名前:アティーク
履歴:双槍ドラグΨ→東師→アティーク→テンプラー
迷言:何そのバカチン市国並の誤植

「アティーク」とは?


アティーク(亜:العتيق‎ 英:al-‘Atīq)は、2009年頃から活動をしているコテ。
活動初期から「ポケガイ歴史書」というスレを立て、それを発展させた形で当wikiの年表作成に大きく携わった。
過去にハンドルネームを何度も変えているため、時期ごとの住人によっては呼び名が違うこともしばしばある。以下時系列を追いながら解説。

無名時代


活動の起源はたま大に遡る*1
当時小学六年であった彼は元々こちらで半年ほど活動しており、そこで「ポケモンダイヤモンド・パール攻略ガイドについて」という管理人直々のメッセージをリアルタイムで見、ポケガイの存在を知る。
しかし、そこでは第四世代の全国図鑑ページで伝説のポケモンや珍しい色違いのポケモンを見るなどに留まるのみでポケガイ黎明期における活動は皆無であった。

双槍ドラグ時代


ハンネの由来はトレーディングカードゲーム"デュエルマスターズ"のカード「クリスタル・ツヴァイランサー」と「神羅ドラグ・ムーン」。
2009年になりポケガイでの活動を開始。
そのデビューは情報板であった。
元々歴史好きであった彼は情報板で「情報板歴史書」という放置されていたスレを発見、勝手に引き継ぐ形で記録を始めることとなる。
途中でおはなし板に移るも、目立った活動は無い。

2010年になり県内の公立高校へ進学した際、Hopeと出会う。

東師時代


2011年になりハンネを変更。由来は情報板でかつて活動していた「南師」という住人の名をもじったもの*2
記録は継続させつつ、他の住人との交流も活発化させていく。
特筆すべきはちょくえこと直江山城守兼続とオフ会を果たしたことだろう*3
これを機にネットの垣根を越えた活動にも積極的になったり、直江とも友好的な関係を築くなどをしていった。
また、ポケモン大好き仙人ことああ★から高個体のスイクンを譲り受けるなどをしていた。
ちょくえの存在や小銭軍団の影響からかこの時期のポケガイはコテを持つ住人による顔晒しが一種のブームともなっており、*4これに乗って彼も顔を見せている。

しかし、2013年になり騒動が勃発。
とあるオフ会が開催された際、当初は参加を断念していた直江が当日になり急遽途中参加することになるのだが、離脱も途中であった。そのため、オフ会費が全額支払われてなかった事に加え、日頃のポケガイにおける反社会的な言動に愛想を尽かした彼は直江と離反*5。これがきっかけとなり直江本人や直江一派から総叩きに遭い、卒業を宣言。旧ガイ閉鎖を目にすることなく活動を休止した*6

アティーク時代


2015年末になり突如復帰*7
旧ガイ閉鎖に伴って失われたポケガイ歴史書だったが、新ガイにて復元させ、記録も再開。
それに伴い、ハンネも変更している。意味はアラビア語で"イケメン"という意味*8のラカブ。ちなみに命名者は奇人である。

翌年の2016年はポケガイ十周年を迎える節目であったためにイベントが盛り沢山の年であり、幾度かオフ会に参加したり、ポケモンの大会にも参加するなどしていた*9

そして、この頃から年表作成に着手。
これまで残し続けていた記録を元に遂に年表を完成させた。

当時は卒業していた直江も復帰するなどをしており、再会を果たす。四年越しに和解が成立することとなり、再び友好関係を樹立した。それを象徴するエピソードがある。
2017年にポケガイに接続出来なくなった彼らは、エイジスの設立した避難所に移り住み、直江がそこでポケガイ住人を多数出演させたSSを発表するのだが、それにならう形で氷河期や水素星屑らと共にSSを執筆。身内のみでの盛り上がりではあったが平和的な空間を作り出していた。

しかし、2018年になり事態は一変。
本家ポケガイが閉鎖された事でホッサム?が設立した新ポケガイに移り住んだ彼らだったが、そこで上記メンバーとの間に不和が生じ、結果として直江と離反してしまう。
それらによって生じた不満や問題が過激化したのが俗に言う森ガイ・第三帝国騒動である。
騒動が表面化した事で多数の住人にこの一件が知れ渡ることになり、そしてそこにアティークの文字があったことからそれまで"良識"とか"御意見番"と見られていた評価は"陰湿"や"非人道的計画に加担"に変質してしまう。
此処に名前が載っていた理由は上記の避難所での交流が発展したものであったが、この時第三帝国のメンバーと共に直江に対する不信感を募らせていた。そのためこの計画に加担していたのだ。あれっ、似たような話が六年前にもあったような
これにより居場所を無くしたアティークは問題が沈静化したのと同時に姿を消すこととなる*10


テンプラー時代


2020年末になり新ポケガイにて復帰。
ハンネの元ネタは洋ゲー『ASSASSIN'S CREED』に登場する敵対組織"テンプル騎士団"から*11
直江が既に居なくなってしまった環境ではあるが、前回の事件には個人的な解釈をしつつ過去の行動を見つめ直している。
主な動きとしては年表作成に加え、新ポケガイと森ガイの両方にて自スレを構えながら一日一回歴史に纏わる小ネタを披露している。
過去の反省から「目立った行動はしない」、「記録家として役割を全うする」ことからあまり表立ってはいないが、それでもしばしば他の住人とは小競り合いをしている。
が、それも沈静化し、現在は年表を書きつつ細々と活動を続けている。

余談


ポケガイ住人らしくポケモンをプレイしているが、初ポケモンは第三世代となる『ポケットモンスター・エメラルド』。厳選を知ることになるのは第五世代の頃だが、乱数が出来なかった為に当時レベルの高かった他住人に追いつく事は出来なかった。大会も何度か出場しているがそれらしい戦績は2016年の軍師が開催した化石杯での優勝"のみ"である*12

ハンネの由来になったデュエルマスターズは長い間プレイしていた。同世代の一徹と懐かしい話題を繰り広げていた反面、実力的には生粋のカードゲーマーの足元にも及ばず*13、知識面やデッキビルディング力においても水素や久米にも劣っていたことから、大した実力ではなかった事が伺える。

ポケモンの他にはグランツーリスモやあつまれ動物の森、アサシンクリード、モンスターハンターをプレイしている。

自動車免許を取得しており、ワゴンRからミニクーパーに乗り換えている。そのため、同じく車好きの森ガイ住人の長門とはこれらの話題で盛り上がっていた。

アンティークものを集める事を趣味のひとつとしており、それがきっかけで和服を着たり、昔の時代を彷彿とさせる格好をしてはその写真をポケガイやTwitterに挙げている。特に好きな時代は大正から昭和初期。好きになったきっかけもやはり歴史である。

「アティーク」に関するリンク


「アティーク」に関する情報/コメント


  • 良いとこを書いているのか欠点を書いているのかどっちなんだwwwとりま1ゲット -- ドラグ (2011-05-30 22:38:05)
  • 自演乙wwwww -- 地球恩田化防止組合 (2011-07-14 17:54:41)
  • 合唱企画で歌が聞きたいです -- とある人 (2017-01-23 18:40:30)
  • 帰ってこーい(´・ω・`) -- エンザン (2022-11-29 19:17:55)
  • 会員じゃなくても書き込めるんやね(´・ω・`) -- エンザン#アホ (2022-11-29 19:18:41)
  • テンプラー先生がいないガイドは暇です(´・ω・`)ガチで(´・ω・`) -- エンザン (2022-11-29 19:19:18)
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最終更新:2023年04月04日 09:38

*1 小学校でエンたまが流行っていた為

*2 正式な呼び方は元ネタが"ミナミモト"だったために"ヒガシモト"だったが、そのような読み方が存在しなかったために"ひがしし"や"とうし(凍死)"、"ひがし"、"ひがししょう"など多くの表記揺れがあった

*3 なお、この時ああきちも一緒であった

*4 管理人直々に個人情報流出による注意喚起をしていたほど

*5 この一件はちょくえの暴挙のひとつとしてネタ的な意味で広く知れ渡っているが、これには語弊がある。途中でカラオケを抜け出した直江だったが、その後も残りのメンバーがカラオケを続行。直江が支払えなかった額というのは彼が退出した後の差額であった為実の所彼に非は無い。のだが、東師がこの出来事を出汁に直江叩きをしたがために事実が曲解されて周知されてしまうこととなってしまった。なお、東師本人もアンチに回った最大の理由は言動に反発したためであり、未払いが原因ではない。足りなかった金額すらも覚えていなかったレベルである

*6 大学に進学したのも卒業に踏み切った一因である

*7 大学生活が安定したためと、翌年のオフ会に参加した事が契機となった

*8 意訳。ラカブとはアラビア語圏におけるあだ名という意味の単語である

*9 ちなみにこの時期はコスプレにハマっており、『ハリー・ポッターシリーズ』のスリザリンのローブを着てオフ会に参加するという奇行に走ることもあった。その為アティーク=スリザリンというイメージが少なからず存在している

*10 実はこの時、ホッサムの新ポケガイが閉鎖された事によりポケガイwikiも必要性を亡くしたという事で閉鎖する計画があり、本人は熱意を完全に失ったことで閉鎖しても構わないとしていたが、かっしーの計らいによってwikiの閉鎖は免れた

*11 テンプル騎士、若しくは団員の英訳がTemplar。それと天ぷらを掛けた洒落である

*12 この時のポケガイでの対人対戦は乱数必須な環境でもあった。6vや色違いが当たり前な中、黙々と厳選を続けて3vが限界であった彼が追いつくことなど不可能であった。とはいえ、3vと6vの数値の違いなど誤差レベルのものでしかなく、言い訳にしかならない。そもそも、ポケモンバトルとは手持ちポケモンの選出やあらゆる場面を想定した読み合いが重要なため、それらを考慮すると大したレベルでなかったことは明白である

*13 遊戯王の話ではあるが、高校時代のクラスメートからは「強い」と評価を受けていた。Hopeは同様にデュエマにおいても中々の実力の持ち主だった