人が創造するすべての技術―――
それは、生かすか、殺すか
それは人の利益のためにのみ存在する
誰にも否などない それはすべてが原因で すべてが結果
その中に人がいる 生命がいる
そして―――
「その終わりを、誰も救うことは出来ない…」

熱い。頭がとろけそうだ。かんかんと照りつける太陽は、周囲をサウナのような灼熱に誘っていた。その上にこの暑苦しい黒いスーツである。体にぴったりと張り付くスーツの間からは汗が滝のように流れ落ち、それがぴたぴたと纏わりついて気持ち悪い。
「ちょっ、ドコ撃ってんのよゆみのバカ!!」
その上、罵倒されてはさすがに温厚なゆみであっても苛立つのは当然であった。
「いいの、これは弾幕なの!これから近づくんだから問題ないんだって!」

二人は今、先日導入された新兵器のテストプレイヤーとしてメガヌロンと戦っている。ただし、テストといっても実戦テストだ。使い慣れない武器に戸惑っていると、即ち死に直結する。の、だが…
「もうやめやめ!こんな重たいの着てたらまともに動けないって」
そう言って新調された装甲をその場でポイポイと脱ぎ捨てる。
「何勝手なことやってんの!?ていうか戦闘中っ!」
あまりに呑気な行動に怜も抑えが効かなくなってきた。
「いいじゃん、この服怜ちゃんのみたく通気性いいやつじゃないんだもん」
恨めしそうにゆみはその目の前のスーツを睨みつける。怜のスーツはゆみのような分厚く重い装甲を幾つも重ね合わせたようなものとは違い、肩や足など、所々に切れ込みの入った動きやすく、また納涼な印象を与えるものだった。

瑞穂准将が言うには、ゆみは突貫型の攻撃を主流とするが、こと接近戦においては当たり負けしてしまうケースが、これまでしばしば見られた。また怜は、ヒット&アウェイからなる射撃戦法が主体となっているが、その装甲などの重量が、怜自身が生み出しているスピードを殺してしまっている。
そこで特注改良されたのが現在両者の使用する武装だった。

最初はどちらも文句ひとつなかった。いやむしろ、喜びさえした。当然である。こんな一兵個人のために、通例からは考えられないことなのだから。
それが今となってはこの有様。
―――せめてもう少し快適に動き回れたら。
「これ冬になるまでクローゼットの奥にいれとこーっと」
「何いってんの!あんたね、少しは准将のご厚意ってものを…」
「そういわれてもねー、こんなトンファーだっけ?もなんか微妙だし。別に今までどおりでもいいよ、私は」
新調された武器をつまらなさそうに振り回すゆみ。
決してその武器―――『ストライクトンファ』の性能に満足がいかないわけではない。文字通りトンファーを模した造りのそれは、白兵戦を仕掛けるゆみの体に十二分に反応してくれた。近接戦闘においては今までとは比べ物にならないくらい成果をたたき出してくれる。そんなことはわかっている。
ただ、暑さに参ってしまい、ささくれ立った今の心が反抗の態度を示しているだけだった。そう、それだけだったはずなのに…
「もういい、知らない!ゆみがこんな駄々っ子のお子様だったなんて、こんなのと昔から一緒にいたと思うだけで虫唾が走るわ」
カチンと来た。敵の陰謀だったとしたらこれ以上にない最高な罠。きっと怜だって暑さに参っているんだ。だから、同じように機嫌が悪いだけ。わかってる。わかっているはずなのに…
素直に反応してしまう自分が、少し情けなかった。だけど、それでは自分はお子様と認めることになる。それだけは御免だった。
「お、お子様じゃないもん!怜ちゃんだって、17にもなって泳げないくせにっ!」
「そ、それとこれとは関係ないでしょ!?」
「『水なんてこの世からなくなっちゃえばいいのにー』とかぶつぶつ言ってたくせに、私が文句いうのはダメなわけ?」
「だから、人のご厚意を無駄にするなっていう話で…」
「そんなこと言って、ホントは自分のは涼しいデザインで安心してるんじゃないの?」
「そ、そんなわけないでしょ!だいたいあんたはねぇ…!」
「じゃあ交換して!それならご厚意ってのも無駄にならないしさ」
「そ、それは…ダメ」
「ほうらやっぱり!だいたい怜ちゃんは…」
ああ、自分でもくだらないとわかっていながら…… 私はこのスーツを恨む。そして私は、仕事の時でなければこんなもの二度と着るまいと心に誓った。

「おいおい、なんだありゃ」
二人の見苦しい光景を遠方から眺めていた信二は呆れるようにため息をついた。手には相棒のスナイパーメーサーが握られている。
「いつもは仲いいのに、どうしたんだ?美少女達の醜い争いなんて、美しくないぜ!」
「武装について揉めているらしいが…贅沢な奴らだな、全く」
隣の静奈もまた信二にならってため息をこぼす。
「あーあ、オレにも新武装くんねーなかぁ…ていうか何でよりによってあの二人なんだ?もっとキャリアに送られるべきだろ。例えばオレとかオレとか、あとオレとか…」
「さぁ、何でだろうな…瑞穂の考えることは、私にもわからん」
お手上げ、といった様子で静奈は苦笑した。

直後、背筋に冷たいものが当たる感覚を覚えた。油断していた。両者の背後には、既に息のかかる距離までメガヌロンが接近していたのだ。
慌てて武器を構えても遅い。相手はもう完璧に必殺の間合いだった。
が、しかし。
さらに一瞬の後、その殺気はいともあっけなく両断された。ぱっくり割れた体の間から姿を見せるのは、先日帰郷してきた松本実だった。彼の愛刀『魔断剣』の鈍く光る刀身から、それがメガヌロンを切り裂いたことをしらせる。
「…集中しろ」
無愛想にそれだけいうと、彼は次の獲物に駆けた。



「もう怜ちゃんったら酷いんだよ!!」
「ま、まぁまぁ落ち着いて」
非番の学校においても、まだゆみの怒りは静まらなかった。朝からふくれ面のまま、かれこれ1時間は美里に愚痴っている。
「大体、怜ちゃんはちょっと生真面目すぎるんだよ。この前なんかさ…」
「生真面目なのは否定しないけどさ、和泉も和泉なりに頑張ってるんじゃないかな。うん、推測」
これ以上愚痴を聞かされたらたまらない、と美里は無理やり結論を押し付けることにした。
「それはそうかも知れないけど。怜ちゃんがいうほど、『この』新しい武器、気に入ってないんだよねー。スーツは論外だし」
そう言って、ゆみは美里の目の前でトンファーをぷらぷらと振り回してみせる。
「も、持ってきちゃったの!? 学校なのに!?」
「え、なんで?」
「な、何でって…他の人が見たらビックリするじゃ…」
美里の危惧を見計らったかのように、教室の扉がガラリと開け放たれる。
「うーす、美里いるか?」
入ってきたのは外見はがっちりした逞しい体格を持った男子。その肉体美は、はっきり言って学生であることを疑ってしまうほどだ。…全く、よりによって最も見せてはならない奴がくるなんて。
気さくに手を挙げて顔を出したこの男の名は『工藤幹也』。クラスこそ違うものの、いつもゆみ達のクラスに出入りを繰り返している。その理由は…
「美里、明日のことなんだけどさ…ん、何やってんだ?」
美里は、ゆみに覆いかぶさるように立ち上がっていた。まるで、何かを隠すみたいに。
「べ、別に…?」
「く、苦しいよ美里ちゃん…」
立場が苦しいのはこっちだって、といいたいところだが今は言っている場合ではない。
「いいから、さっさとソレ閉まって!」
「な、何で…?」
「何ででも!」
「何さっきからぼそぼそ言ってんだ…?」
小声で話していた二人の間ににゅっと割って入ろうとする幹也。
「ひゃああ、なんでもないなんでもない!」
両手をブンブンと振り回し焦り猛る美里。ゆみはただ小首をかしげるばかり。
「あ、明日のデートね、屋上で話そうか、ねっ!」
「ん、別にここで話してもいいんだが。家城しかいないし…」
「お・く・じょ・う・で・ね!」
「わ、わかったよ…わかったからそんなコワイ顔すんなって」
鋭い視線から放たれる殺気を感じて、幹也はおとなしく美里に従うことにした。
「みっきー、ばいばーい」
「その呼び方はやめてくれよ」
呑気にニコニコと手を振るゆみ。
美里は呆れるとも疲れとも知れない深いため息をついた。
(和泉、同情するわ…頑張ってね)

所変わってM機関本部。
ある一室。そこは昼間にも関わらず真夜中みたいに仄暗く、文字の連なるモニターだけが青白く不気味に輝いていた。そんな中に、二人の人影が。
「ったく、近頃怪獣騒ぎばかりで碌に休んでる気がしないよ」
そう愚痴をこぼしたのは静奈。その隣に座っているのは、今日のゆみと怜の喧嘩の原因、神崎瑞穂である。
「そうねぇ、確かに最近の出現の頻度といったら、例年にないくらい多いものねー」
頬に手を当ててため息をつく瑞穂。ここ最近の怪獣出現率は、2日に一匹は当たり前で、これを毎回対処しているゆみ達の疲労は半端ではないはずだった。
「何かもっと効率的な対策はないものか…」
「『一撃粉砕!ペンシルロケット』、なんてどうかな♪ぐっと戦闘時間も削れて楽になると思うけど♪ それがダメなら『全てを飲み込むブラックホール!宇宙衛星ディメンションタイド』、なんてのもいいかもね♪」
「瑞穂…思いつきだけで言ってないか?」
あの喧嘩の原因も単なる思いつきのせいでは、と思うと体に奇妙な寒気が襲った。
―――否、寒気の原因はそれだけではなかった。
「これですからミュータントはお脳まで能無しの筋肉バカだといわれるのですよ」
突如音もなく現れた声の主、霧島麗華は背後から息がかかるほど近くまで迫っていた。
「どあっつ!?どっから入ってきた貴様!」
「気づかない静奈さんがいけないのでしてよ~?」
狭い部屋に反響する高笑いが余計静奈を腹立たせた。
(気づかれない前提で入ってきたくせに…!)
「それで、何をしにこられたんですか? 霧島さん♪」
からかいに来ただけ、などと本気でいいそうなのがこの女の恐ろしいところだ。…その時は遠慮なく張り倒してやるが。
「ああ、そうでした。頼まれていた件について、結果が出たので報告に」
…頼まれていた、件……?
麗華は探偵だ。さほど有名ではないが、それでも生計はしっかり立っている。それは持ち前の情報収集能力と、仕事だけはしっかりとこなす彼女の腕があるだからだ。言われずとも、残念ながら昔からよく知っている。そんな女が、元の職場にわざわざ出向いてまで調べたものとは一体…?
「なんだこりゃ…環境保護団体の…水質調査の結果報告?」
麗華は、なんだってこんなものを持ち出してきたのだろうか。
「わからない、って顔ですわね」
こちらの考えを見透かしたように、得意そうな顔で麗華は言い放った。
「いいですか、これは毎年調査されている日本列島近海の水質調査のグラフです。…ここを見てください」
麗華が画面の一角を指さす。…いや、誰しも指をささずとも、おのずとそこに目が行ったことだろう。幾重にも重なる線で彩られた波のようなグラフ。その一箇所だけが、高波の如く跳ね上がっていた。日付は、昨年8月―――
「おわかりでしょう?昨年になってから急に、しかもこの東京湾周辺の区域のみが異常に急激なスピードで汚染されていますの」
「なるほどな。それで―――それが、なんだっていうんだ?」
東京湾が汚染されていることはわかった。しかし、それが怪獣撃滅とどういう関係があるのか繋がりが見えない。そんな私に、とうとう麗華は呆れたため息を吐かれてしまった。
「本当にお脳まで筋肉ですね…」
「な、何だと!?」
「静奈ちゃん、いい?そもそも怪獣って…どうして生まれたと思う?」
話す気も失せたといった麗華に代わって瑞穂が口を開く。
「元々この地球に暮らしていた怪獣も、もちろんいるけれど…その大部分は、核実験や環境の激変によって生み出されたり、望まぬ進化や変態を遂げたものなの。それに、眠っていた古代の怪獣を呼び覚ますっていうこともあるかな」
「つまり、それだけ怪獣…いえ、生物は環境の変化に敏感ということです。…まぁ、今に新しい話ではないですけど。絶滅種などの一部は、人間が変えてしまった環境に適応できなくなってしまったのが原因なのですし」
そういった話題を、テレビのニュースで度々騒がれたことを見たことはある。だが、そんなことはすぐに頭から消えていった。深くは考えていなかったのだろう。
「そこで、この異常な水質汚染。  これと、怪獣が頻出し始めた時期を照らし合わせると…あら不思議♪」
それら二つの場所は、まるでパズルのピースをはめ込んだみたいに、ぴたりと一致した。一年前といえば…ちょうど、怜が私達の部隊に配属されてきた頃だろうか。確かに、あの頃から急に忙しくなったのを覚えている。信二が、「夏休みが欲しいぜ!」などとぼやいていたっけか。
「じゃあ…この水質汚染が、怪獣出現の原因なのか?」
「直接な原因ではないですけどね、もちろん。恐らく、この変化に感づいた怪獣達は、この汚染の原因を断つためにこの日本―――特に東京湾近辺に出現しているのでしょう」
普段は単独で行動するはずのバラン・ラバが集団で行動していたこと、通常水中で生活をするメガヌロンが陸上で頻出したこと、そしてベムラーの出現。これらもきっと、この環境変化による被害という名の原因に違いない。それに、ハワイでジラースが目標としていたのが日本だったという報告もある。これは何よりの証拠だろう。それでようやく話しは繋がった。
「ということは、その汚染原因を突き止めれば…」
「怪獣頻出も食い止められるというわけです」
「ええ、ひょっとしたら長い戦いに大きな節目を作れるかもしれませんよ♪」
―――しかし、最後の瑞穂の言葉だけには賛同できなかった。それだけでは、パズルのピースは全て揃わない。太平洋に浮かんだ『G』の屍骸、そこに現れた謎の影―――。あの影は、やはり『先の事件』に関係があるのだろうか。だとしたら、何故今になって?
考えを巡らす。しかし、考えれば考えるほど、行き着く先は行き止まりでしかない。
その時だった。思考を遮るように、耳を劈くようなけたたましい緊急サイレンのランプが鳴り響いた。


―――夕日に紅く染められたコンクリートを突き破って現れた巨体の名はゴロザウルス。古代アロサウルスの恐竜。全てをなぎ倒す強靭な尾、鉄さえも紙のように引き裂く鋭利な爪と牙―――それらがその主の屈強さを引き立てていた。そこに居合わせたものは、ただ圧倒され、震えながら無様に逃げまとうしかない。降り注ぐ瓦礫は、無残にもそんな罪もなき人々を飲み込んでいき、一瞬にしてかき消していく。
咆哮。それは、暴れるゴロザウルスの歓喜の雄叫びのように聞こえた。

我先に、と殺到する避難民の群れの中に、家城由美子の姿はあった。拳には、准将からもらった『新人』が汗と共にしっかりと握られている。
ゆっくりと空を見上げ、じっと相手の眼を見つめる。意外にも、澄んだ瞳だった。怪獣は皆同じように、狂気に狂った、飄々とした眼(まなこ)だと思っていたのに。
―――私みたいな。
防衛隊は? 見渡してもそこに映るのは背中を向けて走っていく人間だけ。立ち止まっている私に目もくれず駆け抜けていく。生まれた風がふわりとした髪を優しく持ち上げる。
何もこない。戦車の一台くらい来ても不思議じゃないのに。同輩達が来る様子もない。
―――なら、誰が止める?
軍は市民を見殺しにする気だろうか? このまま誰もこなかったら、きっとここにいる全員がそういう結果になってしまう。なら、誰が…。
今日は私は非番。お仕事がないという意味の日。だから、あの重くて暑苦しい服を着る必要はない。
―――ない、はず。
「あっ」
ふと、ゴロザウルスの足元に小さな男の子がいることに気がついた。泣いてる。膝からは、くすんだ朱の花が広がっている。きっと転んだんだろう。歩くことの出来ないその子供は、ただ憐れに泣きじゃくって―――きっと助けが来るまで、ああやって涙にすがっているのだろう。ゴロザウルスは一歩、また一歩近づいてくる。ああ、次の一歩で、小さな命はあの足の中に消える。
ゴロザウルスの脚が持ち上がった。
―――誰が?わかっているくせに。
気がついたときには、私の足は走り出していた。
数十メートルの先に見える、脚と子供。本当に間に合う? 間に合わす。
足がもつれそう。かまわない、滑り込んでもいい。
間に合え。間に合え!

一閃。足音が静かに響き渡る。次に、ふんわりとコンクリートを彩る砂埃。絨毯みたいに、一面にゆっくりと広がっていく。
ゴロザウルスはまた一歩を踏み出す。一歩、また一歩。ビリビリと震える足音が、だんだん遠ざかっていく。
ごとり、と瓦礫の一角が動いた。そして中から現れたのは、男の子を抱えた家城由美子だった。
「だ、大丈夫だった…?」
男の子は、弱々しくも優しい笑みを見せてくれた。その様子に胸を撫で下ろす。

もう大丈夫だからね、と男の子の頭を優しく一撫でし、私はゴロザウルスの跡を追った。ゴロザウルスの後ろ姿が見えると、私は汗で『新人』が滑って落っこちそうになるのをしっかりと握りなおす。
―――やっぱり、恐いんだろうか。
心臓の鼓動をはっきりと感じる。まるで、直接触れているみたいに。
巨大な怪獣にも、もう見慣れたつもりでいた。高層ビルより高くたって、平気な顔ができるつもりでいた。でも…
冷たい汗が出ている。心臓が高鳴る。
思っていた以上に、私は臆病だった。一人だから、かな…?
思えば今まで、恐いものと立ち向かう私の隣にはいつも怜ちゃんがいてくれたような気がする。信二さんや、他の皆も。
―――独りが、こんなにも恐いものだったなんて。
この震えは、今の私が独りぼっちだから。この汗は、必死に走っている私が一人だから。
―――そう思えば、きっと『恐怖』に立ち向かえる。
やってやる。きっとあんな巨大な相手にこの『新人』は届かないだろうけど。きっとこの銃は豆鉄砲みたいに頼りないだろうけど。
それでも、私は―――
私は、鞄の中にあるあの暑苦しい服に手をかけた。

ゴロザウルスの前に対峙する。恐らく相手は、私をアリか、もしくはノミくらいにしか思っていない。『新人』から放たれる内蔵機銃。ゴロザウルスの皮膚に吸い込まれていく。しかし、やっぱりダメ。蚊が止まったくらいにしか思われていない。無視して侵攻を続けるゴロザウルス。それなら、と今度はトンファーで突貫を試みる。肘くらいまでなら届くかもしれない。そして、運がよければ相手の体を横倒しにできるかも。
しかし、そんな僅かな希望は一瞬で砕かれた。しなる尾が、豪快な音と風を纏って私の体に叩きつけられる。一瞬意識が飛ぶ。体が千切れそうになる。そして、宙を舞った私の体が、硬いコンクリートのビルの壁に打ち付けられた。
「…っ」
濁った呻き声をあげながら、私は床に崩れ落ちる。やっぱり、一人では無駄なのだろうか。
だが、ゴロザウルスの咆哮で私の萎えかけた気力が再びわきあがる。
そうだ、ここで諦めてはいけない。ここで諦めたら、本当に足手まといになってしまう気がしたから。そう、『本能』に飲まれ、狂気に身を任せたいつもの自分ではなく―――本当の私…家城由美子としての自分が。
ある程度の傷はこの服が防いでくれてる。血を吐いても気にしない、大丈夫。集中するんだ…目の前の相手に。
はっきり見える。こっちに向かって、ゆらりゆらりと歩みを進める相手の姿が。澄んだ瞳が。
「わあああああっ!!」
雄叫びとともに、柄を握る手に力が入る。目指すは肘一点のみ。相手の体制を崩す。それで僅かな勝機にかける。たとえ何回尾に弾き飛ばされようとも、蹴られようとも。
「ああああっ……!」
ビルに響き渡る振動全てが、叩きつけられた私の体を駆け巡る。今までに味わったことのない衝撃。息が、できない。目もかすんできた。口の中が、血の味で満たされる。
ゴロザウルスの必殺技、『カンガルーキック』。いくら人間より頑丈なミュータントといえど、耐えられるはずがなかった。
(もう、ダメ…なのかな)
薄れいく意識の中で、『死』という文字が脳裏をよぎる。目の前の咆哮が、遥か遠くに聞こえてきた。ああ、いよいよ本当に終わるのかな―――
―――いや、きっとこれでよかったんだ。怜ちゃんには偉そうな事をいった私だけれど。きっとこんな姿を見たら笑われちゃうだろうな。…結局、足手まといでしかなかったんだよ。だから……覚悟を決めよう。
だが―――意識を手放そうとした、その時だった。
「その程度で英雄気取りだったとは…笑わせてくれるな」
失いかけた意識の中に、はっきりと聞こえた言葉。それが、私の意識を一気に引き戻した。
「だ、だれ…?」
声は応えることなく、再び私の胸に語りかける。
「それで終わりではないはずだよ…君にはまだ眠っている力がある。透き通った心で己が全てを知ることが出来れば、あの怪獣にも勝てるはずだ」
その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。
一度は諦めたその身に、再び力が湧き上がる。指の感覚、感じる鼓動…ぼんやりと目の前の光景が映し出され、それらが甦っていく。
―――なんだろう、すごく…暖かい感じがする。
私は静かに立ち上がると、ゆっくりと目を閉じた。とても、透き通った世界にいるようだった。そうして、閉じた時よりもゆっくりと、目を見開く。咆哮が聞こえる。生暖かい風に、ショートの髪がなびく。それを合図に…私は『相棒』を握り締めて飛び込んだ。

私の周りの空気が熱気となり、その全てが私と同化して風を生む。渦巻く、黄金。眼前にはゴロザウルス。狙うのは肘よりも遥か上方…皮膚の薄い腹部。ゴロザウルスの爪が閃く。大丈夫だ、私のほうが速い。多分。行け、もうちょっと。
もっと高く。もっと遠くへ。
届く。光の羽根を纏って。飛べ、もっと高くへと。行け、行け!
「いっけえええええええええええええええ!!!!!!!!」
確かに伝わる、貫いた感覚。肉片が、まるでスローモーションのように私の横で舞い散っていく。
着地に失敗し、コンクリートを転げる私の耳に、ゴロザウルスの断末魔の叫び声が聞こえる。やったのだろうか?
フェンスにぶつかりようやく地に落ち着くと、体を庇うのも忘れゴロザウルスに向き直る。そして直後、ゴロザウルスの体は紙のようにもろくゆっくりと、崩れ落ちていった。
「私…やったんだ」
仄かに浮かべた微笑は、死神の面影をすっかり消し去っていた。変わりに舞い降りた
―――天使。
今は、体中のガスが抜けたみたいな脱力感と、気持ちのいい達成感だけが体にある。そしてそれが、何より心地よかった。
「これ…結構いいかも」
私は、手の中にいる『新人の相棒』に微笑んで見せた。後で怜ちゃんにも謝ろう。
「新人同士、頑張ろうね…」
邪険にする必要なんてなかった。だって、コレは私そのものだから。
新人で役立たず、でもいざって時には意地でもやり遂げてみせる。そんな私と。
気づけば、空にはもう瞬く星の海が広がっていた。

「こんなところで終わってもらったら困るから…ね」
月の眼下に、漆黒を纏った少年は静かにそう呟いた。影のような、そこにいて不自然さを感じさせない彼の眼下にはまた、彼女と横たわったゴロザウルスがいる。

東京湾沿岸。唸りを上げて続々と集結する戦車隊に兵士達。その中には、怜達ミュータント部隊もいる。更に、一際人の目を引く存在『アンギラス』までもが、戦車郡の中に混じり、戦いの前の静けさに身を任せる。
…その終わりを、誰も救えない―――
―――決戦は、目前に迫っていた。










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最終更新:2007年10月02日 23:01