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承応3年(1654年)には玉川上水が完成し、世界有数の100万都市江戸の人々の暮らしを支えた。 多摩川の羽村の堰で取水された水が、江戸中央部へと給水を行い、神田上水は、小石川地区から神田川以南の日本橋、京橋、大手町地区に供水していた。 また、本所、青山、千川、三田の4上水が整備され江戸周辺へと給水された。 玉川上水は江戸の飲料水の貴重な水源だったが、1722年(享保7年)以降の新田開発によって多くの分水が開削され武蔵野の農地へも水を供給し農業生産にも大いに貢献していった。 こうして作られた上水道も明治の時代に入ると、水質悪化などの問題が発生し、浄水施設を持つ近代水道の必要性が求められ、明治26年に工事着工。32年に改良水道工事が完成。 神田上水は、明治34年6月30日にその使命を終えた。
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