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962 :軽音部員♪:2011/05/21(土) 00:38:49 ID:FkBWMvIg0
 律に元気が無い。
それだけで、梓は部活の雰囲気が暗くなったような気がした。
律は唯と共に、部活のムードメーカーの双輪を為している。
唯も一人では戯れる気になれないのか、心配そうな視線を律に向けて言った。
「りっちゃん、大丈夫?元気無さそうだけど」
「んー、ちょっと風邪っぽくって。
朝はここまでじゃ無かったんだけど、昼過ぎ辺りから急にキちゃって」
 唯に言葉を返した後で、律は溜息を吐いて独り言のように付け加えた。
「無理した心算無かったけど、学校休んだ方が良かったなぁ」
「そうね、お昼過ぎた辺りからりっちゃん元気無くなったわ。
油断して悪化したのかも。
今は大事を取って、帰って休んだ方がいいと思うけど」
「そうだな。悪いけど、早退していいか?」
 律は紬の提案を素直に受け入れて、梓達に向けて問いかけてきた。
「うん、後は私達でやっとくから。
りっちゃんは帰って休むべきだと思うよ」
 応ずる唯の言葉に続くように、梓は首肯で返す。
提案した紬も当然のように首を縦に振っていた。
 だが澪は別の意見を唱えた。
「それはいいんだけど、一人で帰って大丈夫か?
部活そのものを中止にするか……或いは私が一緒に帰るよ」
 梓は弾かれたように律を見やった。
唯や紬の視線も、律に向けられる。
(言われてみれば、律先輩の顔色、相当悪いし。
一人で帰らせるの、確かに心配だな。
……そして私は、その事を澪先輩が言うまで気付けなかった)
 律が帰宅する際のフォローにまで思い至れなかった悔しさが、梓の胸で疼く。
他の誰よりも深く律を見ていると思っていただけに、
その悔しさは尋常では無い痛みを伴って梓を嬲った。
「いや、大袈裟だって。
私は大丈夫だからさ、部活やっててよ」
 澪の提案を笑いながら断ると、律はバッグを持って立ち上がった。
「りっちゃん、本当に一人で大丈夫?」
 心配そうな声で問う唯の懸念は、梓にも理解できた。
律は表情こそ笑顔だが、額には小粒の汗が浮かんでいる。
加えて断続的に紡がれる荒い吐息にも、彼女の辛さが表れていた。
「律先輩、ここは無理せず私達と帰った方が……」
 梓は”私達”という言葉を使って、自分も共に帰る意を示した。
(でも、どうして私まで一緒に帰ろうとしているんだろ。
澪先輩一人で充分なのに。
先に律先輩の帰宅のフォローを申し出た澪先輩に対する対抗心?
それとも、律先輩と二人っきりで帰らせたくないから?)
 その考えを振り払うように、拳を強く握り締めた。
(私の馬鹿。澪先輩と張り合う心算なんて無いもん。
律先輩が心配だから、風邪を引いてる時くらい力になりたいから、
きっとそういう理由からだよ。
嫉妬心みたいな邪な感情、欠片も抱いて無いもん)
 自分に言い聞かせるように、胸中呟く。
その胸に沸々と滾る嫉妬心を、無理矢理抑え込むように。
 律は笑顔を崩さず、歩き始めながら言った。
「ホント、大丈夫だからさ」
 その言に違うように、足が縺れて律の身体のバランスが崩れた。
(倒れるっ)
 律の身体が傾いていく様が、梓の瞳に映し出されていた。
そして大切な存在が床に叩きつけられ、粉々に割れる映像が梓の脳裏に過ぎる。
その想像が恐怖を齎し、身体を硬直させた。

964 :軽音部員♪:2011/05/21(土) 00:40:34 ID:FkBWMvIg0
 だが、律の身体は床に激突する事は無かった。
寄り添うように律の身体を支えた澪によって、転倒が回避されたのだ。
澪の落ち着いた動作を見るに、律の転倒を予想していたのだろう。
(私、何もできなかった。見ているだけしか……。
本当に私、律先輩の役に立ってるのかな……。
それに、律先輩が転びかける事さえ予想できなかったよ。
澪先輩はそれが予想できるくらいに、ちゃんと観察していたんだ。
だから予め側に寄り添っていたんだ。
私、一番律先輩の事見てるって思ってたのに。自惚れだったのかな)
 梓は安堵の息を漏らしつつも、心情は複雑だった。
「さ、さんきゅ、澪」
「これで分かっただろ?一人で帰るのは危険だよ」
 窘めるように口にする澪に対し、律は素直に肯いた。
流石に失態を演じた直後とあって、拒絶は憚られたのだろう。
「そうだな。手間かけさせて悪いけど、甘える事にするよ」
「そうと決まれば話は早いな。
でもお前、歩くのも辛いだろ?運んでやるよ」
 律は怪訝そうに眉根を寄せた。
「運ぶって?」
「抱えてやるって事」
 澪は言うや否や、律の腋に背中から左腕を回した。
余った右腕で律の両膝の裏側を支えて、軽々と持ち上げた。
「おまっ」
 途端、律の頬が熱気を帯びるように朱で彩られた。
それが風邪によるものでは無く羞恥によるものである事くらい、
梓とて分かっている。
分かっているからこそ、梓は不機嫌になった。
(私の律先輩をお姫様抱っこするなんて……)
 そして勿論、その姿勢も気に入らない。
「みぃおー、コレ恥ずかしいって。こんなんで外出たら……」
 律は羞恥を言葉でも訴えていた。
それに加勢するように、梓も言葉を重ねる。
「そ、そうですよ。ちょっと過激ですって」
「それもそうだな」
 二人の抗議を素直に受け入れて、
澪は律を優しい動作でソファに下ろした。
そして律に背を向けて屈み、首だけ振り向けて言った。
「じゃ、背負ってやるよ。ほら、おいで」
「いや、肩貸してくれれば大丈夫だよ」
「それで転倒は免れるだろうけど、歩くの辛いだろ?」
 律の顔色を見れば、歩行さえ苦痛が付き纏う事は梓にも予想できた。
だが、澪に加勢する気になれなかった。
律を誰かの背に預けたくないという、独占欲が加勢を妨げているのだ。
(でも……私の我侭な想いで律先輩を歩かせるのも気が引けるよ……)
 アンビバレンツな想いに胸を圧され、梓は口を開く事さえできない。
「りっちゃん、ここは素直に甘えておいたら?ね?」
 梓が黙りこくっているうちに、宥めるような口調で唯が言葉を放った。
「うー、じゃあ、今日だけ、甘えさせてもらうよ。
ごめんな、澪」
 律はそれ以上抗うことはせず、澪の背にその身を預けた。
「重かったら、無理せず言ってくれよ?」
 遠慮がちに言う律に対し、澪は気遣うように明朗な声で言葉を返した。
「嫌味か?軽くて羨ましいよ」


965 :軽音部員♪:2011/05/21(土) 00:42:32 ID:FkBWMvIg0
 実際に、律を背負った澪の動作に無理は感じられなかった。
その様を眺めていた梓はある事に気付き、抗議の声を上げそうになる。
(あ、律先輩の胸が澪先輩の背中に当たってる……)
 込み上げてきた抗議の声を、梓はどうにか抑え込む。
(私じゃ律先輩を持ち上げたり背負ったりして家まで送る力も無いのに、
抗議するなんておかしいよね。
にも関わらず、さっき抗議してるんだ。
その抗議を受け入れて今の姿勢になったのに、更に抗議するなんて最早難癖だよ)
 そう自分に言い聞かせながら。
それでも表情を繕う余裕までは無く、
嫉むような視線を澪に注ぐ自分を制し切れなかった。
 その表情に気付いたのか、澪が気遣うような笑みを浮かべて話しかけてきた。
「梓、悪いけど律のバッグ持ってくれるか?」
「あ、はい」
 ほとんど反射的に返事をすると、
梓は言われたとおりに律の荷物を持った。
「ありがとな、梓。梓のお陰で助かったよ。
やっぱり律の事では梓に頼るのが一番だな」
 澪に続き、律も謝意を口にした。
「ありがと、梓」
「いえ、恐縮です」
 梓は頭を下げつつ、胸中で自身を窘めた。
(澪先輩、私の事を気遣って荷物持つよう頼んだんだよね……。
なのに私、そんな澪先輩睨んだりして)
 梓は自己嫌悪に陥りそうになりながら、澪に続いて教室を後にした。
唯や紬もその後に続いて来たが、
律の家に向かう道すがら、各々の家路へと繋がる岐路で別れた。
全員で出向くと逆に律の負担になりかねず、
ここは梓と澪に任せておく方が賢明だと判断したのだろう。
 唯や紬と別れた後で律に視線を向けると、
澪の背で穏やかな寝息を立てていた。
澪の長い髪の毛を枕代わりにでもするように、
頬を押し付けて安心しきったように眠っている。
(それで、唯先輩やムギ先輩に挨拶しなかったのか)
 二人と別れる際、律は一言も言葉を発さなかった。
その原因を理解すると共に、安堵の浮かぶ律の寝顔に複雑な感情を抱いた。
(そこが律先輩にとって一番安心できる場所なのかな……。
私、律先輩の力になれないのかな)
 澪の後ろに付いて律の寝顔を眺めながら、
梓は切ない心情を抱えて歩いた。


966 :軽音部員♪:2011/05/21(土) 00:44:15 ID:FkBWMvIg0

*

 律の部屋に辿り着くと、
澪は律を慎重にベッドに横たえて布団を被せた。
その仕草に梓は、律を起こさないようにという配慮を感じた。
梓も律を起こさぬよう、持ってきた荷物を静かに床へと置く。
「ん、髪の跡、付いちゃったな」
 澪は律の頬を撫でながら言った。
「起きませんか?」
 澪の声は小さく、頬に触れる手の動きも柔らかで、
律が起きる心配が無い事は梓も理解している。
慎重に行われたとはいえ律をベッドに横たえる作業の方が、
まだ眠りを妨げるリスクが大きかったであろう。
梓はそれが分かっていながらも、
嫉妬に駆られ澪を咎めてしまった己を恥じた。
「大丈夫だと思うよ。ぐっすり眠ってるし」
 澪はそう言うと、梓に向き直って告げた。
「言いにくいんだけど、実は困った事になってて、さ。
今日は聡……律の弟が泊まり込みの学校行事に参加してるんだけど、
律のママ……母親もPTAからのお手伝いって事でそっちに参加してるんだ。
父親は泊まり込みの出張で居ない。
つまり、病身の律が一人って事になるんだけど、それは心配だ。
でも梓は家も遠いだろ?
言い難いんだけど、私が付き添っていようかと思う。
何もしないって約束するから、梓は安心して」
 梓はそれ以上言わせず、澪の唇に人差し指を立てて遮った。
「駄目です、私が付き添います。
私は律先輩のカノジョなんです。
だから、他の人と律先輩が一室で二人っきりになるなんて、到底看過できません。
澪先輩は律先輩と昔からの馴染みですが、それでも容認できないんです。
いえ、深い付き合いがあるからこそ、容認できないんです。
私が……私の律先輩を看病します」
 梓はそこまで言ってから、顔を伏せて言葉を続けた。
「ごめんなさい……生意気言ってしまって。
今日、私は何もできませんでした。
なのに律先輩を運んだ澪先輩に対して偉そうな事言う資格なんて、
あるはず無いんです。
それは分かっています。我侭だって言う自覚もあります。
でも……それでも……」
 言葉を重ねていくうちに、梓の視界は霞んでゆく。
続いて込み上げてきた嗚咽に、梓は言葉を奪われて声を途切れさせた。
「ごめんな、梓。私が空気読めなかったよ。
お前に任せる」
 声を詰まらせて涙に拉ぐ梓の頭頂部を、澪が優しく撫でてくれた。
「澪先輩……」
「でも、ちゃんと親御さんには連絡するんだぞ?
部活の先輩の家に泊まりますって。
もし親御さんが承諾しないようなら、私の名前出していいよ。
私からも説得するから。
あ、それと……もし律の容態が芳しく無いようなら、遠慮なく私に電話してくれ。
家も近いから駆けつけて力になるよ。
時間は気にしなくていい、深夜でも遠慮するなよ」
 澪の厚意に、梓は感謝の念を込めて頭を下げた。
同時に、澪に対して嫉妬の念を抱いていた自分を更に恥じた。
「ありがとうございます、澪先輩」
「そんな畏まらなくていいよ」
 梓がその声に押されて頭を上げると、澪が目元をハンカチで拭ってくれた。
「じゃ、律の事、頼んだぞ」
「はい、任せて下さい」
 澪は安心したように肯くと、
静かな動作でドアを開けて部屋を出ていった。
 部屋には梓と律の二人だけが残された。

976 :軽音部員♪:2011/05/22(日) 00:39:54 ID:vuov9CnE0

*

 眠っている律の表情を梓は飽く事無く眺めていた。
(黙って静かにしてると、愛くるしい顔立ちしてるんだな)
 熱によって薄らと紅潮した頬が、
その可愛らしさを引き立てるように映えている。
それでも梓は、普段の快活な律が好きだった。
「早く、元気になって下さいね」
 小さく呟いてから、立ち上がった。
(何時までも見守っていたいけど、それだけじゃ駄目。
ちゃんと看病らしい事しないとね。
……澪先輩と違って、私にできる事なんて限られてるけど)
 後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
梓は洗面所に入ると、ハンカチを取り出して水に浸した。
他人の家の設備を無断で使う事に抵抗はあったが、
看病の為と自分に言い聞かせた。
ハンカチを強く絞って水気を切ると、再び律の部屋へと向かう。
一人部屋に残した律への不安を表すように、その歩調は屋内に不似合いな速さだった。
 この僅かな間に律の容態が急変していないか、梓は案じながらドアを開ける。
律の顔色を伺い、変化の無い事を確認して梓は安堵の吐息を漏らした。
杞憂を齎す程までに、梓は律に対して深い想いを抱いている。
(吃驚して起きないといいけど……)
 梓は慎重に、律の額に先程のハンカチを畳んで載せた。
心なしか律の表情が和らいだ気がして、梓は笑みを浮かべる。
 しかし、すぐに梓の笑みは消えた。
自分にできる事の限界に気付いてしまったから。
(これ以上、私にできる事なんてないよ。
律先輩の家の何処に何があるのかまでは詳しく知らないし、
知っていたとしても勝手に救急箱とか開けるわけにもいかないし)
 梓は拳を握り締めた。
律が風邪で苦しんでいる時に、自分はもう見ている事しかできない。
その歯痒さだけなら、梓を嬲る無力感はここまで強く無かっただろう。
だが、部活の時も帰路の時も、梓は大して律の役に立てなかった。
フラッシュバックしたその記憶が梓を襲い、無力感を更に募らせているのだ。
「律先輩……私なんかで、本当に良かったんですか?」
 律を起こさないように──律に聞こえないように──小さく呟いた。
相手に伝わらない事を前提とした問いは、儀礼的な意味すら持たない。
もしそれでも何らかの反応が生じるとすれば、
それは問いを発した側に訪れる。
梓に訪れた反応は、落涙だった。
「えへへ……折角澪先輩に拭いて貰ったのに……」
 梓は制服の袖で目元を拭った。
明瞭さを取り戻した視野に、再び律の顔を収めて梓は呟く。
「例え……私なんかで良くなかったとしても、私を好きでいて下さい。
図々しいお願いだとは分かっています。
罰が必要なら受けますから……」
 当然、律からの答えは返って来ない。
穏やかな寝息が聞こえるだけだ。
梓もそれ以上は何も言わず、ただ律の顔を眺めて時を過ごした。
.


977 :軽音部員♪:2011/05/22(日) 00:41:54 ID:vuov9CnE0
.


 外が暗くなり始めた時、梓は律の額に載せられたハンカチを触った。
(やっぱり。大分乾いちゃってる)
 部屋が暗くなる前に、もう一度ハンカチを湿らせようと思い立ったのだ。
律の眠りを妨げない為にも、梓は部屋の電気を点ける心算は無かった。
梓はハンカチに再び水を含ませ、水切り処理まで施してから部屋に戻った。
(専用のシートの方が効果的なんだろうけど……。
家漁るわけにもいかないし。
ごめんなさい、律先輩。これで我慢して下さい)
 胸中で詫びながら、律の額に静かに載せた。
律の眉が少し動いたが、すぐに穏やかな表情と規則正しい寝息に戻った。
この作業で最も心配な事は、ハンカチを載せる際に律を起こしてしまう事だった。
その心配が実現しなかった事に、梓は安堵の息を漏らす。
 安心した梓は、不意に空腹を覚えた。
暗くなってゆく外が示しているように、そろそろ夕餉の頃に差しかかっている。
(確か……。バッグの中にお菓子があったはず)
 梓はバッグを漁り、ビスケットを見つけた。
それを室外で食べようかと思った梓だったが、
すぐに別の考えが浮かんでビスケットをバッグに戻した。
(律先輩が起きた時、食べさせてあげるものがあるかどうか。
まさか田井中家の冷蔵庫勝手に開けて調べるわけにもいかないし。
これは食料が何も無かった時、律先輩に食べさせる為に取っておこう)
 ビスケットが病中の律の口に合うかは分からない。
それでも律にとってカロリーは必要だろう。
 梓は空腹から気を紛らすように、律の表情を仔細に眺めた。
部屋が暗くなるにつれて、その表情も朧になっていく。
 律の顔が見辛くなるにつれ、梓は心細くなっていった。
静かな暗い部屋に居ると、律の存在からどれだけ自分が安堵を得ていたか思い知る。
「私、本当に律先輩が居ないと駄目なんだなぁ」
 梓は独り言を呟いて、考えた。
(でもそれは、パートナーとしてどうなのかな。
片方が弱った時に、もう片方が力になる事ができれば、
それが一番いいはずなのに。補い合える存在として並立したかったのに。
なのに実際は、律先輩が弱った事で連鎖的に私まで弱ってきてる。
これって、いいパートナーとは言い難いよね。
私は貴女に相応しい相方になりたいのに)
 梓は律と自分の関係を、支え合い助け合うコミュニティだと思っていた。
それが隣接するドミノのような関係だったと思い知り、
梓は少なからぬ落胆の念を抱く。
 暗闇の中では取り留めの無い考えばかりが浮かぶ。
カーテンを開ければ窓から採光されて部屋も多少明るくなるが、
それでも開ける気にはならなかった。
二階とは言え、律の寝顔を外に晒す事に気が引けた。
加えて、光の刺激が律の安眠を妨げるかもしれない。
(それに、外界から遮断された空間に二人っきり……。
暗闇は心細いしネガティブな考えばかり浮かばせるけれど、
それでも律先輩と一緒に閉じ込められていたいんだ)
 暗闇は梓に不安を与えはしたが、同時に陶酔も与えていた。
そして、暗闇は人を大胆にさせる。
「律先輩……」
 梓は律の眠るベッドに頭を預けると、鼻で息を吸った。
律のベッドに沁み込んだ匂いを感じた。
そのまま目を瞑って、律の呼吸音に耳を傾けた。
もし律を起こす心配が無いのならば、心臓の鼓動音も聞きたかった。
そして律の唇を奪いたかった。
「律先輩……」
 心を奪いたかった──
「律……」
 フェードアウトしていく意識の中、
律に包まれたい、梓はそう願った。


978 :軽音部員♪:2011/05/22(日) 00:44:28 ID:vuov9CnE0

*

 誰かに優しく髪を撫でられている感覚に、梓の意識はゆっくりと覚醒を始めた。
(澪先輩?いや、澪先輩に撫でられたのは、かなり前。
もう澪先輩は帰っちゃったよ。
じゃあ、誰?って、ここには私と律先輩しか居ないから)
 瞳を開いた瞬間、梓は眩しさに目を細めた。
「あ、起きた」
 律の声が聞こえると共に、髪に感じていた心地好い感覚は途絶えた。
「律先輩?もう大丈夫なんですか?
っていうか、今何時ですか?」
 徐々に瞳が明順応を始め、律の顔も仔細に見えるようになった。
律は穏やかな笑みを浮かべていた。
「大丈夫だよ、お陰様で。今は、午前4時ってところ」
 律は部屋の一角を指差した。
その先を視線で追うと、時計が見えた。
律の言うとおり、時刻は4時を少し過ぎたところだった。
「あのさ、梓。ありがと」
 声に反応して視線を戻すと、はにかむ様な笑みを律は浮かべていた。
「いえ。私、何もしてませんよ。
お礼なら、澪先輩に言って下さい」
「澪にも勿論言うけどさ。
梓にだって、助けられたし」
「荷物持ちしかしてないのに……」
「そんな事無いよ、梓は一緒に居てくれたじゃん。
病気の時って心細いから、誰か側に居るだけで本当に安心するし。
目が覚めた時に梓見つけて、本当に救われたよ。
ありがと」
 梓こそ、律の言葉に救われた思いだった。
(律先輩、私に助けられたって言ってくれた。
えへへ、少しは役に立ったんだな)
「律先輩、そのっ、私」
 胸に迫る歓喜の渦、
それをどう言語化していいか分からずに梓は言葉を詰まらせた。
 律は頬を仄かに染めて恥らう素振りを示しつつ、
その間隙を縫うように言葉を放った。
「あ、梓。ちょっとゴメン。
私……その、トイレ、行ってくるね」
「あ、はい。どうぞ。
って、一人で大丈夫ですか?付き添いますけど」
「大丈夫。梓のお陰で、大分良くなったし。
トイレぐらいなら行けるよ」
「分かりました。何かあったら呼んで下さいね?
それと10分以内に帰ってこなかったら、様子見に向かいます」
「分かった、ありがと」
 律はやや内股気味に、早足で部屋を出て行った。
(余程我慢してたのかな)
 梓はふと気付く。
(そうか。私が掛け布団に頭預けて眠ってたからか。
起き上がる時に私を目覚めさせないように、配慮してくれてたんだ。
トイレ、我慢させちゃったんだ)
 梓は申し訳ない気持ちになった。
律が来たら詫びようと思い、厳かな気持ちで彼女を待った。


979 :軽音部員♪:2011/05/22(日) 00:46:26 ID:vuov9CnE0
 程無くして律が戻って来た。
梓は頭を下げて言う。
「ごめんなさい、私のせいでトイレ我慢したんですよね?
私を起こしても良かったのに」
 律はベッドに腰掛けてから、言葉を返してきた。
「いや、梓のせいとは少し違うかな。
灯り点けて梓の寝顔見たとき、可愛かったからさ。
それで見続けてたくて……髪も触りたかったし。
大体、灯り点ける際に動いたけど、梓起きなかったぞ。
梓を起こさずにトイレだって行けたわけだ。
梓の寝顔に魅入っちゃった私が悪いんだよ」
 梓は赤面した。
「なっ。私はそんな……。
律先輩の方こそ、可愛かったですよ。
ええ、律先輩、黙ってれば可愛いですよ?」
 赤面した羞恥を逸らす為に、梓は敢えて憎まれ口を叩いた。
「中野ぉっ」
 梓が生意気な発言をした際の、定型句が律の口から放たれて──
途端、二人は笑いあった。
懐かしい雰囲気だと、梓は思った。
 梓は笑顔のまま、言葉を放つ。
「でも私、元気な律先輩の方が好きです」
「私も、笑ってる梓の方が好き」
 二人の唇が触れた。
「んっ……」
 一旦離し、更にもう一度重ねてから梓は言葉を放つ。
「私、律先輩が居ないと駄目です。
律先輩が風邪で眠ってる時、私殆ど何もできませんでしたし」
 律は首を振った。
「一緒に居てくれたじゃん?」
「いえ、本当は澪先輩が居るはずだったんです。
それを……追い出すようにして、私が居座ったんです。
なのに私は、律先輩が弱った事で、
私までネガティブになって精神的に弱ってしまいました。
良いパートナーっていうのは、片方が弱った時にサポートできる存在。
私はその役を担いきれませんでした。
この先も……律先輩が弱った時に、
ドミノ倒しのように私まで弱ってしまいそうです。
それでも私は、律先輩の側に居てもいいんですか?
それでも、選んでくれますか?」
 律は笑いながら梓の頭を撫でてくれた。
「ちゃーんと梓には救われてるよ、さっきも言ったように。
誰かに居て欲しいとは言ったけれど、それが梓で良かったよ。
梓見てるだけで、私も安心できるから。
それに、片方が弱った時にもう片方にも波及するってのも、
悲観する事じゃないと思うし。
それだけ、その相手が大事って事なんだろ?
私だって、梓に何かあったら支えになれるか分かんない。
多分、私も駄目になっちゃうかもしれない。
それでも梓は、側に居てくれるんだろ?」


980 :軽音部員♪:2011/05/22(日) 00:49:27 ID:vuov9CnE0
 梓は肯きつつ、見逃していなかった。
問いを放ったときの律の顔が、不安げに揺れていた事を。
だから力強い言葉を返した。
「ええ、側に居ます、必ず」
「ありがと。
そもそもさ、ポートフォリオじゃ無いんだから、
人間関係でリスクヘッジなんて考えないよ。
私は梓を、私が駄目になった時の保険として求めてるわけじゃないから。
それに」
 律は言葉を途切れさせた。
その先を言おうか言うまいか、逡巡しているらしい。
梓は先を促すように瞳を見つめた。
律が言う事であれば、何でも受け止める心算でいる。
梓の視線に衝き動かされるように、律は口を再び開いた。
「それに、仮に共倒れになったとして、
梓と一緒なら何処までも堕ちていける。
いや、梓と一緒なら、何処でもそこは天国なんだ。
勿論、梓には幸せになって欲しいから、できれば倒れたくはないけれど」
 梓は自然と笑んだ。
梓は律との関係をコミュニティとして捉え、
その後に隣合ったドミノに感じて悲観した。
律は梓を不可分の一体的な存在として捉えてくれていた。
即ち、全てを共有してくれる存在として。
そこに補い合いという機能的な視点は無い。
あるのは、非効率さえ肯定する愛だっだ。
(ゲゼルシャフトからゲマインシャフトへ。
テンニースさん、ごめんなさい。私は退化します。
でも問題無いよね?だって、愛は原始的なもの。
進化を宿命付けられた社会とは違うものだから)
「そうですね、私も律先輩となら、何処までも堕ちていけます。
勿論私も、律先輩には幸福でいてほしいですが」
「ありがと。何処までも一緒に行こうな」
 律は梓を抱き寄せてくれた。
律の胸に抱かれながら、梓は眠りに落ちる直前の願いを思い出した。
即ち──律に包まれたい──と。
(叶っちゃった)
 願いが叶った幸福に酔いしれていた時、律が急に梓を突き放した。
訝しげに視線を向けると、律は頬を仄かに染めつつ口を開く。
「ご、ごめん。
その……私今日お風呂入ってないし、寝汗も酷いから。
匂いとか気になって」
「匂いは気になりませんが……。
あ、私もお風呂入ってないんですけど、私は」
「梓は大丈夫だよ、寝汗かいてないから」
「私、律先輩の寝汗気になりませんよ?
何より、匂いなんて気にしません」
 律は手を振った。
「いや、私が気になるし。
特に……梓の前では」
 確かに律の言う事も尤もだと梓は思った。
梓自身、律の前ではデリケートになるのだから。
だが、律の抱擁をもっと受けていたいという願望も強くあった。
梓は胸中に、二つの相反する思いを抱えていた。
(いや、それ以前に……。
律先輩、寝汗かいたんだから、服の着心地も良くないよね。
私に対する配慮云々は置いといても、
汗かいた後はお風呂に入ってサッパリしたいだろうし)


981 :軽音部員♪:2011/05/22(日) 00:51:03 ID:vuov9CnE0
 実際、律は肌から浮かすように頻りに服を摘んでいた。
肌へと纏わりつく、服に染み付いた汗の感触が気になるのだろう。
それを眺めていた時、
梓は胸中で鬩ぎあう相反する思いの解決策を思いついた。
(あ、そうか。私にできる事、あったんだ)
 梓は意を決して提案する。
「律先輩、私に身体を拭かせて下さい」
「えっ?」
 律は驚きの声を発すると、梓を見つめた。
「身体、汗が纏わりついて気持ち悪いですよね?
だから私に拭かせて下さい。
律先輩は寝たままでいいです。立ってるの、辛いでしょうから」
 トイレから戻ってきた時の律を思い出しながら言う。
あの時の律は、大儀そうな仕草でベッドに腰掛けていた。
「そうして身体を綺麗にしたら、新しいのに着替えましょう」
 律は視線を逸らすと、頬を仄かに染めて呟く。
「いや、そこまでしてもらうのは梓に悪いし……。
それに……その……恥ずかしいし」
「でも、やっぱり寝汗は気持ち悪いですよね?
それが冷えて風邪をぶり返すのも心配ですし。
何より……私にも、律先輩の力にならせて下さい。
澪先輩が律先輩を背負ったように、私にも律先輩を助けさせて下さい」
 梓は部活時の出来事を思い返しながら、願うような口振りで言葉を放った。
(やっと見つけた私にできる事。
これは私にしかできない。んーん、私以外にやらせるなんて、絶対に許せない事)
 勿論、律が自分で行う事も可能だろう。
だが、今の律の体力を思えば、それが大儀である事は容易に想像が付く。
何より、梓を部屋の外に出さない限り、どうせ肌を晒す事になるのだ。
 梓の執念が通じたのか、律は頷く事で肯んずる。
「お湯を入れる容器は、浴場の洗面ボウルを使ってもいいですか?」
「うん。来たのは始めてじゃないから、場所は分かるよな?」
 梓は頷いた。
「黄色いやつが私のな」
 律らしい選択だった。
向日葵の花弁のように、周囲を彩る気配りを持つ律には似合っている。
(そうして私に似合うは緑色。向日葵の茎の色。
律先輩を支える決意を持つ私に、似合うべき色)
「あの、律先輩。
ベッドシートの上に敷く、ビニールシートか何かありません?
水を垂らさないよう細心の注意は払いますが、
身体に付いた水気がベッドに湿気を与えると悪いので」
「あー、部屋に60リットルのビニール袋何枚かあるから。それ開いて使えばいいよ。
それは梓が戻ってくるまでに準備しとく。
それと、タオルは洗面台の横の棚、上から二段目の抽斗に入ってる」
「分かりました。では、ちょっと待ってて下さいね」
 梓は背を翻すと、扉に向かった。
その背に向けて、律の声が投げかけられた。
「お湯は二階にも流しあるから。そこの蛇口からも出る。
一階の洗面所で入れてくるなよ?
梓が階段で落ちたら……」
 最後の方では、言葉が震えていた。
梓は首だけ振り向けて、安心させるように笑った。
「分かりました」






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6 :軽音部員♪:2011/05/22(日) 20:53:40 ID:0f3Y8Bc.0
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 梓が準備を整えて部屋に入った時、律は羽毛布団に包まっていた。
容態が悪化したのだろうか。
不安に駆られた梓は問いかける。
「あの、大丈夫ですか?具合でも悪くなったんですか?」
 律は朱に染まった顔を梓に向けると、
部屋の一角を指差した。
そこには、綺麗に畳まれた制服が置かれていた。
「ああ、脱いでてくれたんですね」
 脱がせる事ができず、少しだけ落胆した自分に気付いた。
(もう、律先輩の為にやる事なんだからね。
下心からじゃ無いんだから)
 梓はそんな自分に叱咤を浴びせてから、律に近付く。
「脱いだって言っても、下着以外だけど……」
 羞恥が勝ったのか、下着は未だ装着しているらしかった。
言われて見れば、畳まれてあるのは制服のみで、
下着までは置かれていない。
「ビニール袋はもう?」
 梓はベッドの傍に、湯を張った洗面ボウルを置きながら問う。
「うん、もう切り開いて、シーツの上に被せてある。
今、布団に隠れてて、見えないだろうけど」
「じゃ、始めましょうか。
布団、退けてもらっていいですか?」
 律は躊躇を表情に浮かべて、梓に問い返してきた。
「その、貧相な身体だけど、笑ったりからかったりしない?」
「ええ、私だって人の事言えませんし。
それに、自分の身体の事を貧相だなんて言っちゃ駄目です。
惚れた私の立場が無いじゃないですか」
「うー、分かった……」
 梓に励まされて漸く決心を固めたらしく、
律は羽毛布団を跳ね飛ばした。
梓の目に華奢な肢体が飛び込んでくる。
(綺麗……)
 思わず見惚れてしまった。
撓るような曲線が、
細長い首筋から括れた腹部を通り浮き出た腰骨へと至る体のラインに現れている。
細く白い脚は片方が下着を隠すように曲げられ、扇情的な雰囲気を律に添えていた。
そして視線を戻すと、浮き出た鎖骨が目に飛び込む。
そのすぐ下には、微かな膨らみを主張する胸部と、それを覆う白い下着。
梓は恍惚と眺め耽った。
「ちょっ、梓ぁ。そんなジロジロ見られると、恥ずかしいかも……」
 律の控えめな抗議を受けて、梓は我に返った。
「ごめんなさい。ちょっと見惚れちゃって」
「ばっ、そんな大したもんじゃないだろ?」
「いえ、綺麗ですよ。すぐ始めたいんですが……その」
 梓は自分の胸を指差して、続けた。
「ブラジャー、外してもらっていいですか?
そこも拭きたいですし、何より着けてると」
「周囲を拭く時に邪魔、だよね」
 律は背に手を回すと、一際赤く頬を染めて動きを止めた。
梓は律の羞恥を察し、先回りして言う。
「あ、脱ぐトコ見られてると恥ずかしいですか?
なら、顔背けてますけど」
「いや、胸見られる事自体が恥ずかしくて、
何かこう自分じゃ踏ん切りつかないってゆーか。
それに、恋人居るのに自分で外しちゃうって、何か惨めで」
 律はそこまで言うと、梓にとって思いがけない依頼を口にした。
「だから、梓が外してくれる?」
「あ、はい」
 梓は緊張に震える手を律の背へと回す。
この精神状態では相当手間取るのでは無いかと案じたが、
自分でも予想していないくらい簡単にホックが外れた。
だから、心の準備も無いまま律の胸を見る事になった。

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最終更新:2011年06月06日 18:25