お好きにお使いください(上の「編集する」でどーぞ)
めんどいからここにメモ
- モダン→ポストモダン
- 実存主義→構造主義
- サルトル→レヴィ=ストロース
- 実存主義+マルクス主義=サルトル
- 構造主義=レヴィ・ストロース
- 問題は構造主義=ポストモダンとしてもよいものか
- ポスト構造主義=ポストモダニズムでないだろーか
構造主義がモダンで、ポストモダンは脱構築?
だれだよ。
だれだよ↑書いた人…なんか署名しといてねー
▼構造主義はモダンじゃないと思うね。モダンはどちらかと言うとマルクス主義みたくどーも理想主義というか自文化中心主義と言うかそういう感じだと思う。「歴史はある頂点を目指してひたすら右あがりですよ」みたいな感じ。
▼だけどそれをぶっ壊したのがレヴィ=ストロースの構造人類学らしいから、構造主義はポストモダンだと思う。ただ俺「脱構築」わからないんでなんともいえない。
▼そして、ポスト構造主義もポストモダンだと思う。カテゴリーはポストモダンで、その中に構造主義とポスト構造主義がある、みたいな。
モダン{実存主義、マルクス主義系}
ポストモダン{構造主義、ポスト構造主義}
脱構築だれか教えてきぼんぬ・・・。(しょ)
リオタールは『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』(水声社)のなかで、近代とは、
「愛による原罪からの解放というキリスト教の物語、認識による無知や隷属からの解放という啓蒙の物語、労働の社会化による搾取と阻害からの解放というマルクス主義の物語、産業の発展による貧困からの解放といいう資本主義の物語」…
ソースは前にあげた教えてグーです。
▼俺は上の近代=モダンで考えています。全部「物語」にかかると考えれば、リオタールの定義は近代とは
- 愛による原罪からの解放というキリスト教の
- 認識による無知や隷属からの解放という啓蒙の
- 労働の社会化による搾取と阻害からの解放というマルクス主義の
- 産業の発展による貧困からの解放といいう資本主義の
物語となるので、やっぱり近代=右上がりの理想主義が中心=モダンだと考えられます。
▼で、それを未開の土地におけるフィールドワークを通して「んなことは西洋人の思い上がりだよ」といってぶっ壊したのがレヴィ=ストロースなんだと考えています。なのでレポートはモダンからポストモダンへの移行をテーマに、サルトルvsレヴィ=ストロースの論争関係でまとめよーとしております。(しょ:21日21時くらい)
最終更新:2005年07月21日 20:59