エルジア共和国

 エルジアは、ユージア大陸西部に位置する大陸最大の軍事大国であり首都はファーバンティ。政体は時代によって変わり、これまでに共和制・王政が採用されている。2019年時点でエルジア王国。


国家

首都

ファーバンティ (北緯42度00分 東(西)経102度05分)

陸軍
海軍
空軍
防空軍

概要

 これまでの歴史上近隣諸国との関係が悪く武装平和と呼ばれる緊張関係が長らく続いていた。FCU軍・IUN国際部隊とエルジア軍はユージラス自治州と接するアンバー共和国南部で睨み合いを続けていたが、1996年に小惑星ユリシーズの衝突が発表されたことにより、FCU軍は海外駐留部隊へ一時機帰還命令を出したため撤退、IUN国際部隊も後退を余儀なくされた。
 1999年7月8日に小惑星ユリシーズが地球へ到達、分離した破片が各地に落下した。エルジアも例外ではなく、国内に大小合わせて10個の隕石が落着したことにより大きな被害が出た。特に首都ファーバンティへ落下した隕石は、もともと地盤の弱かった海岸地域を地殻変動によって沈降・水没させた。(しかしエルジア政府は首都を遷都せずに以後もファーバンティを首都に設定している。)

被災後

 ユリシーズの被害により数百万人という史上類を見ない膨大な人数が被災難民となったが、当時最大の難民受入国として期待されていたのがエルジアだった。災害後、約20万人以上の難民を受入れてきたエルジアであったがエルジア外務省はこれ以上の難民受入れは不可能であるとし、ついに2000年4月、ビザの発給要求の引き締めを発表、難民の受入れを事実上拒否することとした。
 これに対し世界各国は納得せず、非難した。この発表後も受入れ再開を期待して難民が国境付近に集まり続けたが、エルジア政府は他の国への移動を呼び掛ける。この際、国営の航空機・バスなどを使い輸送を試みたがこれを無視する形で一部のNGOが「人道空輸計画」と称する無計画な難民輸送を続けた。
このNGOに対してエルジアは無責任を通り越して殺人行為であると非難。キャパシティを超えている国境の難民キャンプはとどまることのない難民流入と劣悪な環境により犯罪や疫病が蔓延し始める。
 国連のゲッゲンハイム弁務官は国境周辺の難民キャンプを視察し、「キャンプは不衛生極まりなく、過密化が進み危機的状況だ」と語る。この時点で国境周辺に集まった難民は約60万人であった。また、「難民問題を1つの国に押し付けるべきではない。この悲惨な避難生活を続ける人々を救うには、国際社会の援助が必要だ」としユージア大陸各国に避難民受入れ枠の拡充と避難計画の前倒し実行を要請する。しかし、これに賛同する国は少なかった。
 一方、エルジア外務大臣であるフレデリック・アップダイク外相は「国として人として、手は尽くした」とGAZE誌の取材に答えている。

以下取材時の氏の発言
「エルジア国内にも大小合わせて10個の隕石が落下しており、特に首都ファーバンティ付近に落ちた隕石によって数万の国民が亡くなった。今の我が国は、柔らかい寝床と暖かい食事が用意された快適なシェルターなのではなく、大陸で最も被害を受けた苦難と混乱の土地であることを知ってほしい。(他の国は)平時にはエルジア製品の不買運動をしているのに、金がかかる国際問題となると一方的に我が国を頼る。100万人の避難民受入は到底無理な話であり、批判されるべきは小国のひがみ根性だ」
アップダイク外相はあくまでも個人的な意見としてこの話をしたが、エルジアの世論を反映していないとは言い難い内容である。

GAZE (August 22,2003)

開戦

 2003年8月、各国がユリシーズ災害からの復興及び秩序の回復に躍起になるなかでエルジア軍は隣国にして中立国であるサンサルバシオンへの侵攻を開始する。空爆に続く3日間の地上戦の後、首都サンサルバシオンを占領、同国内に設置されている隕石迎撃砲「ストーンヘンジ」を接収


戦争後




以後 執筆中


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最終更新:2019年01月13日 18:03
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