一夜ひとよに 続き3

鍵はどこだ。私は好奇心に突き動かされるように、辺りをひっくり返し始める。丸いキャンディ缶が出てきた。それには見覚えがある。確か、「大事な物箱」と名付けて、小学生の私なりにとても重要だと思ったものを入れていた箱。

中をかき回すと、ガムの当たりや大きなビー玉の隙間から、簡素な作りの鍵が出てきた。
そこで、私は思い出す。これは、交換ノートの鍵だったはずだ。つまり、このノートは交換ノートだ。

鍵穴に挿すと、乾いた音がかちりと鳴った。
表紙を開くのは、何故か少し緊張する。
1ページ目に、大きくて下手な字が、太い鉛筆の線で綴られていた。
行のさいごに、「きょうのまりあより」と書いている。


思わず赤面してしまう。これは、幼い頃の私の字だ。
慌てて次のページを捲ると、そこには大きいが整った字が並んでいた。これはさっきの私の字とは全く違う。次のページには、私の文字。どうやら、この交換ノートは2人で回されていたらしい。そのページには、「はーちゃんは、お母さんがいるからいいな」と書いてある。

ああ、少し思い出してきた。
これは、小学校低学年の夏祭りの少し前頃に書いた物だ。
地域の夏祭りで、子どもたちがお母さんと一緒に盆踊りをすることになったのだ。
私は、1人だけおばあちゃんと一緒に踊るのが恥ずかしかった。今となって思えば、とても申し訳ない。
だから、お母さんのいる「はーちゃん」に、こんな事を書いたのだ。はーちゃんとは、一体誰だったろうか。
ページを捲ると、「だいじょうぶ、まりあ。いっしょにおどろうよ」と書いてあった。

はーちゃんは、少し私より年上だったのかもしれない。
私は脳みそを一生懸命働かせて、はーちゃんが何者だったのかを思い出そうとする。
私に母親が居ないことを知っているのは、近所の人だけだったはずだ。
そこで思い当たる。すぐ近所に住んでいた、おかっぱ頭で、色白で、しっかり者の「はーちゃん」。


結局、この祭りには行かなかった。というか、行けなかったのだ。夏風邪を引いてしまい、その晩はベッドに横になっていた。今日の小春さんみたいに。
はーちゃんと祭りに行く約束をしていたのに、とても残念だった。
はーちゃんはその後、何があったのかはよく分からないが、お母さん諸とも居なくなってしまった。
まだ、お別れの挨拶もしていなかったのに。

思い出に浸っていると、小春さんが何か呻きながら寝返りを打つ音が聞こえた。
振り返ると、小春さんは、折角巻いた毛布を全部引き剥がしている。

「もう、せめて2枚は着ててよね」

私は立ち上がり、小春さんの毛布を掛け直しにかかる。
少しはだけた甚平の襟から、きらきら光を反射する物が出てきている。
あのときの、似合いもしないネックレスだ。
こんな物つけて寝ていたら胸や首に刺さってしまうかもしれない。私はネックレスを首から外そうと、その紐を掴んだ。

「あれ?」

そのペンダントの飾りに見覚えがある。簡素な鍵の形をしている。飾り気がなさ過ぎて、ペンダントとしては不十分なくらいだ。
毛布を元に戻すことも忘れて、私はもう一度交換ノートを広げた場所へ急ぐ。
さっき見つけた鍵があった。

小春さんが付けている物と、全く同じだ。
はーちゃんの本名は、何だっただろうか。
「小春」に私があだ名を付けるとしたら、「はーちゃん」と付けないだろうか。

何が「運命の人」だ。
何が「奇跡」だ。

私は、彼が病気であることも忘れて、プロレスさながらのタックルをベッドに送り込む。
小春さんも、流石に飛び起きた。
目を丸くして驚く小春さんに、私は大声で怒鳴った。

「奇跡なんて、もう起こってるじゃない!」


そう言ってから、私ははっと我に返る。
考えればすぐに分かることだが、確かはーちゃんは女の子だった。
鍵だって、似たようなデザインの物なら、世の中に数多ある。
突発的に掴んでしまった甚平の襟が、するりと私の掌から抜け落ちた。

「あ、なんか、ごめんなさい」

勘違いにも程があるってやつだ。目の前の男は、はーちゃんのイメージとはかけ離れている。
井戸水みたいに冷ややかな空気を身に纏って、その瞳は光も反射しないようなぞっとする黒だ。

「はーちゃんは、白くってふわふわな感じだったもん……」

私は記憶の中の彼女を辿る。透き通るような白い肌、日本人形みたいな、艶やかなおかっぱ頭。
しかし、思考がぶち切れる。今度は、小春さんが私の肩を掴んだのだ。
獲物を捕らえるようなその動きに、私は心臓も掴まれたのではないかと言うほど驚いた。

「思い出したの?」

薄い唇が、思いもよらぬ言葉を零す。
その言い方は、まるで私が勘違いなんかしていなかったようにも聞こえる。



「え、小春さん、はーちゃん知ってるの?」

「知ってるも何も」

私の脳内が、強い炭酸が弾けるように、思考回路を繋いでいる。
辻褄が合う。
初めて会ったとき、私の名前を聞いてなぜか驚いていた。
初対面の私に、いきなり交換ノートの話を持ち出した。
電話を待っていると言った。夏祭りのあの日、私が行けるなら、はーちゃんに電話することになっていた。
あのときは、熱にうなされて、結局電話を掛けることはなかった。
そう、夏祭り。茜色の甚平は、冬ではなく、夏の夕暮れにこそふさわしい。

「でも……はーちゃんは女の子でしょう?」

「俺は男だ」

そんなこと、分かりきっている。

「だって、おかっぱ頭で、細くって、白くって、優しくって……」

そこまで言うと、小春さんは顔を紅潮させた。
恥ずかしさなのか、憤りなのかは分からない。

「それは、俺だよ。女の子って言うのは、まりあの勘違いでしょ」

流石に驚きで声も出ない。本当の勘違いはここにあった。
どうして、幼いながらに長年遊んだ近所の子の性別を勘違いしていたのだろう。それが今まで貫き通せたのだから、驚きを通り超して呆れてしまう。
嘘だ、と呟いたが、肯定しない方が難しい。

「俺、まりあに親が居ないから、祭りに来たくないのかと思ってた。でも、まりあの熱が下がる前にさ、家の母さんが俺連れて家飛び出した。夜逃げってやつかな。それで、ずっとまりあのことが気になってた」

「ばかちん!」

私は小春さんを突き飛ばしてしまう。小春さんはベッドの柱に強く頭をぶつけた。視界が滲んだ。悔し涙だった。

「どうして言ってくれなかったのよ! 最初から私のこと分かってたんでしょ?」

「試したかったんだ」

おそらくは、簡単にちぎれてしまった、私と彼のつながりを。
でも、そんなこと、こんな形で2人が再会できるという時点で、明らかではないか。
小春さんがどうしてこの土地に戻ってきているのかは分からない。私が引っ越しをする前に彼に会えなかったら、と思うとぞっとする。
でも、血のつながりも、偶然も、奇跡も、何もかも跳び越えたところで、私と小春さんは、こんなにも繋がっている。

「ごめんね」と、小春さんは、少し悪戯っぽくわらった。
私はその何倍も、ごめんねを繰り返した。

何に対する謝罪なのかは、よく分からなくなってしまったけれど、確かに今の小春さんをこのような姿にした責任は、私にあるような気がした。
泣きじゃくる私を見て、小春さんは春の日差しみたいにわらった。

「あーあ、幸せだよ、まったく」

それから、すっげ、頭痛え。と。


小春さんは、もういらなくなったと言って、その鍵を私にくれた。
おもちゃ同然なのだから仕方がないけれど、見れば見るほど簡素な作りだ。
しかし、それは丁度、私と小春さんのようだ。何となく、そのような気がする。

何故、こんなにも小さな出来事を、小春さんはずっと覚えて、心にしまっておいたのだろう。ひょっとすると、私の思う以上に小春さんには一大事に思われたのかもしれないし、たとえ小さなつながりであっても忘れられないような事情があったのかもしれない。

「本当にあのときはただの風邪だったの。変な心配かけてごめんね」

「いや、もういいんだ」

彼の表情は、元が幽霊じみていただけに、まるで憑き物が落ちたようだ。
そして彼は、すっと立ち上がって、ベッドを下りた。
私はそこになってようやく、さっきまで自分でも歩けないくらい熱にうなされていたではないか、と思い出した。

「ちょっと、どこ行くの? 危ないよ」

つい数分前、病床の彼を突き飛ばした人間の言葉には思えないが、そう言うしかない。

「大丈夫、もうきっと治ってる。お世話になりました」

玄関まで追っていったが、小春さんの足取りは本当に軽かった。
そういえば、小春さんが歩いているのを初めて見るかもしれない。夕陽で染め上げたような朱い甚平から、白くすらりと伸びた足はきれいだ。足は、歩くためにある物だ。きっとその二本の足も喜んでいる。

「それでは、さようなら」

本当に、何でもないみたいに、小春さんは玄関の扉を押して出て行った。

そしてもう、それきりだった。



噂や名前が一人歩きするみたいに、心も一人歩きすることがあるらしい。
「こころひとりたび」と大きく書かれたポスターが、改札口のすぐ近くに貼ってある。満開の桜の中を進む列車が写真になっている。いいキャッチコピーだと私は思った。

駅員さんに切符を見せ、ホッチキスのような物で穴を開けられた切符をまた握って、失わないようにポケットに入れる。
ホームには、まだかき分けられた雪が少しだけ残っていた。踏むと、アスファルトの黒に混ざって、消える。びちょびちょと点字ブロックを埋める雫はまだ靴越しにも冷たいけれど、春が近づいている。人が少ないが、その風景が寒い、寂しいと感じるようなこともない。

今日は、お父さんとお母さん、直兄さんの見送りに行くのだ。おばあちゃんはついてこなかった。代わりに、まだ温かいチェリーパイを私に預けた。
「見てたら、泣いちゃいそうだからね」とおばあちゃんは言った。兄さんは、またすぐに帰ってくるから、と少し申し訳なさそうに笑った。

私の住む町には空港がないから、これから小一時間列車を乗り継いで行くのだ。兄さん達はもう昨日から空港の近くに宿泊している。

結局、私はモンマルトルへは行かない。将来、旅行や留学で行くことはあっても、暮らすにはあんまり気取っているように思えて仕方がないのだ。兄さん、フランス料理なんて口に合うだろうか。
私には、この町と、おばあちゃんの料理で充分だ。

煙っぽい風が吹いて、ホームの向かい側で、誰かが一つ、控えめなくしゃみをした。
ひょっとして花粉症だろうか。いや、あんまり時期が早すぎる。きっと、風邪の引き初めか、治りかけなのだろう。
見ると、スーツ姿の男性が、ポケットからティッシュを出すところだった。
こちらの目線に気付いたのか、男性が顔を上げて、こちらを見る。
鴉の濡れ羽のようなつややかな黒髪が、春めいた日差しを柔らかに反射している。
それに負けないくらい黒い瞳と、白い肌が、妙に目に眩しい。

私は一つ、無謀とも思える試みを実行することにした。
切符を入れていない方のポケットから、携帯電話を取り出す。
そして、思うままに11桁の番号を押した。
冗談半分、これは宝くじよりも難しいと思いながら、心のどこかで、今ならできそうな気がしている。

それを耳に当てると、すぐに呼び出し音が鳴り始めた。どうやら実際に存在する電話番号らしい。自分が勝手にやり出したことなのに、今更緊張しだした。こわいおじさん達にかかったら、どうしよう。間違い電話だと言って切ろうか。

一瞬遅れて、ホームの向かい側の男性が、ポケットを探り出した。男性は携帯電話を取り出し、耳に当てる。

「もしもし?」

どこかで聞いたことのあるような、低くて深い声だ。
男性と、また目が合う。
思わず、笑ってしまう。
まさかとは思ったが、こんなに上手くいくとは思わなかった。

「初めて思ったんだけれど、貴方の名前、似合ってるよ」

「そりゃどうも」

列車が近づいてくる。

「ねえ、奇跡って信じる?」

「もう起こってる」

小春さんは、本当に春そのものみたいに笑った。




おしまい。






\あとがきでございまぁす/

なんだか、書ききれたのかどうか不安ではありますが、まあ私としてはこんなもんだろうってことでして←結局なんだ

このお話はつながりとちっちゃな奇跡をテーマにして、何か心温まる短編物語を書いて行こうということでスタートしたのですけれど、結局訳の分からん感じに終わってしまいました……。
しかも珍しく、ちゃっちい伏線を張ったりして、消化しきれなかったりと、色々とチャレンジ1年生でした。
しかし私自身としてはとても楽しかったです。

これから大学受験など色々とありまして、なかなか忙しくなってくるので、しばらくは書くのをお休みしようと思います。
また、いつかひょっこり書き始めたら、そのときは宜しくお願いします。

さいごに
八坂さん、赤闇さん、りさん、未狂さん
そして何度も応援していただいた愛海さんと習字さんに格別の感謝を申し上げて
これでおしまいにさせていただきます。

こんな所まで読んでいただき、ありがとうございました!

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最終更新:2011年01月21日 16:02
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