なのだから。

(無垢たる光を右手に燈そう
 未知なる闇を左手に宿そう)

(幾多の希望をその脚で乗り越えて
 幾多の屍をその足で蹴散らしていく)

それは彼の行ってきた行為。
数多の屍をその脚で乗り越え、蹴散らしていった。

(故に我が身体は穢れ汚れている。
 だのに彼女は何も言わず。されど彼女は何も思わず。
 我が身体を優しく抱きしめてくれた)


それは、彼が彼女に捧ぐ理由。


(その温もりを忘れない。
その優しさを忘れない。
この薄汚れた老獪の夢を叶えてくれた少女の事を―――――)


彼が抱く、最後の夢。



(故に従おう―――――“全ては我が主のままに《マスターガード》”)


彼女は何も言わない。

されど。
だけど。
だから。



磯城英一郎には届くのだ。
彼女の願いが。













―――――我流、“鳳仙花”。

磯城は励起後の充実感に身を任せることも委ねることも、否、魂魄励起をしたことを無視するかのような速度で、愛沢月の懐へと潜り込み、掌打を三度同じ場所へと叩き込む。その威力を緩和しようと月が後ろへ吹き飛ぶようにしていたが、そうはさせまいとその腕を掴み、自分の下へと引き寄せ、頭突き。一時的に身体能力を頭部に充実させていたために、相手の損害は酷い、酷いだろうがそれだけでは収まらぬと更に足を払い、払った足を真上へと掲げ、月の胸部に踵を落とす。
避けることも防ぐこともいなすこともできなかった月がその幼い声で呻くが、磯城の意志は揺るがない。その洋風の服を破らんばかりの勢いでひったくると、そのまま彼女を壁へと投げつけ―――――駆け出し、壁に叩きつけられたと同じタイミングで脊椎を破砕せんとも粉砕するべき凶悪な足を叩き付けた。

「すご……」

つばめの声が聞こえてくるが、それすらも無視。彼女の背中にお見舞いした足の感触が人間のものではないことを悟ったからだ。
概念武装、と見るまでもなく悟り、次の瞬間には己の心器を顕現、渚に覆い被せ、心の中で呟いた。

(お嬢様、此処は戦場になりますので、合図を出したら静かにこの部屋から逃げてください)

 磯城は遠隔操作の特殊能力を持っている。残念ながら少しの距離――――半径10m程度だが。

(磯城、何を――――)

 自分の渚への意思を一方的に伝え、磯城はその場を駆け出し、地を這う獣のように星へと向かう。相手の流派は桜花楓院。有難いことに、こちらが知り尽くしている流派であった。

「――――ゃっ!」

 泰然とした構えでこちらを待ち構える月。疾走中の磯城には止まることも曲げることもできないが、崩すことはできる。前傾姿勢からヘッドスライディングの用量で月の足を掴もうとする。当然邪魔は入るが、この速度と角度ならば致命傷を負うことがないのは理解しきっていた。
 鈍い音と、脳裏に響く主の声が聞こえてくる。だが、磯城の手は確実に月の足を掴み、そのまま足を砕こうと握り締め、長年の経験が彼女の足の骨に罅を入れるだけに忠告していた。
 どろり。
 そんな音が聞こえたときには、既に磯城は月から離れていた。
 “溶かす”心器。これまた攻撃に特化した心器だと磯城は思う。そして、その心器を使わない理由も理解できた。

(磯城、彼女の心器は)
(心得ております。気になさることなく隠れていて下さいませ)

 形質自在。彼女の特殊能力。何故果実の形をしているかを考えた磯城は、恐らくそれを相手に食べさせることだろうと察する。その仮定が成り立つとすれば、彼女は遠隔操作と二つの特殊能力持ちだということだ。

「実に悪趣味な心器ですな。お嬢さん」
「えへへー、この間そこらへんのホームレスに食べさせたら」

 長く喋るつもりなどない。第一に、自分の言葉は率直な感想であって、更に言えば相手が言葉を返してくれることを期待したものである。
 その証拠に磯城は、駆け出す。桜花楓院の歩法で、近付く。
 えっ、と月が漏らすが、磯城はそれに答えずに、拳で返し、援護の鎌鼬が月を切り刻む。

「生憎と、時間がないので―――――早々に斃れ下さいませ」

 ―――――陸式屠殺術“胡蝶蘭”。

 五つの急所を蝶のように舞いながら打つその技が当たったことを確認した磯城は、そういえば、佐倉翔也も三世の流派を修めていたことを思い出した。しかも、三つの中でも最も奇異な空の武術。

 陸は外部を打ち砕き。
 海は内部を混濁させ。
 空はそれ以外を使い、

 そうして殺す。

 それが三千世界森羅万象流の理念。
 磯城の知る限り、今この流派を修める人物は辰己一成のみだが……。彼のことだ、気に食わない餓鬼をぶっちのめた後に自分の修める流派を教えたのだろう。

「……そういうことですか」

 何故、彼が護衛を選ぶ際に佐倉翔也強いては空色死銘を指名したのは。
 そういう、ことなのか。
 倒れ伏す月の意識を刈り取りながら、磯城は納得したように核心を突き、

 ―――――間接が、外された事に気付いた。

「ぐぅっ…………!?」

 誰だ、と口に出すよりも早く、その男は視界に映る。
 快楽の笑みを深めた、男が。

「月っ、月。…………ちっ、意識がトんでやがるな……。おい、麻衣。コイツとそこのお嬢ちゃん背負って先帰れ。オレはこの爺さんと話してから帰るからよ」

 つばめは、気絶していた。目立った外傷が見当たらない。
 彼女ほどの位階の持ち主が、この男の存在に気付かず、気絶させられていたことに磯城は危機を抱き、立ち上がろうとするが、立ち上がることができない。既に、下半身の神経が“外されて”いるようだった。

「貴様は…………佐倉様の」


 だが、それよりも。

 この男は。
 この男は。

 佐倉翔也の…………


 苦渋に富んだ声を混ぜ、磯城が見た視線の先には―――――

「くくくく。まさかあん時のガキがここまで強くなるとはねぇ…………実にイイ。久しぶりにイけそうだぜ……ひゃーはっはっは!」

 佐倉翔也の復讐の理由にして、殺すべき相手。
 解体師こと伏見海楽が狂気の笑みを伴い、立っていた。


























「…………こりゃ、マズいなあ」

 同時刻、水原友良は日課のハッキングをしながらそう呟いた。
 友良のPCの画面は、市内の監視カメラの映像を写しており、そしてある人物を見つけた。

「神拳、神狼、四天滅殺、空色死銘、複製人形、戦巫女、竜騎士、疫病神、獣神姫…………」

キーボートを叩きながら、友良は嘯く。
それは、彼自身が持つ情報。
兵器級の、戦士たちの異名を。


「……水羽は、時ヶ丘は化物の集まりじゃないんだっての」

呆れたようにそう言いながら、友良は手を止める。

「…………解体師」

佐倉の、復讐の相手までも此処にいる。

「佐倉、僕は戦闘系能力者じゃないけど、手を貸そう。…………僕自身が、どこまでやれるか知りたいしね」

咥えていたセブンスターをPCの画面で消し、友良は決意を新たにする。

「さて、これからどうなるんだろうねぇ……」

 友良はその場から立ち去った。
 その顔に、満足そうな笑みを浮かべて。




















その数十秒後、彼がいた場所は燃え盛った。

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最終更新:2007年07月17日 21:33
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