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平成18年9月2日~5日 台湾へ

平成18年9月2日


夜中の11時にF先生の車で成田空港に向けて出発しました。

途中何度か休憩を挟み、朝の5時過ぎには成田に到着。そのまま集合時間を待ちました。

7時頃になると、メンバーらしい人たちが集まり始めました。

どのような参加者がいるのかはもちろん、人数もまだ知らされていませんでした。ただ、友の会のバッジを襟につけておられる方などは一目でメンバーだと分かるので、失礼のないように確認をとり、4日間よろしくお願いしますなどと挨拶を交わしました。

集合時間の7時40分には、全てのメンバーが到着していました。

そこで初めて名簿が配られ、総勢40名を超える一行であることが分かりました。ほとんどは男性で女性は少数でしたが、年代は大学生からご高齢の方まで幅広く、ただの旅行集団でないことは外から見ても分かるようでした。

航空券を受け取り、出国手続きを済ませ、ちょっとした飲み物などを買って機内へ。

離陸まで1時間近くあり、そのまま眠ってしまいました。

ふと目が覚めると、どうやらまだ空を飛んではいないようです。かなり眠ったような感覚だったので不思議に思いましたが、時計を持っていなかったので、特に確認もせず離陸を待ちました。

後から聞いたところでは、機械にトラブルがあって、1時間ほど離陸が遅れたのだそうです。

そんなこんなで現地時間の正午過ぎ、無事に台北に到着しました。

我々を待っていたのは、とても色彩豊かなデザインのバスでした。

そこから1時間以上かけて、滞在する渇望学習センターへ向かいました。

台湾では車は右側通行です。単車が非常に多いこととどの車もスリリングな運転をすることで有名です。

バスの車窓から見える風景は、日本にはない雑然さと情緒を併せ持ったものでした。お寺のような建物も、日本に比べると派手なのですが、台湾の気候にはその方が合っていると思いました。

渇望学習センターは山の中のリゾート地にありました。

想像していたよりも新しく、清潔感のある建物でした。

部屋には時計以外、必要な物はほとんどそろっていました。

15時半から始業式。李登輝学校教頭の黄昆輝先生から歓迎のお言葉をいただきました。

また、李登輝先生を迎えるための歌の練習をしました。この歌の歌詞については、最終日の日記に書きます。

引き続き16時から課程1、黄昭堂先生による「台湾と日本の安全保障」という講演です。

安全保障というのは、当然のことながらそこに暮らす人々の生命と財産を守ることです。

台湾という国は、歴史上強力な中央集権政府を築いたことがありません。ですから、大陸や他の国による侵攻と支配を何度も経験しています。

オランダ統治時代:
オランダ(東インド会社)による台湾島南部制圧(1624年)から
鄭成功の拠点時代:
満州勢力に追われた鄭成功(1662年)
清朝による統治時代:
清軍による軍事征伐(1683年)、地方行政機関を設置
日本による統治時代:
下関条約(1895年)で日本に割譲、台湾総督府による統治
国民党統治時代:
日本の敗戦(1945年)により、中華民国へ接収。中国国民党政府の亡命(1949年)

その後、李登輝総統(当時)による民主化政策で国民党の統治形態は終ったかに見えますが、現在は中華人民共和国が「ひとつの中国」を合言葉に、台湾の吸収を目論んでいます。

台湾国民の自由は、確固たる独立がない限り再び失われてしまうことでしょう。

そうならないために、黄先生は“アイデンティティ”の重要性を何度も繰り返しておりました。

ただ、その“アイデンティティ”の拠り所を李登輝前総統というカリスマ的な人物に求めるのか、日本による高度な近代化教育を受けた結果の経済繁栄に求めるのか、はたまた神話や歴史に求めるのか、その説明がなかったのが物足りないところでした。

ただ、日本に対する期待がかなり大きいことはよく伝わって来ました。

18時からは夕食。こちらも見事に期待を裏切ってくれました。料理の品数から量まで、日本ではなかなか見られない豪華さなのです。おまけに味も文句なし。サツマイモの葉っぱを炒めた料理など、いくら食べても飽きないほどでした。

少々休んで19時半から交歓会。酒や料理のない、真面目な懇親会でした。

ここでそれぞれが簡単な自己紹介を行いました。住んでいる所も様々で、台湾に住んで仕事をしている方も参加していました。

懇親会用にとF先生の配慮で仙台から地酒を用意しましたが、ここでは披露できるような雰囲気ではありません。

ざっくばらんな懇親会はないのかとがっかりしましたが、やはりそのようなことはありませんでした。有志が仲間を募って、楽しい宴会を行いました。

仙台の地酒はかなり喜んでもらえたようで、準備した一升瓶2本はすぐに空になってしまいました。

平成18年9月3日


起床は7時。ですが、日本時間では8時です。ゆっくり寝ることができたような感覚でした。

朝食もまた豪華でした。サツマイモ(?)の入ったお粥が、淡白で素朴ですがとても美味しいのです。日本食風の煮物や揚げ物などもあり、野菜も充実しています。そしてほんのり甘い豆乳が、更に食欲を引き出します。

2日目の講義は4つ。ほとんどイスに座っているだけなので、運動不足で体重がどんどん増えそうですが、料理の誘惑には抵抗できませんでした。

9時から張炎憲先生による「李登輝先生と台湾の民主化」の講義。
日本文化:
鈴木大拙「禅と日本文化」、西田幾多郎「善の研究」、新渡戸稲造「武士道」、死生観、克己
キリスト教信仰:
長老派教会
成長の時代:
日本植民地時代(台北高等学校→京都帝国大学農業経済学)
国民党統治時代(228事件、白色テロ、学者生活→台北市市長、台湾省主席、副総統)
12年間の総統時代
退任後
台湾の民主化:
日本統治時代(台湾人の政治社会運動)
国民党統治時代(台湾人の反国民党政治運動)
1990年代の民主改革(憲法改正、直接民選)
台湾正名と国家:
正名、制憲、国民投票

台湾の民主化には3段階あるが、その最初の段階は日本による統治時代ということです。

他国に統治される“植民地”は、搾取される一方というのが世界の原則なのですが、日本の統治だけはそうではなかったのです。

またまた豪華な昼食をはさみ、呉密察先生による「台湾の歴史を知る」の講義。

第二次世界大戦が終結してから、台湾には何度か自主独立の宣言をするチャンスがあるように思えました。そのことを質問してみましたが、あまり関係のない答えが返って来ました。少々残念に思いました。

少し休憩して、林明徳先生による「台湾主体性の追求」の講義。

現在の台湾では、論文で使う言葉によって合格や卒業の判定に大いに関わるという「言論弾圧」が、今でも続いているという悲しい事実があるそうです。

たとえば「日清戦争」を「甲午戦争」、「日治時期」を「日抗時期」と呼ばないと、大学へ入学できないということなのです。

そのように呼ばせるのは、大陸から渡って来た外省人なのだそうです。

台湾主体性追求の歴史:
台湾人は漢民族ではない
台湾は中国の一部にあらず
アイデンティティの形成
日本植民統治の評価
台湾主体性追求の理論と実践:
新台湾総督の支配体制
対外関係と国際地位(カイロ宣言とポツダム宣言、サンフランシスコ条約、台湾と日米関係)
台湾主体性追求の課題
「正名」と「制憲」

ここで夕食。実はある理由があって、たくさんの料理を今回は遠慮して食べました。

そしてこの日最後の講義は、張良沢先生による「台湾文化と文学の認識」

ここで思わず出た伊澤修二の名前に驚きました。

「小学唱歌集」をはじめとする唱歌教科書の編集を指揮した伊澤については、少しは勉強しておりました。ただ、彼が台湾にて総督府の学務部長を務めていたという事実については、まだ何も調べていませんでした。

台湾近代文学を代表する3人の作家は、「新聞配達夫」の楊逵、「牛車」の呂赫若、「パパイヤのある街」の龍瑛宗とのこと。

そのうちの呂赫若は、音楽大学で音楽も勉強し、国民党政府を倒すための運動の途中で亡くなったという伝説の人物です。これから少しずつ、彼について調べて行きたいと思いました。

ここで永い缶詰状態の一日が終わり、各々自分の体調と相談しながら、或いは懇親会場へ、或いは自分の部屋へ向かいました。人一倍元気なF先生と人一倍元気を装う私は、あらかじめ呼んでおいたタクシーに乗り込み、台北へ向かいました。

日曜夜の高速道路は、かなり渋滞していました。

そんな車の流れを無理やり縫って、タクシーは先生のお友達との待ち合わせ場所に到着しました。その方は先生の高校時代の同級生で、今は台北市内で自営業を営んでいるとのことです。とても気さくな方で、台湾人の明るさに完全に染まっているような印象でした。

台北市内を案内され、屋台の並ぶ市場のようなところへ行きました。祭の夜店などであるような射撃ゲーム、また食べ物を出す店がごちゃ混ぜに並んでおります。日本のゲームセンターのようなものでしょうか。

もう夜遅い時間なのに、通りはまるで観光シーズンの賑わいです。

歩いていて目に付いたのが「臭豆腐」

そういえばこの一画立ち入ってから、いままで記憶にないような臭いが漂っているのです。

この看板の文字が意味するものが、きっとその正体であるのだと思いました。

店に入って注文すると、出ました。この豆腐、本当にクサイのです。おまけに辛い。一切れ食べるので精一杯でした。

さて、ひととおり繁華街を歩き、明日もあることなのでタクシーを停めて帰ろうとするのですが、どのタクシーの運転手に訊いてもも「渇望学習センター」の名前も場所もわからない様子。

どうせ翌日は台北市内で野外研修なので、このまま市内のホテルに泊まってもよさそうなものですが、やはり迷惑はかけられません。

方向だけ知っているタクシーの運転手を説得し、車を走らせました。

途中何回コンビニに寄ったことか。どうにかセンターに到着することができました。

大変な“夜間学校”でしたが、やはり机の上だけでは分からないのが本当の学問です。

そういう意味で、現地の活力ある雰囲気に触れることができたのは、とても貴重な体験でした。

平成18年9月4日


空港からセンターまで移動時に乗ったあの派手なバスに乗り、研修団一行は野外研修に出発しました。

出発前に注意がありました。台湾では現総統である陳水扁氏の罷免を求めるデモ活動が起っており、これから行く総統府の周辺は混乱が予想されると言うのです。

参加者のほとんどはアルバイト料を受けて参加している人たちですが、集団的ヒステリーになっていると思わぬトラブルも考えられるので、様子を見ながら移動するとのことでした。

バスはまず、その問題の総統府へ向かいました。

総統府はかつて日本統治時代、総督府と呼ばれた建物で、日本人建築家によって設計されました。上から見ると“日”の字を横にしたような構造になっています。

総統府の裏でバスを降りました。デモ集団の姿は見えません。裏の観光客用入口を警備をするのは軍人でした。機関銃を持っています。(カメラを含めた)荷物の持ち込みは許されず、パスポートを提示した後、空港と同じような身体チェックを受けました。

総統府のガイドをしてくれたのは、日系台湾人の方でした。最初の自己紹介の際、ビルマに従軍した時の古い写真を見せてくれました。

ガイドの最後に教育勅語を奉読した姿が印象的でした。

見学を終えて外に出、正面の方へ向かいました。やはりデモ隊の姿は見えません。

後から聞いたのですが、天気予報が雨なので、この日のデモは中止したとのことです。雨ごときで中止するようでは、仮に独裁政権に対するデモなどできっこないでしょう。

民主政体の下で単なるパフォーマンスをしているに過ぎないのですね。

徒歩で台湾博物館に向かいました。

博物館は定休日だったのですが、ここでこれからバスガイドをして下さる方と合流しました。
バスで昼食会場へ向かいました。

昼食は鼎泰豊。行列ができていましたが、観光客は優先的に入れてくれるとのことでした。

研修団はもちろん予約していたはずなので、40人の集団がバラバラにならないように席を用意してありました。

ここの餃子は、口に入れて噛んだ瞬間に口の中に肉汁が広がる絶品でした。

ふと外を見ると雨。デモ隊の予想は当たったようです。亜熱帯の雨は、バケツをひっくり返したような激しさでした。

少し自由時間ができたので、F先生と近くの喫茶店で雨をやり過ごしました。研修団の多くの仲間も、雨しのぎにやって来ました。普通の喫茶店なのですが、一杯のコーヒーの量が多いのです。普通の2杯分はあるでしょうか。これが台湾流なのでしょう。

集合時間には雨はだいぶ小降りになりました。バスに乗って移動を再開しました。

次に降りたのは、台湾師範大学。日本統治時代の高等学校です。説明はよく分からなかったのですが、李登輝前総統も学んだ学校ではないのでしょうか。

そしてバスは最後の目的地に向けて出発しました。

ここも、日本統治時代に作られたものだそうです。

周辺の風景も、まさに桃源郷と言える美しさです。川で泳いでいる人の姿も見えました。

これで野外研修は終わり、バスは渇望学習センターへ戻りました。

夕食をとり、黄天麟先生と黄昭堂先生による「台湾経済簡史」の講義を受けました。

  • 中国経済の急速な発展と、アジア各国の中国傾斜
  • ただのバブル後遺症ではない、円高が日本経済を窒息させた
  • 東南アジアの金融危機を惹き起こしたのは中国、最大の被害国は日本
  • 環太平洋経済圏の確立こそがアジア繁栄の元
  • 日本経済の立ち直りは円高を防ぐことから始まる

これで3日目の日程は全て終了です。

残りの予定はいよいよ最終日、李登輝先生ご本人の講演のみとなりました。

平成18年9月5日


いよいよ最終日となりました。

朝は早めに起床し、F先生とセンター周辺の散策をしました。

朝食を終え、チェックアウトをして少し早めにロビーに出ました。李登輝先生の到着をお迎えすることができるのではと考えたのです。

警備やマスコミ関係者などが多く、これまで3日間では考えられなかった騒々しさがありました。

講義の約30分前、周辺を一瞬の緊張が支配すると、正面玄関から李登輝先生が入って来られました。その場にいた研修団の参加者が、大きな声で「おはようございます」と挨拶を申し上げると、先生は片手を挙げて答えて下さいました。

警察による持ち物検査を受けて講義室に入ると、いつもはいなかったテレビカメラが、部屋の後方で構えております。

集中して講義を受けられるか、少し心配になりました。

李登輝先生による特別講義「日本の教育と私」が始まりました。先生の存在感に圧倒されて、録音スイッチを押すのをしばらく忘れてしまいました。

  • 新政権(安倍内閣)に期待する教育改革(基本法改正)
  • 安倍官房長官はイギリスのサッチャー首相による教育改革を研究
  • 自国に誇りを持たない若者の増加(ゆとり教育→学力低下→モラル低下)
  • かつて私が受けた、品格と価値を重んじる日本の教育
  • 台湾に生まれた悲哀(政府を持たず、国に尽くすこともできなかった)
  • 台北高校でのエリート教育(芸術や教養に触れる)
  • 影響を受けた言葉「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(『論語』先進)、「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』)、「無位真人」(西田幾多郎)、「則天去私」(夏目漱石)
  • 人間は生きている間に何をするか(身体は有限、魂は無限)→身体を越える魂=精神の転換
  • 伝統(土壌)と進歩(樹木)、二者択一は愚の骨頂
  • 日本文化とは高い精神性(武士道精神が庶民に浸透)
  • 美を貴ぶ心(『国家の品格』に書かれた“情緒”と“形”)
  • 奥の細道めぐりへの期待
  • 前回の訪日での所感(戦後の経済復興、日本文化の伝統、サービス精神)
  • 戦後60年は日本にとって忍耐の歴史→自信回復、アジアの一員としての自覚
  • 武士道精神は民主主義に通じる(“公”のため、国民の声を聞き、国民のために働く)
  • 口だけではなく実践すること
  • 生と死は裏表(自我を捨てる→肯定的な生→神に頼る)
  • 信仰とはただ信じ、実践すること(私は私を越える)

一時間半の講演は、時間を感じさせないものでした。

ただ残念だったのが、マスコミの連中が場の空気を読めず、携帯電話を鳴らすは仲間とごちゃごちゃ喋るは、平気で部屋の出入りをするは、非常にマナーの悪かったことです。

薄汚い服装をしているのは日本と共通していますが、さすがに日本の取材はここまでひどくはありません。

こちらはきちんとお金を払い、本気で勉強するために講義を受けているのですから、規制されてから改めるのではなく、最低限のマナーをわきまえてほしいと思いました(マスコミはほとんどが外省人なのだそうです)。

その後、李登輝先生との集団写真撮影があり、4日間のまとめである終業式が行われました。

終業式に先立ち、李登輝先生の業績を讃える台湾語の歌を全員で斉唱しました。

「阿輝伯仔」(輝おじさん:日本語訳)
阿輝おじさん、阿輝おじさん、沢山の靴を履き潰し
一歩一歩、一歩一歩、台湾の大地を隈なく歩く
阿輝おじさん、阿輝おじさん、沢山のことに心を砕き
一心一念、一心一念、すべては台湾の社会のため
台湾の十字架を身に背負い、誤解を受けても怨まない
水牛となって台湾を耕し、誠の心でとことんやる
阿輝おじさん、阿輝おじさん、沢山の靴を履き潰し
一歩一歩、一歩一歩、台湾の大地を隈なく歩く

校長である李登輝先生が終業の挨拶をされた後、団員一人一人が李登輝先生ご本人から終業證書を手渡され、握手をしていただくという光栄に浴することができました。

李登輝学校に通う台湾人は、9日間の研修を経て證書を受けるのだそうです。

最後に李登輝先生を囲んでの終業昼食会が開かれました。

料理にはびっくりさせられ続けましたが、最後はカラスミやナマコ、珍しい種々の果物など珍味が並ぶ、最上級のもてなしでした。

レストランの隣では、学生の団体が食事会のために集まっていましたが、李登輝先生を見て誰もが驚いていました。携帯電話のカメラで撮影する姿は、日本人とほとんど変わりありません。

いよいよ先生がご退席となった時、研修団の拍手にも負けないほどの喊声がそちらの集団からも上がりました。それは、単に有名人を見たというものではなく、尊敬と敬愛の念が込もっているように感じられました。

このとき、私の中で台湾とその国民への愛情は頂点に達しました。

李登輝学校の教頭先生からは、参加者全員にパインクッキーがお土産として手渡されました。

また個人的に、台湾の音楽と故事に関する本をプレゼントされました。ありがとうございました。

空港の書店では残念ながら神話の本は手に入りませんでしたが、十二支の置物を買いました。今年は戌年なので、記念として「狗」を選びました。

飛行機は往きと違い、定刻通りに出発しました。そして成田から車で仙台に向かい、ようやく到着したのは朝に近い3時でした。

台湾が、名前だけではなく完全にひとつの国として独立するのかどうか、それはそこに住む人たちが主体的に判断すべき問題です。

日本としては、いつでも独立国「台湾」を国際社会の一員として受け容れる準備ができています。(ならず者国家などではなく)文化国家「台湾」との国交正常化こそ、これからの地域の安定と経済の発展につながるのではないでしょうか。

今回最もお世話になったF先生、研修団の皆さん、そして台湾でいろいろなことを教えて下さった先生方、本当にありがとうございました。

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最終更新:2008年07月09日 22:01
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