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平成21年8月21日~23日 沖縄へ

平成21年8月21日 勝連城


2度目の沖縄上陸です。

前回は時間の関係で訪れることのできなかった史跡をめぐり、沖縄の文化をより深く知りたいという気持ちで、今回は計画を立てました。

那覇空港に午後5時に到着し、別便で午前中に既に上陸していた友人と合流、まずは勝連に向けて車を発進させました。

世界遺産にも指定されている勝連城跡は、琉球国王に最後まで抵抗した勝連の按司、阿麻和利(あまわり)の居城跡です。

世界遺産に指定された沖縄の城の中でも、特に古い城であるとされます。

海を眺望できる場所でありながら、丘陵に築かれた山城のような姿をしており、特にその中心となる北城は3段の曲輪で構成されています。

最上部である一の曲輪には、瓦葺の建物やアーチ式の門があったと伝えられています。

また、守り神として玉ノミウヂ御嶽が祀られています。

ここで城主である阿麻和利は政務を行っていたのでしょう。

圧政によって住民を苦しめた前代に代わって10代目の城主となった阿麻和利は、人々から慕われ、日本やシナなど東アジアの国々との貿易によって富を築き上げました。

その勢力の強大化を恐れた第6代琉球王尚泰久は、娘の百度踏揚を嫁がせ、血縁関係を結んでの懐柔策に出ます。

1458年には、国王の重臣である中城城主の護佐丸を滅ぼし、勢いに乗って国王の居城である首里城を攻めますが、その戦いに敗れたことが原因となってついに滅びてしまいます。

国王の娘婿と重臣が戦ったという事実には、後世の研究によって浮上した不可解な点があるため、現在は護佐丸謀反説や阿麻和利悪者仕立て説などがあり、更なる研究成果が待たれます。

二の曲輪から一の曲輪に上る階段の手前には、勝連城の守護神を祀る洞窟がありました。

沖縄の万葉集とも呼ばれる『おもろさうし』には、勝連が奈良や京都のように栄えていたことが記されています。

また、阿麻和利を讃えるうたも多数残されており沖縄の人たちにとっては、琉球の歴代国王よりも、ある意味で身近な人物なのかも知れません。

この日の観光はここまでにして、まだ昼食もとっていない友人のために、少し早目の夕食にすることにしました。

向かった先は、金武にあるキングタコス金武本店。

途中、前回の沖縄旅行で訪れた普天間宮などの看板を見かけ、なんとなく地理感覚も身について来たような感覚になりました。

沖縄が好きで、年に何度も訪れている友人が一番勧めてくれたのが、このキングタコスのタコライスです。

料金表は1ドル=100円で書かれており、円高の今は米軍兵は得だ・損だと、変な話で盛り上がってしまいました。

座席の数は少なく、店内には目立った装飾などもなく地味で、お冷はセルフサービス。

しかし、タコライスの盛りつけ量は半端ではありません。

普通盛りで、二人前は充分にあります。

車を停めた場所に近い広場には、タコライス発祥の地の看板がありました。

それによると、米軍兵向けに軽食を出していた新開地の小さな飲食店が、80年代の円高時代に客が減少してしまったため、安くてボリュームのあるメニューとして出してみたところ、大ヒットしたのが始まりなのだそうです。

中米生まれで、米軍を経由して沖縄に入ったタコスを、ご飯と合わせるという大胆な発想は、沖縄人ならではかも知れません。

平成21年8月22日① 琉球村


翌日は、友人の勧めでシュノーケリングに初挑戦することになっていました。

予約できた時間帯が昼過ぎだったので、午前中は近くにある琉球村を見学することにしました。

事前にホームページで調べたところ、10時から道ジュネーという沖縄風絵巻行列が見られるということで、時間に間に合うように出発しました。

天気がよければ屋外で行われるのですが、その日は雨が降ったりやんだりの天気になってしまったので、屋根付きのちゃんぷるー劇場が会場となりました。

開演時間が近づき、お客さんも徐々に集まり始めます。

ステージで三線の演奏が始まり、旗頭を先頭に国王と王妃をはじめとする行列が登場しました。

耳の大きな弥勒(ミルク)が、幸せをもたらしてくれる団扇で見物客を仰いだり、五穀豊穣を祈る集団舞踊の臼太鼓(ウスデーク)が舞ったりと、いかにも沖縄らしい雰囲気が醸し出されています。

それらは壇上に座る国王夫妻に捧げられるのですが、この国王役が、如何にも偉そうに扇子をパタパタしている様子に、興ざめしてしまいました。

衣装も着ているので、暑いことは充分理解できますが、本来国王という者は暑さ寒さはもちろん、自我というものを超越して生きることを務めとする人なのです。

これを見た観光客が、琉球の王が町内会のおっさんレベルであったと勘違いしてしまうのではないかと危惧するところです。

白塗りの顔にちょんまげを結った、赤いふんどしのこっけいな人物が、大きな口笛を吹きながら登場します。

かつては旧盆に家々をまわって先祖供養の念仏をとなえた京太郎(チョンダラー)です。

そこに獅子舞が登場し、彼が投げた毬をみごとに口で受け止めるなど、観客を沸かせてくれました。

本来は毬を投げるのは別な役のようですが、流行のインフルエンザにでもかかってしまったのか、京太郎が代役を勤めていました。

この獅子舞は、シーサーと関係あるのでしょうか?

絵巻も終わりに近づき、京太郎が本来の仕事をする時が来ました。

三線の音楽に合わせ、太鼓を叩きながら勇壮に舞うエイサーです。

京太郎の口笛は、太鼓の音にも負けておらず、逆にエネルギーを与えているようでした。

自分としては、これが見たくて琉球村を訪れたようなものでした。

中学校の音楽で、民族音楽のひとつとして生徒に教えることになっているのですが、実物を聞いたことは今までに一度もありません。

エイサーも、もともとは先祖供養のための舞で、今も旧盆には沖縄全土でエイサー祭りが行われています。

琉球村にはたくさんの旧家が保存されており、また土産物も充実しています。

今回は友人の用足しのために、旧家などの見学まではできませんでした。

そしていよいよシュノーケリングの時間です。

恩納ビーチのシータイムという店で、友人が以前に利用してサービスがよかったというお勧めの店です。

天気は快晴になりました。

ウエットスーツを着て簡単に説明を受け、船でシュノーケリングの場所まで移動します。

救命胴衣も着用しているため、体は勝手に浮かんでしまいます。

ゴーグルをつけて海を覗くと、そこには熱帯魚とサンゴ礁の竜宮城が広がっていました。

それから観光ガイドなどでよく見る青の洞窟へ。

洞窟に入り、なるべく光が入らないように瞳孔を開かせて一瞬で振り返って見た洞窟内の海の水は、神秘的な深い青色をしていました。

昼過ぎの時間帯は比較的すいているということで、今回は幸運でした。

混んでいると身動きもとれないくらいになってしまうそうです。

平成21年8月22日② ぶくぶく茶


シュノーケリングを終え、宿泊地である那覇市内に入りました。

空はすでに薄暗く、観光に行く体力も残っていないので、前回の沖縄旅行で果たせなかったぶくぶく茶の体験に行くことに決めました。

観光マップなどでよく見かける嘉例山房は、首里城の龍潭公園の近くにあります。

閉店時間にぎりぎり間に合い、早速ぶくぶく茶を注文しました。

イメージしていたのは、抹茶のように泡立てたお茶を飲むものでした。

ただ、普通の抹茶より泡の量が多いだけだと思っていました。

しかし実際のぶくぶく茶は、抹茶とは全く違う飲み物かと思えるほど、特殊な飲み物なのでした。

まず泡を立てるための大鉢が登場。

中には、まるで薬草を煎じたような色の液体が入っています。

煎米茶・さんぴん茶・山原茶を煮込んだ液体であるとのこと。

それを茶筅でシャカシャカと混ぜると、白い泡が現れて来るのです。

しばらく泡立てたら、5分ほど放置してくださいと言われました。

言われたとおりに放置すると、泡が少しずつ固まって来ました。

それをそのまま飲むのではなく、飲むために別に用意されたお茶に、泡だけ乗せて味わうのです。

泡の上にピーナッツと黒糖を砕いた粉をかければ、甘い味つけになります。

泡を食べながら、時々下のお茶を飲む。

そうやって味わうのがぶくぶく茶なのだということです。

泡がなくなれば、また大鉢で立てて乗せればよいのです。

閉店間際で他のお客さんの姿が消えたので、店主のおばさんにぶくぶく茶についていろいろ質問してみました。

ぶくぶく茶には、現在、家元がひとつだけ現存しているそうですが、それは戦後復原されたもので、先の大戦によって一度は文化が断絶してしまったとのことです。

ぶくぶく茶に添えられているお菓子が美味しかったので聞いてみると、それはチンビンというお菓子で、沖縄では各家庭で日常的に作られているお菓子なのだそうです。

国際通りにある市場や、デパートなどで売っているというので、探しに行くことにしました。

国際通りに出ると、残念ながら市場は終わってしまっていました。

近くの店で情報収集すると、リウボウというデパートの地下で売っているとのこと。

こちらは国際通りの入り口にあるのですが、行ってみるとやはりすでに閉店。

チンビンは翌日のお楽しみとして残しておき、夕食をとることにしました。

嘉例山房のおばさんから、イカスミ汁という沖縄料理があると聞いていたので、それを置いている店を探します。

国際通りから横道にちょっと入った所にある居酒屋に、イカスミ汁とかかれた看板を発見。

入って注文してみると、想像していたよりもかなり大量の汁が出て来ました。

真っ黒なスープにイカの身などの具が入って、ふつうのうどんくらいの量がありました。

平成21年8月23日 那覇


翌日、まずは宿泊したホテルからほど近い安里八幡宮に参拝。

安里は「あざと」と読みます。

琉球八社のうちで唯一の八幡様で、応神天皇・玉依姫・神功皇后をお祀りします。

第一尚氏王統最後の国王である尚德王が鬼界島出兵に船で赴く途中、船縁に浮いている浮き鐘がなかなか取れないのに対し、帰国後に八幡神を祀る誓いを立てたところ、手に入れることができたということです。

誓い通りに八幡社を建て、その浮き鐘を奉納したのが、この安里八幡宮です。

幼稚園とアパート風の社務所が隣接していますが、神職の方は不在でした。

次に旧海軍司令部壕に向かいました。

昭和19年に海軍設営隊によって掘られた司令部壕で、米軍の艦砲射撃にも耐えられるように作られました。

戦後しばらく放置されていましたが、数度の遺骨収集を経て、司令官室を中心に復元されて公開されています。

米軍が首里を占領したのが昭和20年5月13日。

火炎放射器による日本兵焼殺という、前代未聞の非道な虐殺が繰り返される中、司令官である太田實中将が最後にできることは、いつかこの戦いが終わり、祖国が復興を果たした際、本土を守る第一の盾として戦った沖縄県民の犠牲に報いることを疎かにしないよう、政府に訴えることでした。

海軍次官に宛てて送信された電報は、沖縄県民の献身的な防衛協力の様子と、焦土と化した沖縄の現状を伝え、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結ばれています。

6月13日、司令官室の壁に辞世を書き記し、太田實中将は拳銃によって自決するのでした。


大君の御はたのもとに死してこそ
人と生まれし甲斐ぞありけり


最後に首里城に近い玉陵を訪れました。

世界遺産にも登録されている、第二尚氏王統の陵墓です。

3室に構成された石造りの陵墓で、中室は洗骨前の遺体を安置する部屋、東室は洗骨後の王と王妃の墓室、西室はその他限られた王族の墓室だったとのことです。

琉球では死者の埋葬方法として、本土とは違う洗骨という風習がありました。

いったん土葬や風葬した遺体を、海水や酒などによって洗い、改めて埋葬するもので、その作業に当たるのは親族の女性であることがほとんどだったようです。

昭和9年に行われた、王家の末裔である尚典候の洗骨の様子が、詳しく残されています。

洗骨をするための中室には、なぜか一体の遺体が安置されています。

かつて王に仕えていた易者、木田大時の遺体ではないかと言われています。

大時という最高級の称号を与えられるほど実力を発揮していた木田ですが、他の易者からねたまれ、その実力を証明するために公開の霊視(?)を行うよう王から命じられました。

中にネズミを入れて、外からはみえないように蓋をした箱を用意し、ネズミの数を知らない木田に、その数を問うというお試しです。

準備された箱には1匹のネズミが入れられましたが、木田は3匹と答えてしまい、刑場に送られてしまったのです。

しかし、その後蓋を開けてみると、ネズミは子を産んでいて、3匹に増えていたのでした。

王は急いで処刑の中止を命じますが、時すでに遅し。

木田はすでにこの世の人ではなくなっていました。

木田の死を嘆いた王は、彼を特別に玉陵に祀ることにし、中室にその遺体を安置したのだそうです。

観光を終え、最後の食事は国際通りでとることにしました。

ついでにリウボウの地下に寄り、フライパンで焼いているチンビンを発見。

ほんのり甘く、もちもちした食感で、しかも焼き立てなのでホクホクです。

チンビンは黒糖と同じ濃い茶色ですが、同じ形で白い色をしたポーポーという食べ物も売っていました。

こちらは肉や野菜が入っているそうです。

今回は、観光できた場所は前回より少なかったものの、食文化を堪能することができました。
最終更新:2009年09月12日 22:52
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