息苦しい空間だった。
 別に酸素が薄いわけでもないのに、どうにも居心地が悪い。
 外は無明の闇に覆われ、部屋の中を照らす蛍光灯の明かりは何の温もりも感じさせない無機質なもの。

 学校か? 此処は。整然と並んだ机や大きな黒板、そして自分が縛り付けられた木造椅子を見て金融屋・丑嶋馨は眉を顰めた。
 その首には鈍い銀色の首輪が巻かれている。それがアクセサリーの類でないことは誰の目から見ても明らかだ。

「何処なんすかね、此処。俺らを拉致るとなると滑皮の野郎か、獅子谷のクソか……」
「どっちでもねェーだろ。滑皮は厄介な奴だが所詮一介のヤクザだ。こんな大掛かりな真似をする必要がねえ。それに」

 丑嶋とは腐れ縁の仲である柄崎貴明という男もまた、丑嶋と同じように拘束されていた。
 彼が心底忌まわしそうに口にした二つの名前。それは丑嶋にとっても殺したいほど憎たらしい名前だ。そこに間違いはない。
 仮に今柄崎が挙げた内のどちらかが首謀者だったなら、大義が出来たと喜び勇んで殺しに掛かったまである。

 だが――この状況はヤクザの有力者如きが仕組めるものでは到底なかった。一つの町で名を馳せただけの獅子谷など以ての外だ。
 それ以前に、獅子谷に関しては丑嶋達と同じ境遇。つまり、この部屋で無防備に拘束されるという屈辱的状況に甘んじている。
 丑嶋が顎で示した方を目で追い、柄崎は驚愕する。教室の窓際で、自分達の目下最大の敵……獅子谷甲児がその巨体を戒められていたのだ。

 普段なら指差して笑いたいような"いいザマ"だが、今はそんな感情よりも畏怖の念が先行する。
 自分の知る限り最も強い男、丑嶋馨。そしてその丑嶋をも上回るほどの腕っぷしを持つ半グレ、獅子谷甲児。
 この二人を拉致して捕らえるなど、それこそヤクザを動員したって容易ではない。

 そして柄崎と丑嶋、獅子谷以外にも、この教室には大勢の人間が捕らえられていた。
 まだランドセルを背負っているような歳の子供から、そろそろ老後のことを考え始める時期だろう初老の男まで。
 裏の社会では人を攫って人質にしたり、情報を吐かせたりというのはよくあることだ。
 だが、この人数は明らかにおかしかった。おまけに大半が見ただけでも分かる堅気の人間と来ている。集められた人間に共通点というものが見られない。

「解けるか? 柄崎」
「……かなりガッチリ縛られてますからね。道具がないとちとキツいかもしれません」
「そうか。俺は何とかなりそうだから、下手人が入ってきたら手っ取り早くぶっ叩くわ」
「マジすか! さすが社長!」

 無邪気に賞賛する柄崎とは裏腹に、丑嶋は冷静に"その時"のことを考える。
 武器は椅子でいいとしてだ。これだけ人数がいれば、一人は自分のように縄を解ける者もいることだろう。
 その最たる例が獅子谷である。格闘家として慣らした強靭な肉体に兄譲りの凶暴さ、残虐さ。
 自分が何もせずとも、獅子谷が動いて下手人を殺すだろうと丑嶋は踏んでいた。
 もしそうなるなら、わざわざ手を汚して面倒を被る意味もない。
 獅子谷や他の誰かが動くならそれでいい。もし誰も動かないなら、仕方がないから貧乏くじを引いてやる。

 誰がこんな真似をしてくれたのかは分からないが、どう考えても碌な動機でないことは間違いない。
 何より、この時点で丑嶋は既に感じ取っていた。恐らくは柄崎も同じ。
 今、自分達が置かれている状況の異様さ――恨みだとか妬みだとか、そういう言葉では形容出来ないほどの"悪意"を。

 柄崎はいつか観た、所謂"デスゲームもの"の映画のことを思い出す。
 観たのは随分前だし、途中で寝てしまったため詳しく覚えているわけではなかったが……
 学生が島に集められ、あることをさせられるという内容の映画だったはずだ。
 そう、確か――


「クク……皆、目を覚ましたようじゃの」


 記憶が蘇り切るかどうかという瀬戸際だった。
 教室の扉が開かれ、何人もの黒服が入ってきたのは。
 丑嶋は動かない。他の人間も誰一人として動く様子はなかった。
 それを臆病風に吹かれたのかと攻めるのはお門違いだ。
 此処で動く者がいたのなら、そいつは勇敢以前にただの阿呆である。
 何故か。黒服達は皆、例外なく持っていたからだ――人間を一秒で肉の塊に変えられるだろう、黒光りするライフル銃を。

 そして、黒服を侍らせ悠々と歩く杖を突いた老人。
 鼻には大きな斑点があり、小柄なのにまるで弱々しさを感じさせない不気味な爺だった。
 攫われ、集められた全員が確信する。この爺だ。こいつが、自分達を攫わせた全ての元凶だと。

「カカカカ……! いる、いるの……! 血気盛んな者……!
 結構、結構……! それでこそ……! それでこそ集めた甲斐があるというものっ……!!」

 愉快そうに笑う老人はあっさりと自らが拉致を命じたのだと自白する。
 怒りの感情がいくつも老人に向かうが、それだけだ。
 仮にあの爺を殴り倒そうと立ち上がったところで、その先に待つ結末は秒も保たずの蜂の巣。

 故に誰も席を立ちはしないものの、胆の据わった人間というのはいるもので――老人に向けて声を発する者があった。

「……それで、アンタは俺達に何をしてほしいんだ? まさか、ただおしゃべりをするために連れてきたわけじゃないんだろ?」

 橙がかった茶髪の少年だ。制服を着ている辺り、歳は高校生くらいだろうか。
 あれだけの銃口を前にして、取り乱した風でもなく発言出来る胆力は今時の若者にしては珍しい。
 ……それとも、銃が偽物だとでも思っているのか? その辺りは傍から見ているだけでは判別が付かなかった。

「左様、左様……! わしが諸君らをこの沖木島へ招いたのは、他でもない……!
 諸君らにあるゲームをして貰おうと思っての……! 猿でも犬でも分かる、単純明快な趣向のゲームよ……!」

 "ゲーム"。その単語を良い意味に解釈出来る人間など居はすまい。
 何せこんな状況だ。十中八九、ろくでもない内容に違いない。
 そんな皆の予想を裏切ることなく、老人は品のない笑い声を漏らしながら宣言した。
 言葉通り――どうしようもなく単純で、救いようのない悪意に満ちた"ゲーム"の開催を。

「諸君らにはこれから……! この島で……! "殺し合い"をして貰うっ……!!」

 殺し合い。あまりにも現実味のない単語に、「冗談だろ?」と誰かが漏らす。
 老人へ問いかけた少年も笑みを引き攣らせていた。
 だが予想の範疇ではあったのか、動揺しているというよりは「やっぱりか」と納得しているようにも見える。
 そんな各々の反応を老人は楽しそうに見つめ、気味の悪い含み笑いをグフグフと鳴らす。
 足をもがれてのたうち回る虫でも見るかのような、嗜虐心と享楽に満ちた醜悪な顔だった。

「社長、どう思います? あのイカレジジイ」
「見りゃ分かんだろ?」

 普段の癖で丑嶋に意見を仰ぐ柄崎だったが、当の彼から返ってきた答えは淡白だった。
 丑嶋は何ら動揺している風には見えない。いつも通りの鉄面皮を保ったまま、ジッと老人の方を注視している。

「ありゃ伊達や酔狂じゃねェ。マジでやらせる気だよ。殺し合い」
「マジかよ……」

 他人に異常者と恐れられる人間は今までにも山ほど見てきた。
 中学時代の鰐戸三蔵。愚連隊の鼓舞羅。監禁洗脳の神堂大道。目の上の瘤であり、この場にも居合わせている獅子谷甲児。
 ただ残虐なだけの狂人なら見慣れている。良心の欠片も持たない悪人などごまんと知っている。

 しかし黒板の前で薄汚い笑みを浮かべるあの老人は、そのいずれとも違う。
 残虐で、良心がなく、その上で自分以外の全員を虫ケラとしか見ていない。
 そんな人間が、人知れずこれだけの人数を拉致出来るだけの権力を持っているのだ。
 今までの連中とは比べ物にならない。純粋な脅威度なら、あの滑皮秀信だって相手になるまい。

「言ってしまえば……これは命を賭けたギャンブル……!
 ベタな手しか打てぬ凡愚(クズ)は死に……! 強運と確かな目を持つ強者(ギャンブラー)だけが生き残る……!
 どんな手を使ってもいいっ……! 殺せっ……! 最後の一人になるまで、殺し尽くせっ……!! クククク……!!」

 騒然とする室内には、既に怒号を吐く者さえ出始めていた。
 ふざけるな。何を勝手なことを。そんなゲームなんてやるもんか。
 黒服達が銃を構えても収まる気配のないどよめきを止めたのは、ある男の挙手だ。
 衣服越しにも分かる引き締まった肉体の青年は、皆が静まるのを確認してから口を開いた。

「最後の一人になったなら、帰れるだけなのか」

 ――問いの意味を理解出来た人間と、理解出来なかった人間がいる。
 前者は頭がいい。もしくはこの状況に既に順応し始めている優秀な人間だ。
 かと言って後者を馬鹿、不出来と罵るのは酷だ。
 彼らはあくまで日常を生きていた者達。
 こんな非情で、絶望的な"非日常"とは無縁だった人間であるのだから。

「クク……! 良い質問だ……! 無論、何の賞品もなしというわけではない……! それでは"ゲーム"が盛り上がらんしの……!!」
「となると、やはり」
「その通り……! 用意してあるっ……! 命を賭けた大博打の勝者に相応しい、極上の賞品……!!」

 つまりはこういうことだ。
 殺し合いに勝った人間は、生きて日常に帰れる。
 果たして本当に"それだけ"なのか?
 老人の言う殺し合いがギャンブルだというのなら、参加者の生命は賭け金だ。
 にも関わらず、優勝の報酬が帰還の権利だけというのは話が通らない。
 それは賭け金が返ってきただけ。ギャンブルに勝ったのに、何の利益も出ていない。

 無論、そこまで律儀にやるつもりはないというだけのことかもしれない。
 しかしこういう趣味の悪い金持ちは、意外とそういう細かい部分に拘るものだ。
 そう思って訊いてみた結果は、ビンゴ。やはりこのゲーム/ギャンブルの勝者には、何らかの利益が齎されるらしい。

「庶民の手には余るだけの金……! あるいは地位、名誉……!
 欲しいものを好きなだけくれてやる……! それに、もし……! もし特別に望むなら……!」

 金、地位、名誉、その他欲しいものを好きなだけ。
 老人が挙げたのは予想の範疇を出ない"賞品"ばかりだったが、次の瞬間予想の軛はいとも容易く破壊された。
 誰もが怪訝な顔をした。息を呑んだ。ふざけるのも大概にしろと失笑する者さえあった。
 それほどまでに――それほどまでに、老人が口にした"賞品"は荒唐無稽の一言に尽きたのだ。


「失われた命をひとつ……! わしの……! 
 この、兵藤和尊の……! "帝愛グループ"の力で以って、蘇らせてやっても構わんっ……!!」


 死者の、蘇生。
 発達を極めた現代医学でも絶対に不可能とされる禁忌。
 それをこの下衆な老人は、叶えてやると豪語したのだ。
 当然信じる者は少ない。むしろ大半の人間はこの時、老人が口にした"帝愛グループ"という名の方に注目した。

「……帝愛」

 丑嶋と柄崎にとっては特に覚えのある名前だ。
 日本では最大級の規模を持つ巨大コンツェルン、帝愛グループ。――そしてその総帥、兵藤和尊。
 表向きに広告を打ち大々的に宣伝まで行っているにも関わらず、そのやり口は闇金も裸足で逃げ出すほど悪質だ。
 暴利は当然として、帝愛は圧倒的な情報網で逃げる債務者を必ず追い詰める。
 後のなくなった債務者達を集め、悪趣味な道楽に使っているという眉唾物の噂も囁かれていたが――どうやらそれは紛れもない本当の話だったようだ。

 事実は小説より奇なり、とはよく言ったもの。
 その上で死者を蘇生させるなどと宣い始めたのだから頭が痛くなる。

 しかし――丑嶋達はこの時まだ気付いていなかった。
 教室に集められた参加者達の中に、納得の顔を浮かべている者や、殺し合いとはまた別なところに動揺している者が少なからず居ることに。
 これから、気付くことになる。既に現実は小説の域を飛び出して、複雑に怪奇し始めていることに。

「気付かんか……? カカカ……! よく見ろっ……!
 居るだろうがっ……! お前達のよく知る死人が……! 平気な顔をして座っておろうっ……!!」

 丑嶋の背に走る、悪寒にも似た直感。
 バッと振り向き、教室の面々の顔を確認していく。
 すると程なく、丑嶋は"あり得ない人物"の存在に気付いた。
 奇しくも宿敵である獅子谷甲児もだ。
 丑嶋と、甲児と、柄崎。
 その男と浅からぬ縁のある人間が全員同時に、この世を去って久しい死者の顔を見る。

 ――獅子谷鉄也。

 獅子谷甲児の兄であり、丑嶋達が死の遠因となった男。
 生き地獄に等しい苦境に丑嶋達が立たされることになった、元凶とも言える死者。
 それが、険しい顔で足を組み座っていた。彼自身、何が起きているのか測りかねているという表情であった。

「さあ、報酬は示した……だが無論、これを享受出来るのは一人っ……」

 このゲームにおいて、二位以下は全てクズ同然だ。
 全員を殺して生き残った一位だけが利益に預かれる。評価される。
 まさに弱肉強食。自然界の理を体現するかのように無慈悲で残酷なデスゲーム。

「殺し合え……! 友を、恋人を、他人を、宿敵を……!
 すべからく殺せっ! 例外なく殺せっ! 確実に殺せっ……!!」

 此処では殺すしかない。
 殺さなければ自分が死ぬ。
 蹴落とされる。地に落ちる。
 唯一高みの見物を決め込めるのは、遊技場の主である兵藤和尊ただ一人。
 後は皆、誰もがただの競走馬だ。
 一着になれなければ殺処分される、哀れで惨めな競走馬。

 丑嶋はそれをただ、何時も通りの冷めた瞳で見つめていた。
 義憤に燃えるでもなく、欲望を輝かせるでもなく。
 ただ静かに、見ていた。


「おお、そうだ…… ひとつ忘れておったわ」

 不意に。
 兵藤が杖を握る自らの手の甲をぽんと打った。
 どうやらまだ説明することがあるらしい。
 尤も、それが何かは大半の人間が既に理解していたが。
 仮に兵藤が切り出さなければ、また誰かが質問していただろう。

「諸君の首に巻いてある、その"首輪"だが……」

 ひょい、と右手を挙げる兵藤。
 「まさか……!」と誰かが声をあげた。
 そして事態は、その"誰か"の危惧した通りに推移する。

 ぴ、ぴ、ぴ、ぴ、ぴ――

 最後列の席に拘束された、健康的な小麦色の肌をした少女。
 その細い首に巻かれた無機質な輪が、耳障りな電子音を鳴らし始めたのだ。

「な、なに? 何これ。ちょっ、ねえ!」
「う、うるかっ!?」

 狼狽する少女と、その方向を見て叫ぶ友人らしき少年。
 鳴り響いた電子音が何か良からぬことの前触れであるのは明らかだ。
 どうにか助けようと、駆け寄ろうと、必死に縄を解こうとする姿は健気の一言。
 顔を青くして周囲を見回す少女の姿は痛ましく、見る者の義憤を駆り立てる。

「どんな集団の中にもクズは必ず混じるもの。諸君らも決して例外ではあるまい……!
 隠れたきり動かぬ者、島からの脱出など図る者……! 愚かっ……! レースを盛り下げる駄馬っ……!
 その首輪は、そんな駄馬を間引くための保険……! いわば、"制裁装置"なのだ……!!」


 だが。そんな同情や義憤の心はすべて。
 電子音が途絶えるのと同時に、吹き飛ばされた。

「成幸っ、助け――」

 少女の台詞を遮って、首輪が文字通り――"弾けた"のだ。
 少女の首が千切れ、生首が宙を舞って床へと落ちる。
 一瞬の間を置いて、血のスプリンクラーが噴き上がった。
 床をごろごろ転がって止まった、かつて武元うるかという少女だったモノの残骸は、恐怖を顔中に浮かべたまま事切れている。

「う――うあああああああああああああああああああッ!!?」

 少年の絶叫に続いて、大勢の悲鳴や嘔吐する音が響く。
 阿鼻叫喚の地獄絵図の中で、やはり兵藤和尊だけが笑っていた。
 愉快愉快と、手でも叩きそうな勢いで。


「この島では殺す以外に生きる術なし……! 存分に楽しめっ……! そして楽しませろ、このわしを……!
 バトル・ロワイアル、これより開始じゃ……! クク、クカカカ、カカカカカカカカカ……!!」


 瞬間、丑嶋は首輪から走った鋭い刺激に一瞬で全身の力を失う。
 見れば隣の柄崎は既に昏倒していた。丑嶋もまた、意識が遠退き始める。
 ……電流か。こんな状況だというのに、思考はやはりクリアだった。冷静に物を見ることが出来ていた。
 兵藤和尊。帝愛グループ。バトル・ロワイアル。闇社会の諍いが軽く思えるほどの非日常に、あらゆる日常が呑み込まれていく。

 ――勝ち馬になれるのはただ一人。さあ、殺し合え。殺して賭け金を取り戻し、"非日常"を"日常"に持ち帰るのだ。


【武元うるか@ぼくたちは勉強ができない  死亡】
【残り42人――ゲームスタート】


時系列順で読む 001:邂逅の時間
投下順で読む 001:邂逅の時間
兵藤和尊 :[[]]
唯我成幸 :[[]]
武元うるか 死亡
丑嶋馨 :[[]]
柄崎貴明 :[[]]
高山浩太 :[[]]

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最終更新:2018年05月05日 04:23