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中学一年の一月。
少年はいつものように、椅子にテープで固定された画鋲を取り除き、机に6Bの鉛筆で書かれた心ない言葉を消しゴムで消していく。
少年に危害を加えるグループは、リーダーである木村束沙(きむら つかさ)、東晋一(あずま しんいち)、松永大琅(まつなが たろう)という男子三人であった。
いじめられるようになってしまった原因は少年にはわからなかった。
ただ、「お前ばかり優れやがって」という嫉妬に満ちた言葉を、毎日のように拳とともに浴びせられていた。
少年は周りより優れていたのだ。事実、少年は女子から人気を得ていた。
それを良しとしない連中が始めたいじめは、確実にエスカレートしていた。
そんなある日、少年の人生の分岐点となる出来事が起きる。
「突然だが三学期からうちのクラスに新しい子がやってくるぞ」
朝のホームルームで、担任の教師がそう言った。別の小学校の学区――つまり入る中学校の学区が違っていたそうだが、近頃こちらの学区に引っ越してきたらしい。クラスの中から、期待の声がちらほらとあがる。
「じゃあさっそく入ってもらおうか!」
担任がそう言うと、少女が教室の中へ入ってきた。その風貌に感嘆の声を漏らす男子。彼女の姿にドキリとさせられたのは、少年も同様である。
少女は黒板に、自らの名前を書き上げた。振り返って、微笑みながら自己紹介をする。
「私の名前は――」
その放課後、少女は少年が殴られている現場を目撃する。
体育館の裏で、それは繰り広げられていた。
なかなか怖くて踏み出せずにいたが、あのままでは危険と判断した少女は、目立つように木村達へと歩んでいく。
「ん……? ああ、君、転校生の女の子だね?」
木村は少女に近寄ってそう言った。東たちも暴行を中断する。
「は、はいっ」
少女は少し大きめの声で言った。誰かに気付いてもらうためにだ。
「どうしたんだこんなトコに? もしかしてこいつボコりたくなった?」
木村はけらけらと笑った。松永が、ほれ、と血のついたバットを渡してきた。
「……そんなんじゃありません。事情は知りませんが、よってたかって武器まで持って殴ることはないですよね?」
少女は強めにバットを放り投げた。木村はぽかんと口を開けた。
少しの間が空いてから、木村は懐からタバコを取り出した。
「驚いたな。俺達に面と向かってンな事言うなんて」
「芯の強い女の子じゃん?」
東がニヤついて言う。
タバコの強烈な煙が顔にかかり、少女は一歩後ろに下がった。
「ま、いーや。今日はおしまいだ。……クスリも切れてるしよ、ツイてねえなあ」
木村は不機嫌に唾を吐いて、すぐそばのフェンスを乗り越えて去っていった。二人も、後を追ってそうした。――よく見ると木村達が乗り越えたフェンスの部分だけ、有刺鉄線が取り除かれていた。
少女は急いで少年のもとに駆け寄ると、手持ちの絆創膏や薬で出来るかぎりの治療を施した。
「これくらいしかできないですけど」
「いや……ありがとう」
少年は、本当に嬉しそうに言った。
「しかし恥ずかしいな。転入生の女子にもいきなり助けられちゃうなんて」
「他の女の子にも助けられた事が?」
「いつもさ」
恥ずかしそうに頭をかいた。
「何故かいつも女子に助けられてんだ。で、俺に嫌がらせする奴らはみんな男子」
「へぇ、変わってる」
少女は目をぱちくりさせながら感想を告げた。
「ああ。変だよな……」
少女は少年の隣に座った。フェンス越しの夕焼けは、あまり綺麗には見えなかった。
「あ! いたいた!」
ふと、遠くから声がして、二人は顔をそちらへ向けた。――少年の言う女子達だ。
「嶝(さかみ)くん大丈夫だった?」
そのうちの一人が駆け寄って少年を立たせた。つられて少女も立つ。
「うん、まあね。この子に治療してもらったし、何よりボコボコにされてたところを止めてくれた」
少年にそう言われて、少女は女子達に軽く頭を下げた。
「ああ! 転入生の子ね。嶝くんを助けてくれてありがとう」
手を差し延べた。
「いえ、そんな。あんまりにも可哀相だったので……」
照れながらも、少女は手を握った。
――その時。握った手に、強い痛みが走った。
「っ……!?」
見ると、手を差し延べた女子生徒が少女の手を強く握り潰そうとしていた。その目は少女を捕らえて離さず、また口角を上げている――。
「あ、ちょっとこの子にお礼言いたいからみんな先に嶝くん帰らせておいて!」
表情を一変させ、満面の笑みで皆にそう言った。
少女が彼に手を振ると、あちらも振り返してくれた。――彼と先程のグループは帰っていく。
「さてと、どういう事よ」
女子生徒は、表情を再びもとに戻して訊いた。
「え、ええ? どういう事って……?」
「なに一人で嶝くん奪おうなんて考えてんだって言いたいの。……転入生だからって調子ぶっこいてっと」
一息おいて、力一杯少女の右足を踏み付けて、「殺すぞ」とだけ言い、場を後にした。
「っ……!」
その痛みに、思わず膝をついた。
「ど……どうして……?」
少女の疑問は正しかった。人助けをしただけで、なぜ恨まれなければならないのか。
今日はもう帰ろう――少女も帰路についた。
その翌日、悲劇は少女にも襲い掛かった。
少年を守っていたあのグループが、目的を変えたのだ。
――少年を守るのではなく、邪魔なあの生徒に嫌がらせをしよう。方針はすぐに決まったらしい。
少女は放課後、出来るだけ少年がいじめられている体育館の裏から離れたところで被害を受けた。
「このっくそっこのっ……!」
彼女らは、少年をいじめている男子生徒のグループから譲り受けたというスタンガンで執拗に痛めつけて、帰っていった。
「っ……」
――あの人が心配だ。
少女は全身を蠢く痛みに耐えつつ、体育館の裏へと向かった。
「……い、た」
随分と時間がかかった。が、確かに彼は横たわっていた。
昨日と同じように、傷だらけで。
「……大丈、夫? じゃないよね……」
「……そっちこそ。俺なんかを助けたばっかりに」
昨日よりもダメージは深刻そうだった。
「いいえ、……私はあなたを……助け続けます」
「……どうして」
「あなたを助けたいからよ」
倒れ込むように、少年の隣に寝転んだ。
――少年の心は、これまでにないくらい喜びに満ちていた。
父が死ぬまで、世界には味方が誰一人いなかった。
父の死後も、生活費を出してくれる神父以外には味方がいなかった。だが、神父はとても心強い味方だと思っている。ほとんど会わないから、どのような人物かははっきり覚えていなかったが、それでも少年は心強い味方と感じていた。
そして、今ここに、目の前に、また一人味方が増えてくれた。
少年は、涙を流しながら、華奢な身体に抱き着いた。
少女は少し驚いたが、少年のその様子から何かを感じ取り、優しく抱き寄せた。
「――」
前回の夢とは打って変わり、安らかな目覚めであった。
朝6時。
写真立てに目をやる。
自分と、あの少女がよく写っている。
「……」
こうしていては駄目だ。今日から委員長を救出する作戦に出るのだ、気を引きしめなければ――と、彼は両側の頬を思いっ切り叩いた。
「じゃあ行ってくるよ。……本当にごめん」
玄関先で、ここからでは見えもしない写真立てに向かってそう言った。
最終更新:2014年11月18日 23:32