春を告げる桜の花が散り、みずみずしい緑の葉が風に踊る。
5月の朝。
俺ぐらいの年齢ともなると、今ぐらいの時間は学校でクラスメイトと馴れ合いの時間を過ごしているのだろう。
だが俺は今その学校という場所にはおらず、ありえないスピードで公道を疾走していた。
…俺は、学校が嫌いだった。
授業が嫌いだった。先生が嫌いだった。クラスメイトとやらも、口を聞いた覚えがない。
別に孤高の狼を気取ってたわけじゃないけれど、俺はどうも学校という組織には相容れなかった。
何度も繰り返される親や先生達の説得を聞き流しつつ、俺は思う。
あんた達は知っているのか。
あそこがどんなにつまらない場所なのか。
あそこに反響する冷笑の不協和音が、どれだけ耳障りか。
ああ、思い出しただけでも憂鬱になる…。
この前「退学」という形でこのノイズから解放された…と思ったのだけれど。
「なんでまた学校行かなきゃいけないんだよ…」
「なぁに!?聞こえない!」
走馬灯のように繰り返される悪夢に対し呟いた言葉は、運悪く運転手に聞こえてしまったらしい。
自己紹介がまだだった。
俺は
べぇず。本名はちゃんとあるけど…別にいいだろ、言わなくても。今年で高校二年になる…ごく普通の男の子という奴だ。
強いてあげるとすれば遊戯王にとても興味があるということだろうか。
時に走馬灯とは人が死ぬ間際に見える、と誰かが言っていたような気がする。
死んだ後のことは死ぬまでわからないのだけれど、あながちそれは間違いじゃないかもしれない。
真横スレスレにパスしていった大型トラックの汽笛が、頭の中で残響する。
…このまましがみついている腕を離せば学校どころかこの世からオサラバできるのに、俺にはまだそんな覚悟はないらしい。
明らかに法定速度を超越して(二人乗りもアウト?何、気にすることはない)バイクをぶっ飛ばすこの運転手は俺の姉ちゃん。
名前は玖羅というけど、呼び捨てにしたことは一度も…ない、うん。
かわいい、というよりもかっこいいと言う表現が似合ってると俺は思う。
姉ちゃんといっても実の姉というわけではなく、ガキの頃お世話になった幼なじみというやつだ。昔寝食を共にした仲だと言うが、残念ながら俺の記憶にはない。
学校から解放され、親からも見放され、ひたすら自堕落な日々を送っていた俺の部屋を、いきなり姉ちゃんが強襲したのはつい最近のことだ。
「けーちゃんを迎えに来た」
と。けーちゃんとは姉ちゃんのみに許された俺のあだ名。
しばらく前に念願の教師になれたのは聞いていたけど、スーツ姿の姉ちゃんが学校のパンフレット片手に飛び込んで来たのには流石に驚いた。
俺が退学したのを聞き付けて授業そっちのけでやってきたらしい。…授業はどうした。
そしてあれよあれよという間に俺の転入手続きが決まり、気付いた時には姉ちゃんの勤務する「大和学園」に通うことになってしまったのだった。
姉ちゃんが言うには「楽しい学校」というが…やはり不安が付き纏う。
俺にはどうしても「楽しい学校」がイメージできなかったからだ。
流石に信号だけは守るようで、赤い光を輝かせる監督者の前でブレーキをかける。
姉ちゃんの家を出る時散々ゴネたが、これを期にと俺は再び胸中を表にする。
「なぁ姉ちゃん…やっぱり行かなきゃダメなのか?」
「もう、けーちゃんってば…往生際が悪いよ?」
溜め息まじりに姉ちゃんが言う。
殆ど姉ちゃんのごり押しで話が進んだというのに…。
断れば断ることも出来ただろうけど、…いかんせん姉ちゃんには借りが山のようにあるのだった。
赤が青に切り替わった為、再び俺達を載せたバイクが動き出す。
「大丈夫だって、きっと大和の皆はけーちゃんと仲良くしてくれるよ」
「…本当かな」
「本当だよ!うちの校風、絶対けーちゃんにあってるから」
そう言われて、俺はパンフレットの中身を思い出す。
俺が通うことになる大和学園の独特のシステムとして、「遊戯王を教育に取り組む」というものがあるらしい。
…最初見た時、そりゃねーよと思った。
確かに遊戯王は大好きだけど、それを教育に取り組むなんてどんな学校だよ、と。
でも姉ちゃんが真剣に転入を奨めてくるので、…少しは信じてみることにした。
…前の学校じゃあ、流行ってなかったんだよな。
共通の趣味が持てるというのはいいかもしれない。
かく言う間にその大和学園の門が見えてきたようだ。
校舎を大まかに見るとなかなかに立派な作りをしている。
三階建ての体育館って中々に珍しいような、と眺めていると…俺はある異変に気付いた。
このバイク全く止まる気配が無いような…?
「姉ちゃん?」
「うふふ…けーちゃんと同居…けーちゃんと同居…」
「…姉ちゃん?」
「毎日同じ布団で寝てー、毎日お風呂も一緒に…うふふ」
…出た。姉ちゃんの妄想癖。
何かと器用な姉ちゃんだけれど、なぜか昔から時たま自分の世界に入ってしまうことがあった。
そしてその度背筋が凍るのは何故だろう。
やれやれ、と俺は首を振り…そして戦慄した。
妄想のせいではない。
このバイクの進路上に、小さな人影が見えていたから。
あれは確か大和の女子制服…じゃなくて!
「ちょ、姉ちゃん前!前!」
「え?式はモスクワがいいって?」
「違うよ!前見てってば!!」
「前って…っ!!そこの生徒危ない避けてぇぇ!!」
姉ちゃんの悲鳴。
けたたましいブレーキの音。
人影は振り向かない。
どすん、
と何かにぶつかる音。
衝撃。
どうやら、誰かさんの車に突っ込んでしまったらしい。
「……。」
「…………。」
「……姉…ちゃん」
「…ワタシハネコヲヒイタワタシハネコヲヒイタワタシハネコヲヒイタワタシハネコヲヒイタワタシハネコヲヒイタワタシハネコヲ」
ここにきて現実逃避か。
学校の敷地内で生徒を轢き、更に車に突っ込んだ教師なんて聞いたことがない。間違いなく懲戒免職クラスの処罰は受けてしまうのだろう。
…逆に考えれば俺は学校に通わなくても済むんじゃないか?
いや、そんな邪な考えを抱いている場合じゃない!
俺はそっとさっきの少女がいたであろう方向を見返してみた。
しかし。
「…あれ?」
そこには、アスファルトにバイクの蹄が残されている以外、何も無かった。
おかしい。
あの速度で突っ込んでいたなら間違いなく撥ねていたはずなのに。
「…?」
「…大丈夫かしら」
「!?」
いきなり後ろから声がした。
振り向くと、そこには、緋目の少女が俺達の傍に立っていた。
透き通った肌に流れるような髪は、まるで人形のようだった。
「…」
「ねぇ、質問に答えてくれない?大丈夫?」
「え?あ、ああ、俺は大丈夫だけど…君は?」
「別に。急にあなたたちが事故を起こしたからびっくりしただけ」
「事故…って…姉ちゃんが君を轢きそうになったんだけど…」
「私は平気よ。だって…」
---そういう、運命だもの。
「…運命?」
「それでは、ごきげんよう」
そう小さく言い残し、その少女は玄関とおぼしき方へと歩いて言った。
…不思議な感じな子だな、と俺は思った。
さてとにもかくにも姉ちゃんを現実世界を引き戻さねば。
叩けば治るだろうか…と考えていたら、男の悲鳴。
「うわぁぁぁぁぁあ!!俺の車がぁぁぁぁぁぁあ!!!?」
どうやらこの不運な車の持ち主らしい。
ジャージに身を包んだ男が走ってくる。
あまりに大きな声だったので、流石に姉ちゃんも現世に戻ってきたようだ。
「あ、伊吹副校長おはようございました」
「おはようじゃないよ
くーら先生!買ったばかりの俺の嫁になんてことを…!!」
「車に嫁とか…そんなんだからいつまでたっても独身なんですよ?」
「罪悪感が感じられねぇ!?」
不遜な態度をとり続ける姉ちゃん。
副校長だというのに、相手をわきまえない調子は昔から変わらない。
周りがざわざわとうごめき出す。
騒ぎを聞き付け集まって来たのだろう、校舎からも生徒達が顔を覗かせている。
…転入初日からやっかいなことになった。
クドクドと副校長の話を受け流している姉ちゃん。
このままではらちが開かないなと思っていると、一人の男子生徒がこちらにやってきた。
そして芝居がかったように、叫んだ。
「うわぁ!俺のトマト畑を伊吹先生の車が守ってくれたんですね!?」
その少年は小柄ながら端麗な顔立ちで、俺と同じ制服を身に纏っていなければ女の子と間違えてしまいそうなほど愛らしかった。
「ありがとうございます伊吹先生!生徒の畑を守ってくれるなんて、先生こそ教師の鑑です!」
ひしゃげたドアのガラス越しには、確かに農作物の緑が見えていた。
…ここは農業学校だったのだろうか?
「え、いやそのアヤくん…」
絶賛を受け戸惑う副校長。
アヤと呼ばれた少年はすっと姉ちゃんに近付くと、俺にかろうじて聞こえる声で、
「くーさん、ここは俺に任せてください」
と言った。こいつも姉ちゃんの教え子にあたるのだろうか?
そいつの言葉に頷いた姉ちゃんは、俺を手振りで促しこの場を離れる動きを見せた。
「エキサイティン!」
「エキサイティン!行くよけーちゃん!」
「ちょっと!生徒と何交渉してんだ!聞いてる!?ねぇ無視!?無視なの!?」
姉ちゃんに手を引かれ走りつつ、虚しく響き渡る副校長の声からきっと苦労してるんだろうな、と直感した。
…大丈夫か、この学校。
最終更新:2009年12月20日 17:53