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摩訶方記(竹林上人 間川三十二勝 現代語訳)

摩訶方は(志度湾)珠浦の西南の四里にある。唐土の道法で六町を一里とする また間川と呼ぶ。間川の訓読みは摩訶方と相通ずる。山があり、垣根のように囲むが北側は空いている。最も高いものを鬼山(雲附山)と言う。山の下に崖があり、南に向かって上ると十歩で祠があり、01 梅宮 (うめのみや)と言う。地元の人はこれを祀る。皆安らかである。およそ珠浦から摩訶方に来る人はまずここに至る。西南に向かって上り五十歩で坂があり、02 白羽坡 (しろわは)と名づける。(生まれ故郷の)白羽郷に通じている。坂の東北に崖があり緩やかな丘になっており、十五歩下ると松の木がある。その頂きは白羽坡と等しい。坂を登る人はこれを撫でることができるので03 撫松原 (ぶしょうげん)と名づける。これより南に行き十歩で曲がりくねった岸があり、橋を架け、04 送月橋 (そうげつきょう)と名づける。近くに石燈を立てて火を掲げれば間月送人のようだ。また去ること五六歩で美竹が生い茂る。05 万竹園 (ばんちくえん)と名づける。南に去り一丈余りで06 獨楽堂 (どくらくどう)があり、ただ四柱のみである。そばに小壁を設け、書軸を掲げる。私は座禅の合間に、文人と茶を煎じて共に飲む。歌があり、かつ楽しむといっても、肉食・飲酒・淫らな音楽はここでは許さない。人家からそれほど離れていないが、すこぶる俗世間から離れた趣がある。東南に大石があり、07 遊僊石 (ゆうせんせき)と名づける。西南に三四歩で土橋があり、08 有無橋 (うむきょう)と名づける。西に上り五六歩で坂があり、09 臨渓坡 (りんけいは)と名づける。無念道(県道147号線)に通じる。東に行くと二三歩で奇石があり、10 鼓石 (つづみいし)と名づける。これを叩くとカンカンと鼓音がする。東に向かって下ると五六歩で珍しい草花が生える。11 曇華岡 (どんげおか)と名づける。東南に向かって上ると七八歩で水があり湧き出る。12 閼伽泉 (あかせん)と名づけ、筧で水を引く。北に向かって下ると五六歩で木を横にして橋にする。13 独木橋 (どくぼくきょう)と名づける。東に向かって過ぎ石を建て、14 碧落碑 (へきらくひ)と名づける。南に向かって洞穴を掘り、15 獅子洞 (ししどう)と名づける。洞口は東北に開き、私が安らかに禅に入り、煩悩の毒龍を制する所である。洞前より東北を望めば巨石があり、18 長嘯巌 (ちょうしょうがん)と名づける。また前の溪流の近くに水中に石があり、上が平らで物を受けることができる。名づけて16 香爐盤 (こうろばん)と言う。仏に捧げものをする所である。東南に上り十二三歩で先程の長嘯巌に至り、突然高くなる。月夜に笛を吹き遊ぶと響きが林谷に伝わる。長嘯巌を下れば石橋があり、17 兎蹊橋 (とけいきょう)と言う。南に向かって下ると十二三歩で19 浣花渓 (かんかけい)を渡る。東北に七八歩で切り立った岩がある。梵字を彫り、20 曼荼羅巌 (まんだらがん)と言う。南に向かって下ると五六歩で奇岩があり、溪流はここで岩下に隠れて流れ、凹凸の岩肌に激しくぶつかる。その水声は風奏のようで自然の奇音に接する。よって21 水楽台 (すいらくだい)と名づける。南に向かって上ると十歩で崖になり、沿って下ると泉があり、ここに懸かる。乱石が傾いて斜めに縦に横に瀑中にあり、激流は漱玉のようなので、22 漱玉瀑 (そうぎょくばく)と名づける。西に向かって上ると十五六歩で葛が絡まり、23 葛岡 (くずおか)と名づける。岡の上に少し広がって花樹があり、黄葉があり春秋で眺めが異なる。前に珠浦が見え、後に鬼山を負う。東に行くと十二三歩で岡が低くなり谷に下る。また上り十五六歩で大石が山の中腹に在り、24 山臍石 (さんせいせき)と名づける。如々の字を刻み、平等常住の思想を表す。西に向かって下ると二十歩で池があり、25 白蓮池 (びゃくれんち)と名づける。また上ること三十歩余りで26 不可識峯 (ふかしきほう)があり、日の出を拝むのに良い。目を挙げれば眺望は青空一色で、雲が行き交う所、鵬の翼が垂れ覆う所、怪しくもあり、驚きもあり、畏れもあり。蜻蛉なのか、塵埃なのか、識別できぬゆえ名づける。北に向かって下ると二十三歩で両岩が並んでそびえ立ち、中で断つ。27 雲門 (うんもん)と名づける。水があり清らかで冷たく、その中から湧き出る。名づけて28 鑁字水 (ばんじすい)と言う。その微流は蛇行し屈曲し行き詰まりがないようだ。摩訶方と名づけるゆえんである。水の左に石壁があり、29 月輪巌 (げつりんがん)と名づけ、満月輪を彫る。水の右に洞窟があり、30 阿耨窟 (あのうくつ)と名づける。一体の仏を安置する。洞窟に入ろうとも足を託す地がなく、手を足として登る。私が修禅する所である。西北に向かって、真横に中腹を行くと百五十歩で巨岩がある。31 観我巌 (かんががん)と名づけ、また一瞬と名づける。その高さは百尋、岩の上は平らで七八人は並んで座れる。岩上より左を看れば無念道、右を睨めば海女の(天野)峠。(真覚寺にある)琴岡の松はその貞節を献じ、文花の池はその清節を呈する。近くこれを臨めば万竹が風に揺れなびく竹藪があり、房前には遠くかすかに進む船帆が見える。遠くこれを臨めば小豆島にぼんやりとたなびく霞、岡山に遥か遠い起雲、雪朝の眺望、暮霜の挙目、千姿万態が皆一瞬の中に尽くす。その岩の傍らに和歌を彫る。北に向かって下り二百歩余り、また西に向かって上り二十歩で巨岩があり、32 蓑巌 (みのいわ)と名づける。青く蔦が蔓莚し、まるで木こりが眠るようだ。その西に大道があり、先程の無念道である。牛を引いて往き、馬を載せて来る。旅人はその路に出る。歩く人、乗る人、負う人、担う人、往来が絶えない。岩下よりこれを看ると雑木に阻まれてはっきり見えないが、ただ、呼びあったり笑って話したり声は相聞こえる。並びに皆、万竹園に通ずる。およそ計三十二勝の人間界である。華厳経が説く仏の三十二相から取る。すべてが奇観ではないが、私が自分で楽しむ所である。一応この概要を記し、同士の遊びを案内する。この時、寛政二年(1790)三月である。

摩訶方記(竹林上人 間川三十二勝 原文)

摩訶方者在珠浦西南之四里。(唐土之道法以六町爲一里) 又呼間川国音與摩訶方相通。有山環之如垣牆而空。 其北其最高曰鬼山、山下有崖南向上十歩而有祠曰梅宮里民祀之咸安焉。凡自珠浦而来摩訶方者先 至是。西南向上五十歩而有坡、名白羽坡通白羽郷。坡之東北有崖陵夷十五歩下有松樹、其巓與白羽 坡齋。登坡者可撫之因名撫松原。自是南行十歩而有碕架橋名送月橋。傍立石燈擧火則有間月 送人状。又去五六歩而美竹叢生焉。名万竹園。南去丈餘而有獨楽堂、徒四柱傍設小屏掲書軸、余禅餘 與風騒士煮茗共喫、雖有歌且楽而不許葷肉飲酒鄭聲此地也。去人烟未甚遠而頗有塵外之 趣矣。東南有大石名遊僊石。西南三四歩而有圯名有無橋。西上五六歩而有坡名臨渓坡通無念道。 東行二三歩而有奇石名鼓石撃之則坎々爲鼓音。東向下五六歩而生奇卉名曇華岡。東南向上七八歩 有水湧出名閼伽泉以筧引。北向下五六歩而横木爲橋名独木橋。東向過則建石名碧落碑。南向則 穿洞名獅子洞洞口開東北余所安禅而制毒龍也。由洞前望東北則有巨巌名長嘯巌復臨前 溪則水中有石上平而可承物名曰香爐盤所以献於仏也。東南上十二三歩而到所謂長嘯巌突然高矣。 月夜弄笛則響伝林谷焉。 (下巌有磑曰兎蹊橋。) 南向下十二三歩渉浣花渓、東北七八歩而有巉巌、劖阿字者名曰曼荼羅巌、 南向下五六歩而有奇巌、溪流至是伏流巌下、激于屈曲之巌頭其水聲接風奏自然之奇韻、因名水楽台。 南向上十歩循崖而下有泉懸焉。乱石欹斜縦横於瀑中湃如漱玉因名漱玉瀑。西向上十五六歩而有葛 枷名葛岡。岡上稍衍有花樹有黄葉春秋異観、前臨珠浦後負鬼山。東行十二三歩陵夷而下于溪復 上十五六歩而大石在半嶺名山臍石。刻如如之字而表平等平等常住之想。西向下二十歩而有池名白蓮 池。復上三十餘歩而有不可識峯宜敬賓出日。擧目眺望則長天一色、雲物所往來鵬翅所垂覆、可怪 可驚可畏野馬也、塵埃也、不可得而識因名焉。北向下二十三歩而両巌双聳而中断名雲門。有水清冽 出自其内名曰鑁字水。其微流蛇行屈睨若無窮所以名摩訶方也。水左有石壁名月輪巌劖満月 輪。水右有窟名阿耨窟安一躯之仏焉。將入窟無地託足以手爲足而躋余所修禅也。向西北而 直横行于半嶺百五十歩而有巨巌名観我巌又名一瞬。其高百尋巌上平而人七八許可列座、由巌上左 看無念道、右睨海士嶽。琴岡之松献其貞文花之池呈其清近臨之則万竹猗幽篁房埼縹渺之征帆。遠臨之 則豆島茫之流霞、備山迢遽之起雲雪朝之眺望暮之挙目、千姿萬態皆盡一瞬中矣。其巌傍劖倭歌。北向下 二百歩餘又西向上二十歩而有巨巌、名蓑巌、碧蘿蔓莚恰如樵夫睡其西有大道所謂無念道也。牽牛而 往駄馬而来。行旅出其途歩者乘者負者荷者絡繹不絶。自巌下看之則阻雑樹而不得鮮観、獨呼 笑語之聲相聞矣。並皆通万竹園焉。凡計三十又ニ名之器世界者華厳経説仏身不思議国土悉在中又一毛示現 多刹海一一毛現悉亦然。如是普周於法界又一毛孔内難思刹等微塵数種種住一一皆有遍照尊在有衆会中宣妙法於 一塵中大小刹種種差別如塵数。一切国土所有塵一一塵中仏皆入。又大日徑明器界者三摩耶曼荼羅之惣名而之 爲非情五大即是五智輪依正一體今依此等文取仏有三十二相也。都是雖非奇観而余所自楽。聊記其 概以啓同士之遊。維時寛政二年三月也。

摩訶方記(竹林上人 間川三十二勝 書き下し文)

摩訶方は珠浦の西南の四里に在り。(唐土の道法以て六町を一里と爲す)又間川と呼ぶ国音摩訶方と相通ず。山有り之環て垣牆如し空。其の北の其の最も高を鬼山と曰ふ、山下に崖有南に向て上る十歩祠有り梅宮と曰ふ。里民之を祀る。咸安。凡そ珠浦より摩訶方に来る者先づ是至る。西南に向て上る五十歩坡有り、白羽坡名く白羽郷に通ず。坡の東北崖有陵夷十五歩下て松樹有り、其巓白羽坡と齋し。坡を登る者之を撫すべし因て撫松原と名く。是より南行十歩碕有り橋を架す送月橋と名す。傍に石燈を立つ火を擧げば則間月送人の状有り。又去五六歩美竹叢生。万竹園と名く。南去丈餘獨楽堂有り、徒四柱のみ傍に小屏を設け書軸を掲げ、余禅餘風騒士と茗を煮し共に喫す、歌有り且楽しむと雖も葷肉飲酒鄭聲を許さず此地なり。人烟を去ること未だ甚遠からずも頗塵外の趣有り。東南に大石有り遊僊石と名く。西南三四歩圯有り有無橋と名く。西に上る五六歩坡有り臨渓坡と名く無念道に通す。東に行二三歩而奇石有り鼓石と名く之を撃ば則坎々鼓音を爲す。東に向て下る五六歩奇卉を生す曇華岡と名く。東南に向て上る七八歩水有湧出す閼伽泉と名く筧以引く。北に向て下る五六歩木を横て橋と爲す独木橋と名く。東に向て過れは則石を建つ碧落碑と名く。南に向て則洞を穿つ獅子洞と名く洞口東北に開く余の安禅毒龍を制所なり。洞前より東北を望めば則巨巌有長嘯巌と名く。復前溪を臨ば則水中に石有上平物承可名て香爐盤と曰ふ以仏に献る所なり。東南に上る十二三歩所謂長嘯巌に到る突然高。月夜に笛を弄ば則響林谷に伝。(巌を下れば磑有り兎蹊橋と曰ふ。) 南に向て下る十二三歩浣花渓渉る、東北に七八歩巉巌有り、阿字を劖る者名て曼荼羅巌と曰ふ、南に向て下る五六歩奇巌有り、溪流是に至て伏巌下に流し、于屈曲之巌頭に激し其水聲風奏自然の奇韻に接す、因て水楽台と名く。南に向て上る十歩崖に循て下る泉懸有り。乱石欹斜横す瀑中に縦砰湃漱玉の如し因て漱玉瀑と名く。西に向て上る十五六歩葛枷有り葛岡と名く。岡上稍衍く花樹有り黄葉有春秋観を異す、前珠浦に臨み後に鬼山を負ふ。東行十二三歩陵夷于溪に下る復上る十五六歩大石半嶺に在り山臍石と名く。如如の字刻平等平等常住の想を表す。西に向て下る二十歩池有り白蓮池と名く。復上る三十餘歩不可識峯有り賓するに出日敬宜し。擧目眺望則ち長天一色、雲物往來する所鵬翅の垂覆所、怪べし驚べし畏べし野馬なり、塵埃なり、得べからず識因て名く。北に向て下る二十三歩両巌双聳中断雲門と名く。水有り清冽其内自出つ名て鑁字水と曰ふ。其微流蛇行屈睨窮無若し以摩訶方名所なり。水の左に石壁有り月輪巌名く満月輪を劖る。水の右に洞有り阿耨窟と名く一躯の仏安す。將に窟入足託地無手以足と爲躋る余の修禅する所なり。西北に向て直横に于半嶺を行く百五十歩巨巌有り観我巌と名く又一瞬と名く。其高百尋巌上平人七八許り列座可し、巌上より左を看ば無念道、右を睨ば海士嶽。琴岡の松其貞献ず文花の池其清を呈す近く之を臨めば則万竹猗幽篁房埼縹渺の征帆。遠く之を臨めば則豆島茫の流霞、備山迢遽の起雲雪朝の眺望霜暮の挙目、千姿萬態皆一瞬の中に盡す。其巌傍に倭歌を劖る。北に向て下る二百歩餘又西に向て上る二十歩巨巌有、蓑巌と名く、碧蘿蔓莚し恰も樵夫の睡如し其西大道有所謂無念道なり。牛牽往馬駄来。行旅其途に出づ歩者乘者負者荷者絡繹として絶ず。巌下より之を看れば則雑樹に阻まれ鮮観得ず、獨呼笑語の聲相聞。並皆万竹園に通ず。凡計三十又ニ名の器世界者華厳経説仏身不思議国土悉在中又一毛示現多刹海一一毛現悉亦然。如是普周於法界又一毛孔内難思刹等微塵数種種住一一皆有遍照尊在有衆会中宣妙法於一塵中大小刹種種差別如塵数。一切国土所有塵一一塵中仏皆入。又大日徑明器界者三摩耶曼荼羅之惣名而之爲非情五大即是五智輪依正一體今此等文依て仏に三十二相有るを取る。都て是奇観に非ず雖も余の自ら楽む所。聊其概を記して以同士の遊を啓く。維時寛政二年三月なり。

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最終更新:2017年03月01日 22:31