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平成20年10月18日~20日 千葉へ

平成20年10月18日 滑河


お世話になっている団体の年次会が今年は東京で行われることになっており、ありがたくもご招待を受けましたので、参加することにしました。

ちょうど「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」を使える日程だったので、千葉の房総半島を回ってから東京に入る予定を組みました。

しかし、直前になって風邪を引いてしまい、一度は旅行そのものを諦めるという苦渋の決断に至りましたが、せっかくのお誘いを断るのも申し訳ない気持ちでいっぱいになり、旅の途中でどうしても具合が悪くなったら新幹線に乗って帰るという逃げ道を自分に用意して、熱っぽい体に鞭打って出発しました。

予定では仙台を5時台の常磐線で出発し、水戸で少しばかり寄り道するつもりでしたが、体力的に不可能と判断し、優先順位の高い所だけにしぼることにしました。

1日目最優先の目的地は滑河。

仙台を8時過ぎに出て、6本の電車を乗り継ぎ、15時半に到着です。

電車に揺られている間、幸い体調が崩れることはありませんでした。

駅から少し歩くと、目的地である小御門神社の大鳥居が見えて来ました。

滑川発千葉行きの電車は、ちょうど1時間後にやって来ます。

それに乗るつもりで、歩いて小御門神社に向かいました。

地図で見るとそれほど離れているように思えず、駅前の赤い鳥居が見えた時、すぐに着くだろうと思いましたが…。

実際に歩いてみると、そこそこ起伏もあり、距離もかなりのものでした。

おまけに歩くほどに熱が上がって来るようないやな感覚。

しかし、小御門神社の御祭神、藤原師賢公も失意のうちにこの道を歩いたのかも知れないと想像すると、不思議に気力が湧いて来ました。

30分ほど歩き、ようやく境内入口の鳥居が眼に入りました。

藤原師賢公は後醍醐天皇に仕えた公家で、大納言まで務めました。

鎌倉幕府の横暴が極まり、後醍醐天皇が倒幕を各地の武将に呼びかけていることを知った北条高時は、御所に軍勢を送りました。

それに立ち向かうだけの兵をお持ちでなかった後醍醐天皇は、ひとまず危機を逃れられるために、師賢公を身代わりとして比叡山に遣わされ、御自身は笠置山に御遷幸になりました。

後醍醐天皇の御在所とばかり思い込んだ幕府軍は比叡山を攻撃し、ついに幕府軍の手に落ちた師賢公は、上総のこの地へ流され、30歳そこそこの短い人生を終えるのでした。

神社の裏手には、師賢公の墓所と伝えられる公家塚があります。

このまま駅まで30分歩いたら予定していた電車に乗れないと絶望していましたが、宮司さんらしき神主の方が車で送って下さることになりました。

駅に着くまでの短い時間に聞いた話によると、水戸黄門によって師賢公を顕彰する石碑を建てる計画もあったそうです。

建武中興十五社にも列せられ、皇族以外を祭る神社としては最も格が高いことからも、師賢公が歴史的にどれほど重要な人物か分かります。

車で移動すると、歩いて来た距離が嘘のようでした。

予定の電車にも間に合い、深く感謝しています。

千葉駅に着いた頃には、既に外は暗くなっていました。

初めての土地なので、駅から一歩出ると、どちらがどの方角か、さっぱりわかりません。

この日最後の目的地である千葉縣護國神社には、かなり遠回りをしてようやく着きました。

既に真っ暗闇。

予想はしていましたが、やはり門は閉ざされていました。

せっかく来たので、門の外から参拝。

それから千葉みなと駅近くのホテルに着くまでが、一番しんどかったと思います。

なにはともあれ、一日目は無事(?)に過ぎました。

平成20年10月19日① 上総一ノ宮


ゆっくり休むことはできたものの、やはり風邪は悪化しているようです。

房総半島を一周してから東京の会場へ間に合わせるためには、遅くとも6時台の電車に乗らなければなりません。

しかし、早起きする体力も気力もなく、目覚めてのんびり朝食をとり、あまり時間を気にせずに、来た電車に乗りました。

里見八犬伝の舞台となった館山は今回はあきらめ、目的地は上総一ノ宮だけにしぼることにしました。

各駅停車に乗って1時間弱、上総一ノ宮駅に着きました。

駅名のとおり、ここから歩いてすぐの所に、上総国一之宮の玉前神社が鎮座しています。

御祭神の玉依姫命は、海の神である綿津見大神の娘で、姉の豊玉姫命が出産の際に本来の姿である龍に戻っているところを、その夫の火遠理命に見られたことが原因で綿津見神の国に帰ってしまい、残された子供たちの養育者となりました。

火遠理命の子である鵜草葺不合命と結ばれて生まれたのが、後に神武天皇として初代天皇に即位する神日本磐余彦尊です。

海の国へ去られる時に豊玉姫命がお詠みになった歌は、


赤玉は緒さへ光れど白玉の
君が装し貴くありけり


海の町で、海の守り神として崇敬されて来た玉前神社らしい遺物を境内に発見。

それは錆びついた錨です。

明治末期、地引網量を生業としていた漁師たちを悩ませていたのが、たびたび網を裂いていた海底に置き去りにされている錨でした。

ある日それが漁師の網にかかり、引き揚げられたのです。

漁師たちは玉前神社の御神徳と喜び、東郷平八郎海軍大将に揮毫を乞い、記念の石碑を建てたのでした。

この日は地元のイベントの開催に当たっていたようで、神社の参道にはたくさんの露天が立ち並んでいた他、大漁旗や漁師がめでたい時に着る着物などの展示もありました。

千葉行きの電車までかなり時間があり、ただ待っているのもつまらないので、芥川龍之介ゆかりの旅館へ行ってみることにしました。

元気な時なら歩いて行くのですが、病気と、前日の苦い経験に懲りているため、駅前でタクシーを拾いました。

より海岸に近い方へ向かった先に、一宮館はありました。

大正5年8月、芥川龍之介は久米正雄とともにここの離れに滞在し、後に妻となる塚本文に求婚の手紙を送りました。

離れは芥川荘と名づけられ、当時のまま残されています。

普段は雨戸が閉められていますが、旅館の従業員の方に頼むと、親切に開けてくれました。

タクシーの運転手によると、ここ上総一ノ宮は別荘地で、政治家や財界人などの別荘や、企業の保養センターなどが多数あるそうです。

小規模な駅ながら特急の停車駅となっているのは、旧国鉄総裁の別荘もあるからだとか。

平成20年10月19日② 千葉市


時間があったので、千葉市内を散策することに。

まずは千葉城に向かいました。

立派な天守閣は遠くからでも確認できるのですが、もともと千葉城のあった場所に建てられたこの天守閣は、歴史上の千葉城とは全く関係のない模擬城郭です。

代々千葉城の城主であった千葉氏は、桓武平氏良文流。関東に勢力を誇った豪族です。

初代常兼の子で、実質上の千葉氏の祖である常重は、下総台地から亥の方角に突き出したこの地に城館を構えました。

模擬天守閣は千葉市立郷土博物館の建物で、千葉氏ゆかりの品々や古文書などが保存・展示されています。

地域のボランティアの方による丁寧な説明もありましたが、熱にうなされながらの見学では、あまり耳に入りませんでした。

里見八犬伝の舞台、館山には行けませんでしたが、電車の中吊り広告から千葉市美術館で企画展「八犬伝の世界」を開催中と知り、せめてそれを見学して満足しようと思いました。

南総里見八犬伝は、江戸時代に曲亭馬琴によって書かれた長編伝奇小説で、今では現代語訳やアレンジものも数多く出版されていますが、自分は中学生時代に岩波文庫版の原典を読んでいました。

岩波版には、原本の挿絵が白黒で印刷されていたのですが、今回の展示はオールカラー。薄れていた興奮の記憶が、より鮮明になって蘇るようでした。

見どころの場面や登場人物の浮世絵は、その奇想から描画力までが人間業とは思えず、世界的に見ても一級の美術品であることは間違いありません。

この日は千葉市で制定した「市民の日」に当たっており、入場料が無料であったのも嬉しいことです。

館山には行けませんでしたが、もし館山に行っていればこの展示を見ることはできなかったであろうことを思うと、災い転じて福となす結果だったのかも知れません。

美術館のレストランで昼食をとり、千葉駅のある北の方向へ歩き、千葉神社へ向かいました。

千葉神社の主祭神、天之御中主大神は、天地開闢のはじめに現れた神で、天の中心におられることから、仏教の北辰妙見尊星王と同一神と考えられて来ました。

ここ千葉神社は、全国にある妙見社の本宮です。

千葉氏の祖先である平良文が、妙見尊の加護を受けて平将門と戦ったことから、千葉家では代々守護神として、御本霊を千葉城内に、御分霊をここ妙見社に祀ってきました。

御本霊がこの地に遷座したのは、大治元年の千葉常重公の時のことです。

その後、源頼朝公や徳川家康公など武家の崇敬も集めてきました。

現在の社殿は平成2年の造営と新しく、他に類を見ない重層構造になっています。

先ほど訪れた千葉城の鬼門の方角には、北斗七星の形に塚が置かれ、それは平将門の7人の影武者の首塚であると言い伝えられているそうです。

北極星にあたる千葉城内の妙見社と、北斗七星にあたる七天王塚の位置関係を調べてみるのも面白いかも知れません。

境内の摂社、千葉天神の祈祷殿は、平成2年の新造営まで千葉神社の本殿だった社殿です。


ここを今回の目的地の最後として、東京へ向かったのですが、駅までの距離がつかめず、また長時間歩いてしまいました。

へろへろになりながらも会合に参加し、旅の話などもしながら有意義に過ごすことができました。

今回の旅では、当初の計画の半分ほどしか回ることができませんでしたが、体力は普段の10倍くらい消耗してしました。

次は体調を万全に整え、今回訪れることのできなかった所へ行きたいと思います。

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最終更新:2008年12月14日 16:38
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