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 ――違った。


 とんだ人違い――である。


 しかし、一般客一人が来た程度のことでは止まりそうもないと思われた目の前の人形女の動きは止まった。
さながら凍り付いてしまったかのように。


 入ってきたのは長身の女性だった。
 群青がかった長く伸ばされた髪は歩く度に波打ち、はっきりと解る冷たい無表情には氷の美貌を備えている。
 碧眼といい、群青がかった髪といい、その纏う雰囲気といい、凍てついた寒色――主に蒼を――連想させる。
 彼女が徐(おもむろ)にこちらへ視線をやる。部屋の温度が下がってしまったかのような悪寒に、体中の血栓という血栓が閉じる。
 無言でテーブルの前まで近づいてくる。
 その間、誰もその場を動かない。その間、誰も言葉を発しない。つるねぇはにやにや笑いを継続しているが。
 この不思議な空気の原因はどう言うわけかは知らないが。その蒼色の女性が人を一人抱えていた所為だと思う。丁度その人はくの字に体を曲げてその女性の肩に引っかかってる形で、こちらから見えるのは足から腰までだけだった。青いジーンズに、黒いジャンパーの裾がちらちらと。


 「あ、貴方……」


 その中で、口を開いたのは迷惑人形女。
 自分に対し失礼な言葉で惜しみなく噛み付いてくる彼女だったわけだが、今回は言葉を弄さずして敵愾心を剥き出しであることを体中で表現している。その眼前で立ち止まった蒼い女性に向けて。


 「返すわ」


 あまりに淡白すぎる第一声。
 そう言うなり、ぞんざいに抱えていた人を店内の床に思いっきり叩きつける。
 各部の関節が砕ける音は、人間のものではなく人形のもの。
 丁寧に服まで着て横たわる人の形には、頭が無かった。
 ……もし抱えている方向が逆ならびびっていたかもしれない、自分が。


 「貴方を引きつける為にだけ作った1/1サイズストーカーの大木人形……とはいえ、この仕打ちはないんじゃない? 人形にも五分の魂よ」
 「貴方の作る人形は虫以下だから五分は有り得ないわ。それにこれ、MAI(エムエーアイ)も魔術出力器(スペルジェネレーター)も加速式魔力路(マナ・サイクロトロン)も入ってない安物の木偶人形じゃない」
 「私が言いたいのはそう言うことじゃないわ」


 傍観して。
 怒り方が自分の時と違うな、と思った。
 あの人形女があの蒼い女性と何を争っているかはいまいち掴めなかったが、何となくそう思った。
 自分に対して怒っていた時は暴走してると言うか、我を忘れた極端に一途過ぎる怒り方だったが、今の彼女の怒り方は……何と言うか、違う。もっと別の、自分の大切なものを貶められたとでも言いたげな怒り方だ。


 「チサト君解ってるね」


 唐突に、二重の意味で死角から。
 つるねぇは深くテーブルに肘をつきながら、古拙的な微笑を浮かべていた。


 「そんなに気になる?」
 「いえ」


 嘘だった。
 そしてそれをつるねぇは解っている。
 自分は、自分の座るテーブルの向かいの席から注意が逸れるほどに二人の口論に意識を向けていたのは間違いないのだから。


 「何であんな怒り方をしてるのか、後学の為に教えてあげる」
 「いや、いいです。興味ありませんし」
 「後学の為に教えてあげる」


 強引だった。
 ってか、後学って何だよ。


 「彼女は見ての通り人形師。ついでに言っておくと魔法使い」


 とてもとても残念なことに、この魔法使いと言う単語について抵抗は無かった。
 長と関わってから、どうやら半信半疑ながら世界にはその手の力が存在していることを知っている。前に“騒戯屋”を訪ねた時はそれによって被害を被りかけたことがある。
 加えて、先程の口論で怪しげな単語が出てきたので心の準備も万端と言うわけだ。


 「彼女は自分の作った人形を大事にしてる。彼女にとって人形を作ると言うことは――」


 そこで、一旦口を噤む。


 「うん、今気づいたけどここはやっぱりまだ説明すべきじゃなかったね。正しい認識と言う下積みがあってこそ正しい言葉は正しく理解されるものだから」
 「それは正しい認識を僕が持っていないと」
 「そだね。そう言うこと」


 そこまで即答されるとちょっと凹む……


 「凹む必要はないよ。私の今言った認識って言うのは、君の持っている情報、と言う意味だしね」
 「人形を持っている彼女について知っていること、と言う意味ですか」
 「合ってるけど代名詞になってるあたりが何かひもじいなあ。これからはそこにアリスって人名を置換するといいよ」
 「置換するって言うか本名じゃないですか、それ」
 「今の私はプロセスを逐一説明したい気分なの」


 どう言う気分だ。


 「……で、それってどう言う意味ですか」
 「んー、話を戻すなんて意欲旺盛だね」


 茶々を入れた時のような笑いではなく、今の彼女はただ古拙的。


 「人に限らず自分が何かに対して抱く意識と言うものは、相手に対する情報を受け取って作られるものだよね。事前に聞いた話とか、相手の容姿もこの情報に含まれる。それで、この先に話を聞いて情報を受け取る場合、言葉だけだと正しく理解されないケースがあるの。簡単に言ってしまえば誤認とか誤解と同じことだけど、これは表面化し難いから気づき難い」


 つまり、実際の対象を知らない状態では話だけを聞いて情報を受け取る時、正しく理解することができないと言うことだろうか。
 そして自分はこの場合における実際の対象――アリスのほんの一側面しかまだ見ていない。裏返せば実際の対象の多くをよく知らない。それは偏った見解であり、正しくない認識、と言うこと。
 だから、から言葉で説明されても正しく理解することはできない、と言うことなのか。


 「偏った見解があると言うことですか」
 「そんな感じかな? 偏った見解を偏見、と言ってたら違うって言ってたけど。偏見って言うと正しくない言葉を先に受けて正しくない理解をされるって意味みたいに聞こえるし」


 この手の会話を交わすとき、大抵言葉はそれを指すものに形がない。更に、言葉の微妙なニュアンスの違いがあると話が進まなくなってしまう。お互いがその言葉で何を見立てているのか、フィーリングに近いもので理解していないとこのような会話は成り立たないと思う。
 言葉の指すものは曖昧で、手段としては不完全に感じてしまうこともある。


 「ここで解るんだ、面白いことが」


 古拙的な口元の笑みは、三日月に形を変える。何故そう表情が変わったのか、よく解らない。
 よく解らないが――怖気がした。


 「正しい認識、正しい言葉で正しく理解――って言うけどさ。正しい認識なんてそもそも有り得ないと思わない?」


 言われて気づく。


 そもそも。


 そもそも。
 本当に正しい認識があるなら、正しく理解する必要などない。
 認識は自分の中で理解したこと。理解と認識は状態が違うだけで同じもの。
 故に、認識は、不完全――


 『実際の対象の一側面しかまだ見ていない。裏返せば実際の対象の多くをよく知らない。それは偏った見解であり、正しくない認識、と言うこと』。自分はそう思った。
 つまり――何だ。
 結論は、どう足掻いても言葉は不完全と言うこと?


 「不完全なコミュニケーションツールだよね、言葉って」


 きっと自分の心の内を彼女は読んでいるのだろうが、答えてはくれなかった。
 まるで、問いに対する答えなどもう出てしまっているのだろうと言わんばかりに。


 「大抵は上手く行くんだけど。その人にとって正しく完成されている認識を足がかりにして認識をまた作って、みたいな感じが実際の所だよね。でも、理解を誘発させる言葉を作ってる人にとっての正しく完成されている認識と相手にとって正しい認識が違ってたら、狙い通りの理解には行かないかもしれない。そうなると、“正しい”認識って言葉も何か怪しくなってくるよね。今までずっと続けてきた言葉は間違ってるわけじゃないけど、あくまで例え話みたいなもので見立てでしかないっていうか」


 自らの打ち立てた言葉を否定する。
 彼女は、砂山にトンネルを開けてから壊す。彼女は、石を必死で詰み上げては壊す。
 例えその成し遂げるまでの中に、他人が関わっていようとお構いなしで。


 「言葉ではアリスと蒼津の人形に対する意識もそうだよね。共通認識までは到らない。こう言うのは別にいいんだけど、事柄が事柄なら問題だよね? 時に、人の心を変えるのに言葉はあまりにも非力って感じかな。大仰な言い方で言ってみれば」


 そう言って彼女は横目でずっと進行していた二人の口論を見やるが、自分は既にそれを意識していなかった。
 思い出していた。自分が軍を抜けて後方に回った契機を。彼女の言葉はあまりにも、痛い。


 「どこをこうしてもどっかが必ず上手くできてないんだよね。幾ら法を定めようと、幾ら秩序がそこにあろうと、一パーセントのバグは残る。一人と一人なら何も不具合は無いかもしれないけど、百人と百人なら一人不具合が出る。一人不具合が出ると、数人連鎖して不具合が出る感じ」


 もう彼女の言葉はもう既に飛躍しすぎていて、よく解らなかった。
 浮かぶ古拙的な唇のラインが、遠く感じる。
 自分の認識が追いつかなかったのか。
 それとも、少しばかり意識が殺がれてしまった所為か。


 知らぬ間にこちらに集中していた内に気にしていなかった二人の――アリスと蒼津、とやらの口論は熾烈を極め。
 蒼津の手には銃らしきものが握られアリスの抱えていた人形は浮いて喋り始めたのだから、意識が殺がれるのも仕方がなかった。


              ◆            ◆


 「アリスに手を出したらそのバカみたいな頭ぶち抜くんだからっ!」
 「そのへらず口を閉じないとその欠陥的なMAIをぶち抜くわよ」
 「誰の作った人形のMAIが欠陥的ですって? ぶち抜くわよ」


 状況は物騒である。


 まず、蒼津の右手の拳銃。これは見るからに危ない。
 何せ、形状から見て解ったことだがとんだ粗悪品なのだ。
 所謂正規品でない粗悪銃、サタデーナイトスペシャルとか言われてる類のもので庶民なんぞでも安価に購入できるようなもので、当然その中身たるやお粗末なもの。
 暴発に装填不良(ジャム)は当たり前、デザインからして狙いにくいわ、弾道が安定しないわ、リボルバータイプの弾倉は衝撃で砕けるわ、安全装置をかけながら弾装を開けないわ散々なものである。
 そんなわけで、二重の意味で危ない。 


 対するアリスのデフォルメされた赤い頭巾の可愛らしい人形。これも何か明らかに危ない。
 何か空飛んでる。ワイヤーか何かで釣ってるのだろうと信じたい。それだけなら説明もつくし安心なのだが。
 何か人間みたいに口開いて喋ってる。腹話術か何かだと信じたい。相当熟練しているなら説明もかろうじてつくし安心できるのだろうが。
 何か加えて動作が人間そのもの。やっぱり相当熟練してると信じたい。そろそろ安心できなくなってきた。


 「アリスー、今日こそこいつぶっ殺すよー!」


 威勢良く人形が叫ぶ。
 応えるアリスは両手を重ねるように突き出す。手の平を正面に。
 手の平に、同じく両手を重ねるように突き出した人形が重なる。


 「そうね、今日こそこいつをけちょんけちょんにのして圧倒的な力の差と言うものを思い知らせてやるわ……!」


 術者と人形。
 二重に集中された手の平に、光の粒子が収束する。
 うわ、明らかに何か魔法みたいなの使い始めた!


 臨戦態勢を取るに際し、視界の中で蒼い髪が揺れ永久凍土を映す極寒の瞳が鋭さを増す。
 空気が動きを止める。緊張が充満する。





 「あのー」


 そんな中。
 空気を読まない声が、読まなかった空気をぶち壊しにした。
 声の主は――


 後ろに手を回したモブキャラのメイドだった。


 「店内で激しい戦闘行為は迷惑なのでやめて頂きたいのですけどー」


 妙に伸びた語尾、出会ったときから変わらぬ笑み。
 どれを取っても空気を読んでいない発言。
 お前はよくある自爆キャラか、こんな状況で間に入ったら――!


 「そう言われたらしょうがないわね」
 「……いいわ、同僚のよしみよ」


 えー。
 あっさり鞘を収める双方に半ば理不尽さすら感じてみる。いや、戦闘とかそれはそれで困るんだけど。
 これはあれか、所謂カチ冷めと言うやつか。興が殺がれたとか言って明らかにトドメ刺せそうなところで逃げるみたいなやつか。


 「それは良かったです。ありがとうございます、蒼津さんにアリスさん」


 すすす、とカウンターに戻っていくメイド。
 僕はその時、二重の驚愕に気づいた。


 一つ目。その後ろに回した手に何かショットガンらしきものがちらと見えたこと。
 本当に一瞬だけ、本当に少しだけ見えたから、全然違うのかもしれないが。何故かショットガンだと思った。


 二つ目。店番を頼まれた時にでもつけたのだろう彼女のネームプレートに書かれていたもの――彼女の名前。
 ちゃんと名前があったんだな。すごく紛らわしい名前。


 ――『高天原 冥土(たかまがはら・めいど)』、と。


              ◆            ◆


 「さて、右往左往したわけだけど本題ね」


 現在時刻十九時ちょっと前。未だに賽が来ない中。
 僕はつるねぇ、アリスさんと同じテーブルに座りながら洋菓子を有難く頂いていた。
 ちなみに、アリスさんが同席してるのは僕の同行を見張るためらしい。


 「私が代行勢力長になってるから、今のところ」


 ……えーと。
 いや、アリスさんの嫁発言で今日の唖然は尽き果てたから別にいいんだけど。別にいいんだけど……今何て言いやがりましたか。


 「代行勢力長になってるから」
 「繰り返さないでください、現実見たくないんで今」
 「現実見ようよ」


 諭されてしまった。


 「本当はクリスマスイブなわけで忙しいんだけどね。まあ、水蔵もいるし夜追い込めば何とかなるでしょ」


 なんてアバウトな……
 って言うか経営業を舐めてるとしか思えない……
 そして今日がクリスマスなんだよなーって飾りつけが店内にないんだけど。無頓着すぎないだろうか。いや、自分もさんざんクリスマスだよなって描写なんてしてないけどさ!


 「あ、それと資金とか最低限聞いて貰ってるから。倉庫の方も忘れてたけどその分振り込んでおくから口座教えてね」


 そして何かどうでもいいイベントであったかのように救われた。
 ……嬉しいけど何か微妙に悲しくもあるような、そうでもないような。


 「ねえツルコ」
 「うん? なに?」


 そんな僕をよそにアリスさんが何かごにょごにょつるねぇと小声で会話し始める。


 「つまり…………で…………ってこと?」
 「そうそう」
 「ひょっとして…………すると……は、……かったりする?」
 「うんうん」


 何かつるねぇの相槌がすっげえ適当だ。
 いや、別に気のない返事ってだけでちゃんと疎通はできてるし問題なさそうなんだけど。


 「決めたわ、ツルコ。私、正式にそのなんとかっての手伝うことにする」
 「ホント? 嬉しいなあ。最低でも一人集めて来いって賽にも言われてたし、ホント助かったよ。ありがと」
 「そんな、感謝される程のことでもないわ……」


 だから何故そこで顔を赤らめる。
 って言うか長が帰ってきたら絶対馬が合わないだろうな、この人……


 もはや突っ込む気力もなく、そのあまりのバカさに呆れるしかなかった。


              ◆            ◆


良い、お年を。


              ◆            ◆




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最終更新:2006年12月24日 10:02