連絡

 夕餉。
  夕飯。
   夕食。

 武司はゆらゆらとしながら、出される料理を待てをされたイヌの如く耐えていた。目の前に並べつくされたる料理を横目に、迸る食欲を極細の理性みたいなもので抑えつけていた。殆ど本能と欲求と理性がイコールで結ばれてる武司にとっては珍しいことなのだが、三姉妹は、葉月はそれを知らなかった。

「はっ、はっ、はっ、はっ」
「…………」

 犬かアンタ、と先程ツッコミを入れた葉月。対面の席に座っているので、自然とその攻撃は武司の脛に向けられるのだが、しかしこの兵器級、無駄な防御力で痛みを表情に表す事がなかった。
 はぁ、と頬杖をつきながら小さく溜息を吐きながら葉月の視線は自然と武司を追っていた。
 恐らくは人類の中でも最長を誇るだろう長く紅い舌を出しながら、息を途切れ途切れ吐く武司。ワザワザ弥生に言って身体を縛ってもらっているのがやけに滑稽だったが、そうでもしないと武司はすぐにでも出された料理に舌を出していただろうと葉月は微笑む。

「…………はぁ」

 つーかまんま犬だった。犬にしか見えなかった。と、白銀家末女は後に自室の日記にその可愛らしい容姿に似合った、されど性格には全然似合わない丸々しい文字で記すことになるのだがそれはさておいて。
 どうして自分はこんな男に敗北してしまったのだろうと、表情は緩んだまま悩む。隣に座る、額に“妄想大好きです”と、小さく書かれた睦月が葉月の様子を訝しげに見ていたが、葉月はそれに気付かない。



 ―――――遅っ。



 我流に改良した“白銀流・無幻脚”の中でも最速を誇る技を交わされ、次の瞬間にきりもみ回転しながら宙に舞っていた自分。
 何が起きたのかもわからずに訓練場の端から端まで吹き飛ばされた自分。

 ――――――怪我一つせず、敗北した自分たち。




「…………」

 自分の耳朶を軽く触る。――――――今も覚えている、武司の吐息。
 最近こそは目の前のバカに後ろを取られてばかりだけども、少なくとも昔の葉月はそうそう背後を許すことはなかった。少なくとも、身内以外に背後を許したことなどなかった。
 無かったのだ。

「………………ん、どしたい葉月たん?」

 だが、この男はいとも容易く自分の領域に、領分に入ってくる。何の悪意も敵意も抱かずに、ただひたすらに無邪気に。
 まるで、小さな子供が遊んでいたらそこに入ってしまったとでも言うぐらいに。


「葉月たん言うな。…………別に、なんでもないわよ」
「そう?」

 先程までの様子はどこへやら、武司の表情は心配そうなものに変わる。少しは表情を隠しなさいよ、と葉月は心の内で呟きつつ、武司が自分を心配してくれている事に嬉しさを覚えていた。
 心の底からこうして心配された事など、祖父母が生きていた頃ぐらいだから。
 純粋に心配してくれる武司の事が嬉しかった。


「…………生理?」
「―――――吹っ飛べ!」

 嬉しさは何処へやら、即座に跳躍し武司の顔面を蹴っ飛ばす。弥生の鞭で縛られているので自然と椅子ごと吹っ飛ぶ。
 天然なのか、と思いながら

「佐倉君と葉月、気が合いそう――――武司君の対処法に」
「……はぁ」

 至極どうでもいい事を吐露しながら、睦月はマウントポジションを取り始めた葉月を止めるのは誰なのだろうなと考え、葉月の表情から憂いが消えて、武司の表情に笑顔が浮かんでいる事に、嫉妬を覚えた。

「葉月、ほどほどにして、食事にしますわよ?」
「はい――――っていない!?」
「い た だ き ま す っ !」
「太字で喋るなっ!」

 食事の下りで既に椅子ごと元の場所に戻っていた武司。今までマウント取っていたのに、忽然とその姿が消えたのは何の技だろうと思わず考えてしまう葉月。
 大きく嘆息しながらゆっくりと自分の席に戻り、緩やかに食事を取る。対称的に、貪るように口だけで出された食事の三割を喰らうバカ。実は弥生の鞭“封神”、既に効力をなくして、純粋に武司の身体を縛っているだけであった。

「「「………………」」」

 百年の恋も冷めそうな勢いで食事を平らげる武司に、自分を含む白銀家女性陣は、頭に手を当てていた。
 各々の最強を誇る攻撃の準備をしながら。
 どーせ当たらない、当たっても効かないのはわかっているのだが。

























「へぇ……絵が趣味なんだ」
「どうしたい葉月たん」
「葉月たん言うな」

 ぽかり、と。
 いつものやり取りであった。

 午後十一時四十三分。葉月は武司に宛がった部屋に訪れていた。
 部屋の中央で武司は長椅子に座っており、その視線はあくまでキャンバスに向けられていた。

「しかし、客が多いこと」
「……って、あたしが一番最後なのね」

 呆けたように葉月は辺りを見渡――――――すまでもなく、姉二人がいるのがわかった。長女である弥生は武司の(いや、実際は白銀家のだが)ベッドに腰掛け、優雅に好物のオレンジペコを飲んでいた。次女の睦月は、死後硬直も賞賛の声を洩らす固まりっぷりを発揮していた。
 武司は睦月に声を掛け、一旦その作業を中断する。立ち上がりながら大きく欠伸をし、凝り固まった肩をゆっくりと解しつつ、準備しておいた濡れ雑巾で手を拭いた。
 武司の着ている服は自分の家のものではないことは一目でわかった。少なくとも我が家はこんなに使い古した服は用意させていないので。

「んー…………なんかゲームでもやる?」
「なんで?」

 その問いに、武司は可愛らしく首を傾げながら(凛々しい顔立ちにひどく似合っていないと思う)、

「なんでって言われてもなあ。みんないるのに、オレだけ絵を描いてるのはおかしくない?」
「……まあ、そうかもしれないけど。いいの?」
「んにゃ? 全然構わんよー。後でやればいいだけだし。どうせみんなでいるんだから、なんかして遊びてーもの」

 あはは、と笑いながら武司は弥生と睦月に視線を移し、二人が頷いたのを見て更に喜ぶ。どこまで子供っぽいのだろうかこの男は、と思わず考えてしまう葉月だった。

「なにやるかねー。っつってもなんにも持ってきてねーからな……弥生さん、なんかありますかね?」
「それでしたら、遊戯室に行けば何かしらありますけど?」
「遊戯室!? じゃあそこ案内してくださいよっ。……うっわー、すっげー楽しみー!」

 武司の余りの行動の早さに姉は苦笑しながらも、嬉しそうに武司を案内する。その姉の行動を、睦月は羨望の眼差しで見つめているのが葉月にとって羨ましかったりした。

「って、アンタ何してんの!?」
「何してるって言われても……手ぇ繋いでるだけだけど。あ、何、手なら綺麗にしたよん。ほらほらー」

 両手をぐーぱーして、手が綺麗なことを自分に見せ付ける武司。へへへ、と納得したかと思うと、虚空に佇んでいる弥生の白い手を掴んで弥生に行動を委ねていた。
 無邪気に弥生の案内を待っている姿は、武司の容姿からすると違和感しか覚えられないが、全身から嬉しさを溢れさせていたのは間違いない。
 我が長姉の姿を盗むように見てみれば、照れと嬉しさが半々といった表情をしていて、それが葉月の勘に障るのだが、それはさておいて。

「自分の格好を考えなさいよ!」

 三雲武司。身長185cmといったところか。童顔とは無縁といった凛々しさと逞しさを感じさせる表情を持ち、モデルでもしていそうな身体をしている。脚は長く細く、されど逞しきその脚は地上を駆け抜ける。凡そ学生とは思えぬ体躯をしているのだが、まあようするに葉月が感じているのは嫉妬心だった。

――――って、違うわよっ。

 思わず自分で自分にツッコミながら、葉月は子供のように首を傾げる武司の顔に苦悩しつつ、とりあえず本題に入る。

「何? 葉月たんも一緒に手ぇ繋ぐ?」
「え、あ……その――――じゃなくてっ!!」

 思わず手を取りそうになった自分の頭を小突く。と、耳元でもう一人の姉である睦月が小さく囁いた。

『葉月、武司君を同い年の男の人たちと同じように考えちゃダメだよ』
『同じようには考えてはないけどさぁ、それでもアレはおかしいでしょ!?』

 指差す先は鼻歌歌いながら弥生に着いていく武司。「先行ってるぜー」と言いながら武司と弥生は部屋を出ていった。残された、というよりは残った二人はそれを見送ると、睦月が続けた。

「私も詳しい事はまだ訊いてないんだけどさ、佐倉君が言うには、武司君も色々あったみたいで、その……なんていうの。精神年齢が幼いっていうか、なんて言うんだろう」
「佐倉? 睡眠時間の佐倉翔也?」
「盗賊?」
「シーフじゃなくて、シープ。睡眠時間って書いてそう読むらしいんだけれどそれは置いておいて。あたしもよくわからないけど、問題児である事は確からしいわね。あのバカとセットで有名なのよ」

 佐倉翔也。
 三雲武司の腐れ縁にして、三雲武司の最大の理解者。三雲武司の、最大の拠所。
 どこの誰がつけたのかは知らないが、彼と武司には色々と仇名がついている。(名付けたのは同じクラスの水原友良なのだが、それは葉月の知るところではなかった。)

「……ってか、何気に睦月姉さんのクラスって問題児ってか…………ヘンなの多いわよ」

 睡眠時間《シープ・ア・シープ》――――――――佐倉翔也。
 紙一重《キング・オブ・バカ》――――――――三雲武司。
 末期症状《ハイエンドオタク》――――――――水原友良。
 遅刻王《キング・オブ・チコク》――――――――城崎燈霞。
 委員長《委員長オブ委員長》――――――――宮原沙希。
 図書館《メルヘンチック》―――――――――白銀睦月。

 自分で自分を末期症状と言っているあたり友良には自覚があるらしい。が、それは別の話。彼は彼で色々悩みがあるのだ。

 ぱっと見、とてもそーはみえねーけど(武司風)。

 ともかく。

「って、私も入ってるの!? 何? め、めるへんちっく?」
「当たり前じゃない。ていうか、睦月姉さんがあのクラスでは二番目なのよ。強さっていうかレベル的には。…………まあ、実際はどうだかわからないけどね」
「………………」

 確かに、と睦月は葉月が見ていないところで頷いた。隠しておいてくれ、と頼まれている以上葉月にも弥生にも告げてはいないが、翔也だって兵器級だ。それも、三雲武司に勝った事がある実力の持ち主。
 例の如く、詳細は聞いていないが。
 それでも。

「……まあ、水原君には負けないとは思うけど……」
「何気に姉さんも神術使ってないものね」

 御伽噺の寓話魔法士。それが白銀睦月の切り札っていうか戦闘手段。式神はどちらかというと戦闘用じゃないし。

「……まあ、アレは使い辛いっていうか。どっちかというと対人向きじゃないし…………鬼とか妖怪とかそういうのに使うぐらいだから……」
「御伽噺だからね。――――って、話がずれて来てるし。まあ、いいや。この話はあとにして、弥生姉様の後を追いましょう。姉様は狡賢いから、どんな抜け駆けするかわからないし」
「あはは……そうだね」
「……何よ?」

 自分の様子を見ながらおかしそうに笑う姉を見ながら、葉月は訝しげに問う。

「んーん、姉妹で全員同じ男の人好きになってるなあ、と改めて実感しちゃって」
「――――」
「否定しようとしないの。話し合ったわけじゃないけど、あんな完全敗北しちゃったら、私たちは心底その人を好きになっちゃうでしょ? 今は、それだけじゃないんだろうけど――――ね?」
「………………ぅぅ」

 否定できないのが悔しい葉月だったが、事実なので仕方ない。

「ほら、行くよ。はーちゃん」
「…………わかったわよ。お姉ちゃん」

 差し出された手をつかみながら、葉月は二人の後を追うことにした。






 で、弥生。
 遊戯室。
 娯楽室でも可。

 ダーツやらビリヤードやら、まあ兎にも角にも色々ある。説明するのも面倒なので、まあ色々あるのだ。遊ぶための道具が。

「すっげぇー」

 ぶっちゃけると広すぎ。次にありすぎ。

「弥生さん、これって全部タダ!?」
「…………ええ、まあ私物ですから」
「すっげぇー。弥生さん、今度翔也と友良連れてきていい!?」
「……いいですけど」

 それにしても、この人は本当に純粋無垢ですわ、と思う弥生だった。
 小学生低学年、もしかしたら幼稚園児の感覚に近いのではないのだろうか。
 ぼんやりとそんな事を考えながら、弥生は目をきらきらさせてウズウズしている武司に訊ねる。

「武司さんは何がやりたいですか?」

 思わず口調が子供に向けるそれになってしまう自分を恥じるが、武司はそれを気に留めることなく、

「んー……弥生さんが得意な奴からで。ていうかぶっちゃけなんでもいいっすよ! はやくやりましょう!」

 おー、なんだこれー。すっげー、とか言いながら物凄い速さで全部を調べていく。
それを見てくすくす笑いながら、弥生は逸る武司を宥めることにした。

「睦月と葉月が来るまで待っていてくださいね。私達で始めてしまうと後で文句を言われてしまうので」
「あ。それもそっすねー。……じゃあ、少し話しでもしながら待ちましょっか」

 すぐさまその場に座り込み、うーあーぎゃーと何か話題を探している武司を余所に、弥生は一度尋ねてみたい事があったので、口にしてみる。

「最初の試合ありましたよね?」
「ぅ…………あんときの事は黒歴史にしてほしいっすけど、そういうわけにもいきませんよね?」
「いきませんわ。続けてよろしいかしら?」
「よくないっすけど、まあいっすよ」
「何故、無傷で倒したんですか?」

 びりびり、と。
 重い。
 思い。

「それを言われるとアレなんですが。それに答えるには、オレも訊きたい事があるんですけど」
「どうぞ」
「…………じゃあよ、あのときに」

 ―――――死にたかったのか? 辱められて。

「…………冗談じゃ、」
「無いね。あいつが気にするなって言っても、アレだけは駄目だ。もし、あの時翔也がもう少しでも遅れてたら、オレはアンタを問答無用で辱めて、生きてきたことを後悔させて殺したかもしれない。いや、そうしただろう」

 別に女は興味ないんだけどな、武司は続ける。

「今は弥生さんをどうこうしようなんて思わないし」
「アレは確かに、失言だったかもしれません。わたくしとした事が、他人を貶すような事を口にするなんて思ってもみませんでしたから」

 ごめんなさい、と弥生は頭を下げ。
 どういたしまして、と武司は弥生を撫でる。

「…………」

 撫でられることなど、いつ以来だろう。
 お父様がなくなって以来でしょうか……。

「年上の女性の頭はそう撫でるものではありませんよ?」

 懐郷の念と似た感情を抱きながら武司にそう言うと、ありゃ?と口にしながら無邪気な笑みを浮かべて、
 電話が鳴った。

「翔也?」

 恐らくその音は佐倉翔也専用の着信音なのだろう。武司は携帯を見もせずに電話に出ると、次の瞬間には戸惑いを見せた。

『………………』
「気にするなよ。むしろ嬉しいぐらいさ、お前がオレを頼ってくれるっていうのは……で、明日からでいいのか?」
『………………』
「ま、いいか。お前がその人と行くなら俺は牧内先輩を護衛しつくしてやるからさ……じゃあ、また明日な?」

 渚?
 護衛?

 単語と疑問符を浮かべていると、武司はこちらを済まなそうに一瞥し、言った。

「すんません、オレ明日は牧内先輩の家で護衛します」

 狂気と称すべき笑みを浮かべて。

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最終更新:2007年07月17日 21:35
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