平成17年2月5日 鎌倉
過去の旅を振り返ることにしました。
特にこの鎌倉行きは、自分にとって転機となった重要な旅なので、記憶の糸をたどりながら記録に残したいと思います。
この頃はまだデジタルカメラを持っていなかったし、携帯電話のカメラもかなり性能の低いものだったので、画像が残っていないことが残念です。
某中学校で初めて担任を仰せつかり、間もなく1年を迎える厳寒の季節。
正規の職員ではなく臨時職員であったため、何やら契約の都合で、辞令の切れる期間が1週間生じてしまうことになりました。
その間は教師ではなくなるため、授業を行うことができません。
担任がいないことで学ぶことも多いだろうと結論を出し、1週間は完全に姿を消すことにしました。
しばらく来ないということは、前日まで秘密にしていたのですが、その日にはクラスの生徒たちとの間にちょっとした感動的な場面があったのでした。
それまで部活動の指導で休日もなかったため、やりたくてもできなかったことを、この機会に済ませることにしました。
そのうちのひとつは、大学時代に仲のよかった友人に会いに行き、近況を報告し合うことです。
新幹線で東京まで出て、それから鎌倉をめざしました。
まず相模国一之宮、鶴岡八幡宮に参拝。
ここは小さい頃に母に連れられて来た大事な場所で、鎌倉駅からまっすぐ続く参道など、おぼろな記憶が残っています。
社殿は改修工事のためにシートに覆われていました。
鶴岡八幡宮は源頼朝公ゆかりの神社ですが、創始は河内源氏の源頼義公にまで遡ります。
頼義公は前九年の役の戦勝祈願のために、京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請し、その後鎌倉に幕府を開いた頼朝公によって、現在の地に遷されました。
平家の天下を覆し、更に強大な武力を持つことによって国家の安寧を実現したのが頼朝公でした。
軍事の天才であった弟義経公が、その理想を理解できず、官位を賜って新たな構想の火種となったことは、日本史上の大きな悲劇のひとつでした。
頼朝公は情に薄いと現代人は思っていますが、異腹とは言え血を分けた兄弟を討つことは非常に苦しかったことだろうと思います。
古今東西、天下太平は悲しい犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならないのだと思います。
源氏による幕政は3代目実朝公の暗殺によって終わり、北条氏が実権を握ります。
その北条氏も、元の侵略軍を追い払ったことはよかったとして、後鳥羽上皇や後醍醐天皇を遠島に遷し奉る乱行を行ったり、賄賂が横行して民の生活を苦しめるなどして、全国で倒幕の烽火が上がります。
倒幕のために立ち上がったのが、次に訪れた鎌倉宮(大塔宮)の御祭神、大塔宮護良親王でした。
後醍醐天皇の皇子で、建武中興のために東奔西走、数多くの戦場を駆け巡った、皇族としては異色の人物です。
宮や忠臣たちの働きにより、鎌倉幕府は倒れるのですが、恩賞に与ることのできなかった武将たちの不平をうまく汲み取った足利尊氏によって、建武中興の理想はうたかたの夢と消えてしまいます。
宮は足利直義の策略によって捕えられ、土牢に幽閉されたあげく殺害されてしまいました。
社殿の後方には土牢が残されており、宮の御無念を慰めるために参拝者による捧げものが置かれています。
また、宮が身につけておられた御遺品などの展示も見ることができ、人並み外れたご立派な体格をしていたことが分かります。
鎌倉宮は、建武中興十五社にも数えられています。
帰りに荏柄天神社(三天神社)と源頼朝公墓所を参拝。
頼朝公の墓所は、初めて幕府を開いた偉大な権力者のものとは思えないほど、小ぢんまりとして粗末なものでした。
本来なら、政権を継いだ北条氏が立派な廟を建てるなどして丁重に祀るべきものですが、彼らは権力の簒奪者でしかなかったことをこの墓所から窺い知ることができます。
気づくと夕方になっていましたが、昼食をとっていなかったことに気づき、賛同の洒落たレストランで食事をしました。
そして東京の友人宅へ。
久しぶりの来訪を喜んでくれ、話は尽きませんでした。
平成17年2月6日 秩父三峰
この日の目的地は、秩父の三峰神社。
友人宅を出て、出身大学のある池袋から西武線で終点の秩父まで向います。
大学時代に所沢までは行ったことはあるのですが、それより先は初めての領域です。
駅を進むごとに、風景はどんどん寂しさを増します。
秩父駅で降りると、なぜか公用車から「旅立ちの日に」が流れているのが聞こえ、学校のことを思い出しました。
卒業式の歌だな…。
そこから更に、何時間かに1本しか運行していないバスに乗りました。
神社に着いたらお守りなどのおみやげを買うつもりでしたが、財布は空に近い状態。
行き当たりばったりの旅なので、バスの時刻は事前に確認していませんでした。
バス停の時刻表を見ると、間もなく貴重なバスが発車する時刻。
周辺でATMを探す時間はなく、とりあえず神社まで行けばあるだろうと高をくくっていました。
バスはどんどん冬の山奥へ入って行きます。
途中、交差点でもないのに信号機があり、かなり待たされてようやく青に。
なんと、車がすれ違うことのできないほど狭い道路なので、交互通行のための信号だったのです。
とんでもない場所に向かっているのだと、今更ながら気づきました。
バスはつづら折りの坂道を登り、ようやく駐車場らしき所に到着しました。
そこは、四方を雪山に囲まれた秘境でした。
まず、帰りのバスの時間を確認します。
帰れなくなっては大変ですし、実際にそうなってしまうことも無いとは限りません。
今乗って来たバスは、30分ほどで出てしまいますが、2時間ほど待てば次のバスが来ます。
それに乗って帰ることに決めました。
まずはATMを探すのですが、このような山奥にあろうとは考えられません。
お土産を買えば、帰りのバス代がなくなります。
せっかくここまで来ながら、お土産はあきらめざるを得ませんでした。
参拝を済ませ、周囲を散策することにしました。
境内には思ったより多くの参拝者の姿が見えましたが、少し離れると人の姿は見えなくなります。
動いていないロープウェイの乗り場は、ちょっとした公園になっていましたが、山賊が出てもおかしくないような雰囲気でした。
神社に戻ると、まだバスが来るまで時間があったので、温泉に入ることにしました。
温泉に入り、バスに乗ると、ちょうど財布が空になる計算です。
のんびりつかる湯は、心身ともにリラックスさせるに充分の憩いを味わわせてくれました。
三峰神社は秩父三社のひとつに数えられ、日本武尊が東国平定の際、碓氷峠に向われる途中で立ち寄られ、伊弉諾尊と伊弉册尊の国造りを偲んで創建したと伝えられています。
社殿には極彩色の彫刻がほどこされ、雪の白がその彩りをより鮮やかに見せてくれました。
雪のある冬こそが、この神社を訪れるには最もよい季節であると思います。
帰りも同じ道をバスで下り、1時間以上かけて秩父駅に着きました。
郵便局を探し、今更ながら軍資金を調達。
秩父神社を参拝したかったのですが、なかなか見つかりません。
レッドアロー号の時間が迫っていたので、秩父神社は次の楽しみとすることにしました。
平成17年2月7日 大宮
最終日も、大学時代に行きそびれた場所を目指しました。
この日は大宮に鎮座する武蔵国一之宮、氷川神社へ。
荒ぶる神である須佐之男命をはじめ、妻神である奇稲田姫命と息子神である大己貴命をお祀りしています。
この日はちょうど的(いくわの)神事の日に当たっており、参拝した時には弓矢で的を射る儀式が行われていました。
欅の参道をのんびり散歩し、帰路につきました。
最終更新:2009年07月29日 14:50